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第二章 感情とはいったい何だったのか
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二日目、三日目と杏珠に振り回されるままに体験学習に行った。ラフティング体験では杏珠と大谷の企みにより、ライフジャケットを着たまま川に浮かされた。正直、こういう役回りは大谷にピッタリだと思うのだけれど、何事も体験だと二人からしたり顔で言われた。
牧場では乳搾り体験。牛に蹴られそうになるという一生のうち一度も体験しなくていいであろう経験をさせてもらう。楽しいかどうかはわからない。ただ杏珠が笑っていたから、嬉しくなった。こんな日があってもいいかと思った。
自分自身がこんなことを思うなんて、今まで想像したこともなかった。感情を失ったはずの自分が、誰かのことを考え心を動かされるだなんて。不可解だった。でも、不快ではなかった。それがまた不可解さに拍車を掛けていた。
ようやく迎えた最終日。今日は小樽周辺で自由行動のあと、また飛行機に乗って大阪に戻る。涼しい気候に慣れた今となっては、ほぼ夏のような気温の大阪に戻るのが多少憂鬱である。
オルゴール堂を見た後、俺達の班は集合場所近くの土産物屋へと向かった。このあとの空港では土産を買う時間はないらしく、ここで済ませておくように、とのことだった。
店内には有名どころの土産物から面白グッズまで色々ある。大阪でよく見たパロディ元のお菓子や可愛いのか可愛くないのかわからないクマがプリントされたハンカチ、北海道名物をキャラメルにした変わり種までたくさん並んでいた。
両親に何かお菓子でも買って帰ればいいかと適当に『美味しい』とか『大人気!』と書かれているのをいくつか見繕う。そうしたい、というよりはそうしなければいけないから。ただまあ、喜んでくれたら嬉しいとは思う。
そんな俺の隣で大谷が「これは自分用」と言いながら両手に持ちきれないほどの箱を抱えていた。一日目にも買っていてすでにボストンバッグがパンパンだったように思うのだがどうやって持って帰る気なのだろう、と少しだけ疑問に思ったが気に掛かる程でもなかったので特に何も言うことはなかった。
「ちょっとあっちも見てくるな!」
律儀に俺に断りを入れると、大谷は箱を抱えたままふらふらと歩いて行く。
「大谷、これ」
「ん? ああ、サンキュ!」
近くにあった買い物カゴを大谷に差し出すと、一瞬驚いたような表情を浮かべたあと嬉しそうに笑って受け取った。
手渡したカゴに大谷が持っていた土産を入れると、すでに八割ほどカゴが埋まってしまっていた。大谷もようやく買いすぎなことに気付いたのか「あと一つか二つにするか」とカゴの中を見て呟きながら歩いて行った。あの様子なら、なんとか持ち帰られる範囲に収まるだろう。
「やっさしー」
「……何が」
いつの間に隣にいたのか、どうやら一部始終を見ていたらしい杏珠がニヤニヤと笑いながら俺を見上げていた。何の話かわからないではなかったが、素知らぬ顔をして土産物に視線を向けた。けれどそんなことで諦めるような杏珠ではないことを、俺はこの一ヶ月でよく知っていた。
「さっきの、大谷君がこれ以上買ったら持って帰れなくなるんじゃないかって思ってでしょ?」
「違う。あんな大荷物を持って店内を彷徨かれたら他のお客さんの迷惑になるからだ」
「他のお客さんって、うちの高校の生徒以外いないじゃん」
俺は言葉に詰まる。杏珠の言うとおりで、観光地小樽といえど平日の昼間。しかも店内に制服姿の高校生がうじゃうじゃいるという現状で一般のお客さんが入りにくくなっているのか、同じ制服を着た生徒の姿しか店内にはなかった。
「やっぱり優しいじゃん」
「……杏珠は何か買うの?」
押し問答を続けるのも面倒くさい。さらっと話を変えてしまおうと、俺は杏珠に尋ねた。両手いっぱいにお土産を持っていた大谷とは対照的に、杏珠は手ぶらだった。何かを買った様子もない。
「んー、何か買おうとは思ってるんだけどね。あ、ねえねえ。蒼志君、一緒にキーホルダー買おうよ」
「キーホルダー?」
「そう。あーでもただお揃いのを買っても面白くないなー」
お土産に面白さなんて必要なんだろうか、と思うものの先程まで見ていたクマグッズを見るに、面白さを求めている人も一定層いるのかもしれない。
暫く何かを考えていた杏珠は名案を思いついたようで「そうだ!」と手を打ち鳴らした。
「私は蒼志君のキーホルダーを選ぶから、蒼志君は私のキーホルダーを選んでよ」
「やだ」
「なんで!?」
「面倒くさい」
「面倒くさくなーい。ね、いいでしょ? どうせ蒼志君だって、自分へのお土産なんて一つも買ってないんだからさ。私にお土産をあげると思って。ね!」
どうせ、と言われることに引っかかりを覚えるが、自分へのお土産を買っていないことは事実だった。というか、自分にお土産を買うという発想がなかった。自分が行った旅行のお土産を自分自身に買うというのはいったいどういう心境なのか。
疑問に思っている俺の隣で「はい、決定ー!」と杏珠は勝手に話を進めていく。こうなってしまえば引くことはないだろう。
まあ適当にそれっぽいものを選べばいいか。そう思い、目の前にあるクマのコスプレをした有名なネコのキーホルダーに手を伸ばす。
「適当にそれっぽいものを選んどけばいいか、なんて思って選ばないでね」
まるで俺の心の中を読んだかのように、杏珠はニッコリと微笑んで釘を刺す。伸ばしかけた手を、俺はそっと引っ込めた。
杏珠にお土産をあげるとしたら。なんて、そんな難しいことを言わないで欲しい。だいたいお土産というのはその場所にいないからあげるものであって、こうやって一緒にいるのにお土産も何もないじゃないか。そう思うものの、そんな言葉で杏珠が納得するはずがないことは重々承知なのでとにかくキーホルダーを一つ一つ見て行く。
クマにメロンにマリモ……変わり種ばかり並ぶ中に、それはあった。小さな気球がついたキーホルダー。色々な色があるが、俺達が乗ったのと同じ赤い気球もあった。スイッチがあってオンにすると気球が光るらしい。
杏珠らしい、が何かはわからないけど、気球に乗っているときの杏珠を思い出すと何故か俺の胸の奥があたたかくなるのを感じた。
数分後、杏珠が俺の元へと戻ってきた。その手には小さな紙袋に入れられたキーホルダーを持っていた。俺も見られないようにと先に会計を済ませ、袋に入れてもらっていた。
「じゃあ、交換しようか」
「……気に入らなくても文句言うなよ」
「言わないよ。蒼志君が選んでくれたものなのに」
そういうものなのか、と思いながら差し出された紙袋を受け取った。
「ね、開けてもいい?」
「……いいけど」
嬉しそうにテープを外すと、杏珠は紙袋の中身を自分の手のひらに出した。
「わぁ……」
手のひらに載った小さな気球。それが何を意味するのか杏珠もわかったようで嬉しそうに笑った。その反応に安心すると同時にどこか気恥ずかしくて、俺は顔を背けるとぶっきらぼうに言った。
「……なんだよ」
「ふふっ、凄く嬉しい。ありがと。ねえ、蒼志君も――」
「あー!」
開けてみて、と杏珠が続けるよりも先に、大きな声が辺り一面に響き渡った。
「やっぱりお前ら付き合ってんのかよ」
からかうような声の主は、ちぎれんばかりに持ち手の伸びたビニル袋に無理やり詰め込まれたお土産のお菓子を持った大谷だった。大谷の声に周りにいたクラスメイトや他のクラスの生徒まで視線をこちらに向けた。勘弁して欲しい。
「違う」と俺が否定するよりも早く、杏珠の声が耳に届いた。
「違うよ」
「ん? そうなの?」
あまりにもハッキリと言う杏珠に、大谷は首を傾げると俺に問いかける。けれど、俺は大谷に返事をする余裕はなかった。
自分だって同じことを言おうと思っていた。否定するつもりでいた。なのに、杏珠から言われるとどうしてこんなにも胸の奥が重いのか。まるで一日目にジンギスカンを食べたあとのような胸焼けのような感覚が俺を襲う。
「ふーん、仲いいし付き合ってるんだと思ったのにな」
まだ諦めきれないのか食い下がる大谷に、杏珠は苦笑いを浮かべた。
「蒼志君は私のことなんて好きじゃないよ。ね?」
好きかどうか、と聞かれると確かにそうだと思い俺は頷いた。俺にはもう好きという感情がどんなものだったのかなんてわからない。けれど。
「……別に、嫌いでもないけどな」
「え……」
俺の言葉に、杏珠の頬がまるであの日見た朝焼けのように真っ赤に染まったのを見て、喉まで出かかった笑い声を慌てて飲み込んだ。
数日後、教室前の廊下に修学旅行中に俺と杏珠が撮った写真が貼り出された。クラスメイトを満遍なく撮ったはずなのに、俺が撮った写真は何故か妙に杏珠が写っていることが多い。
その理由を、俺自身もまだ知らなかった。
ちなみに二人並んで撮った写真は、貼り出された直後杏珠によって取って行かれたことを、俺にだけは誰も教えてくれなかった。
牧場では乳搾り体験。牛に蹴られそうになるという一生のうち一度も体験しなくていいであろう経験をさせてもらう。楽しいかどうかはわからない。ただ杏珠が笑っていたから、嬉しくなった。こんな日があってもいいかと思った。
自分自身がこんなことを思うなんて、今まで想像したこともなかった。感情を失ったはずの自分が、誰かのことを考え心を動かされるだなんて。不可解だった。でも、不快ではなかった。それがまた不可解さに拍車を掛けていた。
ようやく迎えた最終日。今日は小樽周辺で自由行動のあと、また飛行機に乗って大阪に戻る。涼しい気候に慣れた今となっては、ほぼ夏のような気温の大阪に戻るのが多少憂鬱である。
オルゴール堂を見た後、俺達の班は集合場所近くの土産物屋へと向かった。このあとの空港では土産を買う時間はないらしく、ここで済ませておくように、とのことだった。
店内には有名どころの土産物から面白グッズまで色々ある。大阪でよく見たパロディ元のお菓子や可愛いのか可愛くないのかわからないクマがプリントされたハンカチ、北海道名物をキャラメルにした変わり種までたくさん並んでいた。
両親に何かお菓子でも買って帰ればいいかと適当に『美味しい』とか『大人気!』と書かれているのをいくつか見繕う。そうしたい、というよりはそうしなければいけないから。ただまあ、喜んでくれたら嬉しいとは思う。
そんな俺の隣で大谷が「これは自分用」と言いながら両手に持ちきれないほどの箱を抱えていた。一日目にも買っていてすでにボストンバッグがパンパンだったように思うのだがどうやって持って帰る気なのだろう、と少しだけ疑問に思ったが気に掛かる程でもなかったので特に何も言うことはなかった。
「ちょっとあっちも見てくるな!」
律儀に俺に断りを入れると、大谷は箱を抱えたままふらふらと歩いて行く。
「大谷、これ」
「ん? ああ、サンキュ!」
近くにあった買い物カゴを大谷に差し出すと、一瞬驚いたような表情を浮かべたあと嬉しそうに笑って受け取った。
手渡したカゴに大谷が持っていた土産を入れると、すでに八割ほどカゴが埋まってしまっていた。大谷もようやく買いすぎなことに気付いたのか「あと一つか二つにするか」とカゴの中を見て呟きながら歩いて行った。あの様子なら、なんとか持ち帰られる範囲に収まるだろう。
「やっさしー」
「……何が」
いつの間に隣にいたのか、どうやら一部始終を見ていたらしい杏珠がニヤニヤと笑いながら俺を見上げていた。何の話かわからないではなかったが、素知らぬ顔をして土産物に視線を向けた。けれどそんなことで諦めるような杏珠ではないことを、俺はこの一ヶ月でよく知っていた。
「さっきの、大谷君がこれ以上買ったら持って帰れなくなるんじゃないかって思ってでしょ?」
「違う。あんな大荷物を持って店内を彷徨かれたら他のお客さんの迷惑になるからだ」
「他のお客さんって、うちの高校の生徒以外いないじゃん」
俺は言葉に詰まる。杏珠の言うとおりで、観光地小樽といえど平日の昼間。しかも店内に制服姿の高校生がうじゃうじゃいるという現状で一般のお客さんが入りにくくなっているのか、同じ制服を着た生徒の姿しか店内にはなかった。
「やっぱり優しいじゃん」
「……杏珠は何か買うの?」
押し問答を続けるのも面倒くさい。さらっと話を変えてしまおうと、俺は杏珠に尋ねた。両手いっぱいにお土産を持っていた大谷とは対照的に、杏珠は手ぶらだった。何かを買った様子もない。
「んー、何か買おうとは思ってるんだけどね。あ、ねえねえ。蒼志君、一緒にキーホルダー買おうよ」
「キーホルダー?」
「そう。あーでもただお揃いのを買っても面白くないなー」
お土産に面白さなんて必要なんだろうか、と思うものの先程まで見ていたクマグッズを見るに、面白さを求めている人も一定層いるのかもしれない。
暫く何かを考えていた杏珠は名案を思いついたようで「そうだ!」と手を打ち鳴らした。
「私は蒼志君のキーホルダーを選ぶから、蒼志君は私のキーホルダーを選んでよ」
「やだ」
「なんで!?」
「面倒くさい」
「面倒くさくなーい。ね、いいでしょ? どうせ蒼志君だって、自分へのお土産なんて一つも買ってないんだからさ。私にお土産をあげると思って。ね!」
どうせ、と言われることに引っかかりを覚えるが、自分へのお土産を買っていないことは事実だった。というか、自分にお土産を買うという発想がなかった。自分が行った旅行のお土産を自分自身に買うというのはいったいどういう心境なのか。
疑問に思っている俺の隣で「はい、決定ー!」と杏珠は勝手に話を進めていく。こうなってしまえば引くことはないだろう。
まあ適当にそれっぽいものを選べばいいか。そう思い、目の前にあるクマのコスプレをした有名なネコのキーホルダーに手を伸ばす。
「適当にそれっぽいものを選んどけばいいか、なんて思って選ばないでね」
まるで俺の心の中を読んだかのように、杏珠はニッコリと微笑んで釘を刺す。伸ばしかけた手を、俺はそっと引っ込めた。
杏珠にお土産をあげるとしたら。なんて、そんな難しいことを言わないで欲しい。だいたいお土産というのはその場所にいないからあげるものであって、こうやって一緒にいるのにお土産も何もないじゃないか。そう思うものの、そんな言葉で杏珠が納得するはずがないことは重々承知なのでとにかくキーホルダーを一つ一つ見て行く。
クマにメロンにマリモ……変わり種ばかり並ぶ中に、それはあった。小さな気球がついたキーホルダー。色々な色があるが、俺達が乗ったのと同じ赤い気球もあった。スイッチがあってオンにすると気球が光るらしい。
杏珠らしい、が何かはわからないけど、気球に乗っているときの杏珠を思い出すと何故か俺の胸の奥があたたかくなるのを感じた。
数分後、杏珠が俺の元へと戻ってきた。その手には小さな紙袋に入れられたキーホルダーを持っていた。俺も見られないようにと先に会計を済ませ、袋に入れてもらっていた。
「じゃあ、交換しようか」
「……気に入らなくても文句言うなよ」
「言わないよ。蒼志君が選んでくれたものなのに」
そういうものなのか、と思いながら差し出された紙袋を受け取った。
「ね、開けてもいい?」
「……いいけど」
嬉しそうにテープを外すと、杏珠は紙袋の中身を自分の手のひらに出した。
「わぁ……」
手のひらに載った小さな気球。それが何を意味するのか杏珠もわかったようで嬉しそうに笑った。その反応に安心すると同時にどこか気恥ずかしくて、俺は顔を背けるとぶっきらぼうに言った。
「……なんだよ」
「ふふっ、凄く嬉しい。ありがと。ねえ、蒼志君も――」
「あー!」
開けてみて、と杏珠が続けるよりも先に、大きな声が辺り一面に響き渡った。
「やっぱりお前ら付き合ってんのかよ」
からかうような声の主は、ちぎれんばかりに持ち手の伸びたビニル袋に無理やり詰め込まれたお土産のお菓子を持った大谷だった。大谷の声に周りにいたクラスメイトや他のクラスの生徒まで視線をこちらに向けた。勘弁して欲しい。
「違う」と俺が否定するよりも早く、杏珠の声が耳に届いた。
「違うよ」
「ん? そうなの?」
あまりにもハッキリと言う杏珠に、大谷は首を傾げると俺に問いかける。けれど、俺は大谷に返事をする余裕はなかった。
自分だって同じことを言おうと思っていた。否定するつもりでいた。なのに、杏珠から言われるとどうしてこんなにも胸の奥が重いのか。まるで一日目にジンギスカンを食べたあとのような胸焼けのような感覚が俺を襲う。
「ふーん、仲いいし付き合ってるんだと思ったのにな」
まだ諦めきれないのか食い下がる大谷に、杏珠は苦笑いを浮かべた。
「蒼志君は私のことなんて好きじゃないよ。ね?」
好きかどうか、と聞かれると確かにそうだと思い俺は頷いた。俺にはもう好きという感情がどんなものだったのかなんてわからない。けれど。
「……別に、嫌いでもないけどな」
「え……」
俺の言葉に、杏珠の頬がまるであの日見た朝焼けのように真っ赤に染まったのを見て、喉まで出かかった笑い声を慌てて飲み込んだ。
数日後、教室前の廊下に修学旅行中に俺と杏珠が撮った写真が貼り出された。クラスメイトを満遍なく撮ったはずなのに、俺が撮った写真は何故か妙に杏珠が写っていることが多い。
その理由を、俺自身もまだ知らなかった。
ちなみに二人並んで撮った写真は、貼り出された直後杏珠によって取って行かれたことを、俺にだけは誰も教えてくれなかった。
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