20 / 58
⑧過去が追い掛けてくる−2
しおりを挟む
信乃の正体には三津弥も驚いているがそれどころではない。
あれ程に取り乱した彼は初めて見た。どうにも危うい。
(さて、友としてはここで慶太郎を呼んでやりたいが……。冷静に考えて、事情を知っていると思われる蓮治さんを呼ぶべきだよな。慶太郎、許せよ)
三津弥は後で恨まれる事になっても仕方がない、と思いつつ蓮治に使いを出した。
手紙を書いている暇は無かったので口頭でこう告げて貰った。
『信乃さんが壊れてしまいそうです』と。
蓮治は勿論、直ぐに駆け付けてきた。
「信乃、何があった!?」
羽織りの紐もひん曲がったまま、珍しく慌てた様子の蓮治を見て、三津弥の胸がチクチクと痛んだ。
(信乃さんは彼を煙たがっていたから余り気にしていなかったけれど……蓮治さんには、信乃さんが特別なんだな)
しかし三津弥の嫉妬じみた感傷とは裏腹に、信乃は死人でも見るような昏い眼差しで蓮治を見た。
「あの中棗の存在を、知る人間がいた」
「……そうか」
「あれはやはり光明の最高傑作と呼ばれていたよ。光明の、師匠の名を冠して――畜生、先生が知ったらどう思う!」
泣きそうな信乃の言葉に蓮治がそっと肩を抱いて揺すった。
「信乃、落ち着け。その話は家に帰ってからしよう」
他の人間に聞かれたくないだろう、と言外に言っているのを見て三津弥の心に罅が入る。
自分が初めて知った信乃の過去を、きっと蓮治はずっと知っていた。それどころかもっと詳しい事情も知っていて、彼の力になれるのだ。
(どうして? 二人は本当にただの昔馴染み? 秘密を共有して、他に知られないように余人を締め出して)
まるで一生離れる事は出来ない片割れのようじゃないか、と三津弥は思う。
「いや、お前を巻き込む気はないんだ。俺の事は放って置いてくれ」
「そんな訳に行くか! この間も言ったけれど、わたしは君の関係者だよ。排除しようとするのは止めてくれ」
「蓮治……」
信乃は一体にどうしたらいいのかと思う。
あの文箱は欲しいが、中棗を世に出すなど絶対に出来ない。それだけは出来ない。
ならば諦めるしかないのか。
信乃は蓮治に先ほどの出来事を話した。そしてどうしてもあの文箱が欲しいのだと言った。
「信乃、方法はあるよ」
蓮治の言葉に信乃は弾かれたように彼を真っ直ぐに見詰めた。
そのキラキラと光る瞳から蓮治は目が離せなくなる。
「どうすればいい?」
「君が、あの中棗を超えるものを作ればいい。そうして自分の名前を冠して文箱と交換させればいいんだ」
蓮治の言葉に信乃は黙り込んだ。
(あの中棗を超えるもの。それを俺に作れだって?)
「無理だ。あれは誰にも超えられない」
あれは最高傑作なのだ。
すっかり錆び付いた今の信乃の腕前じゃ、とても超えるものなど作れっこない。
諦めたようにうなだれた信乃の両肩を掴み、蓮治はゆっくりと力強く言った。
「君には超えられる。何故ならばあれを作ったのは昔の君で、今の君はまだ生きているからだ」
光明は弟子の作品に打ちのめされ、失意のうちに不幸な事故で世を去った。
あのまま生きていたら、もしかしたら再び意欲を取り戻してあれを超える作品を作れたのかもしれない。
だが死んでしまってはもうどうする事も出来ない。
何をどうしたって死人に生者は超えられないのだ。
でも生きている人間には常に可能性がある。
一歩でも前に進もうという意思さえあれば、いつだって道は開けている。
「光明の名で世に出た中棗を、君の名前で超えるんだ。それが今の君のすべき事だろう?」
あれは違う、あれは間違いだったと繰り返すよりも証明して見せろ。腕で黙らせろ。
そう発破をかけられたって、今の意気地のない信乃には簡単には応えられない。
「やっぱり無理だよ。俺はもう漆器は作らないと決めたんだ」
「なら諦めるのか? 諦めてあの出来事に拘る事を止めて、自分の名前で仕事をするか?」
「だからしないって!」
「駄目だよ。君は信乃だ。光明の最後の弟子で、彼を超えた人物だ」
「違う! 師匠を超えてなんか――」
「信乃。もう光明を自由にしてやれ。彼をきちんと負かしてやれ」
蓮治の言葉に信乃の身体がガタガタと震えた。そして大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
(師匠に囚われたフリで、師匠を捕えていたのは自分の方だった。師匠の名声を守っているつもりで、本当は貶めていたのかもしれない。師匠を俺からきちんと切り離す為に、師匠の名声は名声として守る為に、彼以上の仕事をして見せる。この手で、俺の名で)
「棗を作るよ」
信乃は静かな決意と共にそう口にしていた。
あれ程に取り乱した彼は初めて見た。どうにも危うい。
(さて、友としてはここで慶太郎を呼んでやりたいが……。冷静に考えて、事情を知っていると思われる蓮治さんを呼ぶべきだよな。慶太郎、許せよ)
三津弥は後で恨まれる事になっても仕方がない、と思いつつ蓮治に使いを出した。
手紙を書いている暇は無かったので口頭でこう告げて貰った。
『信乃さんが壊れてしまいそうです』と。
蓮治は勿論、直ぐに駆け付けてきた。
「信乃、何があった!?」
羽織りの紐もひん曲がったまま、珍しく慌てた様子の蓮治を見て、三津弥の胸がチクチクと痛んだ。
(信乃さんは彼を煙たがっていたから余り気にしていなかったけれど……蓮治さんには、信乃さんが特別なんだな)
しかし三津弥の嫉妬じみた感傷とは裏腹に、信乃は死人でも見るような昏い眼差しで蓮治を見た。
「あの中棗の存在を、知る人間がいた」
「……そうか」
「あれはやはり光明の最高傑作と呼ばれていたよ。光明の、師匠の名を冠して――畜生、先生が知ったらどう思う!」
泣きそうな信乃の言葉に蓮治がそっと肩を抱いて揺すった。
「信乃、落ち着け。その話は家に帰ってからしよう」
他の人間に聞かれたくないだろう、と言外に言っているのを見て三津弥の心に罅が入る。
自分が初めて知った信乃の過去を、きっと蓮治はずっと知っていた。それどころかもっと詳しい事情も知っていて、彼の力になれるのだ。
(どうして? 二人は本当にただの昔馴染み? 秘密を共有して、他に知られないように余人を締め出して)
まるで一生離れる事は出来ない片割れのようじゃないか、と三津弥は思う。
「いや、お前を巻き込む気はないんだ。俺の事は放って置いてくれ」
「そんな訳に行くか! この間も言ったけれど、わたしは君の関係者だよ。排除しようとするのは止めてくれ」
「蓮治……」
信乃は一体にどうしたらいいのかと思う。
あの文箱は欲しいが、中棗を世に出すなど絶対に出来ない。それだけは出来ない。
ならば諦めるしかないのか。
信乃は蓮治に先ほどの出来事を話した。そしてどうしてもあの文箱が欲しいのだと言った。
「信乃、方法はあるよ」
蓮治の言葉に信乃は弾かれたように彼を真っ直ぐに見詰めた。
そのキラキラと光る瞳から蓮治は目が離せなくなる。
「どうすればいい?」
「君が、あの中棗を超えるものを作ればいい。そうして自分の名前を冠して文箱と交換させればいいんだ」
蓮治の言葉に信乃は黙り込んだ。
(あの中棗を超えるもの。それを俺に作れだって?)
「無理だ。あれは誰にも超えられない」
あれは最高傑作なのだ。
すっかり錆び付いた今の信乃の腕前じゃ、とても超えるものなど作れっこない。
諦めたようにうなだれた信乃の両肩を掴み、蓮治はゆっくりと力強く言った。
「君には超えられる。何故ならばあれを作ったのは昔の君で、今の君はまだ生きているからだ」
光明は弟子の作品に打ちのめされ、失意のうちに不幸な事故で世を去った。
あのまま生きていたら、もしかしたら再び意欲を取り戻してあれを超える作品を作れたのかもしれない。
だが死んでしまってはもうどうする事も出来ない。
何をどうしたって死人に生者は超えられないのだ。
でも生きている人間には常に可能性がある。
一歩でも前に進もうという意思さえあれば、いつだって道は開けている。
「光明の名で世に出た中棗を、君の名前で超えるんだ。それが今の君のすべき事だろう?」
あれは違う、あれは間違いだったと繰り返すよりも証明して見せろ。腕で黙らせろ。
そう発破をかけられたって、今の意気地のない信乃には簡単には応えられない。
「やっぱり無理だよ。俺はもう漆器は作らないと決めたんだ」
「なら諦めるのか? 諦めてあの出来事に拘る事を止めて、自分の名前で仕事をするか?」
「だからしないって!」
「駄目だよ。君は信乃だ。光明の最後の弟子で、彼を超えた人物だ」
「違う! 師匠を超えてなんか――」
「信乃。もう光明を自由にしてやれ。彼をきちんと負かしてやれ」
蓮治の言葉に信乃の身体がガタガタと震えた。そして大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
(師匠に囚われたフリで、師匠を捕えていたのは自分の方だった。師匠の名声を守っているつもりで、本当は貶めていたのかもしれない。師匠を俺からきちんと切り離す為に、師匠の名声は名声として守る為に、彼以上の仕事をして見せる。この手で、俺の名で)
「棗を作るよ」
信乃は静かな決意と共にそう口にしていた。
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
公開凌辱される話まとめ
たみしげ
BL
BLすけべ小説です。
・性奴隷を飼う街
元敵兵を性奴隷として飼っている街の話です。
・玩具でアナルを焦らされる話
猫じゃらし型の玩具を開発済アナルに挿れられて啼かされる話です。
潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話
あかさたな!
BL
潜入捜査官のユウジは
マフィアのボスの愛人まで潜入していた。
だがある日、それがボスにバレて、
執着監禁されちゃって、
幸せになっちゃう話
少し歪んだ愛だが、ルカという歳下に
メロメロに溺愛されちゃう。
そんなハッピー寄りなティーストです!
▶︎潜入捜査とかスパイとか設定がかなりゆるふわですが、
雰囲気だけ楽しんでいただけると幸いです!
_____
▶︎タイトルそのうち変えます
2022/05/16変更!
拘束(仮題名)→ 潜入捜査でマフィアのドンの愛人になったのに、正体バレて溺愛監禁された話
▶︎毎日18時更新頑張ります!一万字前後のお話に収める予定です
2022/05/24の更新は1日お休みします。すみません。
▶︎▶︎r18表現が含まれます※ ◀︎◀︎
_____
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
年上が敷かれるタイプの短編集
あかさたな!
BL
年下が責める系のお話が多めです。
予告なくr18な内容に入ってしまうので、取扱注意です!
全話独立したお話です!
【開放的なところでされるがままな先輩】【弟の寝込みを襲うが返り討ちにあう兄】【浮気を疑われ恋人にタジタジにされる先輩】【幼い主人に狩られるピュアな執事】【サービスが良すぎるエステティシャン】【部室で思い出づくり】【No.1の女王様を屈服させる】【吸血鬼を拾ったら】【人間とヴァンパイアの逆転主従関係】【幼馴染の力関係って決まっている】【拗ねている弟を甘やかす兄】【ドSな執着系執事】【やはり天才には勝てない秀才】
------------------
新しい短編集を出しました。
詳しくはプロフィールをご覧いただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる