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両親が離婚した。俺が小学五年の時のことだった。
母さんに引き取られた俺の名前は、杉元雅已から上津原雅已に変わった。
両親の仲が冷めきっていることには、かなり前から気付いていた。
顔を合わせても会話することのない父さんと母さん。温か味のない家の中の雰囲気。これで気付かない方がおかしいと思う。
だから離婚が決まった時、悲しいと思うよりは「やっぱりそうなったか」という気持ちのほうが大きかった。
いやもっと正直に言うと、俺は両親の破局を悲しいとも嫌だとも思わなかった。むしろ喜ばしいとさえ思っていたくらいだ。
なぜか。
それは離婚後の俺の引っ越し先が、母さんの実家になると聞いていたからだ。
母さんの実家は、俺が生まれ育った東京から遠く離れた地方都市にある。そこにはじいちゃんとばあちゃんが住んでいて、近所には母さんの弟である叔父さんも住んでいる。
十五才年上の叔父さんの名前は聡という。
俺の初恋の人であり、幼い頃からずっと好きで好きでたまらない大切な人だ。
俺の父さんは不愛想なだけでなく、些細なことですぐに怒鳴る短気で最低な人間だ。そんな人との暮らしより、大好きな叔父さんの近くで暮らせることの方が、俺にはよっぽど価値があることだった。
離婚が成立すれば、今までよりも頻繁に叔父さんと会えるようになる。それが嬉しくて、俺は両親の離婚を喜んだのだった。
俺は物心ついて叔父さんの存在を認識した瞬間から、ずっと叔父さんに恋してる。
大きな体は頼りがいがあって安心できるし、見かけは男らしくて凛々しい系のイケメンなのに、実は穏やかで優しい性格をしていて、人付き合いがあまり得意ではない内向的な人だ。
どこもかしこも好ましい。叫びたいくらい大好きだ。
小さい頃は膝の上でよく本を読んでもらった。至福だった。
大きな手で頭を撫でてもらえると、嬉しくて顔がにこにこになった。
今も昔も変わらずに、どんなにくだらないおしゃべりだって面倒臭がらずに最後まで聞いてくれる。
そんな叔父さんのすべてが俺は大好きで、その想いは日に日に大きくなっていくばかりだった。
くしくも世の中はLGBTについての話題が豊富で、俺は自分の性癖が一般的に言われるところの普通ではないことに、早い段階から気付いていた。
なにせ初恋の相手が叔父さんなんだから、嫌でも気づくというものだ。
とはいえ俺が同性愛者なのかというと、それは分からない。
もしかしたら両性愛者かもしれない。好きになったのは叔父さんだけで、他の人を好きになったことがないから確かめようがない。
ただなんとなく、ゲイよりのバイじゃないかとは思っている。女という人種にまったく魅力を感じないかというと、そんなこともないからだ。
クラスで人気の女子を見て「かわいい子だな」と思うことも普通にある。
いずれにしても、俺が同性を好きになれるタイプであることは間違いない。そして、そのことを悲観したことは一度もなかった。
俺は叔父さんのことが好きで、それは俺が男を恋愛対象にできるからだ。そう思うと、その他一般とは違う自分の性嗜好さえも大切なものに感じられたくらいだ。
ちなみに、叔父さんの職業は小説家だ。
大学生の時にデビューして以来、それなりに売れる作品を作り続けている人気作家らしい。でもペンネームを教えてくれないから、俺は叔父さんの書いた本を読んだことがない。
小説家である叔父さんは、一人暮らししているマンションを仕事場としても使っている。
叔父さんが祖父母の家を出て自立したのは、大学卒業と同時だったらしい。
職業柄、家を出る必要もないのに叔父さんが一人暮らしを始めた理由は複雑で、そこには叔父さんの出生が大きく関わっている。
実は叔父さんはばあちゃんが産んだ子供ではない。じいちゃんが愛人に産ませた子供だ。
母さんから聞いた話によると、十才の時に生みの母親が死んでから、叔父さんは父親――俺のじいちゃん――に引き取られることになったという。
ちなみにその時の俺の母さんの年齢は二十三才。年の離れた弟が急にできて、かなり驚いたそうだ
「聡は昔から賢かったから、幼いながらも自分の立場を分かっていたんだと思うわ。いつも物静かで遠慮がちで控えめで。欲しい物をやっと口に出すようになったのは、一緒に暮らすようになって二年も過ぎてからだったものね」
母さんの言葉に、ばあちゃんがウンウンと頷いた。
「そうそう。あの時は本当に嬉しくてねぇ。初めてお義母さんって呼んでくれた時は、わたし、嬉しくて泣いちゃったもの」
「今ではあんなに大きくなったけど、来たばかりの聡は背も小さかったし、顔もめちゃくちゃ可愛くて。つい猫っ可愛がりしちゃったわよ。わたし一人っ子だったから、ちっちゃい弟ができたのが嬉しかったのよね。あー、懐かしいわー」
「ふふ、ホント、そうだったわねぇ」
母さんの実家はかなりの金持ちで、昔なら地主と言われた土地持ちだ。住んでる家もかなり大きい伝統的な日本家屋だ。庭には鯉も泳いでる。
じいちゃんは過去には市長を務めたことのある政治家で、なにを勘違いしているのか「女遊びは男の甲斐性」なんて古くて馬鹿っぽい価値観を未だに持っている。愛人問題を頻繁に起こしては、ばあちゃんに苦労をかけていたらしい。
そんなじいちゃんのことを、身勝手で不誠実な最低人間だとして、叔父さんはものすごく嫌っている。でも、ばあちゃんや母さんとは仲良がいい。
俺の目から見ても普通の家族にしか見えないくらい三人の仲は良好だ。
「大学卒業と同時に家を出たのは、きっともうお父さんの世話になりたくなかったからよ。それに口には出さないけど、自分が愛人の子だってことを今も後ろめたく思ってるみたいだし。そんなの気にしなくてもいいのにね、聡はなにも悪くないんだから」
「でも、あなたと雅くんがこの家で暮らすようになってから、聡は以前よりも頻繁にここに顔を出してくれるようになったわ。わたし、それが嬉しいの」
心底嬉しそうなばあちゃんに、母さんが苦笑しながら言う。
「あ、それってわたしが聡に言ったからだわ。男親がいなくなった甥っ子に、男ってもんを教えてやってくれってね。これから先、母親には相談しにくい悩みも出てくるだろうし、同性としてちゃんと話を聞いてやってよ、って聡に頼んだの」
「あらまあ、そうだったの?」
「昔から聡は雅已のことをかわいがってたから、いいかなって思って。頼んだ時だって気乗りしないフリはしてたけど、ちょっと嬉しそうだったもの。実際、よく面倒見てくれてるしね」
母さんとばあちゃんの会話を聞きながら、俺は喜びに胸を高鳴らせた。
そうか、やっぱり叔父さんって俺のことをかわいがってくれてたんだ! 俺の思い込みじゃなかったんだ!! 実はそうじゃないかなとは思ってた。だって、叔父さんは俺にすごく優しくしてくれるから。
大喜びした俺は、ますます叔父さんのことが好きになって、今まで以上に甘えるようになった。
そんな俺を、叔父さんも嫌がることなくかわいがってくれる。
想いを秘めたままにできなくなった俺は、ついに叔父さんに告白する決意をした。小学六年の夏休みのことだ。
夜、近所にある蛍の名所まで二人で歩いて出かけた時、暗闇の中を幻想的に舞い踊る蛍の光に囲まれる中、俺は勇気を出して告白した。
「叔父さん、俺、叔父さんのことが好きだ」
「そうか、ありがとな。俺も雅已が好きだよ」
「本当に本当に大好きなんだ!」
「ああ、俺も同じだよ」
叔父さんは嬉しそうに俺の頭を撫でてくれた。
完全に子ども扱いで、告白もまったく本気にしてもらえていない。
フラれたわけじゃないけれど、完全に俺の敗北だった。
それでも俺は挫けずに、その後も叔父さんに告白をし続けた。
毎回本気にしてもらえず、まさに暖簾に腕押し、だ。
がっくりしながらも、その後も俺は機会を見つけては気持ちを叔父さんに伝え続けた。
そうこうする内に俺は中学生になった。
背も伸びたし、体つきも少しずつ男らしくなっていく。
俺の容姿は母さん似で小柄だけど、それなりに整ったアイドルっぽい顔をしている。
おかげで学校ではよくモテた。告白されることも珍しくない。
もちろん俺は叔父さん一筋だから、告白はすべてお断りしている。
俺は告白されるたび、叔父さんに逐一報告した。嫉妬してもらいたいからだ。
けれど叔父さんが嫉妬してくれることはない。ただ、すごいな、よかったな、さすがは雅已だなと、大きな手で俺の頭を撫でるばかりだ。
はぁ、つれないなぁ。相手にしてもらえないのは本当に辛い。
でも、それでも叔父さんを嫌いになれない。むしろ想いが募って増々好きになっていく。
恋ってままならないものだなぁと、俺はしみじみ思った。
ところで。
俺は最近、ある疑いを持っている。
その疑いとは、実は叔父さんは同性愛者なんじゃないか、ってことだ。
叔父さんは至って普通の人に見える。でも自分がバイなせいか、俺にはなんとなく分かるんだ。
雰囲気というか、女を見る時の視線にまったく色を感じない不自然さというか、男を見た後に慌てて視線を反らす仕草とか……うーん、言葉では上手く説明できないけど、でも、俺は叔父さんをゲイじゃないかって思ってる。
もしかすると叔父さんが早々に実家を出て一人暮らしするようになったのは、じいちゃんのことを嫌っているからとか、愛人の子だっていう遠慮や後ろめたさからだけじゃなく、ばあちゃんたちに自分の性嗜好がバレないようにするためだったのかもしれない。
そんなことを俺は思った。
高校生になってすぐ、俺はあらためて叔父さんに告白した。これまでの子供っぽい感じのものとは違い、真剣な顔をしての本気な告白だ。
場所は叔父さんの住むマンション。日曜日に遊びに行った時に決行した。
「叔父さん、俺、叔父さんが好きだ」
「ああ、俺も好――」
「そういうのはもういいよ。俺の好きはさ、親戚のおにいさんに向ける親愛のものとは違うんだよ。恋愛っていう意味で俺は叔父さんが好きなんだ」
「……」
「これまでずっと上手くかわされてきたけど、叔父さんも本当は分かってるんじゃない? 俺が本気で叔父さんを好きだって」
黙り込んでいた叔父さんが、やがて大きなため息をついた。かなり難しい顔をしている。
それを見て、俺の心が折れそうになった。
けれど腹に力を入れて踏ん張ると、負けるもんかと叔父さんの顔を見つめ続けた。
「……本気なのか?」
「うん」
「女の子は好きになれないのか? 告白されるたび、俺によく自慢してるじゃないか」
「好きになれるよ。でも、告白は全部断ってる。だって、俺が好きなのは叔父さんだけだから」
「そうか……」
叔父さんがまた黙り込む。
なにを考えているのか、その顔はかなり険しい。
俺の告白を聞いてそんな顔をしているのだと思うと、胸が痛くて苦しくなる。
それでも、ここまできたらもう後には引けない。返事をもらわないことにはどうにもならない。
そう思って待ち続けていると、やがて叔父さんが口を開いた。
「女の子を好きになれるなら、女の子と付き合った方がいい」
「無理だよ。俺は叔父さんが好きなんだ。他の人なんて好きになれないよ」
「なれるさ。かわいい彼女ができれば、俺のことなんてすぐに忘れられる」
「嫌だ。好きでもない彼女なんか欲しくない。俺は大好きな叔父さんの恋人になりたいんだ」
「……あのな、雅已、今まで言ったことはなかったけど、俺はゲイなんだ。男しか好きになれない」
そう言った叔父さんの顔は、とても悲しそうだ。
「世の中が変わってきて、最近は俺みたいなLGBTと呼ばれる人種への偏見もかなり減った。でも、なくなったわけじゃない。嫌な思いをすることは多いし、世間からの風当たりもまだまだ強い。雅已には俺みたいな嫌な思いをして欲しくない。女を好きになれるなら、普通に女と付き合って結婚して、家庭を持つ方が絶対に幸せになれるんだから」
「叔父さんの言いたいことは分かる。俺のために言ってくれてるんだってことも理解してる。でも、それを理由に諦めろなんて言われても、俺には納得できないよ。叔父さんは俺のこと嫌い? そういう意味で好きになれない? 絶対に……無理なの?」
俺は叔父さんに詰め寄った。必死になって叔父さんの着ているシャツを両手でつかむ。
そんな俺の頭を、叔父さんはいつもするように優しく撫でた。
「俺は雅已のことが好きだよ。小さい頃からとても大切に思ってる」
「だったら――」
「でもだめだ」
「どうしてっ?!」
苦い顔をして叔父さんが小さく笑った。
「自分がゲイだと気付いた時、俺は絶望した。それじゃなくても愛人の子で、俺のせいで義母さんにも姉さんにも余計な心労をかけてきた。この上ゲイだと知られて、更に心配をかけるかと思うと、俺はたまらなく苦しくて死にたくなった。絶対に知られたくないと思った」
「だから家を出たんだよね? わざわざ言われなくたって、叔父さんがばあちゃんと母さんを大切に思ってるってことくらい、俺だって知ってるよ。でも今それは関係ないだろう!」
「関係あるに決まってる。雅已は姉さんの大切な息子で、義母さんのかわいい孫だ。おまえが不幸になると二人が悲しむ。俺は俺のせいでおまえの人生が狂うのは嫌だし、そんなおまえを心配して悲しむ義母さんと姉さんを見たくはない」
辛い。
苦しい。
胸が張り裂けそうだ。
「……でも、それでも俺には叔父さんだけだ……」
「考え直せ。男同士ってだけでも問題なのに、叔父と甥だと禁忌の関係にもなる。……ダメだ、やっぱりどう考えても無理だ。俺にはおまえの気持ちを受け入れることはできない」
「だったら!」
最後にこれだけは聞かせて欲しいと叔父さんに質問した。
「もし俺と叔父さんが完全に赤の他人同士だったら、母さんとかばあちゃんとか血の繋がりとか、そういったしがらみが一切なかったら、叔父さんは俺との付き合いを考えてくれた? 俺を恋人として好きになってくれる可能性はあったと思う?」
「……その質問には答えられない」
「叔父さんっ!」
「かわいい彼女を作って、普通の幸せを手に入れてくれ。それが俺の望みだ」
いつも雅已の幸せを祈ってるよ、と、そんな言葉を最後に、俺は叔父さんのマンションから出ていくよう命じられた。
玄関を出て、とぼとぼと一人で廊下を歩いていた俺は、力なくその場でしゃがみ込んだ。
フラれた。
高校一年、四月下旬のことだった。
母さんに引き取られた俺の名前は、杉元雅已から上津原雅已に変わった。
両親の仲が冷めきっていることには、かなり前から気付いていた。
顔を合わせても会話することのない父さんと母さん。温か味のない家の中の雰囲気。これで気付かない方がおかしいと思う。
だから離婚が決まった時、悲しいと思うよりは「やっぱりそうなったか」という気持ちのほうが大きかった。
いやもっと正直に言うと、俺は両親の破局を悲しいとも嫌だとも思わなかった。むしろ喜ばしいとさえ思っていたくらいだ。
なぜか。
それは離婚後の俺の引っ越し先が、母さんの実家になると聞いていたからだ。
母さんの実家は、俺が生まれ育った東京から遠く離れた地方都市にある。そこにはじいちゃんとばあちゃんが住んでいて、近所には母さんの弟である叔父さんも住んでいる。
十五才年上の叔父さんの名前は聡という。
俺の初恋の人であり、幼い頃からずっと好きで好きでたまらない大切な人だ。
俺の父さんは不愛想なだけでなく、些細なことですぐに怒鳴る短気で最低な人間だ。そんな人との暮らしより、大好きな叔父さんの近くで暮らせることの方が、俺にはよっぽど価値があることだった。
離婚が成立すれば、今までよりも頻繁に叔父さんと会えるようになる。それが嬉しくて、俺は両親の離婚を喜んだのだった。
俺は物心ついて叔父さんの存在を認識した瞬間から、ずっと叔父さんに恋してる。
大きな体は頼りがいがあって安心できるし、見かけは男らしくて凛々しい系のイケメンなのに、実は穏やかで優しい性格をしていて、人付き合いがあまり得意ではない内向的な人だ。
どこもかしこも好ましい。叫びたいくらい大好きだ。
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大きな手で頭を撫でてもらえると、嬉しくて顔がにこにこになった。
今も昔も変わらずに、どんなにくだらないおしゃべりだって面倒臭がらずに最後まで聞いてくれる。
そんな叔父さんのすべてが俺は大好きで、その想いは日に日に大きくなっていくばかりだった。
くしくも世の中はLGBTについての話題が豊富で、俺は自分の性癖が一般的に言われるところの普通ではないことに、早い段階から気付いていた。
なにせ初恋の相手が叔父さんなんだから、嫌でも気づくというものだ。
とはいえ俺が同性愛者なのかというと、それは分からない。
もしかしたら両性愛者かもしれない。好きになったのは叔父さんだけで、他の人を好きになったことがないから確かめようがない。
ただなんとなく、ゲイよりのバイじゃないかとは思っている。女という人種にまったく魅力を感じないかというと、そんなこともないからだ。
クラスで人気の女子を見て「かわいい子だな」と思うことも普通にある。
いずれにしても、俺が同性を好きになれるタイプであることは間違いない。そして、そのことを悲観したことは一度もなかった。
俺は叔父さんのことが好きで、それは俺が男を恋愛対象にできるからだ。そう思うと、その他一般とは違う自分の性嗜好さえも大切なものに感じられたくらいだ。
ちなみに、叔父さんの職業は小説家だ。
大学生の時にデビューして以来、それなりに売れる作品を作り続けている人気作家らしい。でもペンネームを教えてくれないから、俺は叔父さんの書いた本を読んだことがない。
小説家である叔父さんは、一人暮らししているマンションを仕事場としても使っている。
叔父さんが祖父母の家を出て自立したのは、大学卒業と同時だったらしい。
職業柄、家を出る必要もないのに叔父さんが一人暮らしを始めた理由は複雑で、そこには叔父さんの出生が大きく関わっている。
実は叔父さんはばあちゃんが産んだ子供ではない。じいちゃんが愛人に産ませた子供だ。
母さんから聞いた話によると、十才の時に生みの母親が死んでから、叔父さんは父親――俺のじいちゃん――に引き取られることになったという。
ちなみにその時の俺の母さんの年齢は二十三才。年の離れた弟が急にできて、かなり驚いたそうだ
「聡は昔から賢かったから、幼いながらも自分の立場を分かっていたんだと思うわ。いつも物静かで遠慮がちで控えめで。欲しい物をやっと口に出すようになったのは、一緒に暮らすようになって二年も過ぎてからだったものね」
母さんの言葉に、ばあちゃんがウンウンと頷いた。
「そうそう。あの時は本当に嬉しくてねぇ。初めてお義母さんって呼んでくれた時は、わたし、嬉しくて泣いちゃったもの」
「今ではあんなに大きくなったけど、来たばかりの聡は背も小さかったし、顔もめちゃくちゃ可愛くて。つい猫っ可愛がりしちゃったわよ。わたし一人っ子だったから、ちっちゃい弟ができたのが嬉しかったのよね。あー、懐かしいわー」
「ふふ、ホント、そうだったわねぇ」
母さんの実家はかなりの金持ちで、昔なら地主と言われた土地持ちだ。住んでる家もかなり大きい伝統的な日本家屋だ。庭には鯉も泳いでる。
じいちゃんは過去には市長を務めたことのある政治家で、なにを勘違いしているのか「女遊びは男の甲斐性」なんて古くて馬鹿っぽい価値観を未だに持っている。愛人問題を頻繁に起こしては、ばあちゃんに苦労をかけていたらしい。
そんなじいちゃんのことを、身勝手で不誠実な最低人間だとして、叔父さんはものすごく嫌っている。でも、ばあちゃんや母さんとは仲良がいい。
俺の目から見ても普通の家族にしか見えないくらい三人の仲は良好だ。
「大学卒業と同時に家を出たのは、きっともうお父さんの世話になりたくなかったからよ。それに口には出さないけど、自分が愛人の子だってことを今も後ろめたく思ってるみたいだし。そんなの気にしなくてもいいのにね、聡はなにも悪くないんだから」
「でも、あなたと雅くんがこの家で暮らすようになってから、聡は以前よりも頻繁にここに顔を出してくれるようになったわ。わたし、それが嬉しいの」
心底嬉しそうなばあちゃんに、母さんが苦笑しながら言う。
「あ、それってわたしが聡に言ったからだわ。男親がいなくなった甥っ子に、男ってもんを教えてやってくれってね。これから先、母親には相談しにくい悩みも出てくるだろうし、同性としてちゃんと話を聞いてやってよ、って聡に頼んだの」
「あらまあ、そうだったの?」
「昔から聡は雅已のことをかわいがってたから、いいかなって思って。頼んだ時だって気乗りしないフリはしてたけど、ちょっと嬉しそうだったもの。実際、よく面倒見てくれてるしね」
母さんとばあちゃんの会話を聞きながら、俺は喜びに胸を高鳴らせた。
そうか、やっぱり叔父さんって俺のことをかわいがってくれてたんだ! 俺の思い込みじゃなかったんだ!! 実はそうじゃないかなとは思ってた。だって、叔父さんは俺にすごく優しくしてくれるから。
大喜びした俺は、ますます叔父さんのことが好きになって、今まで以上に甘えるようになった。
そんな俺を、叔父さんも嫌がることなくかわいがってくれる。
想いを秘めたままにできなくなった俺は、ついに叔父さんに告白する決意をした。小学六年の夏休みのことだ。
夜、近所にある蛍の名所まで二人で歩いて出かけた時、暗闇の中を幻想的に舞い踊る蛍の光に囲まれる中、俺は勇気を出して告白した。
「叔父さん、俺、叔父さんのことが好きだ」
「そうか、ありがとな。俺も雅已が好きだよ」
「本当に本当に大好きなんだ!」
「ああ、俺も同じだよ」
叔父さんは嬉しそうに俺の頭を撫でてくれた。
完全に子ども扱いで、告白もまったく本気にしてもらえていない。
フラれたわけじゃないけれど、完全に俺の敗北だった。
それでも俺は挫けずに、その後も叔父さんに告白をし続けた。
毎回本気にしてもらえず、まさに暖簾に腕押し、だ。
がっくりしながらも、その後も俺は機会を見つけては気持ちを叔父さんに伝え続けた。
そうこうする内に俺は中学生になった。
背も伸びたし、体つきも少しずつ男らしくなっていく。
俺の容姿は母さん似で小柄だけど、それなりに整ったアイドルっぽい顔をしている。
おかげで学校ではよくモテた。告白されることも珍しくない。
もちろん俺は叔父さん一筋だから、告白はすべてお断りしている。
俺は告白されるたび、叔父さんに逐一報告した。嫉妬してもらいたいからだ。
けれど叔父さんが嫉妬してくれることはない。ただ、すごいな、よかったな、さすがは雅已だなと、大きな手で俺の頭を撫でるばかりだ。
はぁ、つれないなぁ。相手にしてもらえないのは本当に辛い。
でも、それでも叔父さんを嫌いになれない。むしろ想いが募って増々好きになっていく。
恋ってままならないものだなぁと、俺はしみじみ思った。
ところで。
俺は最近、ある疑いを持っている。
その疑いとは、実は叔父さんは同性愛者なんじゃないか、ってことだ。
叔父さんは至って普通の人に見える。でも自分がバイなせいか、俺にはなんとなく分かるんだ。
雰囲気というか、女を見る時の視線にまったく色を感じない不自然さというか、男を見た後に慌てて視線を反らす仕草とか……うーん、言葉では上手く説明できないけど、でも、俺は叔父さんをゲイじゃないかって思ってる。
もしかすると叔父さんが早々に実家を出て一人暮らしするようになったのは、じいちゃんのことを嫌っているからとか、愛人の子だっていう遠慮や後ろめたさからだけじゃなく、ばあちゃんたちに自分の性嗜好がバレないようにするためだったのかもしれない。
そんなことを俺は思った。
高校生になってすぐ、俺はあらためて叔父さんに告白した。これまでの子供っぽい感じのものとは違い、真剣な顔をしての本気な告白だ。
場所は叔父さんの住むマンション。日曜日に遊びに行った時に決行した。
「叔父さん、俺、叔父さんが好きだ」
「ああ、俺も好――」
「そういうのはもういいよ。俺の好きはさ、親戚のおにいさんに向ける親愛のものとは違うんだよ。恋愛っていう意味で俺は叔父さんが好きなんだ」
「……」
「これまでずっと上手くかわされてきたけど、叔父さんも本当は分かってるんじゃない? 俺が本気で叔父さんを好きだって」
黙り込んでいた叔父さんが、やがて大きなため息をついた。かなり難しい顔をしている。
それを見て、俺の心が折れそうになった。
けれど腹に力を入れて踏ん張ると、負けるもんかと叔父さんの顔を見つめ続けた。
「……本気なのか?」
「うん」
「女の子は好きになれないのか? 告白されるたび、俺によく自慢してるじゃないか」
「好きになれるよ。でも、告白は全部断ってる。だって、俺が好きなのは叔父さんだけだから」
「そうか……」
叔父さんがまた黙り込む。
なにを考えているのか、その顔はかなり険しい。
俺の告白を聞いてそんな顔をしているのだと思うと、胸が痛くて苦しくなる。
それでも、ここまできたらもう後には引けない。返事をもらわないことにはどうにもならない。
そう思って待ち続けていると、やがて叔父さんが口を開いた。
「女の子を好きになれるなら、女の子と付き合った方がいい」
「無理だよ。俺は叔父さんが好きなんだ。他の人なんて好きになれないよ」
「なれるさ。かわいい彼女ができれば、俺のことなんてすぐに忘れられる」
「嫌だ。好きでもない彼女なんか欲しくない。俺は大好きな叔父さんの恋人になりたいんだ」
「……あのな、雅已、今まで言ったことはなかったけど、俺はゲイなんだ。男しか好きになれない」
そう言った叔父さんの顔は、とても悲しそうだ。
「世の中が変わってきて、最近は俺みたいなLGBTと呼ばれる人種への偏見もかなり減った。でも、なくなったわけじゃない。嫌な思いをすることは多いし、世間からの風当たりもまだまだ強い。雅已には俺みたいな嫌な思いをして欲しくない。女を好きになれるなら、普通に女と付き合って結婚して、家庭を持つ方が絶対に幸せになれるんだから」
「叔父さんの言いたいことは分かる。俺のために言ってくれてるんだってことも理解してる。でも、それを理由に諦めろなんて言われても、俺には納得できないよ。叔父さんは俺のこと嫌い? そういう意味で好きになれない? 絶対に……無理なの?」
俺は叔父さんに詰め寄った。必死になって叔父さんの着ているシャツを両手でつかむ。
そんな俺の頭を、叔父さんはいつもするように優しく撫でた。
「俺は雅已のことが好きだよ。小さい頃からとても大切に思ってる」
「だったら――」
「でもだめだ」
「どうしてっ?!」
苦い顔をして叔父さんが小さく笑った。
「自分がゲイだと気付いた時、俺は絶望した。それじゃなくても愛人の子で、俺のせいで義母さんにも姉さんにも余計な心労をかけてきた。この上ゲイだと知られて、更に心配をかけるかと思うと、俺はたまらなく苦しくて死にたくなった。絶対に知られたくないと思った」
「だから家を出たんだよね? わざわざ言われなくたって、叔父さんがばあちゃんと母さんを大切に思ってるってことくらい、俺だって知ってるよ。でも今それは関係ないだろう!」
「関係あるに決まってる。雅已は姉さんの大切な息子で、義母さんのかわいい孫だ。おまえが不幸になると二人が悲しむ。俺は俺のせいでおまえの人生が狂うのは嫌だし、そんなおまえを心配して悲しむ義母さんと姉さんを見たくはない」
辛い。
苦しい。
胸が張り裂けそうだ。
「……でも、それでも俺には叔父さんだけだ……」
「考え直せ。男同士ってだけでも問題なのに、叔父と甥だと禁忌の関係にもなる。……ダメだ、やっぱりどう考えても無理だ。俺にはおまえの気持ちを受け入れることはできない」
「だったら!」
最後にこれだけは聞かせて欲しいと叔父さんに質問した。
「もし俺と叔父さんが完全に赤の他人同士だったら、母さんとかばあちゃんとか血の繋がりとか、そういったしがらみが一切なかったら、叔父さんは俺との付き合いを考えてくれた? 俺を恋人として好きになってくれる可能性はあったと思う?」
「……その質問には答えられない」
「叔父さんっ!」
「かわいい彼女を作って、普通の幸せを手に入れてくれ。それが俺の望みだ」
いつも雅已の幸せを祈ってるよ、と、そんな言葉を最後に、俺は叔父さんのマンションから出ていくよう命じられた。
玄関を出て、とぼとぼと一人で廊下を歩いていた俺は、力なくその場でしゃがみ込んだ。
フラれた。
高校一年、四月下旬のことだった。
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