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第一部
⑤運命の出会い
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ふと気が付いたら、自分の可愛がっていたコが女にされていて速水は不機嫌だった。
無垢な花を手折ってやろうと思っていたのに、間抜けにも横から人に攫われてしまった。
これが相手が客ならば速水は失望しただけで済んだのだが、信頼するスタッフの一人ではそうもいかない。惜しい事をした、としみじみと思う。
(俺だってイイ線まで行っていた筈なのに)
客には落ちないが身内には落ちるなんて、情が深くて良い子じゃないか。ああ、本当に惜しい事をした。
そんな風に内心で歯噛みをしていても速水にも矜持がある。表には気落ちした様子を悟らせず、また他人のモノに手を付けようとも思わなかった。
といっても、三崎と出来たてでラブラブのケンヂはそんな事には端から気付く余裕などなかったし、それでなくてもアンコに誘惑されたりノリと可愛らしいキスを繰り返しては三崎とごにょごにょ揉めているのだ。手の掛からない大人の事など気にする筈が無い。
そんな速水に或る日運命的な出会いが訪れる。
「先輩! こんな所へどうしたんですか!?」
オープン前の店に飛び込んできたボサボサの長髪。
それは酷く場違いな男だった。
ケンヂに先輩と呼ばれたからには近い年の筈だが、構わぬ身なりは年齢どころか性別すら判別としない。
男と分かるのはその低くて予想外に艶のある声故にだ。
皆がそのむさ苦しい男に目を丸くしている中で、速水だけが色の違う視線を向けていた。
薄汚れた男は周囲の視線などものともせず、ケンヂを真っ直ぐに見詰めて言った。
「ケンヂ、どうしよう! アパートが取り壊されるって言うんだ!」
「あー……あのアパート、相当に古いですもんねぇ……」
「困るんだよっ! 安住の地を奪われて、ボクに何処に行けと言うんだい?」
「それは……えっと」
男に詰め寄られてケンヂは困ってしまった。
普通ならば引っ越せと言うところだが、その先輩に住むところを探して手続きをしろと言うのは難しかった。
彼は天涯孤独で、ケンヂの他には親しい知り合いさえいない。
「アタシの――俺のところに来ますか?」
人の良い提案に三崎が焦って声をあげ掛けたが、その前に男自身が首を横に振った。
「お前ンとこは狭くて機材を置けないだろう? あれがなきゃ何処にも行けねーよ」
「そうですよね……」
しょぼん、と肩を落としたケンヂを見て、三崎が胸を撫で下ろした。
そしてその時、突然に速水が口を開いた。
「良かったらうちに来るかい?」
「オーナーっ!?」
吃驚するケンヂには構わず、速水はニコニコと笑いながら男を見ている。
男は内心で驚いているにせよ、表には表さずに淡々と言った。
「あんたに世話になる理由がない」
「理由ならあるよ。従業員が困ってるのに、オーナーの俺が見過ごせる訳がない」
嘘を吐け、と何人かが思ったが口には出されなかった。
男は戸惑ってケンヂを見た。
「ケンヂ、困ってるのか?」
来ない方が良かったのか、と訊かれてケンヂが苦笑した。
「困ってますけど、来てくれて良かったです。俺の知らないところであなたが行方知れずにでもなったら、後悔してもし切れなかったでしょうからね」
「…………そんな事を言うのはお前だけだ」
男が小さな声で言って、それから速水を見上げた。
「あんたがどんな奴か知らないけど、ケンヂが困ると言うなら……。世話になってもいいか?」
「いいよ。任せておいて」
「…………」
男はふいっと目を逸らし、自分の事はいいんだとか信じないとか言った。それから飛び込んできた時と同様に唐突に帰ろうとした。
「待って! 君の名前と連絡先は?」
速水の言葉に男がチラリと視線を寄越した。硝子のように色の無い視線だった。
「葵睦月。連絡先は――分からない。ケンヂに聞いてくれ」
そう言うと男は本当になんの未練もなく帰ってしまった。これから世話になる態度とはとても思えなかった。
「あれ……何なの?」
思わず呟いたノリにケンヂが苦笑して答える。
「サークルの先輩――卒業生で、あの人は本物の天才だよ」
何故かそう言ったケンヂの瞳は少し淋しげなのだった。
無垢な花を手折ってやろうと思っていたのに、間抜けにも横から人に攫われてしまった。
これが相手が客ならば速水は失望しただけで済んだのだが、信頼するスタッフの一人ではそうもいかない。惜しい事をした、としみじみと思う。
(俺だってイイ線まで行っていた筈なのに)
客には落ちないが身内には落ちるなんて、情が深くて良い子じゃないか。ああ、本当に惜しい事をした。
そんな風に内心で歯噛みをしていても速水にも矜持がある。表には気落ちした様子を悟らせず、また他人のモノに手を付けようとも思わなかった。
といっても、三崎と出来たてでラブラブのケンヂはそんな事には端から気付く余裕などなかったし、それでなくてもアンコに誘惑されたりノリと可愛らしいキスを繰り返しては三崎とごにょごにょ揉めているのだ。手の掛からない大人の事など気にする筈が無い。
そんな速水に或る日運命的な出会いが訪れる。
「先輩! こんな所へどうしたんですか!?」
オープン前の店に飛び込んできたボサボサの長髪。
それは酷く場違いな男だった。
ケンヂに先輩と呼ばれたからには近い年の筈だが、構わぬ身なりは年齢どころか性別すら判別としない。
男と分かるのはその低くて予想外に艶のある声故にだ。
皆がそのむさ苦しい男に目を丸くしている中で、速水だけが色の違う視線を向けていた。
薄汚れた男は周囲の視線などものともせず、ケンヂを真っ直ぐに見詰めて言った。
「ケンヂ、どうしよう! アパートが取り壊されるって言うんだ!」
「あー……あのアパート、相当に古いですもんねぇ……」
「困るんだよっ! 安住の地を奪われて、ボクに何処に行けと言うんだい?」
「それは……えっと」
男に詰め寄られてケンヂは困ってしまった。
普通ならば引っ越せと言うところだが、その先輩に住むところを探して手続きをしろと言うのは難しかった。
彼は天涯孤独で、ケンヂの他には親しい知り合いさえいない。
「アタシの――俺のところに来ますか?」
人の良い提案に三崎が焦って声をあげ掛けたが、その前に男自身が首を横に振った。
「お前ンとこは狭くて機材を置けないだろう? あれがなきゃ何処にも行けねーよ」
「そうですよね……」
しょぼん、と肩を落としたケンヂを見て、三崎が胸を撫で下ろした。
そしてその時、突然に速水が口を開いた。
「良かったらうちに来るかい?」
「オーナーっ!?」
吃驚するケンヂには構わず、速水はニコニコと笑いながら男を見ている。
男は内心で驚いているにせよ、表には表さずに淡々と言った。
「あんたに世話になる理由がない」
「理由ならあるよ。従業員が困ってるのに、オーナーの俺が見過ごせる訳がない」
嘘を吐け、と何人かが思ったが口には出されなかった。
男は戸惑ってケンヂを見た。
「ケンヂ、困ってるのか?」
来ない方が良かったのか、と訊かれてケンヂが苦笑した。
「困ってますけど、来てくれて良かったです。俺の知らないところであなたが行方知れずにでもなったら、後悔してもし切れなかったでしょうからね」
「…………そんな事を言うのはお前だけだ」
男が小さな声で言って、それから速水を見上げた。
「あんたがどんな奴か知らないけど、ケンヂが困ると言うなら……。世話になってもいいか?」
「いいよ。任せておいて」
「…………」
男はふいっと目を逸らし、自分の事はいいんだとか信じないとか言った。それから飛び込んできた時と同様に唐突に帰ろうとした。
「待って! 君の名前と連絡先は?」
速水の言葉に男がチラリと視線を寄越した。硝子のように色の無い視線だった。
「葵睦月。連絡先は――分からない。ケンヂに聞いてくれ」
そう言うと男は本当になんの未練もなく帰ってしまった。これから世話になる態度とはとても思えなかった。
「あれ……何なの?」
思わず呟いたノリにケンヂが苦笑して答える。
「サークルの先輩――卒業生で、あの人は本物の天才だよ」
何故かそう言ったケンヂの瞳は少し淋しげなのだった。
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