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最終話

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 そんな会話がフラグになったのかどうなのか。
 やっぱり叔父さんは俺より先に亡くなった。

 深夜、仕事の途中で気分転換でもしたくなったのか、叔父さんは一人で家を抜け出してコンビニへと出かけたらしい。その帰り道、歩道に突っ込んできた飲酒運転の車に跳ねられて重傷を負った。ひき逃げだった。

 きっと書きかけの小説のことでも考えて、ボンヤリと歩いていたんだろう。
 そうでなければ突っ込んできた車を避けるくらい、今もジム通いを続けて鍛えている叔父さんには朝飯前だったはずだから。

 時刻が真夜中だったせいで発見が遅れたことと、頭を強く打ったこともあって、意識不明の重体で病院に運ばれた叔父さんは、治療虚しく一ヵ月後には植物状態と診断された。

 病気や事故で寝たきりになった時には延命処置を望まないと、叔父さんからは兼ねてより言伝ことづてられていた。その意思を尊重して、俺は担当医師と長い話をした上で、叔父さんの体にとりつけられた延命のための機械のスイッチを切ってもらうことにした。

 享年五十八才。
 俺が心から愛していた人がこの世からいなくなった。
 世界からすべての灯りが消えたような、そんな気持ちになった。


 葬儀は叔父さんの希望により、住んでいるマンションのすぐそばにある小さな斎場でこじんまりとした家族葬を行った。

 既に十年前にじいちゃんが、七年前にはばあちゃんも鬼籍に入っている。親戚が少ない叔父さんの葬式に集まったのは、俺と俺の母さんと、その旦那さんだけだ。
 いくつかの出版社から参列したいと連絡をもらったけど、故人の意向に沿わないからと全部断りを入れた。
 ただ、田中さんだけは通夜への参列を許可することにした。あの人とは本当に長い付き合いで、叔父さんが身内以上に親しく付き合ってきた親友のような人だ。叔父さんも田中さんの参列には喜んでくれると思う。

 そうして色々な雑事が片付いた後、俺は独りぼっちになったのだった。



 どんなに悲しくて辛くても、生きていれば時間が過ぎる。
 気が付くと、叔父さんが亡くなってから三年の月日が流れていた。

 朝目が覚めた時、隣に誰も寝てないことに驚くことが今もまだたまにある。

「……はぁ。一人だけのベッド、なかなか慣れないなぁ」

 叔父さんが寝ているはず場所にそっと手で触れながら、ポツリと小さく呟くのはいつものこと。
 どんなに晴れた日の気持ちの良い朝でも、叔父さんが亡くなって以来、俺の心は厚い雲に覆われたままだ。

 俺は今もまだ、叔父さんと暮らしていたマンションに住み続けている。
 叔父さんの仕事部屋は今も当時のままにしてあって、本棚には叔父さんの著書や資料にしていた本がたくさん入っている。台所の食器棚の中にはお揃いで使っていた食器が今も置かれているし、叔父さんの部屋のクローゼットには、着ていた服が一枚たりとも捨てることなくしまってある。

 この家の中はどこもかしこも叔父さんの思い出で溢れている。
 だからこそ離れがたく、どうしても引っ越す気になれないんだ。

 秘書でしかなかった俺が今もこんな高級マンションに住んでいられるのは、叔父さんが色々なものを残してくれたからだ。
 知らない内に叔父さんは遺言書を残していたらしく、俺には叔父さんの資産の大半が譲られた。葬儀が終わって数日後、突然やってきた弁護士にそれを知らされた時には、本当に驚いたものだ。

 俺にはじいちゃんとばあちゃんが残してくれた遺産があったから、この先一人で生きていくには困らないくらいの十分な金を持っていた。そこに叔父さんからの遺産まで加わった上、欲しくもなかった保険金まで入ってきたものだから、今や俺は生涯働かなくていいどころか余裕で遊んで暮らせるほどの金持ちになってしまった。

 当然ながら、叔父さんが亡くなるのと同時に俺は仕事を失った。けれど、金銭的に余裕があるから他の仕事を探す必要もない。
 出版社を通じて何人かの作家先生から秘書として働いて欲しいと誘われたけど、叔父さん以外の人のために働く気になれるわけもなく、適当な理由を言って断った。

 やることがなくて時間が有り余っているものだから、ついつい叔父さんとの思い出を振り返ることばかりしてしまう。
 おかげで叔父さんの記憶は色褪せることなく、今も俺の中で鮮やかに保たれたままだ。

 ああ、俺は幸せだったな。
 叔父さんを愛して、叔父さんに愛してもらって、本当に幸せだった。
 喧嘩した時の思い出さえ、俺にとっては大切な宝物だ。

 できれば叔父さんには長生きしてもらいたかった。
 叔父さんが死んで一人になって、毎日が寂しくてたまらない。

 それでも俺が後を追わずにいるのは、叔父さんとの約束があるからだ。

 俺がもし後追い自殺したら、向こうで会ってくれないと叔父さんは言っていた。
 それにもし本当に俺が自殺したら、叔父さんはきっと悲しむだろう。自分のせいで俺が早世してしまったと、責任を感じて嘆くに違いない。

 それは絶対に嫌だから、俺はこの先もしっかり生きて、自分の人生をまっとうしてから叔父さんのところに逝こうと思う。

 有り余った時間を有効利用するために、叔父さんを轢き殺したヤツに復讐することを考えた。そいつには他にも余罪があったらしく、捕まった後の裁判では、そこそこ重い刑罰が課せられた。だから今もまだ刑務所に入っている。
 とはいえ死刑にはならなかったから、いつか必ず出所する。その時のために、俺は山奥に別荘でも買って準備を整えておこうと思っている。そして、その別荘に出所してきたそいつを拉致監禁するつもりだ。

 殺すつもりはない。椅子にしばりつけて動けなくするだけだ。
 そして、そいつの目の前で、親兄弟や親戚、配偶者、子供や友達や過去の恋人やペットまで、そいつが大切に思うすべての存在を一人ずつゆっくりと切り刻んで殺してやる。爪を剥ぎ、目を潰し、鼻を削ぎ、より残酷に苦しめながら殺していって、みんなが死んでいくのはおまえのせいなんだと嘲笑い、大切な人が自分の前からいなくなる辛さを、俺と同じ苦しみを味合わせてやる。

 それを実行できる日を楽しみに、俺はそいつの出所を心待ちにして暮らしてきた。
 それだけが、この世に残された俺の唯一の生きる目的だった。


 そんなある日のこと、いつものように叔父さんの書斎を塵一つなく掃除していた俺は、本棚に置いてある本の後ろに数冊のノートが隠されていることに気が付いた。
 取り出して開いてみると、驚くことにそれは叔父さん日記だった。
 躊躇はしたものの、我慢できずに目を通してみることにした。

 するとそこには日記と言うよりは、俺へのラブレターとも言うべき内容がびっしりと記されてあった。

 俺と過ごした何気ない日々のこと、水族館やら映画館やら買い物やらに出かけて二人でデートをした時の楽しかった気持ち、俺のどんなところが好きか、幼い頃の俺との思い出、俺の作った料理がいかに美味しいか、秘書としての俺の有能さ、一緒に祝った誕生日、喧嘩したこと、ベッドでいかに愛し合ったか、叔父さんにとって俺の存在がいかに大切なものであるか、どれほど俺を愛しているか、俺がいるから自分は幸せでいられるのだと、そこには赤裸々に綴られていた。

 そのノートを一枚一枚ゆっくりと読み進めていく内に、俺の瞳には我知らず涙が溢れていた。

 よく分かった。分からせられた。
 俺がどれほど深く叔父さんに愛されていたのか。
 どれほど大切に想われていたのか。
 俺の想いがしっかりと叔父さんに届いていたことも、その日記を読んだことではっきりと知ることができた。

 読んでいて特に俺の心を疼かせたのは、離れていた三年間に俺が他の男や女とセックスしまくっていたことについて書かれていた部分だ。そこには叔父さんの嫉妬の思いが山のように書かれていて、それが俺にはものすごく嬉しくて、テレくさくて、切なくて、叔父さんに今すぐ会いたくてたまらなくなって、また少し泣いた。

 叔父さんの日記の中の俺は、優しくて思いやりがあって気配りができる上に機転の利く賢い人。それだけじゃなく、料理や掃除などの家事が上手く、叔父さんの仕事のサポートも痒いところに手が届くがごとくこなせる有能な人間だ。
 しかも恋人としても最高にかわいい癒し的な存在であり、ベッドの上でいやらしく乱れる様は最高に色っぽくて、愛しくて愛しくてたまらない大切な人……というのが、日記から読み取れた叔父さんの俺に対する想いだった。

「……ははっ、もうなんだよこれ。褒めすぎだろう?」

 涙を流しながらノートにツッコミをいれる。

 確かに俺は叔父さんの前ではそんな人間だったかもしれない。
 有能を演じてたわけじゃない。ただ、好きな人のために自分にできることがあればなんだってやりたいという、ごく当たり前の欲求を満たしていただけだ。それが叔父さんには健気で甲斐甲斐しく有能な人間に見えていたんだろう。

 俺本来の悪辣さが鳴りを潜めていたのだって、特に隠していたわけじゃなく、ただ大好きな叔父さんのそばにいると幸せで、嫌なことなんて一つもなくて、俺の黒い部分が表に出る隙も暇もなかったというだけの話だ。

 叔父さんと暮らしていた時の俺はとても善良で、またオールマイティになんでもできる超ハイスペックな人間だったようだ。
 そして叔父さんが好きになってくれたのはきっと、そんな綺麗な俺・・・・なんだと思う。

 俺はふと顔を上に向けた。
 天井を見たわけじゃない。俺が視線を向けたのは、天井の更に向こう側にある空の上だ。

 叔父さんのことだから、きっと今もそこから俺を見守ってくれているだろうと、そう思った。

 でも、もしそうなら。
 今も叔父さんが俺を見ていてくれるなら。
 俺が叔父さんを殺したやつに復讐したら、それを全部見られてしまうことになる。
 それはちょっと嫌だな。
 叔父さんには俺の黒くて汚い部分を見られたくない。
 見られて失望されて嫌われるのは絶対にイヤだからだ。

 そう思った俺は、復讐をスッパリと諦めることにした。
 そして心機一転、叔父さんに俺の良いところをたくさん見てもらうために、ボランティア活動に精を出し始めたのである。

 環境保全や天災の後の被災者支援、ホームレスへの炊き出しや高齢者支援など、資格がなくてもやれるボランティアなら手当たり次第になんでもやった。

 この世の中は不条理で理不尽で不平等だから、困っている人がいつでもどんな時でもたくんさんいて、ボランティアの仕事が尽きることがない。
 俺は日本全国津々浦々、色んな所に行って身を粉にして働いた。

 金にもならない労働は疲れるばかりだけど、叔父さんへの点数稼ぎができる上にいい暇つぶしにもなってくれるから、俺にとってボランティアの仕事はかなり役に立つ存在だ。だから文句一つ言うことなく無心になって働いている内に、気が付けばボランティアを始めてから十年以上の月日が過ぎ去っていた。

 驚くことに、ボランティアを趣味にしている人間はそれなりの数が存在していて、俺はそういった人たちとすっかり顔見知りになってしまった。それだけじゃなく仲間認定までされてしまっている。

 俺としてはそいつらと慣れ合うつもりはない。表面上はにこやかに付き合っているけど、俺は別にボランティアが趣味なわけじゃないし、良い人だから奉仕の精神で人助けをしているってわけでもない。
 ただ叔父さんのために。叔父さんにもっと好きになってもらうためだけに、俺はボランティアをやっている。



 よく晴れた日の屋外でのボランティア活動の最中、青く美しい空を見上げて物思いに耽ることがたまにある。そんな時の俺は、空の向こうにいる叔父さんに心の中で語りかけている。

 ねえ、叔父さん。今日も見てくれてる?
 叔父さんの好きな俺でいるために、今日も俺はがんばってるよ。

 最近の俺にとって、こうやって空を見上げながら叔父さんと会話する時間が、最も至福の時となっている。
 もちろん、叔父さんからの返事はないけれど、それは別にかまわない。俺はただ叔父さんに俺の話を聞いてもらいたいだけ。返事は俺が向こうに逝った時にまとめて聞くつもりでいる。
 だからその時を楽しみに、たくさん話しかけるんだ。

 俺がどんなに叔父さんを好きか。
 高校卒業式の夜、叔父さんが俺を受け入れる決心をしてくれたおかげで、俺がどんなに幸せになれたか。
 今もどんなに叔父さんを愛しているか。

 伝えたいことは山のようにあって、尽きるなんてことはない。
 たまには叔父さんに問いかけることもある。

 叔父さんはどうだった?
 幸せだった?
 幸せだったら嬉しいなぁ。
 俺の存在が叔父さんを幸せにできていたのなら、こんなに嬉しいことは他にないよ。

 そしてもちろん愚痴だって言う。

 一人になって毎日が寂しいよ。
 叔父さんの温もりを感じられないことが辛くて悲しくてたまらない。
 どうしてあんなに早く死んだんだよ。
 しかも後追いはするなだなんて、あまりにも酷すぎるよ。

 ねえ、俺はあと何年一人で耐えればいい?
 この孤独の中で、俺はあと何年生き続ければいいんだよ……?

 できることなら今すぐに会いにいきたい。
 一秒でも早く叔父さんに会いたい。

 でも叔父さんとの約束があるから、後を追わずに我慢してる。
 しっかりと自分の人生を全うしてから、叔父さんのところに逝くからね。

 復讐するのもやめたんだ。
 俺の嫌なところを叔父さんに見られて、嫌われるのはイヤだから。
 ボランティアをしてるのだって、叔父さんにもっと好きになってもらうためだって分かってる?
 叔父さんを愛しているから、俺は今日もがんばっているんだよ。

 なかなか健気だと思わない?

 そう思うなら、ね?

 会えた時には俺を力強く抱きしめてよ。
 よくがんばったなって、あの優しい笑顔を俺に見せてよ。
 キスだって浴びるほどして欲しい。
 そして、大好きだって。
 世界で一番俺のことが大好きだって。
 心から愛してるって。


 絶対にそう言ってくれよな。



 それは俺にとって、どんなものにも勝る最高のご褒美になる。

 そのご褒美をもらうためなら、俺はこの先もがんばって生きていけるから。


「だからね、叔父さん、約束だよ?」



 小さく呟くと、見上げていた空から視線を外した。


 そして俺は今日も生き続ける。

 明日も。

 明後日も。

 明々後日も。

 再会の時を心待ちにして、ずっと、ずっと――――。






end






<その後の出来事>


雅已が六十三才になった年の聡の命日。
墓参りに出かけるために家を出た雅已は、待ち伏せしていた同年代の男に襲われ、めった刺しにされたことで寝たきりの入院生活を送ることになる。
また、その時の傷が原因で二年後に死亡。

捕らえられた犯人は警察からの取り調べの際、自分は上津原雅已の同郷の人間であり、高校生の頃に上津原雅已から恐喝されたり暴力を受けたりと虐められたせいで人間不信となり、その後の人生を狂わされた、それを恨んでの犯行であると自供した。

そのことを警察の人間から知らされていた雅已は、今際の際、病院のベッドの上でこう呟いたらしい。

「俺のあの三年間に無駄はなかった。おかげでこんなに早くあの人に会えるんだから」

 そして、その場に同席していた弁護士に「自分の死後、財産はすべて自分を刺した男に譲る、感謝の気持ちだ」と言い残して息を引き取った。

 雅已の死に顔はとても幸せに満ちた穏やかなものだった。

 遺骨は叔父であり著名な作家でもあった上津原聡が眠る墓に納められたという。




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