国外追放されたので野良ヒーラーをはじめたら勧誘がすごいです【完結】

強引な女

　
『いや、やはり私は――』

『クリス殿下』


　なおも断ろうと席から腰を浮かせたクリスの肩にそっと手を置き、アンジェリカは顔を覗き込むように首を傾げた。その動きにクリーム色の長い髪がふわりと揺れる。


『ご存知でしょうか、美味しいお菓子には魔法がかかっているんですよ。これを食べればクリス殿下に素敵なことがおこります。どうか、騙されたと思ってお召し上がりになってくださいませ』


　ぼんやり立ちすくんでいたそのときのクリスの顔が、思わず無理矢理にでも休憩させたくなるほど疲れきった表情だっからそんなことを言ったのだろうと後から気づいたが、そのときのクリスは、なにを訳の分からないことをと呆れ、あまりに強引な誘いにイラつきさえした。


『例えばどんなことが起きるというのです』


　思わす棘のある口調になってしまったが、どうでもよかった。
　けれどもアンジェリカは意に介したふうでもなく、うーん、と数秒考えてから自分の眉間を指さした。


『例えば、クリス殿下の眉間の皺が消えるとか、ですわね』


　暗にしかめ面になっていると指摘され、思わず己の眉間に隠すように触れる。それを見てアンジェリカがクスクスと笑ったので、からかわれたと思ってクリスは渋面になった。


『さあ、とにかくお召し上がりになってくださいませ』
　

　ニコニコと楽しそうなアンジェリカに毒気を抜かれ、やりとりも面倒になったクリスは仕方なしにフォークをとって目の前の赤い果実がのったパイをひと口食べた。


『……美味い』


　クリームの甘さと果実の甘酸っぱさが絶妙で、サクサクとしたパイ生地によくあっている。
　香り付けのためのアルコールの匂いも嫌ではなく、むしろ食欲を刺激された。
　表情の変化を読み取ったアンジェリカは嬉しそうに目を細めた。


『わたくしの母は服飾デザイナーをしているのですが、王妃様と2人きりでお茶をすると言ってわたくしを部屋から追い出したのです』


　連れてきておいてひどいと思いませんか？　と、呆れたように拗ねて口を尖らせるアンジェリカ。


『クリス殿下のお約束の相手にはわたくしも一緒に謝罪しに参りますので、どうか少しだけ、憐れなわたくしにお付き合いくださいませ』


　下手にでつつも断りにくい言い回しに、困り果てたクリスは言葉を探しあぐねた。
　アンジェリカはといえば、わざとらしく寂しげに眉を下げている。その目はクリスが断るとは思っていないようで、楽しそうにいたずらめいてさえいた。

　ここまであからさまだと笑うしかない。


『……まったく、本当に一緒に謝ってくれるんでしょうね？』
　
『もちろんですわ！　そうとなれば、クリス殿下の騎士の皆様にも共犯者になっていただきましょう！　さあ、あなたたち、このお菓子を差し上げてきてちょうだい』


　良いことを思いついたとぱっと広がる屈託のない笑顔。
　アンジェリカは静かに控えていた侍女たちに声をかけ、離れた廊下で見守っていたクリスの騎士にたくさんあるうちのひと皿を持って行かせた。