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5年前
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夕方前、アンジェリカはオニキスに乗り城をあとにした。
明け方に帰ればいいと、少しでも時間を共にしたくて誘ったのだが、クリスは悲しみが含まれた困ったような笑みを浮かべるアンジェリカを引き止めることはできなかった。
少しずつ遠くの山に消えて行く太陽を城の塔のてっぺんから見つめる。反対側の空は暗い濃紺色が広がっていた。アンジェリカという光が去り、寂しさが湧き上がるクリスの心情のようだ。
「だめだったか」
コツコツと靴音が響いていたので、人の気配には気がついていた。
振り返ると、そこには近衛兵を連れたジョナサンがいた。近衛兵を下げさせると、ゆったりとクリスの隣に並んで空を見上げる。
その横顔を見てから、クリスは視線を落とした。
「……申し訳ございません」
「構わぬ。ブローチは渡したのであろう?」
「はい、渡しました」
せめてもと半ば無理矢理にアンジェリカのローブにつけたブローチは、トライヴス国の紋章にも描かれているベルガモットをかたどっている。
これを贈られた者は国のために働く義務が生じる。冒険者であるアンジェリカは、国からの依頼を断れないということだ。
国に尽くし多大なる功績をおさめた者に与えられる勲章のようなものだが、これを贈られた者は国のために尽くす義務が生じる。
そのかわりに国から補助を受けられたり、様々なことで優遇されたりと大多数の者が喜ぶ代物なのだが、アンジェリカの表情は喜びとはかけ離れたものだった。
あの人のあんな表情は見たくない。
思い詰めるような苦しげな顔はアンジェリカには似合わない。彼女に似合うのは、大輪の花が咲き乱れるような眩い笑顔だ。
5年前、サンプトゥン国へ訪れていたクリスは、王城の庭園で開かれていた茶会の場に偶然通りがかった。
父であるジョナサンとともに会談の場に同席したり、サンプトゥンの王子と狩りに出かけたりと外交に勤しんでいたときだったので、気を張る日々を過ごしていたクリスは少しばかり疲れていた。
『トライヴス国のクリス殿下ですわね! どうぞこちらにいらしてください』
楽しそうな笑い声にいつの間にか足を止めていたクリスは、こちらに気がついて駆け寄ってきたアンジェリカに腕を引かれてその席に着くことになった。
それまで一緒に談笑していたのはアンジェリカの侍女だったようで、クリスが席に着く前にさっと立ち上がりテーブルから距離をとった。アンジェリカとクリスの2人きりになる。
『わたくし、アンジェリカと申します。これは我が家の料理人が作った自信作なんですよ、是非とも召し上がっていってください』
『あ、いえ、私はこのあと行くところが――』
『いけませんわ。これを食べずして行くだなんて、絶対に後悔されましてよ?』
断りを遮り、アンジェリカは手ずから紅茶を注ぎ見るからに甘そうな菓子を勧めてきた。
明け方に帰ればいいと、少しでも時間を共にしたくて誘ったのだが、クリスは悲しみが含まれた困ったような笑みを浮かべるアンジェリカを引き止めることはできなかった。
少しずつ遠くの山に消えて行く太陽を城の塔のてっぺんから見つめる。反対側の空は暗い濃紺色が広がっていた。アンジェリカという光が去り、寂しさが湧き上がるクリスの心情のようだ。
「だめだったか」
コツコツと靴音が響いていたので、人の気配には気がついていた。
振り返ると、そこには近衛兵を連れたジョナサンがいた。近衛兵を下げさせると、ゆったりとクリスの隣に並んで空を見上げる。
その横顔を見てから、クリスは視線を落とした。
「……申し訳ございません」
「構わぬ。ブローチは渡したのであろう?」
「はい、渡しました」
せめてもと半ば無理矢理にアンジェリカのローブにつけたブローチは、トライヴス国の紋章にも描かれているベルガモットをかたどっている。
これを贈られた者は国のために働く義務が生じる。冒険者であるアンジェリカは、国からの依頼を断れないということだ。
国に尽くし多大なる功績をおさめた者に与えられる勲章のようなものだが、これを贈られた者は国のために尽くす義務が生じる。
そのかわりに国から補助を受けられたり、様々なことで優遇されたりと大多数の者が喜ぶ代物なのだが、アンジェリカの表情は喜びとはかけ離れたものだった。
あの人のあんな表情は見たくない。
思い詰めるような苦しげな顔はアンジェリカには似合わない。彼女に似合うのは、大輪の花が咲き乱れるような眩い笑顔だ。
5年前、サンプトゥン国へ訪れていたクリスは、王城の庭園で開かれていた茶会の場に偶然通りがかった。
父であるジョナサンとともに会談の場に同席したり、サンプトゥンの王子と狩りに出かけたりと外交に勤しんでいたときだったので、気を張る日々を過ごしていたクリスは少しばかり疲れていた。
『トライヴス国のクリス殿下ですわね! どうぞこちらにいらしてください』
楽しそうな笑い声にいつの間にか足を止めていたクリスは、こちらに気がついて駆け寄ってきたアンジェリカに腕を引かれてその席に着くことになった。
それまで一緒に談笑していたのはアンジェリカの侍女だったようで、クリスが席に着く前にさっと立ち上がりテーブルから距離をとった。アンジェリカとクリスの2人きりになる。
『わたくし、アンジェリカと申します。これは我が家の料理人が作った自信作なんですよ、是非とも召し上がっていってください』
『あ、いえ、私はこのあと行くところが――』
『いけませんわ。これを食べずして行くだなんて、絶対に後悔されましてよ?』
断りを遮り、アンジェリカは手ずから紅茶を注ぎ見るからに甘そうな菓子を勧めてきた。
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