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第四章 ラスボスにしたって、これは無いだろ!

第五十四話

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 ジュウジュウ、ジュイ、チチチ……聞き覚えのある鳴き声。いつの間にブラックアウトしていたらしい意識が、にわかに浮上する。

 チラチラと降り注ぐような光が、必死に俺を起こそうと飛び回っていた。飛び上がるように上体を起こし、周辺を見回す。纏わりつくような闇が無限に広がっていて、酷く遠く、微かに見える光が、辛うじてここを空間のように見せている、そんな感じだった。

 そして、そんな俺の目の前を、気遣わしげな様子で飛び回る、二又の尾が特徴的な光の鳥が一羽。手を翳してやれば、すぐさま指を止まり木に着地して、ピョイピョイと跳ねて見せる。

「きみは、いつかのトリ=サン……」

 チュイッ、同意するように、鋭く鳴いてみせるトリ=サン。どうやってこんなところまで付いてこれたのだろう。今までずっと付いてきてくれていたのだろうか。

「君は、一体なんなんだ? 一体、俺に何をさせたいんだ」

 俺がそう言えば、鳥は、その言葉を待っていたとでも言うように、すぐさま飛び立っていく。俺はヨロヨロ立ち上がり、その後を駆け足でついて行った。どうやら、遠くに見える光の方へ向かっているらしい。

 果たして、その光の発生源は、質素な棺に横たわる、線の細いプラチナブロンドの男性であった。

 鳥は、俺が到着するまで、その棺の上の方でグルグルと旋回し続け、俺が光源の正体について目視できる地点まで来たところで、棺の中へと飛び込んでいった。

 あ、と、咄嗟に駆け寄り、棺の中を覗き込む。その男性は、質素な純白のカソックに身を包んでいて、俺の記憶が正しければ、それは高位の司教が纏う制服であった。

 そこはかとなく、誰かに似ているような気がするな、なんて思いつつ、男性の顔を凝視していると、パチリ、とその瞼が開き、しっかりと目が合ってしまった。

 思わず仰け反る俺を追いかけるように、男性はゆっくりと身を起こし、いやに悲哀を纏った微笑みを浮かべ、一言、よく似ている、と呟いた。

「貴方、は……」

「はじめまして。私は、ウルラヌス。魂の残滓……幽霊のようなものです。私が使える力はもう、残りかすも良いところで、燕の姿になって、君をここに導くことしかできなかった。混乱させて申し訳ありませんでした」

「いえ……ウルラヌスさん。貴方は、どうしてこんなところで眠っていたんですか?」

「言葉でお伝えするには、些か込み入った事情があります。ですから、私の記憶を、そのまま君にお渡ししましょう。その上で、私のお願いを聞いてくださいませんか。一刻も早く、彼女を止めたい。君の手を貸してほしいのです」

「彼女……まさか」

「ええ。彼女が、シレーヌが、どうしてこのような妄執に囚われ、取り返しのつかないところまで道を踏み外してしまったのか」

 ウルラヌスさんはそっと目を閉じた。幽霊のようなものだから、生理現象である涙は出ないのだろうが、きっと彼は涙を流していた。

「君には知ってほしいのです。私がどんなに愚かで、無力で、不甲斐ない男であったかを」

 記憶が流れ込んでくる。その心地はまるで、晩秋の風を浴びるかのようだった。

 +++

「わたし、立派な王妃様になるわ。それでね、その……」

 真っ白なレンゲが一面に咲く丘。白いワンピースを身に纏い、白いベールをかぶって、その上にちょこんとレンゲの花冠を乗せた、可憐を絵に描いたような黒髪の少女が、透き通った肌をほの赤く染め、はにかんでいる。

 プラチナブロンドの少年と、その少女は、昼下がりの穏やかな陽光の下、体育座りで並んでいた。少女は純真な笑顔を、目の前の少年に。対して、少年は、少し寂しげな微笑みを、少女に返して。

 彼らは、光魔法の適性者として、教会に召し上げられ、幼少の3年間を兄妹のように過ごした。少女の名はシレーヌ・ミュルダール。由緒正しき魔術の名門ミュルダール伯爵家の令嬢にして、聖女とまで謳われるほどに優れた光魔法の使い手だ。

 そして、少年の名は、ウルラヌス・アルバール・ガラリア。国王陛下の直系、そして第一の子息としてこの世に生を受けた、つまり第一王子である。彼はシレーヌ同様、優れた光魔法の使い手として頭角を現していたものの、そのために、難しい政局の只中におかれていた。

「大丈夫、シレーヌならきっと、素晴らしい王妃になれるよ」

 少年は、少女のことを深く愛していた。だからこそ、彼女の「王妃になる」という願いのために、

 彼女は、聖女とまで言われるほどに、光魔法の使い手として優れていたから、よほどのことが無い限り、教会は彼女を手放さないだろうと、少年は理解していた。

 ゆえに、少年は自らの両親に掛け合い、少女にも引けを取らない実力を持つ自分と引き換えに、少女を自由にして欲しいと、そう願ったのだ。

 その自己犠牲によって、少女がどんなにか傷つき、何もかもを憎むかなんて、知りもしないまま。

 少女もまた、少年のことを深く愛していた。貴族の令嬢として、貞淑たれと育てられた彼女にとって、「王妃になる」という言葉は、精一杯の告白だった。

 ミュルダール家の、最早本能とも呼べるほどの本懐。「理想の王に仕える」という、遺伝子レベルの願望。彼女もまた、自身の最愛を、理想の王と見込み、幼さゆえの短慮もあって、彼が次の王になるのだと、信じて疑わなかった。

 王妃として、王となった最愛の少年に仕え、生涯を傍で支えるのだと、自身の人生をそう定め切っていた彼女にとって、その少年自身から齎された「王位継承権の破棄」という事実は。

 アイデンティティの根源から踏みにじられ、人格が歪んでしまうほどの、無惨な失恋であったのだ。

 +++

 これが今生の別れであると覚悟し、じゃあまた、と手を振りあってから、12年。

 幼少の恋を心に抱えたまま、ただ、愛した少女が夢を叶え、幸せに過ごせているようにと、神に祈りをささげる日々を朴訥と過ごしていたウルラヌスのもとに、突然の事故による国王夫妻の訃報と、それに伴う、2歳下の弟ウルラッドの即位の報せがやって来た。

 そして、喪が明け次第、ウルラッドと、ミュルダール家の息女シレーヌの婚儀が行われるという報せも、同様に。

「ああ、これで、余程手の届かない存在になってしまった」などという感傷を胸に、司教としての務めを殊更に果たしていたある日のことだった。

 自身の上司である大司教から、王妃の顧問司教として後宮に上るように、との命令が下されたのだ。

 ここで、初恋の相手との再会を能天気に喜べるほど、ウルラヌスは楽観主義者ではなかった。それよりも、言葉で説明ができない、胸のざわめきの方が勝ったのである。

 しかし、元は王族だったとはいえ、今は一介の司教に過ぎぬ立場である彼が、王に次ぐ尊貴である王妃からの命令に逆らえようもなく。

 きっと、王妃としての重圧から、昔馴染みの顔を見て、話をして、少しでも心を紛らわせたいという思いに過ぎないだろう、なんて、自分に言い聞かせ、ウルラヌスは再会の日を迎えた。

「この日を、ずっと待ちわびていた。私、貴方のことを、貴方への想いを、片時も忘れたことは無かったわ」

 出会いがしら、ウルラヌスは王妃であるはずのシレーヌに抱きすくめられ、背筋が凍るような心地を味わった。フラッシュバックするのは、目が合った瞬間の、蕩けるような熱がこもった瞳。許されざることだった。

 何より許されざるは、自身の心に渦巻く、否定できないほどに確かな、ほの暗い歓喜。

「……っ、王妃殿下! なりません、どうぞ、お控えを」

「ねえ、ウルラヌス。私、貴方とずっと、通じ合っていたものと思っていたわ。互いに、同じ想いでいるって。ねえ、本当に? 本当に、やめて欲しいなんて、思っているの?」

「もう、無邪気で許されるほど、私たちは幼くない。互いに、立場がありましょう。殿下ともなれば猶更です。せっかく、積年の努力が叶ったのですから、どうか、ふいにしないでほしい。あまつさえ、周りの目があるところで、こんな」

「何のために……どんな思いで、私が王妃になったかって、ご存知ないから、貴方、そんなことを仰るのだわ! それに、心配なさらないで。この部屋にいる人間に、一体私たちの何が見えるというのでしょう。この世は盲目ばかりだわ。誰も彼も。貴方だって」

 言われて初めて、周囲を観察してみれば、室内に控える誰もが、まるで薬物に冒されたような、恍惚と虚脱を瞳に浮かべていて、遍く、シレーヌの魔力を纏わせていた。

「まさか……」

「いやね、少しだけ、じっくりお話しただけ。お話すれば、皆さん、救われたような顔で、私のことを好きになってくださるの」

「どうして、シレーヌ……きみは、立派な王妃になるって、こんなことは」

「ウルラヌス。私のその夢を挫いたのは、貴方でしょう。私、貴方が王になるのだと思っていたの。だから、立派な王妃になろうって、決めたのよ……ねえ、酷い人」

 眉を顰め、凄絶に笑うシレーヌは、この世のものとは思えないほど美しく、悪夢のようだった。そして、自らの過ちをようやく悟ったウルラヌスは、小さく息を呑み、崩れ落ちるしかなかったのだった。

 その日を最後に、ウルラヌスが教会に戻ることは、二度となかった。
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