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④−2 喧嘩に似ている

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 パン屋の朝というものは早い。
 早いというか、深夜から動き出す。
 大抵は三時頃から仕込みを始め、全ての準備を終えた開店前の僅かな時間に仮眠を取って再び働き始める。店を始めた当初は段取りも悪くて本当にろくに寝られなかった。
 今は経営も軌道に乗り、人を雇えるようになったから自由になる時間も増えたしもう少し寝られる。けれど夕方少し寝て、朝方少し寝るという長年かけて出来上がった習慣は既に身体に染み付いてしまった。
 飛丞は今日も六時三十分という普通の勤め人の起き出す時間にベッドに潜り込もうとしたのだが。

「普通、家主の留守中にベッドを使うか? 何て図々しい」

 飛丞は苦々しげに呟いて、ベッドの中央に陣取った男を容赦なく蹴落とした。

「うわたぁっ!?」

 蹴落とされた男――翔馬がおかしな声を上げた。

「あー、ベッドが人肌で温もってて気持ち悪い」

 物凄く嫌そうに言いながら、それでもベッドにするりと身を横たえた飛丞に翔馬が文句を言う。

「客を床で寝かせないでよ」
「お前は客じゃない」
「まあ、歓迎されてないのは知ってるけど」
「だったらもう少し小さくなってろ」
「はいはい、小さく小さく縮こまってるよ」
「おい、入ってくんな!」
「寒いんだよ。俺は熱帯地域から来たばかりだよ? まだ日本の寒さに慣れてないんだから」
「知るか! こら、止めろ! 俺は眠いんだって――」
「寝てていいよ。激しい動きはしないから」
「ふざけるな、本当に止めろって。あぁっ!」
「相変わらず、イイ声だな。その声に惑わされた」
「く…………この、人の所為に……する、な……んあっ!」

 後ろからぴたりとくっついてきた男に胸を弄られ、項を吸われる。それだけで反応する自分が飛丞は信じられない。しかもよりにもよって恋敵と目している男にだ。

「ほら、手、邪魔。あの人の手だと思っていいから、目を瞑って力抜いて」
「ばか…………やろ。あの人は……そんな事、しない」
「分からないじゃん。恋人といる時のあの人を、お前は頑なに見ようとしないし」
「言うな! するなら…………黙って、しろ」
「はいはい、お前も大人しく啼いてろよ」

 くそ、死ね。飛丞はみぃちゃん辺りが聞いたらまるでサンジのようだと吃驚するような口の悪さで吐き捨てた。
 翔馬は密やかに笑って自由になった手を本格的に動かし始める。
 白く肌理の細かい肌は手に吸い付くようで、相変わらず極上の身体だと飢えて乾いた感情で思う。
 温かく良い匂いのする肌をじっくりと堪能し、彼の弱い部分を刺激しつつそっと滑り込むように背後から中に入った。

「くっ……ぅ、ぅ…………」

 その瞬間だけは堪え切れなかった声が早朝の冷えた空気を切り裂いた。
 激しい動きはしない、と言った通り翔馬は腰を押し付けて回しじわじわと刺激してくる。

「それ…………やだ」
「やだ? でもダラダラになってるけど」

 ほら、と前を扱かれて飛丞は後ろをキュウキュウと引き絞った。
 別にゲイではないので慣れていないし、そもそも男は翔馬しか知らない。けれどこれまでしたどのセックスよりも気持ちが良いのは、この男が上手いからなのか嫌悪がスパイスとして効いているからなのか。

「も……イカ、せろ……」
「了解」

 翔馬は短く答えて奥を小刻みに突いた。それと同時に前をおざなりに擦る。
 後ろは丁寧に、前は乱暴なくらい雑に。それが彼のお好みだ。
 必死に声を我慢して指を噛む飛丞がイク瞬間に、翔馬は肩を強く噛んだ。

「んぁあっ!」

 すすり泣くようなその声が、ずっと聴きたかった。

「決してあの人の身代わりではない、と言ってもお前には何の意味もないんだろうけどな」

 すぅすぅとやけに健やかな寝息を立てて眠る男の頭に向かって囁く。


 あの日、三人で飲んでいてそれぞれに適量を飲み過ごした。
 特にサンジは泥酔してしまい、べろべろに酔っ払って正体不明になった。
 いい加減に翔馬も酔っていたので、つい魔が差して手を出そうとした。
 それを飛丞が悲壮な顔付きで止めた。

「俺が身代わりになるからこの人には手を出すな」

 いつもならそんなの冗談じゃない願い下げだと却下するところだが、何度も言うようだが酔っ払っていた。やれるなら癇に障る事の多い男でもまあいいかと引き寄せた。
 四つん這いにさせて下衣を剥いで、クリームをたっぷりと付けた指で慣らしたら相手は蒼白な顔のまま唇を噛み締めて耐えた。それが気をそそる風情だったのでわざとじっくりと時間を掛けた。
 そうしたら頑ななままの彼の後ろは熱く蕩けて、赤い唇からは艶やかな声を漏らし始めた。
 聴いた事のない彼の声が余りに良くて、啼かせる事に夢中になった。

「もう、どうにか…………しろ」

 その言葉が自分に降参したように聞こえ、酷く興奮しながらじりじりと後ろを犯した。

「ん、ぁああああああっ!」

 すすり泣くような声が胸を甘く、痛く噛んで、ああしまったと思った。
 しまった、この声を聴くんじゃなかったと。


 あの時も、その後も、正面から抱く事は出来なかった。
 唇を合わせる訳にはいかなかったし、向かい合うには憚りのある相手だ。

「本当に、どうして手を出してしまったかな」

 そしてどうして未だに抱き続けるのか。
 その答えは翔馬本人にもわからない。
 ただ麻薬のようなそれをどうしても断ち切る事が出来ずに、普段は物理的な距離に隔てられている事を感謝するばかりだ。

「いっそ手加減なしに、本気で抱いてしまったら――」

 キュッ、と身体に回した腕に力を籠める。そして直ぐに解放する。

「洒落に、ならないよなぁ…………」

 出ない答えは出したくない答えでもある。
 恋敵で喧嘩友達。そのポジションのままこうして時々身体を交わす。それだけでいい。それが一番良いんだ。
 翔馬は一向に眠りの訪れないまま目を閉じる。
 嵌り込んだ迷路は、複雑過ぎて出口が見えない。

「入口にも、戻れないしな」

 行くも戻るもままならない。大人になってまで不自由な事だ。
 翔馬は目を開き、残してしまった肩の噛み跡を見詰めて時間が過ぎるのを待った。  
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