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第四章 この感情を人は何と呼ぶのだろう

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 クラスメイト達の写真を病室に貼るためにはプリントをしなければいけない。だが、その前に俺にはしなければいけないことがあった。
 いつものようにエレベーターを降り、杏珠の病室に向かう。その手前にあるナースステーション、その前で俺は立ち止まると中を覗き込んだ。
 ちょうどいた看護師が俺に気付き「どうしました?」と声を掛けてくれた。
「あの、すみません。日下部杏珠さんの、えっと」
 何と言えばいいのだろう。友人、でいいのだろうか。知り合い? クラスメイト? 自分たちはいったいどんな関係なんだろう。
 黙ったままの俺に看護師は微笑んだ。
「杏珠ちゃんのお友達?」
「え、あ……はい、多分」
「杏珠ちゃんの病室なら――」
「あ、いえ。そうじゃなくて、えっと杏珠の担当の看護師さん、はいらっしゃいますか?」
 以前、杏珠に聞いたことがあった。ここの病棟では患者一人に対し一人の看護師が担当としてつく。日によって担当の看護師が変わるのではなく、退院まで一人の看護師が専任で担当してくれるらしいのだ。……入院している子達の多くが治る見込みがない中で、少しでも安心して過ごせるようにと言う配慮だろうと杏珠は笑っていた。
「杏珠ちゃんの? ちょっと待ってね。松永さん」
「はい?」
「杏珠ちゃんのお友達があなたに用があるんだって」
 松永さんと呼ばれた女性は俺を見て「ああ」と小さく笑った。俺はその人に頭を下げる。杏珠の病室で何度か会ったことがあったため、どうやら顔を覚えてくれていたようだった。
「えっと、たしか蒼志君、だったかしら? 私に用ってどうかした?」
「あの、相談……と、いうかお願いしたいことがありまして」
「お願い?」
 松永さんは俺の言葉に不思議そうに首を傾げると、立ち話もなんだからと近くにあるベンチに俺のことを誘った。並んで座ると松永さんは「それで?」と俺を促した。
「お願いなんてどうしたの? 杏珠ちゃんのこと、だよね?」
「……はい。あの、写真を貼りたいんです」
「写真? それぐらいなら私に言わなくても別に……」
 病室に恋人と撮った写真を貼ってるぐらいならよくあるわよ、と松永さんは笑う。違う、そうじゃない。
「まず俺たち、別に恋人じゃないです」
「え? そうなの? それは、ごめんなさい。勝手に勘違いしてたわ」
「いえ」
「それじゃあ何の写真?」
 俺はポケットからスマートフォンを取り出すと、画像のフォルダを開いた。スクロールして見せると隣で松永さんが「あぁ……」と呟いたのがわかった。
「クラスメイト?」
「はい。少しでも寂しくないようにって思って」
「そっか」
 隣で松永さんが目尻を指で拭うのがわかった。こういうとき普通なら何か言うのだろうかと思ったが、生憎俺にはそんな感情は持ち合わせていなかった。
 でも
 暫くグスグスと鼻をすする音が聞こえ、それから「ごめんなさいね」と松永さんは少し明るい声色で言った。
「うん、いいと思うわ。一応、師長と担当医には私の方から言っておくけど、貼ってあげて大丈夫」
「ありがとうございます。ちなみになんですけど、杏珠にバレないように貼りたくて。例えば検査とかで杏珠が不在にする時間ってあったりしますか?」
「うーん、そうね。ちょっと待ってね」
 松永さんはポケットから手帳を取り出すとページをめくった。書いた文字を指でなぞるようにしながら松永さんは頷いた。
「うん、明日の午後に検査が入ってるからこの時間なら病室に誰もいなくなるわ。13時から1時間ぐらいだけどどうかな?」
 明日も勿論補習はある。だが、12時40分には終わるのでそこからすぐに病院まで駆けつければ13時に来ることは可能だった。
「その時間で大丈夫です」
「じゃあ、そこで。念のため、来たときにナースステーションで声を掛けてくれる? 私は検査の方に行くから不在にしてるけど、代わりの子に事情は伝えておくから」
「わかりました。ありがとうございます」
「……杏珠ちゃんの喜ぶ顔が見たいのは私たちも一緒だからね」
 寂しそうに微笑む松永さんにもう一度礼を言うと、俺は杏珠の病室へと向かった。一呼吸置いてノックをするとドアを開ける。すると中から不満そうな杏珠の声が聞こえた。
「おそーい」
「ごめん」
「不安になっちゃった」
 冗談っぽく笑いながら言うけれど、杏珠の目は少しだけ不安そうに揺らいで見えた。もしかしたらもう俺が来ないのではないかと不安に思ったのかもしれない。だとしたら申し訳ないことをした。俯きながら、俺は頬を掻くと口を開いた。
「ごめ……」
「蒼志君に、何かあったのかもって」
「え……?」
 俺は思わず顔を上げてベッドに座る杏珠を見た。杏珠の瞳は、真っ直ぐに俺を見つめていた。
 嘘だろ、と口走りそうになるのを必死に堪えた。杏珠は自分がこんな状態になっても俺のことを心配している。きっと俺自身よりも。そんなふうに心配してもらえるような価値のある人間じゃないことは俺が一番良くわかっていた。なのに、そんな俺を……。
「……バーカ」
「なっ。心配してた人間に対してバカってどういうこと!?」
 杏珠が頬を膨らます姿が面白くて、可愛くて俺はポケットからスマートフォンを取り出すと、杏珠が何か言う前に写真を撮った。
「あー! ちょっと! 今撮った? 撮ったよね? なんであんなところ撮るの!」
「大丈夫、可愛い可愛い」
「可愛いわけないじゃん! ねえ、消してよ!」
「やーだよ」
「意地悪!」
 こんな軽口が楽しいと思うようになるとは思わなかった。そもそも楽しいなんて感情、杏珠に出会うまで殆ど残っていなかった。なのに今は――。
 瞬間、カシャッという音が病室に響いた。いつの間に構えたのか、杏珠の手にはスマートフォンが握られていた。
「……何を撮ったの?」
「ん? 蒼志君の可愛い姿」
「は?」
「やーこんな可愛い姿が見られたんだから痛み分けってことでさっきの写真は諦めてあげよう」
 偉そうに言いながら、撮った写真を見ながら杏珠は笑う。一体どんな写真を撮られたのやらと思うが、杏珠が楽しいのであれば別にいい。
「あっそ」
「何、その反応ー。ここは『さっきの写真を消すからそれも消してくれ!』って頼むところじゃないの?」
「別にその写真がどんなんであろうが俺にはどうでもいいし」
「拡大コピーして病室に貼ってもいいってことね?」
 杏珠の言葉に思わず俺は動きを止めると、自分のスマートフォンに視線を落とした。たまたまで偶然。それはわかっているが、まるで自分がしようとしていることを杏珠に知られているかのような気分になる。俺の反応に杏珠はにんまりと笑う。おそらく、俺がそれは困ると前言を撤回すると思っているのだろう。
「……いいよ、別に」
「へ?」
「ちなみにそれをして一番恥ずかしいのは杏珠だと思うよ」
「なんで?」
 本気で気付かないのは不思議そうに小首を傾げる。窓から入った光のせいか、薄らと茶色に見える髪の毛がさらりと落ち頬にかかる。それを耳にかける仕草に思わず見とれてしまう。そんな俺にもう一度「なーんでー?」と杏珠が尋ねたので、俺は慌てて咳払いをした。
「あーだからさ。もしも杏珠が誰か友達の部屋に遊びに行ってアイドルの写真が貼ってあったらどう思う?」
「そのアイドルのことが好きなんだなって思うよ?」
 当たり前でしょと言わんばかりの態度。なのに何故、自分の発言のおかしなところには気付かないのだろう。
「じゃあ、貼ってあるのがクラスメイトの男子の写真だったら?」
「そりゃあ片思いしてるのかなって……あっ」
 ようやく気付いたようで、杏珠の頬が薄らと赤く染まる。それを隠すように両手で押さえると俺をキッとにらみつけた。
「蒼志君のバカ!」
「何で俺がバカなんだよ」
「じゃあエッチ!」
「風評被害だ」
 飛んできた枕をキャッチすると軽くベッドに戻す。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。
「もう知らない! 出て行って!」
「そう? じゃあ今日はもう帰るよ」
「え!?」
「や、帰ってほしいのかいてほしいのかどっちなんだよ」
 首を傾げる俺に、杏珠は先程投げ返された枕を自分の方へと引っ張り顔を埋める。そして微かに聞こえるほどの声で言った。
「そんなにすぐ帰ったら、寂しい」
 あまりにも素直な言葉に俺は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。ここで噴き出してしまえば、きっと数分前に逆戻りだ。口元に拳を当て小さく咳払いをすると、いつものようにベッド横に置かれた椅子に座る。ベッドに肘をついて頬杖をつくようにすると杏珠の方を見た。
「まだいるよ」
「……うん」
「どうした? 今日、なんか変だぞ?」
 テンションが高いのはいつもと同じだけれど、今日は輪を掛けて明るい。まるでそう演じているかのように。何か。
「何かあったの?」
「……別に何も」
 何も、と言いながら何もという顔をしていない。言いたくない、ということだろうか。それとも話したいけれど躊躇っているのだろうか。心の機微が俺にはわからない。
「なあ」
 他の人ならわからないままでも別に良かった。どうでもいいし気にもならない。けれど、どうしてだろう。杏珠のことだけはどうでもいいと思えなかった。思いたく、なかった。
「何かあったなら聞くよ?」
「……ううん、ホントに何もないの。ただ」
「ただ?」
「今死んだら、一人で死ぬんだなって思ったら寂しくなっちゃった」
 俺が来るまでの間、杏珠はそんなことを考えていたのかと思うと胸が苦しくなる。もっと早く病室にくればよかった。松永さんとの話なんて別に立ち話でもよかったんだ。あんなふうに話し込む必要なんてなかった。なのに。
「……ごめん」
「なんで蒼志君が謝るの」
「わかんない。けど、一人にしてごめん」
「……うん」
 俺が謝る必要なんてないのかもしれない。謝るような関係でも間柄でもないのかもしれない。それでも謝りたかった。
「……ふふ」
 杏珠は小さく笑う。その笑い声に、先程までの不安定さはもうなかった。
「蒼志君、優しすぎていつか胃に穴開いちゃうよ」
「大丈夫、穴が開くまで生きてないから」
「……そっか」
「そうだよ。だから、いくらでもワガママでもなんでも聞いてやるよ。安心して言えばいい」
 俺の言葉に杏珠はもう一度「そっか」と笑った。その笑顔が寂しそうで、でも俺にはそばにいる以外何もできない。だからどちらかが最期を迎えるその日までそばにいようと心に決めた。
 でも……もしも叶うなら、杏珠よりも一日でいいから長く生きたい。自分が死んでしまって、杏珠が泣くところを、寂しく思い胸を痛めるところを想像するだけで、心が引きちぎられそうなほど痛かったから。
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