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第四章 この感情を人は何と呼ぶのだろう

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 放課後、俺は杏珠の元に向かった。あの日以来、病室の前に立って中の音を確認してからノックをするようになった。苦しそうな声は聞こえないか、今入って本当に大丈夫かどうか。今までも気にはしていた。けれど、それ以上にもっともっと気に掛けるようにした。少しでも、平気なフリをさせないように。
 暫く経っても中からは音は聞こえてこなかった。大丈夫そうだな、と俺は一呼吸置いてドアをノックした。
「失礼します」
「あ、蒼志君だ。そろそろかなって待ってたんだ」
 笑顔で手を振る杏珠に少し安心しながら、俺はベッドの横に置かれた椅子に座った。鞄を置く時に傘を引っかけることを忘れないようにして。
「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「どうかしたの?」
 回りくどいことは苦手だ。俺は今日聞いた話を杏珠に話して聞かせた。別に大谷のためじゃない。ただ学校の話を杏珠に聞かせてやりたかった。大谷には悪いが、話のネタにさせてもらう。
「あー、もう。雪乃ってば絶対気にしてるよ」
 ため息を吐きながらも「しょうがないなぁ」と呟く口元はどこか綻んでいるように見えた。
「私たち……あ、私と雪乃と実奈ね、毎年一緒に高槻まつりに行ってたの。中学の頃からずっと」
 仲がいいとは思っていたが三人とも中学の頃からの付き合いだったのか。
「私が行けない状態で雪乃が大谷君と行くと実奈がひとりぼっちになっちゃうでしょ。だからきっと悩んでるんだと思う。本当は一緒に行きたいのにさ」
「へえ? 一緒に行きたいとは思ってるんだ?」
 と、いうことは大谷の片思いではないということだ。この調子では沢本が大谷と祭りに行くことは難しいかもしれないが、悪く思っていないということだけでも伝えてやれば元気も出るかもしれない。
 そんなことを思う俺の向かいで、杏珠はスマホを取り出すとどこかに電話をかけ始めた。沢本にだろうか?
「あん……」
「しっ」
 話しかけようとした俺に、杏珠は静かにと唇に人差し指を当てた。何度かコール音が流れたあと、弾けるような声が聞こえた。
『杏珠!?』
「やっほー、元気してる?」
『元気してる? じゃ、ないよ! 心配したんだから!』
 快活に笑う杏珠とは対照的に、電話口から聞こえる徳本の声は心配とほんの少しの怒りが混じっているようだった。スピーカーにせずとも俺の耳にまで届く音量に徳本の怒り具合がわかる。
 まさかと思うが、今日まで一度も連絡を入れていなかったとか言わないだろうな。そんな疑問を込めて杏珠に視線を向けると、苦笑いを浮かべていた。
 これは絶対に連絡を入れていなかったな。
「ごめんねー、なかなか連絡できなくてさ」
『入院したって聞いたけど……』
「うん、それでさ今年の高槻まつりなんだけど、私一緒に行けそうにないんだ」
『そんなことを……』
 そんなことを言っている場合じゃないだろう、そう言いたい徳本の気持ちはわかる。だが、自分のせいでと思ってしまう杏珠の気持ちもわかるだけに俺にはなんとも言えなかった。
「あのさ、一つお願いがあるんだけどいいかな?」
『お願い?』
「うん。あのね、雪乃が大谷君に高槻まつり誘われてるらしいんだけど断っちゃってるんだって」
『私のため、かぁ。あの子らしいなぁ』
「あとは多分行けない私のことも思ってかな。雪乃らしいよね」
 呆れたように二人は言う。けれどその口調には沢本への愛情が込められているように感じた。そこにはきっと俺の知らない、沢本との積み重なってきた思い出があるのだろう。
「でさ、このまま私たちが二人で行って来なよって言っても多分、雪乃のことだから行かないと思うんだよね」
『絶対行かないよね』
 絶対と言い切れるのが凄いなと俺は感心する。例えば、俺が誰かについて絶対と言えることはあるだろうか。誰かが俺に対して絶対と言い切ってくれることはあるだろうか。
 それはその人のことをきちんと知り、本音で付き合わなければ言えない言葉だ。今の俺では――。
「ん?」
 俺の視線を感じたのか、杏珠がこちらを振り返った。何でもないと首を振ると『ホントに?』と言わんばかりに首を傾げる。もしかしたら杏珠なら。
『杏珠?』
「あ、うん」
 杏珠は俺を気にしつつも、電話の向こうから呼びかける徳本の方へと意識を戻した。これは、電話を切ったあと『なんだったの?』って尋ねられるな。……絶対。
「でさ、相談なんだけど四人で行くってどう?」
『四人って?』
「実奈と雪乃、大谷君と飯野君」
『あー……まあ、そうなるよね』
 少しの沈黙のあと『わかった』という声が聞こえて、杏珠が安堵した表情を見せた。
「ごめんね、私が入院なんてしてなかったら私と実奈が二人で行って雪乃と大谷君を行かせたんだけど」
『それでもあの子のことだから『三人で行く方がいいよ』とか言い出しそう。変なところ遠慮しいだからさ』
「たしかに」
 くふふっと笑う杏珠の笑顔に俺は胸の奥が温かくなるのを感じる。ずっとこうやって笑っていてほしい。どうしてそんなふうに感じるのか自分自身でもわからなかったけれど、杏珠の笑顔を見ていると、なぜかそんなふうに思ってしまった。
 四人で行くという話でまとまったようで、そのあと少し近況報告をして杏珠は電話を切った。ふうと息を吐いた後、俺の方を向いた。
「ありがとね」
「……何が」
「雪乃のこと教えてくれて。二人のこと聞きたかったけど、なんかどう聞いていいかわかんなくて。連絡もね、本当は何回もしようと思ってたんだけど、どう説明しようとか向こうからも連絡が来ないから色々考えちゃって」
 寂しそうに杏珠は微笑む。俺も心のどこかで学校のことを話すことを躊躇していた気がする。大谷の赤点のことがなければ、きっと今もどこか躊躇ったままだっただろう。そう考えると大谷に感謝をするべきなのかもしれない。
「ね、学校の話してよ」
「学校の……」
 俺にできる話なんて大したことはない。今日の補習の内容と、大谷のこと、あとは――。
 俺が話せることなんてたかがしれていた。それでも、杏珠は楽しんで聞いてくれる。
「あー、もうホント楽しい」
「そうか?」
「うん! ねえ、他にも何かない?」
「いや、他は……」
 こんなことならもっとたくさん話せることを増やしておくんだったと、ほんの少しだけふがいない自分を悔やむ。けれど、そんな俺に杏珠は「そっか、たくさん聞かせてくれてありがとう」と笑った。
「……はは、はぁ……」
 笑う杏珠の表情が少しだけ翳った気がした。先程まで高揚していた頬に薄らと汗が流れ落ちた。
「……じゃあ、そろそろ帰るな」
「え?」
「補習の宿題もしなきゃだしな」
 俺が立ち上がると残念そうな声を上げながらも、その表情はホッとしたように見えた。いつもと変わらないように、俺が気付いていることを杏珠に気取られないように「また明日な」と手を挙げると荷物を手に病室を出た。ドアが完全に閉まると、俺は息を吐き出した。
 楽しんでもらえるのが嬉しくて話しすぎた結果、無理させたのかもしれない。苦しそうな表情を押し殺す杏珠を思い出すと、胸の奥が重くなる。もっと杏珠の身体のことを考えなければ。
 それから――。
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