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異世界に落ちてきて半年が過ぎる頃になると、天音は新しい生活にかなり慣れてきていた。
相変わらず離宮に入り浸りで、籠の中の鳥のような日々を送っている。
それでも毎日の生活に充実を感じられたのは、言うまでもなくハインツのおかげだ。
なにせ日本にいた頃よりも何倍も良い生活をさせてもらえているし、なによりハインツから信じられないくらい大切にされている。それこそ寂しいと思う暇がないくらいに。
離宮の使用人たちとは今も打ち解けないままだ。
けれど、界渡り人と関わりたくない彼らの事情は分かっている。だから天音は早々に、使用人たちと親しくなることを諦めた。
残念に思いはするが、割り切りは必要だろう。
少なくともトマスは――内心はともかく――天音と一緒にいても嫌な顔をすることなく会話だってしてくれる。天音はそれで十分だと思うことにしたのだ。
それに、日中どんなに寂しい思いをしたとしても、夜になるとハインツが来てくれる。それを楽しみにしているだけで、時間はあっという間に経ってしまうのだ。
ハインツは相変わらず天音に優しい。優しくて優しくて優し過ぎるくらい優しい。
おかげでハインツと一緒にいる時の天音は、いつだって幸せな気持ちでいられた。楽しい気分になれた。
長年苦しめられてきたコンプレックスさえも、最近はあまり気にしないでいられるし、時にはコンプレックスを持っていることさえ忘れてしまうくらい、ハインツは天音を素晴らしい存在として接してくれる。
今の天音にとって、ハインツはなくてはならない大切な存在だった。
抱きしめられて逃げていたのは、もう昔のこと。今はただ嬉しくて、その温かい腕の中では安心感と幸福感に包まれるばかりだ。
男にキスされることで感じていた違和感も、とうの昔に消え去った。ハインツの唇が頬に触れるとなんだかすごく嬉しくて、顔が勝手にほころんで困るほどだ。
「アマネ、この世界で生きていくのなら受け身ばかりではダメだ。自分からも親愛を示せるようにならねばな。ほら練習だ、わたしにキスしてみろ」
「ええーっ、お、俺からキスするの?!」
「そうだと言っているだろう」
「えええ、で、でもぉ……」
「ほら、早くしろ」
「うう……わ、分かったよ……」
天音は目をぎゅっと瞑ると、そのままハインツの頬にちゅっと口付けた。
真っ赤になった天音を見て、ハインツは嬉しそうに笑う。お返しだと言って、今度はハインツが天音の頬に十回くらいキスを返す。
「今後はアマネから自発的にキスしてくれるのを楽しみにしているからな」
「ううう、できるかな、俺……」
「してもらえないとアマネに嫌われているのかと勘違いして、わたしは絶望に打ちひしがれることになるが、それでいいのか?」
「そ、それは困るよっ。俺、ハインツのこと嫌いじゃないのに!」
「だったらキスすればいいだけだ」
「うう……」
そんな風に、嫌々やらされていたハインツへのキスも、今では挨拶を交わすように自然にできるようになっている。むしろ、許されるなら、いつだってどこでだってハインツにキスしていたい、というか、くっついていたいと思うほどだ。
こうなってくると、鈍感な天音もさすがに気付く。
自分はハインツに惹かれている。
いつの間にかハインツに特別な感情を持つようになっている。
人としてではなく、恋愛という意味での好意だ。
男同士であることは問題にならない。
この世界では性別関係なく恋愛するのが普通だと、授業で習って知っているからだ。
もちろん、自分が男を好きになったことには驚いた。しかし、この世界ではごく普通のことだというし、だったらいいやと深く考えないことにした。
ハインツへの恋慕に気付いたばかりの頃、天音は初めての恋に浮かれた。人を好きになると、こんなにも幸せな気持ちになれるのだなと、驚きつつも新鮮だし楽しかった。
やがて心が落ち着きを取り戻してくると、今度は悲しくて胸が苦しくなった。
確かにハインツは天音を大切にしてくれる。けれどもそれは、天音が国の繁栄を左右する界渡り人だからだ。
ハインツはあくまでも、国のためを思って天音に優しくしているだけだ。下心ありきの善意である。
それをきちんと理解しているからこそ、ハインツに優しくされるたびに天音は虚しくなり、胸が苦しくなってしまうのだった。
大切にされ、抱きしめられ、キスされ、笑いかけられると、どうしても期待したくなってしまう。界渡り人としてではなく、天音という個人を好きになって欲しいと望んでしまう。
けれど、それがとんでもなく身のほど知らずで高望みなことだと天音は知っている。だから、悲しくて、辛くなってしまうのだ。
ハインツはとても美しい男だ。背が高く、雄々しい姿はさながら美術の教科書で見た彫像のよう。更にはカイネルシア帝国の皇帝でもある。
そんな彼が自分を好きになってくれるなど、万が一にもあり得ない。
痩せっぽちで背も低く、この世界では目を背けたくなるほど醜い顔をしているらしい自分が、ハインツに愛されるわけがない。
もう少しでいいから背が高ければ、整った顔をしていれば、特技でもあれば、そうしたら好きになってもらえたかもしれない……と、ハインツのおかげで一時忘れられていたコンプレックスを、今度はハインツを想うがゆえに思い出すことになった。
良いところが一つもない自分の劣等性に、悲しみが込み上げる。
ハインツがとてもモテること、婚約者候補が数人いることを、天音はトマスから聞いて知っていた。
特に驚きはしない。
あんなに素晴らしい人なのだから、ハインツがモテるのは当然だ。それに、跡継ぎを必要とする皇帝ハインツに婚約者候補がいるのも当然の話だし、むしろ今もまだ未婚なことが不思議なくらいだ。
ちなみに、婚約者候補は男女合わせて五人ほどいるという。
この世界の男性は出産ができるため、性別関係なく皇帝の伴侶になれるらしい。
しかし、異世界からやってきた天音の体には、当然ながら出産機能は備わっていない。そこから考えても、天音がハインツの結婚相手になれる可能性がないと分かる。
けれど、好きな気持ちは止められない。
好きで好きでたまらなくて、けれどもどんなに好きでも想いが報われないと分かっているから、一緒にいると辛くなる。
だから天音はある時からこう考えるようになった。いっそのこと、離れて暮らした方が気持ちが楽になるのではないか、と。
だからこんな質問をトマスにしてみた。
「界渡り人である俺がこの離宮を出て、市井で暮らすことって可能なのかな」
「さあ、どうでしょう。わたしには分かりかねます」
しかし、必要な答えを得ることができず。
どうしたもんかと悩んだ天音が次に頼りにしたのは、宰相のマンフレートだった。
黄緑色の髪をしたマンフレートと天音とは、異世界に転移した初日に会って以来、多くはないが顔を合わせる機会が何度かあった。ハインツが仕事で王都を空ける時、天音の様子を見るために離宮へ寄ってくれるからだ。
ハインツは雄々しい見た目の力強いイケメンだが、マンフレートは柔らかい雰囲気の美青年である。口調も優しく穏やかで、初対面の時から天音は好印象を持っている。
宰相という役職から考えて、マンフリートは頭脳明晰で豊富な知識を持っているに違いない。
だから天音はマンフリートに会って、界渡り人についての情報を色々教えてもらおうと思った。欲しい情報の中には、離宮を出ていくことが可能かどうかも含まれている。
やがて、待ちに待った機会が訪れた。
治水工事の進捗具合を視察するために、ハインツが一週間ほど王都を留守にすることになったのである。
今回もやはりマンフリートは天音の様子を見るために、離宮に顔を出してくれたのだった。
「なにか困ってことはありませんか?」
そう言ってくれたマンフリートを誘って、二人でお茶を飲むことになった。その席で、トマスにした質問と同じものを、天音はマンフリートに問いかけたのだった。
天音からの質問を受けて、マンフリートは唖然とした顔をした。が、すぐに恐る恐るといった感じで天音に尋ねてきた。
「あ、あの、アマネ様はもしかして、この離宮での生活が嫌なのですか? その理由をお伺いしても? ま、まさか陛下になにか失礼なことをされていらっしゃったりなどは……!!!」
「え?! あ、違うっ、違います! 酷いことなんてされてません!」
「だったらなぜ市井で暮らしたいなどとおっしゃるのです! どう考えても陛下が原因としか思えません! よもや無体な仕打ちを受けたりなどされていませんよね?! あの方がいくら傍若無人とはいえ、界渡り人様にまさかそこまで鬼畜ではありませんよね?! お願いです、違うと言って下さい!!」
絶望的な顔をするマンフリートに、天音は首をブンブン振って否定する。
「ほっ、本当に違うんです! ただ、自分の力で一人で生きていければ嬉しいなあと思っただけなんです。ハインツの世話になりっぱなしは気が引けるというか、なんというか……」
まさかハインツのことが好きすぎて辛いから距離をとりたい、などと本当のことを言うわけにもいかない。
ごにょごにょと言葉を濁す天音を見て、マンフリートは質問の意図を善意的に受け取ってくれたようだ。
「ああ驚いた。なんだ、そういうことでしたか。しかし、世話になりっぱなしで気が引けるなど、そんなことは思う必要はないんですよ? 慎み深いことは天音様の美徳でしょうが、遠慮されすぎるのも寂しいものですからね。もっと我儘を言って下さるほうが陛下もわたしも嬉しいです」
そう言いながらも、すぐにマンフリートは質問に答えてくれた。
「界渡り人であるアマネ様が望むなら、市井で生活することはもちろん可能です。わたしもあれから過去の記録を色々と調べましたが、市井で平民と結婚して家庭を持ち、子を成した界渡り人様もいらっしゃったようです」
「家庭を……」
「我々は界渡り人であるアマネ様に幸せになってただきたい。そのためならどんな協力をも致しますし、できる限りの支援を行うつもりです。ですから本気で市井で暮らしたいのであれば、それを叶えるために尽力させていただきます。とは言え安全面の問題もありますし、できれば今後も離宮でお過ごしいただきたいというのが我々の本音です」
だからといって遠慮はして欲しくない。やりたいことがあるなら言って欲しい。最終的にどうするかを決めるのは天音なのだから、とマンフリートは言った。
その後で、うかがうような視線を天音に向ける。
「本当に市井で暮らしたいとお考えなのですか?」
「え、えーと、今すぐにここを出たいということではないんです。ただ選択肢の有無を知りたかっただけで……心配かけてしまったようですみません」
天音がそう言うと、マンフリートは安心したような顔になった。
マンフリートからの情報のおかげで、ハインツから離れて市井で暮らすことが可能だと天音は知った。だからといって、離宮を出ていく決断がすぐにできるかといえば、そうでもない。
治水工事の視察から戻ってきたハインツは、また毎日離宮に来てくれるようになった。
優しくされるたびに天音は思う。
ハインツのことが好きだ。
会えば堪らなく嬉しくなってしまう。
けれど、この恋は不毛だ。絶対に実らないと分かっている。分かっていてもそれでもやっぱり好きだから、傍にいたいと思ってしまう。そして、傍にいるとハインツが優しくしてくれて、やっぱり好きだと思い知らされて、それがまた天音の心を苦しくさせる。
離宮を出ていくかどうか。その答えを天音はまだ出せずにいる。
だからハインツには、まだなにも言っていない。
離宮を出ると決断できたら。
その時にはちゃんと自分の口から伝えようと、天音はそう思っていたのだった。
相変わらず離宮に入り浸りで、籠の中の鳥のような日々を送っている。
それでも毎日の生活に充実を感じられたのは、言うまでもなくハインツのおかげだ。
なにせ日本にいた頃よりも何倍も良い生活をさせてもらえているし、なによりハインツから信じられないくらい大切にされている。それこそ寂しいと思う暇がないくらいに。
離宮の使用人たちとは今も打ち解けないままだ。
けれど、界渡り人と関わりたくない彼らの事情は分かっている。だから天音は早々に、使用人たちと親しくなることを諦めた。
残念に思いはするが、割り切りは必要だろう。
少なくともトマスは――内心はともかく――天音と一緒にいても嫌な顔をすることなく会話だってしてくれる。天音はそれで十分だと思うことにしたのだ。
それに、日中どんなに寂しい思いをしたとしても、夜になるとハインツが来てくれる。それを楽しみにしているだけで、時間はあっという間に経ってしまうのだ。
ハインツは相変わらず天音に優しい。優しくて優しくて優し過ぎるくらい優しい。
おかげでハインツと一緒にいる時の天音は、いつだって幸せな気持ちでいられた。楽しい気分になれた。
長年苦しめられてきたコンプレックスさえも、最近はあまり気にしないでいられるし、時にはコンプレックスを持っていることさえ忘れてしまうくらい、ハインツは天音を素晴らしい存在として接してくれる。
今の天音にとって、ハインツはなくてはならない大切な存在だった。
抱きしめられて逃げていたのは、もう昔のこと。今はただ嬉しくて、その温かい腕の中では安心感と幸福感に包まれるばかりだ。
男にキスされることで感じていた違和感も、とうの昔に消え去った。ハインツの唇が頬に触れるとなんだかすごく嬉しくて、顔が勝手にほころんで困るほどだ。
「アマネ、この世界で生きていくのなら受け身ばかりではダメだ。自分からも親愛を示せるようにならねばな。ほら練習だ、わたしにキスしてみろ」
「ええーっ、お、俺からキスするの?!」
「そうだと言っているだろう」
「えええ、で、でもぉ……」
「ほら、早くしろ」
「うう……わ、分かったよ……」
天音は目をぎゅっと瞑ると、そのままハインツの頬にちゅっと口付けた。
真っ赤になった天音を見て、ハインツは嬉しそうに笑う。お返しだと言って、今度はハインツが天音の頬に十回くらいキスを返す。
「今後はアマネから自発的にキスしてくれるのを楽しみにしているからな」
「ううう、できるかな、俺……」
「してもらえないとアマネに嫌われているのかと勘違いして、わたしは絶望に打ちひしがれることになるが、それでいいのか?」
「そ、それは困るよっ。俺、ハインツのこと嫌いじゃないのに!」
「だったらキスすればいいだけだ」
「うう……」
そんな風に、嫌々やらされていたハインツへのキスも、今では挨拶を交わすように自然にできるようになっている。むしろ、許されるなら、いつだってどこでだってハインツにキスしていたい、というか、くっついていたいと思うほどだ。
こうなってくると、鈍感な天音もさすがに気付く。
自分はハインツに惹かれている。
いつの間にかハインツに特別な感情を持つようになっている。
人としてではなく、恋愛という意味での好意だ。
男同士であることは問題にならない。
この世界では性別関係なく恋愛するのが普通だと、授業で習って知っているからだ。
もちろん、自分が男を好きになったことには驚いた。しかし、この世界ではごく普通のことだというし、だったらいいやと深く考えないことにした。
ハインツへの恋慕に気付いたばかりの頃、天音は初めての恋に浮かれた。人を好きになると、こんなにも幸せな気持ちになれるのだなと、驚きつつも新鮮だし楽しかった。
やがて心が落ち着きを取り戻してくると、今度は悲しくて胸が苦しくなった。
確かにハインツは天音を大切にしてくれる。けれどもそれは、天音が国の繁栄を左右する界渡り人だからだ。
ハインツはあくまでも、国のためを思って天音に優しくしているだけだ。下心ありきの善意である。
それをきちんと理解しているからこそ、ハインツに優しくされるたびに天音は虚しくなり、胸が苦しくなってしまうのだった。
大切にされ、抱きしめられ、キスされ、笑いかけられると、どうしても期待したくなってしまう。界渡り人としてではなく、天音という個人を好きになって欲しいと望んでしまう。
けれど、それがとんでもなく身のほど知らずで高望みなことだと天音は知っている。だから、悲しくて、辛くなってしまうのだ。
ハインツはとても美しい男だ。背が高く、雄々しい姿はさながら美術の教科書で見た彫像のよう。更にはカイネルシア帝国の皇帝でもある。
そんな彼が自分を好きになってくれるなど、万が一にもあり得ない。
痩せっぽちで背も低く、この世界では目を背けたくなるほど醜い顔をしているらしい自分が、ハインツに愛されるわけがない。
もう少しでいいから背が高ければ、整った顔をしていれば、特技でもあれば、そうしたら好きになってもらえたかもしれない……と、ハインツのおかげで一時忘れられていたコンプレックスを、今度はハインツを想うがゆえに思い出すことになった。
良いところが一つもない自分の劣等性に、悲しみが込み上げる。
ハインツがとてもモテること、婚約者候補が数人いることを、天音はトマスから聞いて知っていた。
特に驚きはしない。
あんなに素晴らしい人なのだから、ハインツがモテるのは当然だ。それに、跡継ぎを必要とする皇帝ハインツに婚約者候補がいるのも当然の話だし、むしろ今もまだ未婚なことが不思議なくらいだ。
ちなみに、婚約者候補は男女合わせて五人ほどいるという。
この世界の男性は出産ができるため、性別関係なく皇帝の伴侶になれるらしい。
しかし、異世界からやってきた天音の体には、当然ながら出産機能は備わっていない。そこから考えても、天音がハインツの結婚相手になれる可能性がないと分かる。
けれど、好きな気持ちは止められない。
好きで好きでたまらなくて、けれどもどんなに好きでも想いが報われないと分かっているから、一緒にいると辛くなる。
だから天音はある時からこう考えるようになった。いっそのこと、離れて暮らした方が気持ちが楽になるのではないか、と。
だからこんな質問をトマスにしてみた。
「界渡り人である俺がこの離宮を出て、市井で暮らすことって可能なのかな」
「さあ、どうでしょう。わたしには分かりかねます」
しかし、必要な答えを得ることができず。
どうしたもんかと悩んだ天音が次に頼りにしたのは、宰相のマンフレートだった。
黄緑色の髪をしたマンフレートと天音とは、異世界に転移した初日に会って以来、多くはないが顔を合わせる機会が何度かあった。ハインツが仕事で王都を空ける時、天音の様子を見るために離宮へ寄ってくれるからだ。
ハインツは雄々しい見た目の力強いイケメンだが、マンフレートは柔らかい雰囲気の美青年である。口調も優しく穏やかで、初対面の時から天音は好印象を持っている。
宰相という役職から考えて、マンフリートは頭脳明晰で豊富な知識を持っているに違いない。
だから天音はマンフリートに会って、界渡り人についての情報を色々教えてもらおうと思った。欲しい情報の中には、離宮を出ていくことが可能かどうかも含まれている。
やがて、待ちに待った機会が訪れた。
治水工事の進捗具合を視察するために、ハインツが一週間ほど王都を留守にすることになったのである。
今回もやはりマンフリートは天音の様子を見るために、離宮に顔を出してくれたのだった。
「なにか困ってことはありませんか?」
そう言ってくれたマンフリートを誘って、二人でお茶を飲むことになった。その席で、トマスにした質問と同じものを、天音はマンフリートに問いかけたのだった。
天音からの質問を受けて、マンフリートは唖然とした顔をした。が、すぐに恐る恐るといった感じで天音に尋ねてきた。
「あ、あの、アマネ様はもしかして、この離宮での生活が嫌なのですか? その理由をお伺いしても? ま、まさか陛下になにか失礼なことをされていらっしゃったりなどは……!!!」
「え?! あ、違うっ、違います! 酷いことなんてされてません!」
「だったらなぜ市井で暮らしたいなどとおっしゃるのです! どう考えても陛下が原因としか思えません! よもや無体な仕打ちを受けたりなどされていませんよね?! あの方がいくら傍若無人とはいえ、界渡り人様にまさかそこまで鬼畜ではありませんよね?! お願いです、違うと言って下さい!!」
絶望的な顔をするマンフリートに、天音は首をブンブン振って否定する。
「ほっ、本当に違うんです! ただ、自分の力で一人で生きていければ嬉しいなあと思っただけなんです。ハインツの世話になりっぱなしは気が引けるというか、なんというか……」
まさかハインツのことが好きすぎて辛いから距離をとりたい、などと本当のことを言うわけにもいかない。
ごにょごにょと言葉を濁す天音を見て、マンフリートは質問の意図を善意的に受け取ってくれたようだ。
「ああ驚いた。なんだ、そういうことでしたか。しかし、世話になりっぱなしで気が引けるなど、そんなことは思う必要はないんですよ? 慎み深いことは天音様の美徳でしょうが、遠慮されすぎるのも寂しいものですからね。もっと我儘を言って下さるほうが陛下もわたしも嬉しいです」
そう言いながらも、すぐにマンフリートは質問に答えてくれた。
「界渡り人であるアマネ様が望むなら、市井で生活することはもちろん可能です。わたしもあれから過去の記録を色々と調べましたが、市井で平民と結婚して家庭を持ち、子を成した界渡り人様もいらっしゃったようです」
「家庭を……」
「我々は界渡り人であるアマネ様に幸せになってただきたい。そのためならどんな協力をも致しますし、できる限りの支援を行うつもりです。ですから本気で市井で暮らしたいのであれば、それを叶えるために尽力させていただきます。とは言え安全面の問題もありますし、できれば今後も離宮でお過ごしいただきたいというのが我々の本音です」
だからといって遠慮はして欲しくない。やりたいことがあるなら言って欲しい。最終的にどうするかを決めるのは天音なのだから、とマンフリートは言った。
その後で、うかがうような視線を天音に向ける。
「本当に市井で暮らしたいとお考えなのですか?」
「え、えーと、今すぐにここを出たいということではないんです。ただ選択肢の有無を知りたかっただけで……心配かけてしまったようですみません」
天音がそう言うと、マンフリートは安心したような顔になった。
マンフリートからの情報のおかげで、ハインツから離れて市井で暮らすことが可能だと天音は知った。だからといって、離宮を出ていく決断がすぐにできるかといえば、そうでもない。
治水工事の視察から戻ってきたハインツは、また毎日離宮に来てくれるようになった。
優しくされるたびに天音は思う。
ハインツのことが好きだ。
会えば堪らなく嬉しくなってしまう。
けれど、この恋は不毛だ。絶対に実らないと分かっている。分かっていてもそれでもやっぱり好きだから、傍にいたいと思ってしまう。そして、傍にいるとハインツが優しくしてくれて、やっぱり好きだと思い知らされて、それがまた天音の心を苦しくさせる。
離宮を出ていくかどうか。その答えを天音はまだ出せずにいる。
だからハインツには、まだなにも言っていない。
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その時にはちゃんと自分の口から伝えようと、天音はそう思っていたのだった。
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