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⑧口付けは好きな人と

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 細く見えても農園で毎日働いている身体だ。翔馬は成人男性である飛丞を軽々と抱いて運び、ベッドに乱暴に投げ出した。

「わっ!」

 吃驚して引っ繰り返ったままの飛丞に乗り上げ、素早く両手を頭の上で纏めてベッドに縛り付けた。

「おい、翔馬! 何考えてる、冗談も大概にしろよ!」
「サンジさんなら構わない。どうせ報われないんだ。でも他の誰かだと? そんなの許す訳がないだろう?」

 飛丞の抗議の声などまるで耳に入った様子が無く、真っ黒い瞳で言った翔馬にゾッとする。

「何、言って……」
「煩い。他の奴になんて渡さない」
「しょーまっ!」

 混乱して叫ぶ飛丞のシャツを翔馬が力尽くで開いた。バラバラと勢いよく弾け飛んだボタンが顔に当たり、飛丞は咄嗟に目を瞑った。

「俺が、これまでどのくらい手加減してたか、知らないだろう?」
「手加減?」

 それは初めての時もその後も彼にしては優しいやりようだと思ったが……手加減? まさか。

「覚悟しなよ。泣いて嫌がっても、怖がっても逃がしてやらない。お前が誰のものだか徹底的に分からせてやる」

 目を光らせて獲物を見る視線を向けられて、飛丞は膝を突き上げた。

「はっ! やりたきゃやれよ。だけど何をしたって俺はお前のものになんてならない」

 どれ程酷く抱かれようと、快楽に溺れようと、痛みに泣こうとも、そんなものは単なる身体の反応でしかない。寧ろサンジがそんな目に遭わなくて良かったと、ホッとして胸を撫で下ろすさ。
 せせら笑うような表情で見上げてくる飛丞に翔馬は嘆息を吐いた。

「分かってないな」
「…………何が」

 飛丞がムッとした顔を晒したら、翔馬はほろ苦く笑った。

「どれだけ長い付き合いだと思ってる。お前がどうしたら崩れるか、俺には手に取るように分かるよ」
「しょ……ま」

 飛丞は嫌な予感に震えた。こいつは何をするつもりだ? 大体自分はサンジの身代わりでは無かったのか。俺を突き崩してどうしようってんだ。
 不安気な表情をする飛丞の頬に掌を当て、翔馬は顔を近付けて唇に触れた。


 な…………にを。やだ、止めろ。
 飛丞は焦って首を横に振り、身を捩って暴れたががっちりと顔を押さえ付けられていて唇が離れない。
 ならばと噛んでやったが口の中いっぱいに舌が入っている為に大して力が入らない。それに幾ら暴れようが噛もうが引っ掻こうが、翔馬は一向に苦にした様子が無い。

「ふ…………やっ、ぁ……や、め…………」

 くちゅくちゅと水音が鳴る合間に声を押し出すが嬌声にしか聞こえない。
 飛丞は混乱して目に涙を滲ませた。それを見て翔馬の胸が甘く疼く。

 ああ、やっぱり可愛いな。昔から可愛いと思っていた。
 可愛くて、この子にだけは手を出してはいけないと思っていたんだ。

「キスは好きな人としかしないって、少女趣味過ぎんだよ」

 翔馬が詰るように呟き、飛丞はいつの話をしているのだと不鮮明な声で抗議した。

「今だってそうだろう? だからあんなに嫌がった――」
「好きになったらマズイんだろうっ!」

 飛丞が翔馬の言葉を強く遮った。
 翔馬は先を促すように飛丞の顔をじっと見詰めている。
 飛丞は翔馬から顔を背けて視線を避けながら言い募った。

「サンジさんへの想いをお前が消したから、俺は空っぽで、でもお前は…………。身代わりは身体だけだから、想いまで注がれてる訳じゃないから、勘違いしないように、キスしないのも気持ちがないからで…………」

 支離滅裂な言葉の羅列が唐突に途絶えた。
 飛丞は唇を噛み締めて込み上げた激情に耐えている。
 なんでキスなんてしたんだよ。折角我慢してたのに、好きになっちゃうだろう。悪かったな少女趣味で。単純で。馬鹿野郎、こんなろくでもない野郎に惚れたって仕方ないじゃん。

「もう、いいだろ…………やりたければやっていいから、これは解いて――」
「駄目」
「しょうまっ!」

 悲鳴のような声で名前を呼んだ飛丞に翔馬は再び口付ける。頭を抱え込んで深く深く唇を割り開き、飛丞の舌を絡め取っていやらしく擦り合わせる。

「ん……ふ、ぅ…………」

 息苦しくて飛丞の頭がぼーっとしてくる。それでも翔馬は執拗な口付けを止める気配がない。

 くち……チチチ……と濡れた音を立てながらいつまでもいつまでも口腔内を愛撫し続ける。
 もういい加減にしてくれ、頭がおかしくなりそうだと飛丞は思った
 舌先を悪戯に触れ合わされて、ぬるぬると擦り合わされて甘ったるく喘ぐ。
 熱心な口付けとは対照的に手が優しく項を撫で上げ、身体の線を確認するようにじっくりと這い辿る。
 脚の内側を柔らかく撫でられ、全身を抱き締められる。まるで愛されていると錯覚するような優しくじれったい愛撫と、激しく自分を吸い尽くすような口付け。
 本当にもう勘弁してくれ、と飛丞は霞む目で必死に翔馬を見詰めた。

「しょうま!」

 縋るように叫んだら、翔馬は目を細めて飛丞の顎先に口付けた。そしてこんな場面には不似合いに無邪気に笑った。

「可愛い。お前は昔っから、変わらず可愛い」

 それを聴いて飛丞がボロボロボロッと涙を零した。

「うそ…………だ」

 そんなの絶対に嘘だと言う飛丞の言葉を否定もせず、翔馬は飛丞の結ばれた唇に舌を差し込みまた好きなように弄り出す。
 ずっと口内を探られて、飛丞はもうキスだけでイッてしまいそうだと恨みがましく翔馬を睨んだ。

「おまけに随分と色っぽくなった。今のお前ならその目だけで俺を誘えるよ」

 吐息で甘やかすように睦言を言う男に飛丞は目を閉じて言った。

「なんで、そんな――」

 本当に一体何のつもりだ。手加減なしに抱くとは、自分を堕とすという意味だったか。勘違いさせて、気持ちを向けさせて、それでどうしようってんだ。

「また…………捨てる気、か」

 ぽつりと言われた言葉に翔馬が優しく言う。

「捨てて無いだろう?」
「だって、あんな遠くに一人で、俺を置いて行って――」
「それでも、ずっとお前だけを想っていた。離れていても、いつもお前を想ってる」
「うそだ――」
「嘘じゃない。分かるだろう? いい加減、目を逸らすなよ。子供の頃からずっと、形を変えて想ってきた。弟のように、親友のように、共犯者のように、敵のように。どんな時も、俺にはお前しか目に入ってなかったよ」
「うそ……だぁ」

 頑なに否定しながら、けれど飛丞にも分かっていた。どんな時でも翔馬は自分を見詰めていた。自分の目が他の人を――サンジを追い掛けても、無理矢理に振り向かせた。そしてとうとう正面から見詰めてきた。

「なんの、つもり……だよ」

 静かに泣く飛丞に、翔馬はらしくもなく懇願するような口調で言った。

「俺を、好きになって。お前の傍にいられない俺を、好きになってくれ」
「…………酷い、奴」

 ずっと傍にいる、帰ってくるって言うなら兎も角なんだよその台詞は。酷過ぎて笑えてくるな。

「そんなの冗談じゃない。冗談じゃないけど――どうやら、手遅れらしい」

 本当に最悪。そう囁きつつ飛丞は頤を上げて自分から翔馬に口付けた。
 触れるだけのそれを翔馬は愛の告白と受け止めた。
『キスは好きな人としかしない』
 昔、彼自身から何度も聞かされた台詞だった。


 もういいだろういい加減拘束を解いてくれと言った飛丞に、翔馬は首を横に振った。

「しょうまっ!」
「嫌だよ、やりたい事は沢山ある」
「やりたい事って何だよ、これまで散々好き勝手してきただろうがっ!」

 怒鳴りつつ、ああそうだよこいつはそういう奴だよと飛丞は既に半分くらい諦めている。
 優しさもこいつの一部だが、そうじゃない部分の方が大半だとちゃんと分かっている。何せ付き合いは長いのだ。

「だって口でイカせて飲んだり、俺を飲み込んでる部分をじっくり見たり、足の指を一本一本舐らせたりしてくれないだろう?」

 意外と恥ずかしがり屋だから、とぺろっと言って来た相手を目で射殺す勢いで睨む。
 そんなの恥ずかしがり屋とかそういうレベルじゃない。普通の神経をしている奴は嫌がるんだよ。

「それに内腿にキスマークとか、絶対に嫌がると思って避けてやってたんだぜ?」

 避けてやってた? こいつは何様だ。
 飛丞は翔馬を盛大に罵ろうと口を開きかけ、そして思い直して言い換えた。

「…………俺も、お願いがあるんだけど」
「何?」

 何でも言って、と期待に目を輝かせる翔馬に、飛丞は小さな声で告げた。

「お前に、抱き付かせてくれ。その、俺みたいなでっかい男が最中に縋り付くのとか鬱陶しいかもしれないけど、お前が挿ってくる瞬間はいつもちょっとだけ身が竦んで不安で――」
 早口に言い訳を並べ立てる飛丞を翔馬がぎゅっと抱き締めた。そして直ぐに腕を解放する。

「ごめん」

 短く謝った翔馬に飛丞も短く頷く。

「うん」

 ちゃんと言わなかった自分も悪いのだと反省し、飛丞は翔馬をおずおずと抱き締め返した。
 自分から手を伸ばす事など一度も無く、被害者ぶってそれでいて愉しんだ。
 ちゃんと愉しんで、堪能していた。辛いばかりの関係ではなかった。

「お前に抱かれたい。身代わりなんかじゃなくて、ちゃんと俺自身を抱いて欲しい」
「初めてお前から望んでくれた」

 翔馬は嬉しそうに飛丞の脚を両肩に担いで間に入った。
 そして顔を間近に見下ろしながら慣れた場所を忙しなく弄り始めた。
 自分に触れられて飛丞の目の色が欲望に滲むのも、耐え難く眉を顰める様子も、唇が頼りない風情で震えるのも余すところ無く見詰めた。
 上気した白い頬に頬を寄せ、甘やかな呼吸を吸い取って、熱情を言葉にして耳に吹き込む。

「どうしたい?」
「しょうま…………入ってきて」

 欲しがって啼く飛丞を一息に刺し貫いた。飛丞はそれだけで断末魔の悲鳴を上げてイッてしまった。
 肩に回された腕がぎゅっときつく自分を抱き締めるのを、充足と共に味わいながら翔馬は唇を舐めた。

「もっとだ。もっと俺を欲しがって」

 本当に欲しいものが手に入ったからと言って、そこで満足して手を緩めるような男ではない。翔馬は締め付けと乱れる飛丞の艶やかな姿を堪能しながら、感じ過ぎて辛いと涙を零す飛丞を揺すった。

「ぐちゃぐちゃに乱れるお前が可愛い」
「ふっ……く、ぅ…………んあっ!」

 快楽に正気を失いながらも飛丞は掴んだものを離さない。
 自分に酷い事をする男に縋るしかなく、それでも何も無いよりはマシだ。そんな心境だったのかもしれない。

「しょう、ま…………」

 名を呼んだ飛丞と目が合って、翔馬は目を細めて唇を触れ合わせた。

「飛丞、愛してる」

 囁きに、飛丞は心臓をぎゅっと掴まれながら後ろを締め付けた。
 愛してるなんて、殺し文句もいいところだ。

「俺も」

 囁き返して意識を失った飛丞は、奥に熱いものが拡がるのを感じながら赤面した翔馬なんて珍しいものを見たような気がした。

 ***

「それで、どんな人形をお望みで」

 みぃちゃんは苦虫を噛み潰したような顔で無理矢理発注を取り付けた男に訊ねた。

「それはやっぱり白い脚を露にして、顔は挑発的に笑っていて、でもってチャイナドレスとか着てると嬉しい――」
「却下」

 飛丞が地を這うような低い声で言い、翔馬の襟首を引っ掴んで締め上げた。

「大体お前がサンジさんの人形を作って貰おうだなんて図々しいんだよ!」

 俺が欲しいくらいだ、と噛み付いた飛丞にみぃちゃんがにこりと笑った。

「いいよ。ひーさんの分も作るよ」

 いつも世話になっているお礼だと言ったみぃちゃんに、飛丞は慌てて手を振る。

「いいよぉ 。君に作って貰うのは、本来何ヶ月も待つと聞いたよ。そんな無理は言えないって」
「ううん、ひーさんは特別。だって友達だもん」

 はにかんでほほ笑むみぃちゃんにつられ、飛丞がふわりと笑った。
 最初の頃は表情も固く、笑顔など殆ど見られなかった青年がすっかり可愛くなってしまって。
 淋しいような嬉しいような複雑な気分だ。

「あ、しょーまっ。モデル料は100万円ね」

 真顔で告げたサンジに翔馬が泣き付いた。

「そんな高いズリネタなしだって」
「うわ、最低。ずばり使用用途を口にしたよ」

 ミロがズケズケと言った。
 このお子様、翔馬が怖くないようで言いたい放題をかましてくれる。

「そんなんだったら俺が作ってあげるよ。シュガーコートで出来ていて、解けたら唐辛子が出てくるような奴」
「うわ、マニアック☆」

 ミロの言葉に楽しそうに反論する翔馬は案外と構われたいタイプなのかもしれない。
 本当に良く分からない人だ。こんな人の人形なんて作れるかな。
 みぃちゃんは不安に思った。
 そして一ヵ月後、長期滞在していた翔馬がいよいよ帰る事になり、みぃちゃんは出来上がった人形を彼に渡した。
 翔馬は大ハシャギで箱を開け、中を覗いてから慌ててぱたんと蓋を閉じてしまった。

「翔馬?」

 不審そうに俺にも見せろと言ってくる飛丞に、翔馬はわたわたと挙動不審になって人形を後ろに隠した。

「駄目駄目。これは貰った人の特権だから」

 そう言うと翔馬は何事かみぃちゃんの耳に囁いて、素早く姿を消した。
 不満そうな飛丞に、みぃちゃんは済まなそうに言った。

「ひーさんの分はもう少し待ってね。ちょっと梃子摺ってて」
「ん? あいつのとは違うポーズなの?」
「うん」

 短く頷いたみぃちゃんが、苦心の作を飛丞に渡せたのはそれから更に二ヶ月後だった。

「ちょっと俺が思ってたのとは違う感じに仕上がったんだけど――どうかな?」

 箱を開け、覗き込んだ飛丞は息を呑んだ。
 そこにはまるで自分を見詰めているような、真っ直ぐな瞳をした翔馬がいたのだ。

「みぃちゃん、これ…………」
「彼に渡したのは、コックコート姿のあなたにしたんだ。パンを作るのも、作ったものを誰かが美味しそうに食べるのを見るのも、嬉しそうに見詰めるひーさんの姿にしたんだけど…………あっちはうん、よく出来たんだ」

 すっごく美人さんなんだよと言ったみぃちゃんに、飛丞は何も言えずに赤くなった頬を俯いて隠した。
 てっきりサンジの人形だと思ったのに。あいつが物凄く嬉しそうに、切なそうにずっと見詰めていたから。
 何だよ、俺ってば愛されてるな。
 ちょっと涙ぐんだ飛丞をサンジが後ろからどついた。

「お前らだけ人形を貰っててムカつく! 俺にも寄越しやがれ」
「えー? サンジさんにはあげたじゃない」
「違うよ、俺が愛して止まないあいつのビキビキにいきり立った分身をだな……」
「サンジさん最低! 翔馬さん並みに最低!」

 ミロがぎゃーぎゃーと喚いてサンジを非難した。
 サンジにぽーっと熱を上げた事などすっかり忘れたようだ。
 この子はいいなぁ、とみぃちゃんが可笑しそうにミロを見詰めた。

「俺は、本人がいればいい」

 ぼそりと言った昂大に、みぃちゃんは照れて俯いた。
 そして小声で答えた。

「俺は、昂大の傍を離れないもの」

 離れていても切れない絆もあれば、近くで育み続ける絆もある。
 自分達は後者でいたい、と願ったみぃちゃんの鼻先にコーヒーの香りが漂った。

「しょーまからさ、また新しい豆が届いたんだ。これは一本の木から集めた希少な実だから、この一回きりな」

 そう言って淹れてくれたコーヒーは、まるで恋人同士の逢瀬のように情熱的な味がした。

「サンジさんも、飲めれば良かったのにねー」

 みぃちゃんが人の悪い顔で呟いて、皆が笑った。
 言われたサンジも幸せそうに笑っていた。 
  
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