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八章:泡沫のセイレーン(後編)
第12話 対価魔法(2)
しおりを挟む翡翠のような緑の瞳があたしを見つめる。
「今、君の記憶の一部を見た」
「どうだった?」
「誰かがメニーを人魚にしようとしてる」
「でしょうね」
「あれは魔法を発動させる前の段階だ」
ドロシーがあたしの額から離れ、懐からヒビの割れた水晶を出したが、メニーは映らない。
「まずいな。早急に異空間への入り口を見つけて、メニーを連れ戻さないと……」
「不完全体の人魚にされる?」
「だろうね」
「ちなみに」
「不完全体になれば、簡単に戻る事はできない。以前君に使った最強の魔法なら、出来ないこともないけど」
「でもあの魔法は」
「一回きり」
「ああ……」
あたしは俯いた。
「なんてこと……」
「テリー……」
「このままでは……メニーが人魚に……」
ドロシーが体を震わせるあたしを見た。
「……不完全体の人魚に……」
あたしは、
笑顔で天に感謝をした。
「っしゃあああああああああああああああああ!!」
ドロシーが真顔になった。
「くたばれええええええええ!!」
ドロシーが冷たい目をあたしに向けてきた。
「ざまああああみやがれ! メニイイイイイイイイ!」
あたしは拳を固め、お礼を伝える。女神様、どうもありがとう!
「散々あたしを引き立て役にしてきた罰よ!! お前は、今日で、消え失せる!! あたしの前から、抹消する!!」
ドロシーがため息を吐いた。しかし、あたしは気にすることなく、椅子に足を乗せ、それはそれは上機嫌で笑った。
「おーーーーほっほっほっほっ! メニーめ! ざまあみろ! 美人はいつもピンチになって大変ね! ああ、愉快、愉快! 中毒者、よくやった!! これでようやくメニーが朽ち果てる! あたしの未来が守られる! 良くってよ! メニー! この船が沈む代わりに、てめえがくたばっちまえ!! そしてあたしは幸福を手に入れる! 愛し愛する! さすればあたしは救われる! そう! 勝つのはこのあたし! テリー・ベックス!! ほっほっほっほっ! おーーーーーほっほっほっほっほーーーーーー!!」
ドロシーが手を叩く。
「はい、ストップ」
「あ?」
「君、そんな事言っていいのかい?」
「もっっちろん、良いに決まってるわ! ドロシー! 女神様はこのあたしの味方よ! 今度こそあのクソ女がくたばる時が来たのよ! あ、大丈夫。メニーの葬式では上手くやるから。ああ、あたしのメニー、どうして死んでしまったの。およよよ、ぐすん、ぐすん……どうよ? え? この名演技。この六年間! メニーのお陰で鍛え上げられたこの演技力! はあ。流石あたし。役者になれるわ。そして涙が止まらないあたしはクレアに慰めてもらって……ハッピーエンド!」
あたしは地面に膝を滑らせ、拳を固めた腕を天に向け、胸を張った。
「死刑回避!! 罪滅ぼし活動卒業! あたしは! 自由の身!!!!」
「船が沈む運命にメニーがいれば回避出来るという発想に、どうして君はならないんだい?」
「……」
(は?)
あたしは顔をしかめ、ドロシーに振り向いた。
「なんですって?」
「テリー、クレアは魔力を操れる最強の魔法使いであり、この世界の救世主だ。でもね、クレアだけじゃない。メニーはクレアよりも強力な魔力を持ち、それを操れる。君だって、メニーが魔女だって言ってたじゃないか」
その通り。間違えてない。
「メニーは最強の魔女だ」
船を沈まないようにさせる事だって、容易いだろうね。
「テリーならわかるだろ? 今日は、出航して何日目だい?」
三日目。
「船が沈むのは?」
三日目。
「外には」
霧。
「海は」
非常に静かで穏やかだ。
「時間がずれる可能性もある。だが、氷山は必ず現れる。テリー、歴史が繰り返され、その上、人魚になったメニーが理性を失い大暴れしたら、どうなると思う?」
それこそ、船が沈んでしまう。
「……」
ドロシー、どうか違うと言って。あたしの解釈ではないと。その言葉の意味はつまり、
「……船を沈ませたくなければ、メニーが人魚にされる前に連れ戻せってこと……?」
ドロシーは口角を上げる。あたしもせせ笑う。
「あはは! そんなの! クレアに倒してもらえば……」
「ねえ、テリー、目的は忘れちゃいけないよね?」
緑の瞳が光る。
「君の今回のミッションはなんだっけ?」
罪滅ぼし活動ミッション、マーメイド号沈没事故を阻止する。
「せっかく助かるのに、君は自らの手でそれを捨てるのかい?」
メニーがさらわれた。そこまでならあたしに選択の余地はあった。けれど、それも前提がなければの話だ。
あいつは魔力持ちだ。魔法使いだ。
「ああ、そうだ。逃げれば助かるかもね」
海の上に逃げ場はない。
「ああ、そうだ。ソフィアに催眠を使ってもらおう」
ソフィアは動けない。
「ああ、そうだ。リトルルビィに戦ってもらおう」
リトルルビィは動けない。
「ああ、そうだ。リオンに悪夢を見せてもらおう」
リオンは動けない。
「じゃあ、もうクレアしかいないね。……あー、でも、うーん。大丈夫かなー? いくらクレアが世界の救世主だからと言って、クレアよりも魔力を持ってるメニーを相手にできるのかな?」
それと、
「中毒者もまだ残ってる」
ああ、
「ボクは駄目だよ。海の上ではボクの勝手が利かないからね」
この船が沈むか否か、全ては君の選択だ。
「テリー」
にやぁと笑うドロシーは何とも素敵な笑顔だ。
「ミッションは、もう決まってるね?」
「……っ」
「さあ!」
嫌よ!
「さあ! テリー!!」
ドロシーが口角をうんと上に上げて、星がついた杖をくるんとまわした。
「今回のミッションは!」
水槽の中に閉じ込められたあたしにブルーライトが照らされる。群がる客達がそれを物珍しそうに眺めてくる。あたしは前後左右から目玉に見られる。目玉はあたしの言葉を待っている。あたしは言うしかないのだ。だってこれはあたしの罪滅ぼし活動。全員が、あたしの償いを待っている。
(……あたしが何したってのよ……!)
沈没事故はあたしのせいじゃない。
(あたしは、ただ風邪を引いて、船に乗らなかっただけ!)
そう。そこで全てが狂ったのだ。あの時、あたしが風邪を引かずに家族で船に乗っていれば、社長のママがいて、責任者がいて、指示も違えば行動も違う。また何か違った道があったはずなのだ。
船が沈んだ。全てがおかしくなった。誰が原因だ。誰が悪い。罪人は誰だ。人差し指があたしを差す。お前が悪い。風邪を引いたお前が悪い。
けれど、だったら、どうする。今ならまだ間に合う。メニーは人魚になってない。船は沈んでない。どうする。あの女が憎いというくだらない理由で、ここまで守ってきた自分の未来をぶち壊すか。いい? テリー、落ち着いて。築き上げるには時間がかかるけど、
壊れるのは一瞬よ。
(……風邪を引いただけ……。それだけなのに……)
拳を握って、歯ぎしりを立て――あたしは、唸るように答えた。
「……『人魚になる前に、メニーを連れ戻す』……」
客達が歓声を上げ、拍手をした。ドロシーが星の杖を天に向ける。
「復唱!」
「……愛し愛する……さすれば……ぐっ……君は……救われる……」
「うーーん! エクセレンテ!」
「何がエクセレンテよ!! くそったれ!!」
あたしは水槽世界を蹴飛ばし、忌々しい緑の魔法使いを睨みながら、親指の爪に噛み付いた。
「今度こそあの小娘を片付けられると思ったのに! 畜生! 馬鹿!」
「運命はいつだってメニーの味方だ。君の思い通りにはさせないってね」
「何が運命よ! 畜生が! 何でもかんでもあたしのせいにしやがって! 何よ! 女神様! あたしが何をしたって言うのよ! 風邪なんて誰だって引くでしょ! あんたは引かないわけ!? ああ、そうですか! はいはい! わかりましたわ! どうせあたしは歩く病原菌よ! こうなったら出会った奴ら全員に菌を撒き散らしてやるからね! 覚えてやがれ! クソ!!」
「そうと決まれば、善は急げだ」
ドロシーが緑色のマントを翻し、星の杖をくるんと回した。
「テリー、扉の多い所に行けば、異空間に行けるかもしれない。移動開始だ!」
「……中毒者がいたらどうするの? あたし、戦えないわよ」
「あー、……じゃあ、とりあえず、……君の愛しのハニーに、この事を伝えに行ったら?」
「……それが一番無難かもね。……はあ……」
(……クソ……。運の強い奴め……)
メニーが既に人魚になっていれば、また違ったかもしれないのに。というか、魔力が使えるなら中毒者にさらわれかけた時に抵抗すれば良かったのに。というか、そもそも中毒者がグズグズしてメニーを人魚にしないからこうなってるわけであって。
(グズグズしてんじゃないわよ! 中毒者! お前のせいであたしはあいつを連れ戻さなくちゃいけないじゃないのよ!)
しかも、自分の手で。
(くぅううう!! 中毒者風情がノロマのくせに大暴れしやがって……! 絶対に許さない……! 手始めに、てめえにあたしの菌を移してやるからね!!)
バッ! と勢いよく振り返ると――マチェットが定規のように立っていて――背筋が凍り、心臓がばくばくと激しく揺れ、俯いて、息を吸って……叫んだ。
「驚かさないでって言ってるでしょうがあああああああ!!!」
「すみません。どのようにお声かけをしようか考えてました」
「やめてよ! もおおおおおおお!!」
あたしは膝を抱えてその場に座り込む。目の前ではネコになったドロシーがとぼけ顔でマチェットを見上げる。にゃー?
「最低。ほんと最低。ああ、最悪。もう立てない。お前のせいよ。びっくりしすぎて心臓が飛び出たの。心臓発作になって死んじゃったかもしれない。あーあ、もう駄目。視界がクラクラする。目眩だわ。どうしてくれるのよ。あたしが死んだらあなたのせいよ。どう責任取るのよ。あたしの心臓が揺れ動いて仕方ないわ。苦しい。痛い。きっと何かの発作に違いないわ。あーあ! どう責任取るのよ! マチェット!」
「それだけ舌が回るあなたが死人であれば、死人に口無しという言葉は存在しないかと」
「なんて事言うの? こんなか弱い女の子に大丈夫の一言もないの? 普通は、驚かせてしまって申し訳ございません、でしょ? あたしは社長の娘なのよ? あなたの雇い主の娘なのよ?」
「マチェットを雇ったのは人事部です」
「うるさい。黙って。太眉のくせに生意気なのよ。ちょっと身長が高いからって人を見下ろしやがって。いい? あんたみたいな顎はね、どうせいつかケツ顎に変わるんだから。覚えてなさい。ケツ顎よ。ケツ顎。ざまあみろ」
「……」
「アルコールスプレーを構えないで! ねえ、見てわからない!? あたし、今、すごく感情が揺れ動いてるの! 女の子だから! レディだから! あたし、可哀想なの! そんなあたしにアルコールスプレーを構えるなんて! どうかしてるわ! わかってる!?」
「わかりません」
「ああ、落ち着いてきた。心臓の高鳴りが小さくなってきたわ。はあ。誰かさんのせいで怖い思いをしたわ。いい? もう驚かせないでよ」
「かしこまりました」
「それで? あなた、何しにここにきたの? またメモでも忘れたわけ?」
「同じ事をあなたに訊くつもりでした。ネグリジェのまま、関係者以外立入禁止のスタッフルームで何を?」
「ああ、あたしはもういいの。用済み」
マチェットが不服そうな顔をした。あたしはやれやれと言いながら立ち上がると、ネグリジェの裾から何かが転がり落ちた。
「ん?」
カラン、と音が鳴り、マチェットの足元に転がっていく。
(ん?)
花の形の指輪。
(……え? あたしのネグリジェから出てきた? 待って。……見た事ない指輪だわ。どこで引っ掛けたのかしら?)
マチェットが足元を見下ろし、指輪を視界に入れたその瞬間――……マチェットの顔色が変わった。
(ん?)
確認するようにゆっくりと指輪を拾い上げ、見つめる。観察する。指輪の中を覗く。そこには、『メグ・グリエンチャー』と書かれている。
「……。……。……」
マチェットがあたしを見下ろした。
「これを、どちらで?」
「知らない」
「……」
「な、何よ。その目は。あたしだって今は初めて気付いたの」
「……」
「……落とし物ボックスに入れておくわ。頂戴」
「これはあなたのではありません」
マチェットが一歩引いた。あたしはきょとんとする。
「……あなたのでもないでしょ」
「いいえ」
「……マチェット、いくら気に入ったからって誰かの落とし物を貰うのは意地汚……」
「これはマチェットが渡したものです」
……。
「え?」
「メグに渡したものです」
「……メグ?」
あたしは眉をひそめた。
「誰のこと?」
「……これをどこで拾ったんですか?」
マチェットが鋭い目を更に鋭くさせ、あたしを睨んできた。その顔は、決してふざけているわけではない。真面目にあたしに訊いているのだ。だからこそ、あたしは戸惑ってしまう。
「マチェット、ストップ。何を怒ってるのよ」
「怒ってません。訊いているだけです」
「それはわかってる。だから……思い出してみるから、あなたも教えて。その指輪、誰のなの?」
マチェットは何も言わない。
「誰に渡したものなの?」
マチェットは何も言わない。
「マチェット、別に、あたし説教とかするつもりじゃなくて、詳細がわからないと何も……」
「……」
「マチェット」
「あなたが」
マチェットがあたしから目を逸らした。
「昨日、迷い人だと言った方です」
メグ・グリエンチャー。
「一日目の夜から、部屋に戻ってないと」
「……あー」
そういえば、そんな話をマチェットにした気がする。変わったお茶をくれた婦人の娘が、部屋に戻ってないから心配してるって聞いて、偶然会ったマチェットにお願いしたのよ。全クルーに連絡するようにって。
「……」
え?
「まさか、まだ見つかってないの?」
マチェットが黙った。
「……知り合いなの?」
「……彼女は」
マチェットは答える。
「恋人です」
そして、強く指輪を握りしめた。
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