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八章:泡沫のセイレーン(後編)

第11話 歴史絵画

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 ウンディーネが声を犠牲に、足を手に入れた。
 海の底に住んでいる、魔女に契約を持ちかけたそうだ。

「頑張って、ウンディーネ様」
「私達、応援してます」
「私達、見守ります」

 ウンディーネのいなくなった海は、どこか寂しそうで、静かだった。それでも、耳をすませば、あいつの奏でるハープの音が聴こえた。
 ぽろん。聴けば、あいつが元気であることがわかった。
 ぽろん。聴けば、あいつがはしゃいでいるのがわかった。
 ぽろん。聴けば、なんだ。上手くいってやがるのか。良かったな。
 ぽろん。聴けば、どうした。悲しい音だな。
 ぽろん。聴けば、今日も悲しいのか。
 ぽろん。聴けば、ウンディーネ?
 ぽろん。ぽろん。ぽろん。

 どうした? ウンディーネ。
 ハープの音がどこかおかしい。

「ジャック、大変なのよ!」
「王子が、他の女に好意を寄せているみたいなの!」
「ウンディーネ様じゃない女よ!」
「恋が実らないと」

「ウンディーネ様は、泡となって消えてしまう!!」

 足を、大きく動かす。

 まだ間に合う。
 まだ間に合うんだ。
 ウンディーネ。
 オラの愛しい人。
 ウンディーネ。
 頼むよ。
 お願いだ。

 消えないでくれ。


(*'ω'*)


 ――落ちた。

「ふぎゃっ!」

 ……。顎が痛くて、瞼をゆっくりと上げる。すると、なぜかあたしの視線は、ベッドの下の床にあった。

(……床?)

「……まあ、テリー」

 足音が聞こえ、あたしに手が伸び、サリアがあたしの体を起こし、優しくベッドに戻した。

「おはようございます」
「……痛い……」
「熱を測りましょうか」

 サリアが体温計をあたしの口の中に入れた。赤いゲージが上がっていく。体温計が抜かれ、サリアが確認した。

「40度」
「……怠さは無いわ。吐き気もない」
「……一度、お医者様に診てもらいましょうか」
「……そうね」

 あたしは明るい窓を眺める。

「……今、何時?」
「朝が終わった頃ですね。または、昼が始まったところです」
「その言い方素敵。本に書かれた表現みたい」

 あたしは40度とは思えない体をほぐす為、気持ちいいところで伸びをした。

「ふああ」
「気分が良くても、今日はベッドにいてください。明日の朝には、カドリング島に着きますので」
「ええ。そうする」

 あたしの役目は終わった。……信じて、クレアに全てを任せる。

(今日は余計な事をせず、のんびりしよう。ふああ。……サリアにお願いして、リトルルビィのお見舞いだけでも行こうかしら……)

 欠伸をしていると部屋のドアが叩かれた。サリアが振り返り、返事をする。

「どうぞ」
「……失礼いたします」

 モニカがドアを開け、あたしの部屋に入ってきた。いつものフレッシュ溢れるばかりの笑顔を向けられると思っていたら、……違和感を感じた。

(ん?)

 モニカの笑顔に、いつもの元気がない。

「おはようございます。テリーお嬢様」
「モニカ、お腹でも痛いの?」
「え?」

 モニカがびくっと体を強張らせ、誤魔化すように笑った。

「あはは! テリーお嬢様ったら、何を仰いますか! 私は今日も元気が取り柄の一般メイドですよ! きっとお風邪を引かれているから、私までも調子が悪そうに見えるのですね! 大丈夫! 心配はご無用です!」
「モニカ」

 サリアが笑顔で訊いた。

「何か私に?」
「ああ! その! ……あの、サリアさん、……その、えーと……」
「……わかったわ。廊下で訊くわね」
「ああ、はい。あの……テリーお嬢様には」
「テリーお嬢様」

 サリアがあたしに微笑んだ。

「ここにいてください」
「……動けないのわかってるでしょ」
「念には念をです。また抜け出されたら困りますから」

 サリアが立ち上がり、体温計をしまってからモニカの側に歩み寄った。モニカの背中に手を置き、そして――囁く。モニカ、顔に出さないの。すみません、サリアさん。でも、私、すごく心配で……。ドアが閉じられる。

(……暇になっちゃった。……本でも読もうかしら)

 ぐう。

(……お腹空いた)

 頭なんて使うからだわ。ちらっと時計を見れば、9時10分。

(……もう一眠りしようかしら)

 あたしはベッドに潜り、目を閉じた。

(ふう)

 少しだけ眠ろう。目を閉じると、心地良い枕があたしの頭を受け止め、シーツがあたしの身を包む。まるで海の中に沈んで眠っているようだわ。温度も、ベッドの柔らかさも、丁度良くて気持ちいい。

 遠くから水の音が聞こえる。

(あら、海の夢でも見るのかしら。水の音が聞こえるわ)

 あたしは眠り続ける。水が流れる音が聞こえる。

(リアルな音ね。本当に水が流れてるみたい)

 でもね、ここは夢の中。あたしは海を泳ぐ優雅なマーメイド。きっと滝の側にでもいるに違いない。そうだわ。ここは滝付近なのよ。だからこんなにも激しい水の流れる音が聞こえるんだわ。あたし、泳がなくっちゃ。あたしは夢の中で歩き始める。いやいや、歩くんじゃないのよ。泳ぐのよ。しかし、夢の中のあたしは泳がない。海の上を歩いてる。あら、何これ。あたし、すごく大きくなってる。まるで巨人みたいだわ。海を大股で歩く。いや、歩いてるわけじゃない。これは、走ってる。海に津波が出来る。魚が流される。でもあたしは海を走る。どこかを目指して、ひたすら走る。激しい水の音が響く。うるさい。あたしは走る。うるさい。水の音。うるさい。

(……サリア?)

 サリアが大きな音を出してる?

「……サリア……?」

 あたしは夢から現実に帰ってきた。瞼を上げ、天井を見つめる。サリアの返事は無い。まだ廊下でモニカと話しているようだ。

(……あたし、何分くらい寝たんだろう)

 ゆっくり上体を起こすと――あたしの視界に入ったのは、ベッドの高さまで水が溜まった自分の部屋であった。

(……ん?)

 ……あたしはまだ夢を見ているようだ。上体を起こして部屋を眺めると、やはり部屋に水が溜まっている。目玉を動かすとシャワー室の扉が開いているのに気がついた。そこから水が流れ、どんどん部屋に溜まっていく。

(……夢?)

 あたしは水に触ってみた。

「ひゃっ」

 冷たい。

「え?」

 あたしは完全に目が覚める。

「ちょっと、え? 何これ」

 シャワー室から水が流れ続ける。

「サリア!」

 ドアは閉じられ、サリアは来ない。

「サリア! ねえ、サリア!!」

 水がベッドに到達し、あたしの手に水が触れて、驚いてベッドの上に立つ。

「ひっ!」

(ど、どうなってるの!?)

 落ち着いて、あたし。冷静に状況を確認するのよ。何? これ、どういう状況? あたしは部屋を観察する。どう見ても水が溜まっている。椅子が浮かび、本が浮かび、部屋に置かれていた小物が浮かび、水の上を漂流する。この水はシャワー室から流れている。つまり、ハンドルを閉めれば解決する。

(はっはーん? モニカったら、浴槽に水を張ろうとしてハンドルを閉め忘れたのね? もう、ドジなんだから)

 あたしは意を決し、冷たい水の中に飛び込んだ。あたしの腰から下が濡れる。

(ひゃあああ! 冷たい!)

 足を大きく動かして、シャワー室に向かって歩き始める。

 ――足を大きく動かして、城に向かって走り始める。

(どうなってるのよ。もう……)

 ――どうなってやがる。一体……!

 あたしは先を進む。

 ――先へ先へと進む。

 シャワー室を目指す。

 ――城を目指す。

 手を伸ばす。

 ――手を伸ばす。



 ウンディーネ!!




 背後に、気配を感じた。

(あ)

「サリア、モニカがハンドルを閉め忘れたみたいで……」

 あたしは振り返って――硬直した。――そこには、赤ん坊の顔をしたセイレーンが、頭上からあたしを見下ろしていたのだ。

「……えっ」

 頭が真っ白になる。

(なんで、中毒者が)

 いや、その前に――逃げないと!

「っ」

 あたしの足が水で滑った。

「あっ」

 体が水に倒れる。

「んぐっ」

 水の中で髪の毛があたしの顔に纏わりつき、慌てて立ち上がろうとして――はっと息を呑む。急に水の量が増えた気がする。なんで? 急いで上体を起こそうとすれば、何よ。どうなってるのよ。腰くらいまでしかなかった水の高さが、あたしの身長以上になっていた。あたしはなんとか水面に頭を出して、息を吸う。

「はあっ!」

(どうなってるのよ!)

「サリア! サリア!!」

 助けて!!

「サリ……」

 目を開けると、目の前にセイレーンが立っていた。

「っ」

 呼吸が止まったあたしに手を伸ばしてくる。

 ――嫌。

 鱗だらけの手が、あたしの頬に触れた。

「ひっ」

 あたしは、息を吸い込む。

(クレア……)


 ――誰か助けて!!!!







「ここにいたのね」




 セイレーンが言った。

「母さん、やっと見つけた」

 それは、女の声。

「部屋に戻りましょう。もう。心配させないで」

 セイレーンがあたしを抱きしめて、一緒に水の中に潜っていった。



(‘ω’ っ )3 



 ――はっとして、あたしは目を開けた。

「っ!!」

 上体を起こし、辺りを見回す。そして、自分のいる場所を見て、……眉をひそめた。

(……なんなの、ここ……?)

 あたしは、金魚が入るような丸い水槽の中にいた。水槽の外は暗い部屋と、その先にドア。

「……あたし……なんで……」

 掠れた声が出る。

(え?)

 突然、視界が白くなって、体に怠さが蘇り、あたしの頭が大きく揺れた。

「っ」

 その場に倒れる。体が重い。鼻水が出て、咳をした。

「げほげほっ」

 体の熱が一気に上がる。滝のような汗が出る。

(……急に……ぶり返して……きやがった……)

 しかも、こんな所で。

(……異空間……)

 あたしは拳を固めて、40度の熱がある体を何とか起こす。しかし――目眩がする。

「げほげほっ!」

 咳が止まらない。

「げほげほっ!!」

 また倒れ込む。

「げほげほっ、げほげほっ!」

(どこかに、逃げ道があるはずよ。どこかに……)

 水槽の上を見上げる。すると、小さな穴が空いていた。身長があれば登れそう。だけど、伸ばした手は届かない。立ち上がれない。

(ああ、くそ……)

 上体を起こして、立とうとして、足に力が出なくて、また座り込んで、倒れる。

(駄目……力が出ない……)

「げほげほっ」

(出られない……)

 げほげほっ。

(どうしよう……)

 げほげほっ。

(苦しい)

 げほげほっ。

(あたし殺されるの……?)

 丸くうずくまる。

(……クレア……)


 その時、とても美しいメロディが聞こえた。


(……ああ、なんて美しいメロディなのかしら)

 あたしの意識がぼんやりしてくる。

(素敵な音……)

 ――これね、オズ様から貰ったのよ。

(オズだって? あの女王様が一体どういう風の吹き回しだ?)

 ――まあ、わかってないのね。オズ様はね、とってもお優しいのよ。私たち魚族はね、悪いことを一切してないから、ご褒美をくれたの。私、楽器を奏でるのが好きだから、オズ様はこのハープを下さったのよ。

 ぽろんと、魚は弦を弾かせた。

 ――素敵な音色でしょう?

(どうだかな)

 ――一曲弾いてあげる。それで、もしもこの音色が良いと思ったら、

(思ったら?)


「私とお友達になって?」



 ――はっと目を開けた。

 魚達が、オラを囲んでいる。

「なんだ、どうした、おめえら」
「ジャック、大変なのよ!」
「王子が、他の女に好意を寄せているみたいなの!」
「ウンディーネ様じゃない女よ!」
「恋が実らないと」
「ウンディーネ様は、泡となって消えてしまう!!」
「なん……だって……?」

 世界がぐにゃりと歪んでいく。

「どういう……ことだ……」
「ウンディーネ様は魔女と契約して足を手に入れたわ」
「恋が実れば、晴れて声を失ったまま愛を手に入れ」
「恋が実らなかった暁には、泡となる」
「そういう契約なのよ」
「ウンディーネが助かる方法は無いのか!?」
「ジャック、ここからよ」
「話をよく聞いて」
「ウンディーネ様の契約を無かったことにするの」
「つまりね」
「ウンディーネ様が、愛する男を殺せば、契約は元々なかったことになる」
「そうなれば、声は戻り、ウンディーネ様は精霊に戻れる」
「ジャック、仲間がウンディーネ様にナイフを渡したわ」
「日が昇るその時までにウンディーネ様が王子を殺せば助かるわ」
「けれど、殺さなければ」
「ナイフで刺さなければ」
「あの方は……」

 泡となって消えてしまうの。

「ウンディーネ!!」

 オラは走り出した。深い海も、浅い海も関係ない。硬い陸も、柔らかい陸も関係ない。何を踏んづけても関係ない。日が昇るまでに、まだ時間はある。

「ウンディーネ!!」

 壁があるなら殴って壊せ。水槽に閉じ込められているなら殴って壊せ。拳を一振りすれば、ガラスが音を出して割れていき、水槽が崩れる。オラは裸足で走り出す。

「ウンディーネ!!」

 走れ。思い切り足を動かして、全力で走るんだ。
 まだ間に合う。
 まだ彼女は生きている。
 朝日が昇る前に。
 この巨大な足を動かす。
 悲鳴が上がるが関係ない。
 彼女の為なら怖がられても構わない。
 地震が起きる。
 地面を蹴る。
 指を差される。
 ジャックだ! ジャックが出たぞ!
 関係ない。
 巨人だ! 巨人が現れたぞ!
 関係ない。
 恐ろしい巨人が現れたぞ!

「ウンディーネ!」



 ウンディーネが、城のテラスからオラを見下ろしていた。

「……話は聞いた」

 足が動く。

「ウンディーネ、迷う必要はない」

 彼女を見つめる。

「殺せ」

 彼女はオラを見つめる。

「人間と精霊は、結ばれない」

 手を差し出す。

「海に戻ろう。オラが連れて行ってやる」

 そして、お前は精霊に戻る。

「また海で遊ぼう」

 お前の仲間も大勢待っている。

「誰もお前の死を望んでいる者なんかいない」
「ウンディーネ」
「今なら、まだ間に合うんだ」
「頼む」
「殺してくれ」
「殺すんだ」
「胸にナイフを刺すだけでいい」
「後はオラに任せろ」
「何も心配なことはない」
「おめえは、よくやったよ」
「大事な声を犠牲に、よく頑張ったよ」
「もういい」
「もういいんだ」
「さあ」

 王子を殺して、

「オラと行こう。ウンディーネ」

 手を差し出した先に、彼女がいる。
 彼女はオラを見つめ、何も変わってない美しい瞳を輝かせて、美しく……笑った。

 ――ジャック。

 声が出ない唇を動かす。

 ――ありがとう。

 ウンディーネが魔法のハープをオラに投げた。

「っ」

 オラはそれを受け取り、目を丸くしてウンディーネを見つめる。

 ――あなたが持ってて。

 そう言って優しく微笑む。

 ――大切にしてよね。

「ウンディーネ……」

 手を伸ばす。

「待ってくれ……」

 空が明るくなっていく。

「まだ、間に合うんだ……」

 時間の針は動く。

「オラと帰ろう! ウンディーネ!」

 ウンディーネはナイフを胸に抱きしめる。瞳を閉じて、愛しい人を想う。彼女は、人間であることを選んだ。

「ウンディーネ、駄目だ!!」

 1分。

「刺せ! 殺せ!!」

 2分。

「みんながおめえを待ってるんだぞ!」

 3分。

「王子を殺すだけでいいんだ! ナイフで刺せば終わることだ!」

 4分。

「ウンディーネ、頼む! 頼むから……!」

 ――ジャック、

 それは、忘れられないほど美しく、儚い、幸せそうな彼女の笑顔。

 ――これで良かったのよ。

 美しく笑う彼女は、泡となって消えていく。

「ウンディーネェェエエエエエエエエエエエ!!!」

 5分。

 美しい朝日が昇った。今日は王子様の結婚式だ。さあ、みんなでお祝いをしよう。なんてめでたい日だ。空は雲一つない青空。おや、なんだ。こんなところに、泡があるぞ。誰だ。こんなところに泡を溜めた奴。メイドがモップで綺麗に泡を吹き取った――。




 殺せ。
 食え。
 人間を一人残らず殺すんだ。
 子供も大人も関係ない。
 この国の人間、全てを殺せ。
 ウンディーネの仇だ。
 皆殺しだ。

 殺せ!!!!!!!!




「なんて素敵な音色のハープだ。これをお母さんに持っていけば、きっと喜んでくれるに違いない!」



 オ ラ の ハ ー プ は ど こ だ ?


(*'ω'*)


 ――はっと、我に返った。

(……あれ?)

 いつの間にか、あたしは水槽から抜け出し、別の場所に移動していた。

(……ここどこ?)

 あたしの目の前には、美しい絵の描かれたドアがあった。まるで、そう、美術館の絵のように美しい絵画。それは美しい人魚の絵。下に説明文が書かれている。

『人魚の肉を食べると不老不死になれる。永遠の若さを手に入れられ、その声は美しく、人を魅惑の世界へと落とすだろう。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは魚を狩る人間の絵。下に説明文が書かれている。

『人魚は人が嫌いである。仲間を殺す残酷な生き物。人魚にとって人間は敵である。近付くことなかれ。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは人と人魚の絵。下に説明文が書かれている。

『人に人魚が恋をした。彼女は人になるために、魔法使いと契約した。声を対価に足を受け取った。たとえそれが禁忌でも、皆、彼女の幸せを願った』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは泡となって消えゆく人魚の絵。下に説明文が書かれている。

『愛する男を殺せば人魚に戻れる。しかし彼女は泡になることを望んだ。人を愛する心を選んだ。やがてその選択は、一つの国を滅ぼすだろう。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは沈んでいく国の絵。下に説明文が書かれている。

『人魚と巨人によって国は滅ぼされた。その際に人魚達は知った。人の肉の魅力を。特に、男の肉がとても美味かった。だから人が近付いたらそれを食べよう。また食べたくなってきた。欲はまるで、毒のように体に巡る。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは美しいセイレーンの絵。下に説明文が書かれている。

『セイレーンは人魚達に愛された。なぜなら彼女は男を海に溺れさせるのが趣味であったから。人魚達は喜んだ。男の肉が食えるのだから。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それはイカダに乗った女の子とネコとカカシとブリキのきこりと泣き虫ライオンを囲む人魚達の絵。下に説明文が書かれている。

『人魚達は肉を欲しがった。しかし、人魚にも天敵はいる。鳥とクマには気をつけよ。たちまちみんな、食われてしまう。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは娘を子に持つ男の絵。下に説明文が書かれている。

『娘の死を恐れた男が人魚を求めてやってきた。しかし人魚は既に平穏を求めて海の底で暮らしていた為、その姿を見せず、男はより躍起になった。男は人魚の肉を娘に食べさせる為、人魚を作り出そうとした。対価を調べた。すると、そこへ魔法使いが現れた。彼女は言った。「三羽のカラスの血、ちょっぴり魚、それと美しい女、そしてお前の体温を捧げなさい。さすれば人魚が出来上がる。」その時期、美しい女の誘拐事件が増えたという。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは若い女の絵。下に説明文が書かれている。

『黒魔術は完全ではない。完全にする為には材料を集めるのだ。美しい女であればあるほど、人魚は完全体となるだろう。だが所詮は人間のやること。どんなに抗っても出来上がるのは不完全体。』

 あたしはドアを開けた。またドアがあった。しかし、同じように美しい絵が描かれていた。それは人魚と男の絵。下に説明文が書かれている。

『愛する男を食べよ。殺せ。さすればその身は人魚に戻る』

 あたしはドアを開けた。

 途端にすさまじい異臭が放たれる。あたしは鼻を押さえたが、押さえても鼻の中にくる異臭に、胃の中の物が込み上げてきて、顔を歪ませ――我慢できず――その場で吐いた。吐いた先に、何の肉かわからない腐った肉が置かれていた。
 地面には、大きな白いチョークで書かれたような魔法陣。蝋燭が部屋の中を囲み、死んだカラスの死体が何百羽分も置かれ、その血が魔法陣を濡らす。

 魔法陣の前には、魔法のハープが美しく演奏を奏でていた。うっとりしてしまいそうなメロディに包まれるように、魔法陣の中心でメニーが倒れ、眠っていた。

「……メニー?」

 一歩歩き出すと、肩を叩かれた。

「母さん」
「え?」

 振り返ると、セイレーンがあたしを見つめ、叫んだ。

 きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!

 そして、その勢いのまま、あたしに抱き着いた。とても強く、骨がぎしぎし鳴り、鋭い爪をあたしの肉に食い込ませてくる。
 突然の事にあたしはパニックになり、抵抗した。やめて! 離して! けれどセイレーンは離してくれない。まるであたしを我が子と思っているように強く抱きしめ続ける。奥深くまで、セイレーンの爪が食い込む。痛い! やめて! 痛いのよ!

「母さん、どこにいたの。ワタシ、ずっと、サガシテたの」

 いや! 誰か!! 誰か助けて!!

「もう大丈夫よ。ワタシが、ソバにいるから」

 ――嫌っ!!

 必死の抵抗に、セイレーンの手を掴む。すると、何かがセイレーンの指からするりと抜けて、それを見たセイレーンがはっとして、手の力を抜いた。

 あたしの体が後ろに倒れ、そのまま、闇に落ちていった――。


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