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第二部

①気になる人

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 速水は少年の頃から自分の性癖を自覚していた。
 小学校五年生の移動教室では前を歩く半ズボンの少年の膝裏に密かに興奮を覚え、六年生の修学旅行で友人の生着替えや布団からはみ出した手足に欲情した。入浴など性器が反応し掛けて慌てて逃げ出したくらいだ。
 そして忘れもしない中学校の文化祭で見た男女逆転劇の女装したヒロインに心臓を鷲掴みにされた。
 骨っぽい少年の身体に悩ましいドレス。スポットライトに照らされる白くほっそりとした首筋。初めての女装に対する照れと戸惑い。
 あのスカートを自らの手で捲り上げ、そして隠された男の身体を暴きたい。

『一体これは何だい? どうして硬くなっているの?』とネチネチと訊ねたい。中学生にしてそんなオヤジ臭い欲望を抱いた。

 速水の女装した男が好きというオカマ志向はその時に決定付けられた。そして部外者には混同されがちだが、女装した男が好きなのと、女になりたい男が好きなのは全く違う。
 速水は本当に女性になりたいオカマは相手にしていない。速水にとって彼ら――彼女達は女性であり、ゲイからしたら恋愛対象外なのだ。

 ノリやケンヂみたいに女装の似合う男を翻弄してメスにするのが好きだが、それも役割としての異性化であって “男なのに女にされる自分” に倒錯的な悦びを見出している姿に興奮する。
 だから彼が趣味でやっている店には性同一性障害に分類される者は殆どいない。女性は必要最小限しか身の回りに置きたくない。
 そんな速水自身に女装趣味は無い。物腰は柔らかいがそれは紳士としての態度であり、料理など家事もそつなくこなすが好きでやっているのではなく必要に迫られてだ。
 あくまでも男として女装した男が好きで、決して女性になりたいのでも代わりを求めているのでもない。
 何故長々と速水虹志郎の性的嗜好を説明したのかと言うと、誰かの為に張り切って料理を作っちゃって速水とか洋服を型崩れしないように拡げて陰干ししちゃってる異様にマメな姿は決していつもの彼では無いと知って欲しいのだ。
 そしてらしくもない事をせっせとしている速水がらしくもなく落ち込んでいた。


(今日も食べてくれなかった……)

 速水は手付かずのまま残された盆の上のおかずを眺めて溜め息を吐いた。
 速水の家に葵が転がり込んで来てから一週間。放って置くと栄養バーで食事を済ませる葵に、速水はついでだからと食事を作っているがおにぎり以外は手を付けて貰えない。
 炒り豆腐に菜の花の芥子醤油和え、筑前煮にひじきの煮付け、銀ムツの西京焼きにいわしのツミレ汁。速水は外食ではなかなか食べられないそういった家庭料理が食べたくて自炊などしているのに、葵ときたら気を引かれる素振りも無く殆ど食べてくれない。
 味付けが口に合わないのだろうか、と砂糖の量や塩加減を変えてみるのだが余り結果は芳しくない。

(悔しいけれど、ケンヂに訊いたら睦月の好みが分かるだろうか。しかし大口を叩いておいて食事の世話も出来ないと思われるのは癪だし)

 せめて葵自身がこれは嫌いだとはっきりと言ってくれたらいいのに、彼は何も言わない。そもそも彼は何も求めていない。速水がただ勝手に押し付けているだけだ。

 そんなやり方は全くもってスマートではない。誰かの手助けをするにしてもさり気なく、必要な分だけ手を差し出すべきだと思っていたのに。

「余計な手出しはお節介にしかならないよ」

 速水は普段の自分が言いそうな台詞を口に出して言ってみる。そうしたらそれが予想以上に堪えた。

「う……だって、放って置けないんだって……」

 賞味期限の切れた栄養バーなど食事では無い。
 洗剤を入れ忘れて乾すのも適当で、シワシワになった服など見るからに着心地が悪そうだ。
 一晩中PCモニターと睨めっこをして、気絶するように椅子に伸びて眠っても疲れなど取れるものか。
 咳をしていれば風邪を引いたのじゃないかと気になり、風呂が長ければ倒れてやしないかと落ち着かない。
 それはきっと人と同居するのが初めてだからだ。だから色々と気になって仕方がないのだ。
 速水は自分で自分にそう言い聞かせ、ギリギリのところで自分を保っていたのだがそれが揺らいだ。


「ケンヂに逢いに行く?」

 速水は葵の口から出て来た言葉に吃驚して訊き返した。

「約束させられたからな」
「何を?」
「心配だから、毎週逢ってどんな様子か教えてくれって。面倒だけど、ケンヂがそう言うなら仕方がない」

 律儀に他人ケンヂの言う事を守ろうとする葵が何となく腹立たしい。

「逢って何を話すんだ?」
「別に……実験環境の変化についてとか、目標数値を変更した事とか、アプローチを少し変えてみようと思っているとか――」
「きっとケンヂが聞きたいのはそんな事じゃないと思うけどね」
「?」

 何で速水に否定されるのか分からない、と不思議そうに見上げた葵から速水は視線を逸らした。

(こんなの難癖だってわかってる)

 どんな男の視線だって怯まなかった速水が他意のない眼差しを直視出来ない。その眼を真っ直ぐに覗き込んだらきっと捕まる。

(捕まる?)

 速水はこの時に初めて自分が葵に惹かれていると自覚した。
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