28 / 31
成人の儀
迷いミツバチ
しおりを挟む
黒いジャケットの袖口に、もぞもぞと動く小さな生き物。
まるで黄色いボタンだった。
「ミツバチです。庭から迷い込んだのかな」
「ミツバチ……」
「かわいいですよ。ほら」
手のひらに乗ったミツバチを、僕はそっとルイーザ嬢に近づける。
勢いよく彼女はのけぞった。
「かわいらしいことは理解できます!」
「ああ、ごめんなさい……」
「処分しますか?」
執事が言う。殺してしまおうかという意味だろう。
僕は首を振った。
「植物の繁殖には欠かせないんだ。まだ役にたってもらおう」
クローゼットの窓を開けてもらい、僕はミツバチを外へ逃がした。
眼下に広がる庭へ、ふわりと飛んでいく。
「これだけ立派なお庭ですもの。虫だっていますわよね」
ルイーザ嬢が僕に並び、窓から外を見下ろす。
「虫もいますし、小さな動物や鳥も来ます」
「あら、そうなんですか? ウサギさんなんかもいらっしゃるのかしら」
ミツバチを避けた表情から一転、顔を輝かせたルイーザ嬢。
……ウサギが庭仕事にとって害獣であることは、まだ言わない方がいいだろう。
「それでは、アルフレッド様」
執事が勧める。
ルイーザ嬢を座らせて、僕は部屋を遮る衝立の向こうへ移動した。
僕は、ジャケットに袖を通す。
日頃着る服よりも厚く、重い。行事のたびに着る式典服は、やはり苦手だった。
「……どうでしょう」
衝立から体を出し、両手を広げて見せる。
もちろん、ルイーザ嬢に向かって。
「…………」
ルイーザ嬢は、僕の姿を頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見つめた後、
「やっぱり。とてもお似合いですわ」
目を細めて微笑んだ。
女性の笑顔にはいくつもの種類がある。というのは、僕がルイーザ嬢と婚約をしてから知ったことだ。
ルイーザ嬢が僕を見つめる微笑みは、優しい、まるで神話の女神のような笑いだった。
……ルイーザ嬢は、女神ではない。ものの例えだ。
冷酷姫だと呼ばれる彼女を、女神のようだと例えるのは、この世で僕だけかもしれない。
それは、つまり。
――僕は彼女に、好意を抱いている、ということに他ならないだろう。
政治のためと、家に決められた婚約者に?
しかも彼女は、もともと兄の婚約者だったのだ。
……そして、僕は彼女の涙を思い出す。
ルイーザ嬢の気持ちは、きっとまだ兄に残っているのだ。
復讐さえなければ、彼女が僕に付き合う理由はない。
「ルイーザ嬢」
僕がクローゼットに彼女を呼んだのは、彼女に褒めてほしかったからだ。
成人の儀の今日、彼女が最初に目にうつす王子は、僕であってほしかった。
――気持ちだけが急ぐと、ろくなことにならない。
口は、僕の気持ちに追いつくことができなかった。
「か、……っこいいですか? 僕は……」
……恰好悪すぎることを、とてつもなく格好悪く聞いてしまった。
ルイーザ嬢の顔を見ることができない。
アンドレアの式典服も真っ青なくらい、いまの僕は真っ赤になっていることだろう。
かつん、とルイーザ嬢の足音が部屋に響いた。
思わず身構える。けれど、少しの距離を保って、彼女は足を止めた。
「アルフレッド様。私たちが出会って……ふた月ほど経ちました」
「え? ええ……そうですね」
ルイーザ嬢は、たんたんした口ぶりで言った。
「アルフレッド様は、少し変わりました。ご自分でお気づきですか?」
「変わったところ? どこだろう」
まずは、とつぜん婚約者ができたこと。
ルイーザ嬢とよく話すようになったこと。
気丈なルイーザ嬢のおかげで、僕もちょっと前向きになれたような気がすること。
……どれも、特別変わったことだとは思えない。
「……わ、わかりません」
悪いことかもしれない、と思いながら答える。
問題に答えられないのは、僕が未熟なせいだからだ。
兄や姉なら答えられるのだから――いつも必ず、そうなのだ。
ルイーザ嬢は、えへん、と咳ばらいをした。
そして、
「アルフレッド様は――身長が伸びました!」
得意げに言った。
まるで黄色いボタンだった。
「ミツバチです。庭から迷い込んだのかな」
「ミツバチ……」
「かわいいですよ。ほら」
手のひらに乗ったミツバチを、僕はそっとルイーザ嬢に近づける。
勢いよく彼女はのけぞった。
「かわいらしいことは理解できます!」
「ああ、ごめんなさい……」
「処分しますか?」
執事が言う。殺してしまおうかという意味だろう。
僕は首を振った。
「植物の繁殖には欠かせないんだ。まだ役にたってもらおう」
クローゼットの窓を開けてもらい、僕はミツバチを外へ逃がした。
眼下に広がる庭へ、ふわりと飛んでいく。
「これだけ立派なお庭ですもの。虫だっていますわよね」
ルイーザ嬢が僕に並び、窓から外を見下ろす。
「虫もいますし、小さな動物や鳥も来ます」
「あら、そうなんですか? ウサギさんなんかもいらっしゃるのかしら」
ミツバチを避けた表情から一転、顔を輝かせたルイーザ嬢。
……ウサギが庭仕事にとって害獣であることは、まだ言わない方がいいだろう。
「それでは、アルフレッド様」
執事が勧める。
ルイーザ嬢を座らせて、僕は部屋を遮る衝立の向こうへ移動した。
僕は、ジャケットに袖を通す。
日頃着る服よりも厚く、重い。行事のたびに着る式典服は、やはり苦手だった。
「……どうでしょう」
衝立から体を出し、両手を広げて見せる。
もちろん、ルイーザ嬢に向かって。
「…………」
ルイーザ嬢は、僕の姿を頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見つめた後、
「やっぱり。とてもお似合いですわ」
目を細めて微笑んだ。
女性の笑顔にはいくつもの種類がある。というのは、僕がルイーザ嬢と婚約をしてから知ったことだ。
ルイーザ嬢が僕を見つめる微笑みは、優しい、まるで神話の女神のような笑いだった。
……ルイーザ嬢は、女神ではない。ものの例えだ。
冷酷姫だと呼ばれる彼女を、女神のようだと例えるのは、この世で僕だけかもしれない。
それは、つまり。
――僕は彼女に、好意を抱いている、ということに他ならないだろう。
政治のためと、家に決められた婚約者に?
しかも彼女は、もともと兄の婚約者だったのだ。
……そして、僕は彼女の涙を思い出す。
ルイーザ嬢の気持ちは、きっとまだ兄に残っているのだ。
復讐さえなければ、彼女が僕に付き合う理由はない。
「ルイーザ嬢」
僕がクローゼットに彼女を呼んだのは、彼女に褒めてほしかったからだ。
成人の儀の今日、彼女が最初に目にうつす王子は、僕であってほしかった。
――気持ちだけが急ぐと、ろくなことにならない。
口は、僕の気持ちに追いつくことができなかった。
「か、……っこいいですか? 僕は……」
……恰好悪すぎることを、とてつもなく格好悪く聞いてしまった。
ルイーザ嬢の顔を見ることができない。
アンドレアの式典服も真っ青なくらい、いまの僕は真っ赤になっていることだろう。
かつん、とルイーザ嬢の足音が部屋に響いた。
思わず身構える。けれど、少しの距離を保って、彼女は足を止めた。
「アルフレッド様。私たちが出会って……ふた月ほど経ちました」
「え? ええ……そうですね」
ルイーザ嬢は、たんたんした口ぶりで言った。
「アルフレッド様は、少し変わりました。ご自分でお気づきですか?」
「変わったところ? どこだろう」
まずは、とつぜん婚約者ができたこと。
ルイーザ嬢とよく話すようになったこと。
気丈なルイーザ嬢のおかげで、僕もちょっと前向きになれたような気がすること。
……どれも、特別変わったことだとは思えない。
「……わ、わかりません」
悪いことかもしれない、と思いながら答える。
問題に答えられないのは、僕が未熟なせいだからだ。
兄や姉なら答えられるのだから――いつも必ず、そうなのだ。
ルイーザ嬢は、えへん、と咳ばらいをした。
そして、
「アルフレッド様は――身長が伸びました!」
得意げに言った。
322
お気に入りに追加
1,737
あなたにおすすめの小説
愛されなかった私が転生して公爵家のお父様に愛されました
上野佐栁
ファンタジー
前世では、愛されることなく死を迎える主人公。実の父親、皇帝陛下を殺害未遂の濡れ衣を着せられ死んでしまう。死を迎え、これで人生が終わりかと思ったら公爵家に転生をしてしまった主人公。前世で愛を知らずに育ったために人を信頼する事が出来なくなってしまい。しばらくは距離を置くが、だんだんと愛を受け入れるお話。
捨てられた侯爵夫人の二度目の人生は皇帝の末の娘でした。
クロユキ
恋愛
「俺と離婚して欲しい、君の妹が俺の子を身籠った」
パルリス侯爵家に嫁いだソフィア・ルモア伯爵令嬢は結婚生活一年目でソフィアの夫、アレック・パルリス侯爵に離婚を告げられた。結婚をして一度も寝床を共にした事がないソフィアは白いまま離婚を言われた。
夫の良き妻として尽くして来たと思っていたソフィアは悲しみのあまり自害をする事になる……
誤字、脱字があります。不定期ですがよろしくお願いします。
いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と
鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。
令嬢から。子息から。婚約者の王子から。
それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。
そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。
「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」
その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。
「ああ、気持ち悪い」
「お黙りなさい! この泥棒猫が!」
「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」
飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。
謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。
――出てくる令嬢、全員悪人。
※小説家になろう様でも掲載しております。
私のことが大嫌いらしい婚約者に婚約破棄を告げてみた結果。
夢風 月
恋愛
カルディア王国公爵家令嬢シャルロットには7歳の時から婚約者がいたが、何故かその相手である第二王子から酷く嫌われていた。
顔を合わせれば睨まれ、嫌味を言われ、周囲の貴族達からは哀れみの目を向けられる日々。
我慢の限界を迎えたシャルロットは、両親と国王を脅……説得して、自分たちの婚約を解消させた。
そしてパーティーにて、いつものように冷たい態度をとる婚約者にこう言い放つ。
「私と殿下の婚約は解消されました。今までありがとうございました!」
そうして笑顔でパーティー会場を後にしたシャルロットだったが……次の日から何故か婚約を解消したはずのキースが家に押しかけてくるようになった。
「なんで今更元婚約者の私に会いに来るんですか!?」
「……好きだからだ」
「……はい?」
いろんな意味でたくましい公爵令嬢と、不器用すぎる王子との恋物語──。
※タグをよくご確認ください※
裏切りのその後 〜現実を目の当たりにした令嬢の行動〜
AliceJoker
恋愛
卒業パーティの夜
私はちょっと外の空気を吸おうとベランダに出た。
だがベランダに出た途端、私は見てはいけない物を見てしまった。
そう、私の婚約者と親友が愛を囁いて抱き合ってるとこを…
____________________________________________________
ゆるふわ(?)設定です。
浮気ものの話を自分なりにアレンジしたものです!
2つのエンドがあります。
本格的なざまぁは他視点からです。
*別視点読まなくても大丈夫です!本編とエンドは繋がってます!
*別視点はざまぁ専用です!
小説家になろうにも掲載しています。
HOT14位 (2020.09.16)
HOT1位 (2020.09.17-18)
恋愛1位(2020.09.17 - 20)
【完結】要らない私は消えます
かずきりり
恋愛
虐げてくる義母、義妹
会わない父と兄
浮気ばかりの婚約者
どうして私なの?
どうして
どうして
どうして
妃教育が進むにつれ、自分に詰め込まれる情報の重要性。
もう戻れないのだと知る。
……ならば……
◇
HOT&人気ランキング一位
ありがとうございます((。´・ω・)。´_ _))ペコリ
※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています
【完結】公女が死んだ、その後のこと
杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】
「お母様……」
冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。
古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。
「言いつけを、守ります」
最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。
こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。
そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。
「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」
「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」
「くっ……、な、ならば蘇生させ」
「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」
「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」
「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」
「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」
「まっ、待て!話を」
「嫌ぁ〜!」
「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」
「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」
「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」
「くっ……!」
「なっ、譲位せよだと!?」
「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」
「おのれ、謀りおったか!」
「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」
◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。
◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。
◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった?
◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。
◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。
◆この作品は小説家になろうでも公開します。
◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる