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第四話

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 レギイは自らの頭にある私の手を払いのけるような勢いで掴んだ。心臓がドクリと跳ねる。

「貴方は、いつだってそうだ。本当に知りたいことは……貴方にしか分からないことは、教えてくださらない」

「レギイ、私は、持てる全てを君に教えたつもりだ」

「いいえ。我々が本当に知りたかったのは、貴方が何を思い、何を感じたか、です。貴方の心の中は、貴方にしか見えない。我々は知る由もない。貴方がすべて悪かった、それで納得できるほど、私も、魔王様も、短絡的にはなれません。貴方にそう育てられたのですから」

「……私が死んで、ヴィドは魔王になり、君も大魔族になった。それがただひとつの答えだ」

「貴方は死ぬべきだったと!? あの後何があったのか知りもしないで、よくもそんなことが……!!」

 冷たげな美貌を烈火の如き怒りで歪め、レギイは目を見開いた。しかし、彼はそれ以上続けることなく、みるみる泣き出しそうな面持ちになっていき、やがて花が枯れるように俯いた。

 彼の剣幕は、私の心に深く爪を立てた。ああ、そうだ。私が死んだ後のことなど、知る由もない。

 だって、私を殺すために、幹部らを送りこんだのは、ヴィドの方だろう。ヴィドに、私の思惑が理解出来ないなんて、それこそありえない。その上で、私は、他でもない、彼から、不要だと断ぜられたのだ。

「レギイ、終わったことはひとまず置いておいて、私は今どうするべきか考えたい。思うに、このままではまずいと思うんだ。もしかしなくても、ヴィドはまた、このリコフォスという寵童と……あの、何だ。む、睦み、あいを、求めに来るだろう?」

「……ええ、間違いなく。今夜にでもお渡りがあるでしょうね」

「分かってくれるだろう。無理だ。あんなのはもう二度と耐えられない。いたたまれない。だって、私がヴィドと出会ったのは、それこそ彼が今のリコフォスくらいの年頃だった。その上、彼はリコフォスの中身が裏切者であることなどつゆ知らず……自覚もないまま私のような朴念仁を相手させられるヴィドの立場にもなってみろ、おお、想像しただけで怖気が、可哀想なヴィド、昨夜のことは私が墓場まで持っていくからな……」

 レギイは特大のため息を吐いて首を横に振った。お手上げという顔である。曲がりなりにも師匠に向かって何だその薄情な反応は。まあ彼をこうしたのは私のせいでもあるが。

 私は何かおかしいことを言っただろうか。ずっと昔に処刑したはずの裏切者がよみがえっていたと言うだけでも気色悪いだろうに、それが毎夜の慰み相手だなんて想像を絶する悪夢だ。一度死んでなお私の忠誠はヴィドに捧げている。主君にこれ以上不快な思いをさせるわけにはいかないのだ。

「貴方は、ご自分のことは可哀想だとお思いになりませんか。お目覚めになってわけもわからないままあんな目に遭わされたというのに」

「可哀想なのはリコフォスだ。睦みあいとは言ったものの、あんなのは拷問にほかならない。この身体には、骨の髄まで、ヴィドに対する恐怖が根付いている。魔族の交わりが普遍的にああだと言うなら話はまた違ってくるが」

「まさか」

「だろうな。主君が道を過っているならば正すのも臣下の務め。裏切者の分際で何を、という話ではあるが……彼があのような暴虐に出る原因を突き止めて是正し、彼とリコフォスの関係を健全なものに導きたいとも思う」

「……いかがなさるおつもりで?」

 言葉に詰まる。正直、状況と方針を整理する時間が欲しい。こうも切迫した状況では考えるものもマトモに考えられないだろう。

 コクリと頷いてみせた。ここは、私の得意分野で。

「とりあえず……逃げて潜伏、だな!」

「そんなことをされたら私まで魔王様に殺されます」

 拗ねたような声色で、レギイはジトッと恨みがましくねめつけてくる。そんなことないと思うけどな。彼は私が手塩にかけて育てただけあって有能だ。そもそもヴァンピール・ロードはただでさえ殺すのに気が遠くなるほどの手間がいる。多忙な魔王がそんな面倒なことに労力を払うだろうか。

「まあ、そこはほら、君が疑われないように立ち回るさ」

「いいえ。逃げるなら、私も連れて行ってください。ご存知でしょうが、役に立ちますよ」

「だが、君はこの魔王城で地位ある者だろう。巻き込むわけにはいかない」

「そう言って、また置いていくのですか。何も告げずいなくなって、首一つになって帰ってきた師を目の当たりにした弟子の気持ちが貴方に分かりますか」

 それを言われると何も言い返せなくなる。レギイには私の願望を押し付けるだけ押し付けた引け目があるのだ。何かの間違いで生き返ってしまった以上、それと向き合わなければならないということだろう。

「分かった。レギイ、頼む。私と一緒に来てくれ」

「はい、喜んで」

 レギイは私をおもむろに横抱きにして立ち上がった。弟子にこんなことをさせるのは決まりが悪く、咳ばらいを漏らせば、何故か嬉しそうに頬を綻ばせて首を傾げた。

「クロウ師、現状、いかほど能力をお使いになれますか? その白髪と琥珀色の瞳は目立ちます。一番は人間態でないものに擬態することなのですが」

「……すまない、翼が無い。これでは何も」

「ほんとうに? 今の貴方は堕天使なのですか?」

 そう指摘されて、はじめて自覚する。そうだ。もう自分は堕天使ではない。リコフォスの種族が何かは把握していないが、大方魔族なのだろう。そうでないと魔界において常に漂っている瘴気には耐えられないのだ。

「レギイ、いまの私リコフォスはどれほどの魔力を保有している?」

「それはもう、禍々しいほどに。アビスフィアにも引けを取らないでしょう」

 アビスフィアとは魔界の火山の最深部で孵化する高密度魔力の集合体で、魔王が対処するか、レギイのような大魔族が数十騎ほどの厳戒態勢で討伐しなければならないレベルの災害魔獣だ。

 しかし、まさか魔族のランクではなく魔獣に例えられるとは思ってもみなかった。心のどこかに引っ掛かりを覚えつつ、今は受け流して、改めて自らの魔力のカタチを意識してみた。

 しばらく集中すれば、何となく輪郭が掴めるようになってくる。私はひとまず咄嗟に思い浮かんだものをイメージして、魔力を自分の全身に纏わせ、圧縮した。

 どうやら成功したらしい。羽ばたいて、レギイの手のひらに着地。レギイは目を丸くしてまじまじと覗き込んできた。

「流石です、クロウ師! それは、人界の虫の姿ですか」

『ああ、私が死の直前まで運営していた教団のシンボルマークだ。幻光蛾という』

「フム……なんというか、つぶらな瞳がお可愛らしいですね」

 レギイはやや悪戯っぽく口角を片側だけ微かに上げ、モフモフと頬ずりしてきた。一応この蛾の鱗粉には、人間を死に至らしめるくらいの神経毒があり、魔族でも多少肌が荒れるくらいの影響があるはずだが、不死をも可能にする再生力を持ったヴァンピール・ロードにしてみれば、こんなのは取るに足らない刺激なのだろう。

 私は程々のところでレギイの頬によじ登って横断し、後頭部のカタチに沿ってぴったりと張り付くことで、彼の襟足の中に埋もれた。

『さあ、ここを出よう。よろしく頼む』

「はい、クロウ師。今度こそ、地の果てまでお供いたします」

 レギイは私が潜んでいる後頭部のあたりを優しく押さえながら瞬時に上空へと転移し、そう言い放った。

 この上なく頼もしい弟子を持ったものだ、と思いつつ、苦々しいものがこみ上げてたまらなかった。

 +++

 ギャッ、と、ぶつ切りにされたような断末魔が、虚しく消え入る。吹き消されたろうそくのように呆気ない最期だ。凍り付いて細氷となり、空間に漂うさまは、魔族の濃紫の血液の色と相まって、皮肉にも幻想的であった。

「ヴェスパーレ・ギーヴァ……愚かな真似を」

 ブリザードの轟音のようにざらついて、聞くものの脳髄液を凍らせんばかりの冷え冷えとした声。後ろに控える侍従たちは、震える事すらもままならない様子で固唾をのんだ。

 げに恐ろしき魔王の八つ当たりで、文字通り散った侍従長。今の魔王を少しでも刺激すれば、次に紫煙と消えるのは自らであると、死体よりも息を潜めて事態を見守る。

「テトラ師団ヴロヒ・エマ両部隊に伝達。愚昧のコウモリがリコフォスを拉致し逃走した。両名共に生きて確保せよ。我が逆鱗に触れたのだ。楽には死なせぬぞ」

 侍従たちは恭しく首を垂れ、自らの影に溶け込み散っていった。

 魔王だけが残された部屋、もぬけの殻のベッドに、どさりと音を立てて倒れ込む長身。残り香を手繰り寄せるようにシーツを撫でたかと思えば、グシャリと鷲掴んだ。

「ああ、もう少し……もう少しで、完成したのに。やはり、魔王になどなるものではないな……どうしたって、逃げられるのなら、ああ、リコフォス、俺の愛のなれの果て。可愛い可愛い、クロウの幼生」

 目の下の隈を際立たせるように不気味に表情を歪め、魔王は牙を剥き出しにカタカタとせせら笑った。

「お前の頬の血肉は、どんな味がするのかな。きっと、とびきり柔らかいのだろうな。脳みその一片も残さず、たんと味わってやるからな」

 リコフォスが使っていた小さな枕を手繰り寄せ、二つ折りにして、魔王はそれを抱きしめた。その大きな腕には物足りないだろう、頭蓋くらいの大きさのそれを、まるで包みこむように。

 うっとりと、何かを思い出すかのように。

 先程までとは打って変わり、陰惨で、凄絶なまでに美しい微笑みだった。
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