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第一章 感情なんていらない

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 昼ご飯を食べ終わり、このあとどうするかという話になった。京都駅に戻ったところでウインドウショッピングぐらいしかすることがない。せめて河原町の方であれば色々な店もあるけれど、京都駅に入っている店は高校生には少し背伸びしなければいけないような店が多かった。
 と、いうか今日の目的が水族館であればこのまま駅に戻って解散でいいのではないだろうか。部活の課外活動だというのであれば俺の方は今日の写真を撮り終えている。
 スカートへの恥じらいはどこへいったのか、隣で芝生に寝転がる杏珠にそう言うと「えー」と不服そうに返された。
「せっかく京都まで来たのに水族館だけで帰るの?」
「水族館が目的なんだからそりゃそうだろ」
「でも、ほら京都といえば観光地だし! そういうのは? あ、春だから桜もいいよね!」
「寺、見たいの? それに桜はとっくに散っただろ」
「……たしかに」
 他の地域は知らないが、近年の関西では三月下旬に満開になった桜は入学式を待たずに散る。例に漏れず、今年も四月の第一週が終わる頃には高校近くの公園の桜は全て葉桜となっていた。
 一か月、いや一ヶ月半早ければ桜が咲いていただろうけれど、それもまあ別に何が楽しいのやらという感じだ。桜が見たければ公園に行けばいい。わざわざ人の多い京都まで来る意味がわからない。
 ただ来年の今頃はもう俺は生きていないわけで。そう思うと、一度ぐらい見に行っておいてもよかったのかもしれない。まあ、もう今さら言ったところで仕方ないのだけれど。
 なんとなく俺も杏珠の隣に寝転がる。五月もそろそろ下旬だが、空はすでに夏のように晴れ渡っている。今年は暖かくなるのが早かったが、夏の訪れも早いのかも知れない。
 あと三ヶ月。夏休みで皆がはしゃいでいる頃、俺の寿命は尽きる。三年以内、と言われてから早かったような意外ともったような不思議な感覚だ。
「桜かぁ」
「ん?」
「今年、見に行きそびれちゃったんだよね。バタバタしてたし」
 三ヶ月前に祖母が余命半年と宣告されたと言っていたのを思い出す。それであれば今年は桜を見るどころではなかっただろう。
「来年、見に行けばいいだろ?」
 俺と違って、杏珠には来年がある。もしかしたら祖母が亡くなっていて、とてもじゃないがそんな気分にはなれないかもしれない。けど、それならその翌年がある。塞いだ気持ちもきっといつかは晴れる。目の前に広がるこの青空のように。
 未来のない俺とは違って、杏珠には来年も再来年も桜を見ることができるのだ。
「――でも」
「ん?」
 杏珠の声に視線を向ける。杏珠は俺を見ることなく、青空を見つめ続けていた。
「一緒には行けないじゃん」
 誰と、とは言わない。だから俺も誰と、とは聞かない。
「……まあ、そうだな」
「そうだよ」
 杏珠と一緒に行けたら嬉しい、気がする。気のせいかもしれないけど。
 青空を横切るように真っ白な飛行機雲が線を描く。まるで晴れ渡る未来などないのだと、俺達に告げるかのように。

 結局、どこに行くこともなく俺と杏珠は高槻駅まで戻ってきた。行きとは違い、なんとなく重い思いを胸の奥に感じたまま。
 自転車で来た俺とは違い、杏珠は親に車で迎えに来てもらうそうだ。「宝くじ売り場のところまで来てくれるの」という杏珠に「みんな絶対そこだよな」と肩をすくめてみせると、少しだけ空気が和らいだ気がした。
「それじゃあ、また明日ね」
「は?」
 聞き間違いだろうか。当たり前のように発せられたその言葉に、俺は思わず聞き返す。
「今、なんて言った?」
「また明日って。聞こえなかった?」
「や、聞こえたけど。聞こえたから聞き返してるんだけど。いや、明日って日曜日だよ? なんでさも当たり前に部活するつもりでいるの?」
「毎日写真撮るんだから明日も撮らなきゃでしょ?」
 そんな『朝ご飯は毎日食べるでしょ?』みたいな空気を出されても。嫌だ、と思うわけではないが大手を振っていきたいかと言われるとそういう訳でもない。
「ちなみに明日はどこに行く予定なのさ」
 人通りの多い改札前、俺達を避けていく人達が舌打ちするのが聞こえ慌てて端による。旅行のパンフレットが置かれているのが見えて『春の京都』『大阪からも行きやすい和歌山』『やっぱり琵琶湖が一番』という文字に気付かずにいてくれと祈る。さすがにそんなところまで付き合ってやる義理はない。
「んーとね」
 手に持ったスマートフォンを見せ、スワイプでページを遷移させる。
「動物園と映画ならどっちがいい?」
 表示されていたのは京都市動物園とアルプラザの映画館の上映情報だった。また京都まで行くことを考えると、高槻市内にあるアルプラザに行く方が絶対に楽だ。例え、見せられた一覧に興味を引くような映画がやっていなかったとしても。
「映画」
「まあ蒼志君ならそういうかなって思ってた。じゃあ、どれ見たい?」
「そういう杏珠は? 見たい映画があるんじゃないのか?」
「うーん、そうだねー」
 どちらがいい? と、選択肢に入れていたわりには特に見たいものがあったわけではないようで、暫くスワイプを続ける。
 ようやく「これかな」と見せて来たものは地球滅亡を救うヒーローのお話だった。こういうのを選ぶのか、と少し意外に思う。
「今、私がこれ選ぶの意外だなって思ったでしょ」
「まあね。どっちかっていうとこういうのの方が女子って好きそうだから」
 スマートフォンの画面を指先で操作すると、流行りの恋愛映画の画面で指を止めた。余命幾ばくもない少年がヒロインの少女と出会って生きたいと思いながらも病気に抗うことはできず命を落とす。わかりやすいお涙頂戴だが、すでに見てきたというクラスメイトの女子達が声を揃えて「めっちゃ泣けた!」と言っていたので女子受けはいいようだ。
 てっきり杏珠も好きだと思ったのだが。
「現実で辛いことがたくさんあるのに、映画を見てまで泣きたくないなって。それだったら地球滅亡からみんなを救うヒーローの話の方がスッキリしそうでしょ?」
「守り切れず滅亡するかもしれないぞ?」
「それはそれでスッキリするかも」
「どういうことだよ」
 物騒な言葉におかしくなる。感情が面に出るわけではない。だが、自分の気持ちがちゃんと揺れ動いていることが意外だった。
「ま、俺別に今見たい映画もないからそれでいいよ」
「ホント? やった。じゃあ、座席だけ押さえちゃうね。チケットは明日引き換えだから、そうだなー。10時半開演だから10時にあそこのはにたん前集合ね」
 あそこと言われ指差された場所には、朝と同じ格好で立つはにたんの像があった。結局、明日もまたあの場所で待ち合わせをしなければならないことに決まってしまった。
 明日は予習に費やすつもりだったが、仕方がない。このあと帰ってから明日やる予定の分を少しして、残りは明日の朝、いつもの時間よりも一時間早く起きてしよう。
「じゃあ、明日の予定も決まったことだし帰ろうか」
 さっさと歩き出す杏珠の後ろをついていく。
 宝くじ売り場の入っているグリーンプラザ、その裏にある自転車置き場に自転車を止めた俺は、エスカレーターを降り杏珠と並んで歩く。そういえば親が迎えに来ると言っていたが、今日の水族館のチケットのお礼を言うべきなのでは、と考えていると杏珠は振り返った。
「じゃあね!」
「え?」
 俺が何か言うよりも早く杏珠は駆けていく。その姿にあっけにとられていたが、小さくため息を吐いて杏珠が向かったのとは違う方向から自転車置き場へと向かった。
 振り回されているな、と思うが別にどうでもいい。機械を操作してお金を支払うと自転車を取り出して帰り道を走る。
 途中、脇道から飛び出してきた車に轢かれそうになり、思いっきりクラクションを鳴らされた。そっちの不注意だろ、と怒るところなのかもしれないけれどどうでもよかった。ただ心拍数だけは一気に上がったのに気づいて、感情はなくなったとしてもそんなところは反応するのかと感心した。
 杏珠と一緒にいたときはわずかにあった感情の起伏が一人になると平坦に戻ってしまっていることに、まだ俺は気付かずにいた。
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