一口分の毒りんご

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愛され方が、分からない

愛され方が、分からない.3

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 その後も、時津胡桃は花月のことを邪険に扱った。

 というよりも、彼女は誰に対しても基本的に同様の態度だったわけだが、それでもやはり、人目を引くうえに、人当たりの良い花月に対する反抗的な立ち振る舞いは悪目立ちした。

 一方、それに対し、花月は嫌な顔一つすることはなかった。

 もちろん内心では悪態を吐くことも少なくはなかったが、それでも、本気で相手を嫌うような気持ちはなかった。

 それはきっと、花月の代わりに周囲の有象無象が時津を影でけなしていた、という理由もあるだろうが、花月からしてみれば、不幸なのは時津のほうだったのだ。

 時津は、人を愛する能力に欠陥がある。

 誰にでも愛されるよう、神様に創造された自分を愛せないのだ、なんと可哀想な人間なのだろうか。

 彼女は、きっと誰も愛せない。
 その喜びも知らず、そしてまた、愛を求めることもない。

 それが、花月の出した時津への評価だった。

 時津とわずかに言葉を交わした日から、一週間ほど過ぎたある日だった。

 花月は、旧館の資料室へと向かっていた。理由は明確であって、明確ではない。

 その不思議な矛盾に自分自身、ふわふわとした心地になりながらも、資料室の扉をノック無しに開いた。

 奥へと足を進め、以前時津が座っていた場所に移動するが、彼女の姿はなかった。

 あるのは、西日に漂う埃と、暖かくなった床板だけだ。

 折角、面白い話を聞かせてやろうと思ったのに。そう考えながら、花月はその日は踵を返し、学校を後にした。

 そして、次に学校に行った日。前回の虚しき訪問から、四、五日ほど経った日のことだった。その日は雨が降っており、放課後の穏やかな西日が注ぎ込まれることはなかったものの、その代わりにか、以前と同じ場所に彼女はいた。

 今日も時津は、花月が入ってきたことに気が付かなかった。今日はヘッドフォンを着けていないので、集中しているのだろう。

 ハードカバーのデザインが変わっていて、違う本を読み始めたらしいことが推測出来たところで、花月は少し遠めの距離から、時津の視界に入るよう掌を振って見せた。

 驚いた様子で目を見開いた彼女は、瞬時に鬱陶しそうな顔を花月に向けると、ため息を交じりに本を閉じた。

 放っておくと、そのまま立ち去りそうな勢いの彼女の腕を掴んで引き止める。

「ストップ、ストップ、胡桃ちゃん」

「何、触んないで」

「本当、私のこと嫌いだね」

 ここまで徹底されると、もう笑いが零れる。

「しつこいし、呼ぶなって言っているのに名前で呼ぶ。これで嫌いにならないほうがおかしいと思うけど」

「うわ、ショック。私って、自分で言うのもなんだけど、結構みんなに愛されるんだけど?」

「そう、良かったね。じゃ」

「あ、もう、待って」

 何を言っても立ち去ろうとする彼女を引き止めるため、一先ず本題に入ることにした。

 迷惑さを全面に展開する時津の眼前に、一冊の本を掲げる。

 時津の身の丈は花月の身長よりも、およそ10cm以上は高いため、自然と腕の角度がきつくなる。

 時津は訝しがるように目を細め、何事かを言おうと口を開いたのだが、そうして声を発する直前に、凍りついたふうに固まった。

 みるみる驚愕の表情に変わった彼女は、右手の人差指を本に突きつけた。

「これ…」

 そうして時津は、その本の作者の名前を『先生』の呼称付きで呼んだ。

 その人物の名は、今彼女の左手に握られているハードカバーの表紙にも印字されている。
 ただし、花月が持ってきた本には、印刷機によって印字されたものではなく、手書きのサインが書き込まれていた。

「やっぱり、胡桃ちゃんが好きな作者さんのだったんだぁ、これ」

「それ、ど、どこで」
 普段の冷徹さは見る影もなくなり、時津は言葉を詰まらせている。

 それを見ていると、何だか気分が良くて、思わず頬をすっかり緩めた顔つきで花月は胸を張った。

「ふふふ、胡桃ちゃん、私が誰だか知らないの?」

「はぁ?」

 遠回しな表現がお気に召さなかったようだ。

 しょうがないので、一つ息を吐いてから自分の顔がよく見えるよう、前髪をかき分けながら告げる。

「私、今をときめく人気アイドルなんだけど?」

 あ、やばい。素が出た。

 花月の心配をよそに、時津は本に夢中だった。

 花月が芸能人だというステータスを思い出すことで、その本に書き込まれたサインが本物だと、彼女の中できちんと実証されたのだろう。

「ちょっと貸して」

 時津は迷うことなく花月の持つ本に手を伸ばした。

 ひらりと、本を胸元に引いてその手を躱す。ほとんど反射的な動きだった。

 じっと、時津が花月の可愛らしい顔を、穴が空くほど睨みつけた。
 その眼差しには、確かな憤りと捨てられない希望が閃いていた。

 故意的に意地悪をしようと思っていたわけではない。

 ただ、彼女が敬愛しているかもしれない作者の、サイン入りの本を見せたらどんな反応をするだろうかと興味があっただけだったのだ。

 彼女の反応は、花月の予想を遥かに上回る、というか斜め上のものだった。

 その様子をまじまじと観察しているうちに、花月は、もっと別のものに飲み込まれていった。

 こちらの様子を窺う瞳の、鮮やかな黒い煌めき。

 切れ長で、黒目がちの両目が印象的ながらも、他のパーツも整っている美人顔。

 休日もずっと本を読んで過ごしているのか、白く、雪のような肌。

 その雪原に咲いた、季節を違えた花のような唇。

 勝てない、と思った。何の勝負なのかは自分でも分からない。
 ただ、胸の奥から巻き上がる嫉妬の炎が、正体不明の圧倒的な力にねじ伏せられて、風に乗ることも出来ず燻っていた。

「…からかうために、持ってきたわけ?」

 静寂を破る時津の声に、ハッとする。

 不服そうにこちらをじっとりと睨みつける彼女を微笑んで見返しながら、必死に頭を回転させる。

 あれ、私は何がしたかったんだっけ。

 からかう…つもりがあったわけじゃなくて、ただ、そう、鉄面皮な態度を崩さない彼女がどんな反応するのか見たかっただけだ。
 ならば、これからどうしようか。

 自分が宝石の原石だと気付かず、私を愛せない哀れな時津胡桃。

 彼女をこれ以上、不幸な存在にするのはさすがに気が引ける。

 花月は、その本を手渡そうとした。

 普段の彼女が被っている仮面を装着して、誰もが愛したくなる弾ける笑顔で、ただ一言、プレゼントだと言って手渡せば良い。

 そうすれば、今日から時津胡桃も、晴れて私のファンの仲間入りだ。

 そう考え、本を胸元からわずかに離した花月は、そこでぴたりと動きを止めた。

 …でも。

 無意識のうちに、口元が歪む。

 彼女自身は気が付いていなかったが、加虐的な性格が垣間見えるその歪な微笑は、花月林檎の本性の一部を覗かせていた。

 もう少しだけ、と花月は仮面を外す。

「ねえ、胡桃ちゃん。この本欲しい?」

「馬鹿にして…!」

 怒気を露わにする彼女を受け流すように、本を時津の胸元に素早く押し付ける。

「良いよ、あげる」
「え」

 意外そうに目を丸くした彼女は、ほんの少しだけ口元を緩めて本を両手で握った。だが、すぐにその上から、花月の両手が重ねられる。

 そこには、逃がすまい、という強く粘着質な意思が込められていた。

「その代わりぃ、お願いがあるんだけどぉ」

 わざとらしく、可愛い子ぶった口調で小首を傾げる。

「ちょ、離して」

「聞いてくれる?胡桃ちゃん」

 有無を言わさぬ花月の言葉と笑みに、時津が初めて怯む。

 言葉に詰まって視線だけを右往左往させている時津の至近距離に、ぐっと踏み込む。それでいよいよ彼女は困惑した様子になった。

 同性にも効果のある自分の可愛さを再認識し、自信を取り戻した花月は、相手が飛び退かないギリギリの近さまでさらに近寄ると言った。

「今後も、『胡桃ちゃん』って呼んでもいい?」

「何で…」

「それあげるから」

「いや、だから何で…」

「駄目なんて言わないよね?」

 時津にとって垂涎の品であるはずのサイン本と引き換えにしているのに、渋られることが予想外だった。

 そんなに私に名前を呼ばれたくないのか。いいよ、上等だ。

「だって、欲しいんでしょ?」

「それは、まぁ」

「じゃあ、我慢しなくちゃね」

 絶対退かない。

 ここまで来たら、相手が首を縦に振るまで執拗に続ける。

 既に彼女からはしつこい、という評価を受けているのだ、今さら遠慮する必要はない。

 私はすっぽん並に一度噛み付いたら離れない。それが配役だろうと何だろうと。

 実際、花月は、その後も粘り強く抵抗する時津が折れるまで、同じ質問を延々と繰り返したのだった。
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