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九章:正しき偽善よ鐘を鳴らせ(後編)
第2話 思い出3
しおりを挟む「こんにちは。テリーお嬢さま」
先生は、あたしの目の前に座った。
「今日は、お嬢さまのカウンセリングに来ました」
先生はそう言って、前かがみになってあたしの目を見た。
「なにか、話したいことはあるかい?」
あたしはしばらくじっとした。
「なんでもいい。わたしに話してくれないかな」
あたしは先生をじっと見た。
「今朝はなにを食べたんだい?」
「なにも」
あたしはテディベアをしっかりとだきしめた。
「それはいけない。きちんとご飯は食べなくては」
「食欲ないもの」
「どうして?」
「わからない」
「そうかい」
「先生」
あたしは言った。
「しんどい」
「なにがだい?」
「しんどいのよ」
「なにがだい?」
「全部しんどい」
「そうかい」
あたしの言葉に先生はうなずいた。
「疲れた」
「そうかい」
「だるい」
「そうかい」
「きつい」
「そうかい」
「痛い」
「そうかい」
「しんどい」
「そうかい」
「しんどい」
「そうかい」
「しんどい」
「そうかい」
先生はうなずき、あたしはまた黙った。そして、静かにまた呟いた。
「……疲れた」
「ええ。お疲れのようですのう」
「あたし」
あたしはテディベアをきつくにぎった。
「人を殺したの」
あたしはゆっくりと吐き出すように話した。
「足がすべったの。つるんって氷の上をすべるみたいに。それで、あたしころんだの。でもすぐに起き上がろうとしたのよ。にげることにいっぱいいっぱいだったの。だって、こわいひとがいたから」
「こわい人?」
「腕がね、いっぱいなの」
あたしは言った。
「目がギラギラしてて、クモみたいだった。あたしたちを追いかけてきたの。最初はそんなすがたしてなかったのに、腕が、体からはえてきてて、足もはえてた。それで包丁を持ってたの。それで、大きくてこわい声を出すから、あたし、動けなくなって、でもね、ちゃんと起きようと思ってたの。でもこわかったの。そしたら」
こわいひとがもう目の前にいて、
「あたしの前に」
だれかが飛び出して、
「あたしの代わりに」
包丁が体を突き破るほど刺されたの。
「こわいひとは、ちゅうしゃを刺したとたんに動かなくなったんだけど、包丁で刺されたひとも動かなくなったの」
それでね、
「ずっとあたしのこと見てたの」
あたしは思い出す。
「きれいな青い目をしてた」
「黒に近い青い目をしてた」
「血が流れてた」
「青い目が、あたしからはなれないの」
「あたしのことずっと見てるの」
「あたし、こわくて」
「ずっとそのひとの手をにぎってたの」
「でも冷たくなって」
「あたし、どうしていいかわかんなくて」
「ずっとにぎってるんだけど、でも冷たいから」
「そしたらそのひと」
「なにか言ってて」
「あたし、きいたの」
先生がうなずいた。
「なんて言ってたんだい?」
あたしは言った。
「王さまになってないのに、まだ死ねないよ」
先生がゆっくりとうなずいた。
「……。そうかい」
「頭からはなれないの」
きれいな顔の死体。
「ずっとあたしのなかにいるの」
あたし、呪われたんだわ。ころんだから。
「もうしんどい、疲れた。もうやなの」
「テリーお嬢さま」
先生があたしの手をにぎった。
「一つ、治療をしましょう」
「ちりょう?」
「わたしはカウンセラーでもあり、医者でもあるのです」
「……」
「いいですか。目をつむって」
あたしは目をつむった。先生があたしの頭を両手で掴んだ。
「いいですか。今から治療をします。わたしの声をよくきいて」
あたしは先生の声をきいた。
「さあ、かわいい幽霊、お嬢さまから出ていきなさい。無事に成仏したら、いちごケーキをあげよう」
あたしは思った。お願い幽霊さん。出ていって。あたしこわいの。
「さあ、お嬢さま。どんどん忘れてきますよ。幽霊がお嬢さまから抜けていっているようです。さあ、どんどん記憶がなくなっていきますよ。さあ、どんどん忘れていきますよ。忘れていきますよ。忘れていきますよ」
あたしは先生の声をよくきいた。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
忘れていく。
あの日あったできごとを忘れていく。
どんどん記憶が薄らいでいく。
赤い血も、青い目も、どんどん消えていく。
そんな気がした。
「さあ、もういいですよ」
あたしは目を開けた。
「さあ、どうですか?」
「……なんか体が軽くなった気がする」
そんな気がした。
「ちりょうをしたの?」
「ええ。そうですよ」
「すごい。あたし、ほんとうに体が軽くなった!」
そんな気がした。
「先生、これであたし、夜にうなされないで済むかしら」
「ええ。もう大丈夫ですよ」
「よかった!」
あたしはとっても安心した。
「どうもありがとう。先生」
「いいえ。お役に立ててよかったです」
「お仕事がすばらしかったってママに報告してあげる。ベックス家の専用カウンセラーにしてあげるわ!」
「ほっほっほっ。とても素敵なお誘いですが、わたしはもう引退する身でしてな」
「……そうなの?」
「最後の仕事として、お嬢さまとお話しをさせていただきました」
「ふーん」
「もう話したいことはありませんか?」
「えっとね、それじゃあね」
「ええ」
「メニーの話をきいてあげて」
「メニー?」
「妹なの」
「ほう」
「お金はあたしのお小遣いからあげる。メニーもちりょうしてあげて」
「メニーは、なにか困っているのかい?」
「あの子はここに来なければ、もっとしあわせになれたと思う」
「ほう」
「あの子のお父さまが亡くなってから、ママがメニーを家で働かせるようにしたの」
「……なるほど。貴族ではよくある話ですな」
「あの子、手がぼろぼろで、最近ずっと暗い顔してるの。とってもつらそうなの。だからお願い。ちりょうしてあげて」
「……わかりました。なにかできないか、方法を探してみましょう」
「ありがとう、先生。あ、待ってて」
あたしはお小遣いを先生に渡した。
「これでお願い」
「これは、取っておきなさい」
「いいのよ。先生。受け取って」
あたしはお金を先生に託した。
「メニーをちりょうしてあげて」
「わかりました」
先生は受け取った。
「今日はありがとうございました。お嬢さま」
「お願いよ。ぜったいよ」
「ええ。約束しましょう」
先生が屋敷から出ていった。あたしは先生を待った。しかし、いくら待っても先生がふたたび屋敷に来ることはなかった。あたしはギルエドに言った。
「この間のカウンセリングの先生、とってもよかったわ。あの先生もう一回呼んで」
ギルエドが連絡をした。しかし、そのあとこう言われた。
「テリーお嬢さま、別の先生であれば来られるみたいです。お呼びしますか?」
「前の先生がいいわ」
「お嬢さま」
ギルエドが言ったの。
「前の先生は、急病で亡くなられたそうです。ですので、新しい先生を紹介していただきましょう」
大人ってそうよね。
みんなうそをつく。
ちりょうしてくれるって言ったのに。
うそつき。
あたし、うそつきはだいきらい。
「ギルエド、お小遣いなくなっちゃった。ちょうだい」
生きてるあたしはママとショッピングに出かけて、たのしんだ。
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