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十章:お休みなさい 夢と希望(後編)

第22話 感染していく世界

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 城下町を歩く住民の肩がぶつかり合った。

「ああ、すみません」
「おい、お前今わざとだろ」
「え? いや、まさか。ちょっとぶつかっただけです」
「いいや、わざとだね。お前、俺を怪我させたかったんだろ。そうなんだろ」
「すみません。急いでいるので」
「おい、逃げる気かよ!」

 男が男の胸倉を掴んだ。

「俺を傷つけようとする奴は絶対許さない!」
「おい、落ち着けよ……!」

 男が飴を口に入れ、そのまま呑み込んだ。そして――皮膚と筋肉が膨れ上がり、姿を変えた。ぞっとした男が、悲鳴を上げた。

「うわああああああああああああ!!!」

 電話の連絡を受け、ニクスが受話器を取った。

「もしもし? おばさん、急ぎの用事だって聞いたけど……」
「ああ、それがね、もう大丈夫なの」
「え? そうなの? ああ、良かった。珍しく焦ってる様子だったって聞いたから、どうしたんだと思った」
「ニクスは願い事ってある?」
「え? どうしたの? 急に」
「願いが叶ったの」
「それはおめでとう! へえ! 願いって何?」
「気持ちがね、とても幸せになれるのよ。ニクスも舐めるといいわ」
「……舐める?」
「そうよ。幸せの飴よ」
「飴……?」
「飴を舐めると願いが叶うの。みんな幸せになれるのよ。あの人からいただいたの」
「おばさん」
「ニクスも舐めるといいわ」

 笑い声が聞こえる。

「これを舐めたら、願いが叶うのよ!! あはははははははは!!」

 ニクスが受話器を強く置いた。走り出す。何も持たずに躊躇なく学園から逃げ出した。そして、驚いた。町中、悲鳴が飛び交っていた。

「何が……起きて……!」
「待ちやがれ!」
「やめろ! やめてくれ! ……うわあああああああ!!!」
「助けてー!」
「ひゃはははははは!!」
「これは……そんな……」

 ニクスが悲惨な城下町を見て、走り出した。向かうのは――ブランド・チェシャ。

 ドアが叩かれた。アリスが返事をする。

「はーい」
「アリス、いるかい」
「はいはい、待ってください。よっこいしょっと」

 アリスがドアを開けた。上司のガットが笑顔で立っていた。

「ご注文ですか?」
「アリスには願いはあるかい?」
「は? いきなりなんですか? 願いですか? そりゃあ、願い事だらけですよ。まさか、願いを叶える帽子をご注文とか、言わないですよね? そんなの思いつかないですよ」
「おお、それはいい。思いつかないなら良いものがあるんだ」

 ガットが差し出した。アリスは眉をひそめる。

「この飴を舐めるといい」
「……いや、ガットさん。袋に包んでるとかならわかりますけど、生って……」
「アリス、美味しいよ。舐めてごらん」
「いや、結構です。いらないです」

 アリスがドアを閉めようとして――ガットがドアを破壊した。アリスが目を見開く。ガットの腕が、あり得ない方向に曲がっている。

「え!? ……えっ!?」
「飴を舐めるんだ。アリス」
「はあ!? 何言ってるんですか!?」
「飴を舐めなさい。アリス」
「ジャックの仕業? これは……悪夢?」

 アリスが後ろに下がる。鉛筆で自分の手を突き刺してみる。

「痛いっ!」
「アリス、飴を舐めるんだ」
「え? 現実……? なんで……? だって、あり得ない。現実で……でも……確か……ニコラの時に……」
「飴を……」
「っ!」

 アリスの腕が掴まれ、無理矢理振り向かされる。ガットの目が薄く開かれた。

「飴を舐めるんだ! アリス!」

 ――後ろからニクスが持ってた壺でガットを殴った。壺が割れ、ガットがその場に倒れる。アリスが力なく座り込むと、ニクスが手を差し出した。

「アリス!」
「兄さんの時と一緒……。皮膚が動いて……ありえない姿になって……また……また現実で……起きるなんて……!」
「さあ、立って! 早く!」
「あ……あ……!」

 アリスが震える手でニクスの手を掴み、弱々しく立ち上がる。ニクスと走って店から抜け出した。向こうに襲われている人がいる。馬車が暴走する。事故が起きる。火事になる。ホームレスが雨を舐めた。皮膚が蠢き、姿を変えて狂暴化する。人々は逃げ出す。パニックになる。ニクスがアリスを引っ張り、城下町の外れに向かって走っていく。

「ニクス! どこに行くの! みんな、教会に向かってるわ!」
「教会は駄目だ! エメラルド城も門を閉じてる!」
「なら……」
「大丈夫!」

 ニクスがドアを叩いた。

「ビリーさん! 開けてください!」

 ビリーがドアを開けた。青ざめた顔のニクスとアリスが息を切らしていて、ビリーが顔をしかめた。

「どうした」
「中毒者が!」
「何?」
「城下町で……急に……大量に現れて!」
「キッドはどこ!? いるの!?」
「……二人とも入りなさい」

 ビリーが二人を中に入れてから、辺りを見回し……頑丈にドアを閉めた。

 緑の魔法使いがいなくなった今、城下町を守っていた壁は消えた。オズが歌う。踊ってみせる。エメラルド城の屋根の上で、城下町から飛び交う悲鳴を聞いて、恍惚とする。

「そうそう。これこれ」

 オズが微笑む。

「これなんだよ。求めていたのは」

 オズがスキップした。

「世界が終わる」

 ようやくだ。

「世界は終焉へ向かう」
「そして」
「わらわは」

 スキップする。

「家に帰れる」


 人々の悲鳴が飛び交う――。


(*'ω'*)


「……テリー、起きなさい」
(……やば……。熟睡してた……)

 既に夕日が沈みかけている。半日眠っていたようだ。夜眠れるかしら。ママに肩を叩かれ、ようやく起きる。

「ついたの?」
「早く荷物を持って船に乗りなさい」
「……は……?」

 馬車が到着したのは港だった。あたしは辺りを見回す。

「何? どういうこと?」
「事情は後よ。避難する使用人たちも家族を連れて後から島に来る予定だから」
「避難? ママ、言ってることがわからな……」
「荷物を持って」

 ママがそれだけ言って、鞄を持ちながらセイレーン・オブ・シーズ号に向かって歩き出した。外から慌ただしい音が聞こえる。サリアが外から馬車の中を覗き込んだ。

「テリー」
「サリア、どうしたの? なんで港に……」
「城下町が危険だと」
「どういうこと?」
「歩きながら話しましょう」
「サリア! 急げ!」
「さあ、テリー」

 サリアが手を差し出した。

「行きましょう」
「……」

 あたしはドロシーの血が付いた制服を着たまま、サリアに連れられて歩き出す。港には多くの人間が集まり、抗議していた。船に乗れないってどういうこと!? 頼む。助けてくれ! 町には戻れない!

「サリア、キッドは?」
「城下町へ」
「リトルルビィとソフィア……さんも?」
「ええ」
「何があったの?」
「わかりません」
「わからないの?」
「良くないことが起きているのは確かです」

 ただ、

「私も状況が、全くわからないんです」
「ピィ!」
(あ)

 リオンのペットの幸せを呼ぶ青い鳥のぴぃちゃんが、あたしの目の前に飛んできた。

「あんた、ここで何やってんの?」
「ピィ」
「テリー、足に文が……」
「あ……」

 あたしが文を外すと、ぴぃちゃんが空へ飛んでいった。

「ピィ!」
(……リオンからだわ。一体何が……)

 あたしは目を見開いた。

 ――ドロシーの死により、城下町を守ってた壁がなくなった。
 よって、中毒者が大量発生している。
 城下町は呪われた。
 君はメニーと共に、カドリング島へ避難するんだ。

 今行かないと、戻れなくなるぞ。


「……」

 あたしの足が止まった。サリアが慌てて振り返る。

「テリー!」
「……なんで……こうなるの……」

 手が震えてくる。

「戻る……」
「いけません!」
「クレアが残ってる」
「テリー!」
「城下町に、クレアがいるの! クレアを置いてはいかない! クレアだけは……絶対に残していかない!」

 あたしが馬車に戻ろうとすると、サリアがあたしを引っ張った。

「テリー!」
「離して! サリア!」
「いけません! テリー!」
「戻る! あたしは戻る!! 城下町に戻るの!!」
「サリア! ……テリーお嬢様!」
「ロイ、手伝って!」
「やめて!」

 ロイとサリアがあたしを無理矢理引っ張る。

「なんでよ! なんで置いていかなくちゃいけないのよ!」

 手を伸ばす。

「クレアに会わせて!」

 引っ張られる。

「ニクスも、アリスも、まだ、じいじも、城下町に、だから! だから!!」

 ――強い力で、肩を掴まれた。振り返る。――クルーのマチェットが、あたしを見下ろしていた。

「……地上から離れます。早く乗りなさい」
「……乗らない。あたしは……!」

 マチェットがあたしを引っ張った。

「マチェット! やめて!!」
「インカム失礼します。全員乗りました」
「マチェット!!」

 船が離れる。港に集まる人々が叫ぶ。お願いだ。乗せてくれ! 頼む!! 乗せてくれーー!!

「まだ戻れる! クレアが城下に向かったの!」
「無理です」
「お願い! 早く船を戻して!」
「できません。マチェットには権限がありません」
「いいから戻して!」
「テリー」

 サリアがあたしの肩を抱いた。

「あたしは戻りたいの! 船を戻して! 今すぐ! 早く!」
「できません」
「マチェット! 船を戻しなさい!!」
「この船はカドリング島と隣国に行き、もう戻りません」

 あたしは一瞬、思考が停止した。

「……港に残された人達は?」
「あのままです」
「メグさんは?」
「運の良いことに、乗らせて頂いてます」
「あんたの家族は?」
「家に残ってます」
「友達は?」
「残ってます」
「あんたはそれでいいわけ?」
「異変が起きたのは早朝です。突然……呼んだとしても……来られません」

 港はどんどん離れていく。

「部屋にご案内します」
「……」
「……さあ、テリー」

 サリアがあたしに優しい声をかける。

「行きましょう」
「……」
「案内をお願いします」

 マチェットが頷き、あたしの部屋へ連れていく。サリアが荷物を置き、ベッドに倒れるあたしに訊いた。

「テリー、お腹空いてるでしょう。食事を頼んでおきます」
「……いらない」
「……モニカ達に顔を見せてきます。久しぶりですから」

 サリアが部屋から出ていくと、廊下にアメリアヌとメニーがいた。アメリがサリアに声をかけた。

「サリア、テリーは」
「今は……」
「……キッド様、城下町だっけ?」

 サリアが頷くと、アメリが険しい顔をした。

「……そうよね」
「お姉ちゃん」

 メニーが大声を出した。

「入ってもいい?」
「……」

 サリアとアメリが見つめる。あたしはメニーを手招きした。メニーが二人を見て、頷き、ゆっくりとドアを閉めた。あたしのベッドに歩いてくる。

「……テリー」
「リオンから文が届いた」
「うん」
「……状況は?」
「……ドロシーがいなくなったことで、ドロシーが張ってた壁みたいなものが消えちゃったんだって」
「……それで?」
「オズは、その壁が……多分、結界みたいなものだと思う。今まではそれがあったから、好き勝手出来なかった。きっと呪いの飴も、慎重に渡し回ってたんだと思う」
「……」
「だから、今、城下町は完全にガラ空き状態で、オズの好き勝手に出来ちゃうの。願いを叶えたい人なんて山ほどいる。幸せを祈る人なんて口から吐くほどいる。……中毒者が大量発生して、エメラルド城も窮地に追い込まれてる」
「……」
「テリー、わたし達が例え戻ったとしても……足手まといになるだけだよ」

 だからね、

「わたし達は……安全な場所に逃げよう」
「……」
「……テリー」
「……怒っていいのよ」
「怒る?」
「あたしのせいだって」

 あたしがあの時、何としてでも避けてれば、

「無理だったよ」
「……」
「だって、リトルルビィも、わたしの魔力も、絶対間に合ってなかった。あのままだったら、テリーが殺されてた」
「でもそのせいで、ドロシーが死んだ」
「……」
「わかる? ……死んだのよ。あたしを庇って」

 あたしはうずくまる。

「犬死によ」
「……テリー……」
「怒ってよ」

 メニーがベッドに乗り、あたしを抱きしめた。

「やめて」
「大丈夫」
「触らないで」
「大丈夫」

 メニーがあたしを強く抱きしめる。

「大丈夫。テリー」

 あたしはメニーに顔を見せないように、枕に顔を埋めた。絶対に見せてはいけない。貴族は強いの。あたしはお前の姉なの。強いの。だから、見せてはいけないの。

 濡れる枕に、気づかれませんように。

「クレアさんが城下町に向かった。リトルルビィも、ソフィアさんも、リオンもいる。……大丈夫。まだ希望はある」
「希望は眠ったわ。夢も、希望も、全部眠った。もう二度と、起きることはない」

 お休みなさい。夢と希望。

「もう……二度と……起きてこない……戻ってこない。アルテも……あいつも……!」
「……。……? ……っ」

 メニーが驚いたように起き上がった。だが、あたしは振り向かない。メニーが息を呑んだ。

「テリー」
「……何」
「それ、いつから持ってたの?」

 あたしは瞼を上げた。

「持って……なかったよね?」

 あたしは顔を上げた。




 星の杖を、持っていた。



「……」
「ドロシーの杖」

 メニーが杖に触れた。触れる。

「テリー、これ……」
(……なんで)

 あたしも触れる。握れる。

(こんなの持ってこなかった。そもそも、ドロシーの手にもなかったはず……)

 あたしは杖を見つめる。

(ドロシーの杖……?)

「それとね……テリー……落ち着いて聞いてほしいの」
「なに……」

 あたしはメニーに振り向き……眉をひそめた。

「うん。あのね……ゆっくりイメージして」

 あたし達が乗るベッドが、宙に浮いていた。

「何」
「ゆっくり下りていくイメージをするの」
「ちょっと、メニー、やめて。下ろして」
「違うの。テリー、あのね、これは、わたしじゃなくて……」
「下ろして!!」
「テリっ……」

 ――ベッドが地面に落ちた。あたしとメニーが悲鳴をあげた。ドアが開かれた。

「ちょっと何してるの!?」

 アメリが部屋を見て、唖然とした。

「ちょっと……テリー! また発狂してメニーに当たったわけ!?」

 ――グチャグチャに家具が倒れた部屋に、アメリが怒鳴り、すかさずサリアが入ってきた。

「テリーお嬢様!」
「あ、あたし……あたし……」
「テリー」

 背中に杖を隠すあたしの耳にメニーが囁く。

「イメージして。杖は必要ない」
「……」
「杖は必要ないから消えていく。ゆっくりと、消えていくの。イメージして」
「……」
「杖が消えていく。……消えていく」

 ……杖があたしの手から消えた気がした。メニーがあたしの手を握る。

「……そう。それでいいの。上手だよ。テリー」
「テリー、大丈夫です」

 サリアがあたしを抱きしめた。

「落ち着いて。もう大丈夫。私がお側にいますから」
「……」
「大丈夫。……大丈夫。……落ち着いて……」

 サリアに抱きしめられながら、あたしはメニーを見る。メニーが窓を見る。あたしも窓を見る。……窓に反射されたあたしの瞳が、緑色に光り――ゆっくりと元の色に戻っていった。

 日が落ちていく。
 海の波が揺れている。


 魔力を持ったあたしの手が、サリアをそっと、抱きしめ返した――。






 十章 お休みなさい 夢と希望(後編) END
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