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第三章
3-1
しおりを挟むその日、レインボウの店内は珍しく若い子たちで賑わっていた。キッチンで洗い物をする香澄の目線の先には大学生の男女が何人かで集まって話しているのが見えた。その中には商店街の古本屋でバイトをしている青崎と、その友人である早瀬の姿があった。
バイト帰りに顔を出すことが多い青崎だけれど、今日は休みなのか友人たちを連れてきてくれたようだ。
「今日はなんや楽しそうやな」
「雲井さん、こんにちは」
雲井はカウンター席に座りながら、青崎たちのほうを見て言う。香澄はいつも雲井が頼むアイスコーヒーの準備をしながら答える。
「こんにちは。あれは松尾んところのバイトかい?」
「そうです。お友達を連れてきてくれたみたいで」
アイスコーヒーを差し出すと「ありがと」と雲井は受け取りながら、もう一度青崎の方へと視線を向けそして眉をひそめた。どうしたのかとその視線を追いかけると、そこには今一番会いたくない人の姿があった。
「黒田さん……」
「お邪魔しますよ」
「また、出張ですか」
「ええ。こちらでの案件が立て込んでまして。ついでにここのことも片付けてしまえればと思ったんですがね。遺言状は見つかりましたか?」
「それ、は」
口ごもる香澄に、黒田はわざとらしくため息を吐くとポケットに手を入れたまま一歩また一歩と香澄に向かって歩いてくる。
「見つからないのであればさっさと出て行って下さい」
「でも、まだ……!」
舌打ちをする黒田に香澄は思わず肩を振るわせた。今までこんなふうに悪意を前面に出してくる人は香澄の周りにはいなかった。だから余計に黒田の態度が、怖い。
どうしたらいいかわからず、でも他の客の迷惑になっても困ると、キッチンから出ようとした香澄を庇うようにして青崎とそして早瀬が黒田の前に立ち塞がる。雲井も香澄の腕を掴むと、キッチンから出ないようにと首を振った。
「なんだ、君たちは」
「おじさんこそ何やってるんですか?」
「あんま酷い態度やと警察呼びますよ?」
早瀬が翳したスマートフォンに分が悪いと思ったのか、黒田はもう一度舌打ちをすると店を出て行った。ふう、と息を吐いた香澄に雲井は「大丈夫かい?」と尋ねる。
頷いた香澄は雲井に礼を言うと、何もなかったかのように席に戻る青崎と早瀬にコーヒーを持っていった。
「二人ともありがとね」
「い、いえ。全然。大丈夫でしたか?」
「うん、二人と雲井さんのおかげで助かっちゃった。これ、お礼。よければ飲んで」
「ありがとうございます」
嬉しそうにはにかむ青崎とは対照的に、早瀬は机に突っ伏したまま「あ、はい」とどこか心ここにあらず、といった様子だ。
「……早瀬君、どうかしたの?」
こっそりと青崎に尋ねると「あー」と頬を掻きながら気まずそうに答える。
「彼女と喧嘩しちゃったみたいなんです」
「彼女ってあの年上の? 別れちゃったの?」
「別れてないです! ……まだ」
香澄の不用意な一言に、早瀬は顔を上げる。けれど語尾に付けた『まだ』という単語に深刻さを思い知らされる。
そもそも早瀬と早瀬の彼女である遠藤が付き合い始めたのは、早瀬の猛アタックのおかげだという話だ。
遠藤は早瀬と青崎の二つ上の四回生。青崎たちが一回生のときに行われた新入生歓迎会で早瀬が一目惚れをしたといつか照れくさそうに早瀬は話していた。ここにも何度か二人で来てくれたことがある。あんなにも仲よさそうだったのにいったいなにがあったのだろう。
「その、遠藤さんの就職のことで揉めたらしくて」
「就職……」
そういえば遠藤は四回生だ。就職活動をしなかった香澄には縁がなかったけれど、確かこの時期にはもうすでに就職は決まっているはずではなかっただろうか。あと数日で十月が終わることを記すカレンダーを見ながらそんなことを思う。
香澄の疑問に気づいたのか、青崎は話を続けた。
「その、遠藤さん全然内定取れなかったみたいで、つい先日やっと一社内定の連絡が来たらしいんです」
「わっ、よかったね」
「よくないですよ!」
悲痛な声で早瀬は青を上げると話に割って入る。
「なんで東京やねん……」
「東京?」
「はい。どうやら遠藤さんの就職先、東京みたいなんです」
「あれ? でもたしか早瀬君の実家って」
「大阪市内ですね。そのせいで喧嘩になっちゃったみたいで」
ようやく早瀬が荒れている原因がわかった気がした。青崎の言葉を継ぐように早瀬はしゃべり出す。
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