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第一章:魔法学生の憂鬱
第4話 闇夜に現れる怪しきホームレス
しおりを挟むあたしは悲鳴を上げた。
近所の犬がワンと鳴いた。
あたしは慌てて倒れている人に駆け寄った。大丈夫ですか!? そう叫んで、ボロボロのマントに身を包ませた体を揺らした。ホームレスのようだ。しかし、目の前で人が倒れていたらまずは安否の確認だ。返事をしてください!
「……あー……」
あ、生きてる!
あたしは周りを見回した。誰かー! 誰か来てくださいー!!
「あー、平気平気……。私は……はあ。お腹が空いてるだけで……」
え? お腹?
次の瞬間、ホームレスのお腹から『ぐおおおお』というすごい音が鳴った。驚いた近所の犬が怯えてきゃんきゃん鳴き始めた。あたしは訊いてみた。動けますか?
「ノン。無理です。ちょっと休ませてくださいな。はあ。もう駄目。疲れた。お腹空いた。もう駄目。はらぺこで一歩たりとも動けない。はあ。あら、大変。手の先の感覚が無い。わお、こいつは困った。こういう時は寝るのが一番。ぐう。すやぁ」
あたしはインカムで気前の良い先輩に言った。すみません。休憩入っていいですか?
『お、いいよー! ルーチェちゃん、弁当買う? 安くするよ!』
ここで待っててください。そう言って、あたしは250ワドルにしてもらったお弁当一箱と10ワドルにしてもらったおにぎりを二つ、60ワドルのお茶を一本買って、裏口に戻ってきた。今にも野垂れ死にそうになっているホームレスにお弁当とお茶を差し出す。風が吹き、匂いが風に乗り、ホームレスの鼻までやってきた。ホームレスはぱっと目を開け、あたしの差し出したお弁当を見つけて、口角を上げた。
「マーンス! こんなところにお弁当!」
お茶もどうぞ。
「オ・ララ! ありがとう! いただきます!」
ホームレスはそう言ってがつがつ食べ始めた。あまりの食べっぷりに、呆然として見てしまうほど。ホームレスが頬を緩ませて、お弁当の味をかみしめた。
「はあ。幸せ。三日ぶりのご飯。ほんと、くたくた。死ぬかと思った」
それ食べたらここから出てください。通報されますよ。
「通報だなんて物騒な事言わないでくださいな」
でも貴女ホームレスでしょ。ホームレスは通報するよう言われてるんです。他のお客さんの邪魔になるからって。
「私ホームレスじゃありません」
え? 違うんですか?
「ウイ。私には帰るお家がありますよ。とは言っても、確かに家に帰っても冷蔵庫は空っぽ。何せこの三日間、いえ、一週間、冒険に行っていたんですもの。ええ。冒険ですとも。危険が一杯。わくわく一杯。面舵一杯」
前髪で目元が隠れた女がにやりと笑った。
「お弁当ありがとう。お茶も併せてご馳走様。お礼に何か願い事を一つ叶えてあげましょう」
願い事?
「ほら、おとぎ話であるでしょう? ランプの魔人の物語。ランプをキラキラ光らせればあら不思議。たちまち魔人が現れて貴女の願いを三つ叶える。ま、今回は一つってことで」
貴女は魔人ですか?
「いいえ。私は人間です」
なら願い事を叶えるなんて無理じゃないですか。
「口に出して言うだけでも違いますよ。あのね、口に出したら願いが消えるなんて言われてますけど。逆ですよ。逆。口に出さないと願いは叶わない。宇宙飛行士になると思い続けて祈ってもそれだけでは叶わない。私は宇宙飛行士になります。だから勉強します。行動します。努力します。言えば実行あるのみ。後には引けない。ね? 口に出すのは大事なの。例え馬鹿にされてもね」
でもあたしの願いは叶えられないと思います。
「おお、それは実に興味深い。貴女には夢があるようだね。お喋り拙いお嬢さん」
……どうせ拙いですよ。
「何か病気かな? 持病を持ってる?」
持ってます。発達障害持ちで、軽度の吃音症持ちです。
「あら、そう。でもそんな気がした。だって喋り方が私と違うんだもの」
ええ。違いますとも。
「お聞きしてもいいかな? 貴女の願いは何なのかにゃー?」
……。
「おっと、睨まないでくれるかにゃあ。可愛い顔が台無しです。うひひひひ!」
……。
「さあ、恥ずかしがらずに言ってごらん。言ったって平気だよ。だって私は貴女と今、初めて会ったばかりのホームレス! 知らない人に夢を語ったっていいじゃありませんか。あ、でも夢を騙るのは無しです。せっかく胸に持ってる夢に嘘をつくなんて良くありません。聴かせてくれませんか? 貴女の願い。貴女の夢」
……馬鹿だなと、思って聞いてください。
「馬鹿だなんて思いませんよ」
魔法使いを目指してます。
「はあ。魔法使い。おや、ということは、ランプの魔人は私ではなく貴女だったわけだ。お喋り拙いお嬢さん」
……。
「魔法使いだなんて素敵な夢をお持ちなようで。素晴らしい。デビューはした? 駆け出し? ひよっこ? 研究生さん? 学生さん?」
学生です。
「いつから目指されてるの?」
7歳の時から。
「今おいくつ?」
17歳です。
「あら、10年。これはまた、はあ。随分と長いこと学生をされていらっしゃるのね! どこの学校?」
どこでもいいじゃないですか。
「まあ、学校なんてどこも大したことありません。何分野を目指されてるの?」
どこでもいいじゃないですか。
「そう仰らず教えてくださいな。私ね、魔法に興味があるんですよ。うひひひ」
……光です。
「光魔法? あら……そうでしたか」
なんですか?
「てっきり、闇魔法かと」
ああ、……確かに人気ありますね。でも、闇魔法は特殊で難しいので。
「光も特殊で難しい。なのに光を希望されている貴女は素晴らしい。どんなことが出来るの? 一般人の私に見せてもらえませんか?」
大したことは出来ません。だから……いつまでもずっと学生のままなんです。
「そうお固いこと言わずに見せてくださいよ。それとも何ですか? 出来ないんですか?」
あたしはにやけるホームレスを睨みつけた。
「だって、全く見せてくださらないじゃないですか。光魔法志望なのに、蛍の光すら見せてくれない。見せれるものなら見せてくださいな。まだ休憩時間残ってるでしょう? 蛍の光、窓の雪ー」
……。
あたしは少しだけ魔力を出して、絶対に失敗したくなくて、ゆっくりと呪文を唱えた。――蛍の光、窓の雪。あたしの手からふわりと薄い光が浮かび、ふわふわと風に揺られて飛んでいき、ホームレスの頬にキスをして、溶けるように消えていった。ホームレスは再び目をぱっと開け、にこりと笑った。
「ふむうむ。素晴らしい! なんて綺麗でおぼろげな光!」
……こういう時、昔だったら喜んだ。今はお世辞に慣れてしまって、あまり嬉しくない。ホームレスがあたしを見た。
「将来はどのような魔法使いになるおつもりで?」
……本当は、芸能系で行きたかったんです。テレビとか、雑誌に顔が載るから。
「あら、タレント希望ですか!?」
タレントには興味ありません。ただ、小学生の時に嫌がらせをしてきた人達を見返すために大物になりたかっただけです。
「まあ、嫌がらせですって? まあ、お可哀想に。いじめられっ子?」
虐めではありません。ただ、……友達がいなくて、味方がいない環境だっただけです。透明人間みたいな。
「はあはあ。辛い過去をお持ちで。それで……今は?」
今?
「今話してくださったのは過去でしょう? 今は?」
今?
「今貴女はなぜ光魔法使いを目指されているのですか? 光魔法使いに憧れているから?」
……。
「魔法使いに憧れているだけなら、光魔法使いじゃなくてもいいと思うのです。貴女、見た限り魔力を結構持ってますよね? 巨大で大きくて重たい感じがする。私ね、興味があるから見たらなんとなーくわかるんです。うひひひ! その魔力、使うのであれば光魔法はあまり向いてないと思われますよ」
――あたしはどうして、10年経った今でも光魔法使いを目指しているんだろう。
「だって光魔法って繊細で細くて浅くて美しい魔法ですもの。貴女のようにずぶとくて重たくて巨大な魔力には不釣り合いだと思いません?」
――あたしはどうして、今になっても家に帰って部屋を暗くして、光を灯す生活をしているんだろう。
「貴女のような方に合ってるのはそうですねぇ……」
――もう、辞めてしまおうか。
全部諦めて、生活が安定する道を選んで、その方が幸せかもしれない。家族にもっとお金を入れてあげられる。お金を入れられるまで稼げるようになれば家族に頼らず一人で生活出来る。
辞めてしまおうか。魔法使いなんて。
倍率は高いし、皆魔法使いになりたがってるし、年々才能ある人が上のクラスに上っていくのにあたしはずっと同じクラスのまま。ずっと学生のまま。
これが小説なら、物語なら、天才的な脳と才能を持って、若い年齢で天才魔法使いなんて呼ばれて、箒で空を飛んで旅に出掛けたりできるのに、あたしには出来ない。才能が無い。ならば、もう辞めてしまえばいい。見栄なんて張らず、仕返しなんてどうでもいい。自分が幸せになったその瞬間が仕返しとなるのだから、それでいいじゃない。
じゃあ、この先の未来、あたしの生み出す光はどうなるの?
誰にも見られず、認められず、あたしの手の中で、暗闇の部屋の中で溶けて消えてしまうの?
あたしの唯一の特技。
あたしの唯一の希望。
あたしの光。
きらきら輝く、美しい光。
「才能はありません」
あたしが言うと、ホームレスが黙った。
「わか、か、か……ってます」
上手く呪文も言えない。唄えない。けれど、
「好きなんです。光魔法」
復讐に使おうとしたけれど、
「これを、み、み、見てると、あん、あんし、し、し……んするんです」
本当は魔法使いなんてどうでもいい。
本当は上のクラスに上がるのなんてどうでもいい。
「あたしは」
ただ、
「光に包まれて、生きていきたいだけです」
ホームレスはにこりと笑った。
「なるほど。貴女は光というものが随分とお好きなんですね。なるほど。だから光魔法使いになりたいんですね。はあはあ。そうでしたか」
そうだ。思い出した。あたしは光が好きだった。
光を見てると安心する。だから部屋を暗くしていたんじゃない。
光がより美しくなるために。
「それを聞いて安心しました」
ホームレスが立ち上がり、あたしに振り返った。
「お弁当ご馳走様。感謝感激雨あられ。本当にありがとう。心からお礼を伝えます。だからこそ、喋り方拙いお嬢さん。一つだけプレゼントという名の助言。……光魔法使いは人気がある。才能溢れる者達が既に地位を獲得して居座ってしまっている。もはや今の時代光魔法使いは口から吐くほどいるわけであり……特に発達障害者には向いてない。これ事実です。だって、いざって時、発達障害者って瞬時に対応できないでしょう? 自分の思う通りにならないと、というのも予想外の事が起きると一度パニックになって考えて、頭を整理させる。難病な貴女にかかる時間は何秒? はい。おしまい。ゲームオーバー。アウト一発。これが戦争であれば命を取られ、獣討伐であれば心臓を食われる。はい。願いを叶えました。今私と喋っていた貴女の喋り方を聞いていたけれどその滑舌では呪文もまともに唱えられはしない。10年間勉強していたにも関わらず吃り癖も治らない。これでは光魔法使いは愚か、魔法使いすらなれはしない。ああ、『もどき』にはなれるでしょうね。わかります? ほら、SNSで発信している魔法使いもどき。言っておきますがね、プロは全く違いますよ。私は魔法使いオタクなのでね、うひひひ! わかるんですよ。全く違います。それでお嬢さん、私は思うわけです。貴女は今すぐにでも学校を辞めて就職した方が良い。まだお若いのに目にクマが出来てる。お可哀想に。お弁当のお礼に私は貴女の幸せのために助言を与えましょう。今すぐ辞めなさい。貴女には向いてない」
ホームレスがあたしの頭に手を乗せて、優しく撫でた。
「それではね。優しいお嬢さん。ここいらでお暇しますよ。恨まれて通報されては適いませんからね。それではね。さようなら」
ホームレスはそう言って、ふらふらと去っていった。
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