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八章:泡沫のセイレーン(前編)

第28話 巨人のジャックは嫌われ者

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 悲鳴が木霊する。


「またジャックだ!」
「巨人のジャックだ!」
「隠れろ!! 踏み殺されるぞ!」

 オラが来るとみんな隠れてしまう。オラは、ただみんなと遊びたいだけなのに。

「ジャックだ!」
「巨人のジャックだ!」
「歯がギラギラ光っていて、大きな足!」
「早く隠れるんだ! 踏み殺されるぞ!」

 オラが歩けば、災害となる。オラが現れたらこの世の終わり。子供は泣き叫び、赤ん坊は息を詰まらせる。恐怖がみんなを支配する。

 でも、オラは、ただ、お散歩してるだけ。みんなを踏み潰そうなんて思ったことはない。

 ママが言ってた。巨人族はとても大きな体で生まれるから、地上には向かないって。だから極力、『家』から離れるなって。でも、オラは好きなんだ。この世界が。花が風で揺れて、青い空が浮かんで、暖かな太陽が地面を照らすこの世界が。

「ジャックが出たぞーーーー!」

 どんなに恐ろしいと言われても。どんなに怖がられても。

「巨人だ!」
「くそう! ガスで空を飛ぶ道具と、うなじを斬る武器があれば、あんな巨人、こてんぱんにやってやるのに!」

 オラ、そんなに狂暴かな。ただ歩いてるだけなのに。

「きゃあ地震だわ! 巨人が歩いているわ!」
「なんて醜いのかしら!」

 オラは一人だ。

「恐ろしい巨人だ!!」

 オラはずっと、一人だ。

「溜め息なんてついて、どうしたの?」

 誰かの声が聞こえて、オラはじっとする。今立ち上がったら、オラの存在に気付かれて、悲鳴をあげられるに違いない。

「ねえ、どうして黙ってるの? なんだか悲しそうな顔してる」

 小さな手がオラの足に触れた。オラの目ん玉が驚いて真ん丸になって、その手を見下ろしたら、小さな可愛い魚がオラの足に触れていた。

「あなた、お名前なんて言うの?」

 すっかり驚いてしまって、オラは大きな悲鳴をあげて逃げ出した。オラの大きな足が地面を蹴るもんだから、世界中で地震が起きた。

「やれやれ。随分と大きな地震だ。大きすぎてナイスなガイが畑に落ちてしまった。全くこいつはとんだ憂鬱な気分だぜ」

 しかし、それでは終わらなかった。オラが海の前で溜め息を吐くと、小さな可愛い魚が現れて、オラの足を手で直接触ってきた。

「ねえ、でかっちょさん。何してるの?」

 オラはまたまた驚いて大きな悲鳴をあげて逃げ出す。オラの大きな足が地面を蹴るもんだから、世界中で地震が起きた。

「おっと、こいつはなんてこった。地面が揺れるものだから足を切ってしまった。またオズ様にお願いに行かないと」

 しかし、それでは終わらなかった。オラが別の海の前で溜め息を吐くと、小さな可愛い魚が現れて、オラの足を手で直接触ってきた。

「ねえ、ねえ、でかっちょさん」

 オラはこれ以上なく驚いて大きな悲鳴をあげて逃げ出す。オラの大きな足が地面を蹴るもんだから、世界中で地震が起きた。

「きゃーーーーーーー!! ジャックだーーーーー! 助けて!! 俺様、まだ死にたくない!! しくしく! めそめそ!」

 魚はエラを膨らませた。

「ねえ、どうして逃げるの!?」
「おめえ、オラがおっかなくないのか?」
「おっかない? うふふ! どうして?」
「どうしてもこうしてもあるか! オラはな、世界中で恐れられている、かの有名な巨人、ジャックだぞ! どうだ! 踏み潰しちまうぞ!」
「あら、それなら心配ないわ。踏み潰せるものならどうぞやってごらんなさい。あなたの動きが早いのはね、地上の話だけ。海に入ってごらんなさいな。たちまち足は塩水に動きを取られ、思うように動かなくなるわ。どれだけ私を狙っても、私は海の中ですいすい泳いで避けてみせるんだから」
「オ、オラを挑発する気か? ええい、海の生き物全部を踏み潰してやるぞ! いいのか!?」
「ご心配無用。海の生き物は地上に出ない限り、全員動きが機敏なの。私のようにね。だからあなたが仲間たちを踏み潰そうとしたって無駄よ。あなたがご自身のダイエットをしてしまうだけ」
「だ、だったら、津波を起こしてやるぞ。オラはな、体重がうんと重いんだ。だから海でジャンプしたら、たちまち大きな波が上がるってもんだ。どうだ。おっかないだろ!」
「あらあら、ご心配は不要よ。私たち、大きな波は大好きなの。最近海が静かで刺激が足りないところだったわ。ぜひジャンプして頂戴。でも、カドリング島に届かないようにね。あの島にはね、グリンダっていう赤い魔法使いがいて、それはそれはお強くてお厳しい方なの。もしも津波が起きてカドリング島に住む方々が海に流されてしまったら、グリンダは迷うことなくあなたを一捻じりしてしまうわ。だから私達と遊びましょう?」
「あ、遊ぶだって? オラと遊びたいのか?」
「ええ。ぜひ。だって、あなたとっても優しい目をされてるんだもの」
「オラの目が優しいだって? やい。嘘つくんじゃねえよ。オラの目のどこが優しいだって? 顔の中心に存在するたった一つの目ん玉だ。この目に見られたら人生の終わりだと言って倒れた人間は山ほどいるんだぜ」
「まあ、それで調子に乗られているのね。だけど残念。その一つ目はとっても可愛いわ。私のお気に入りの真珠みたいにきらきら輝いてて、とても恐ろしいものには思えない」
「オラの目が、恐ろしくないだって?」
「ええ。ずっと見つめていたいわ」
「おめえ、本気で言ってるのか?」
「もちろんよ」
「……。変わってるなあ」

 オラは馬鹿馬鹿しくなって、強気に出るのをやめた。

「おめえ、仲間から変だって言われねえか?」
「あなた知らないの? 魚はね、好奇心がいっぱいなのよ。どうしてかって、海の世界しか知らないから、地上に興味があるの。でも私たちは海でしか生活出来ないから、地上のものに近付きたくてしょうがないのよ。あ、そうだわ!」
「うん?」
「あなたに、とっておきのものを見せてあげる!」

 そう言うと、小さくて可愛い魚は海の中に潜っていった。きっともう戻ってこないだろうと思っていたら、一分もしないうちに戻ってきたもんだから、オラはまた驚いてしまった。

「お待たせ!」

 それは、魚よりも大きなハープだった。

「これね、オズ様から貰ったのよ」
「オズだって? あの女王様が一体どういう風の吹き回しだ?」
「まあ、わかってないのね。オズ様はね、とってもお優しいのよ。私達魚族はね、悪いことを一切してないから、ご褒美をくれたの。私、楽器を奏でるのが好きだから、オズ様はこのハープを下さったのよ」

 ぽろんと、魚は弦を弾かせた。

「素敵な音色でしょう?」
「どうだかな」
「一曲弾いてあげる。それで、もしもこの音色が良いと思ったら」
「思ったら?」
「私とお友達になって?」

 オラは呆然と口を開けた。

「いい? 約束よ?」

 ウンディーネはそう言って弾き始めた。素晴らしい音色だった。誰かがオラのために楽器を弾くなんて初めてだった。ウンディーネだけだった。オラを巨人ではなく、友人として見てくれたのは。魚達だけだった。オラと仲良くしてくれたのは。

「あなた、なんて名前なの? 私はウンディーネ」

 その笑顔を見れるだけで嬉しかった。

「本当だわ! ウンディーネ様の言う通り、なんて大きいんでしょう!」
「ねえ、ジャンプして津波を起こせるって本当?」
「やって! やって!」

 オラが歩けば、魚達が喜んだ。

「ジャック! こんにちは!」
「ジャック! 聞いて! 彼氏が酷いの!」
「ジャック! 聞いて! 彼女が酷いんだ!」
「ねえ、ジャック!」
「優しい私達の頼れる巨人」
「大切なお友達」
「ジャック」


「ウンディーネ、ちょっとオラと話をしねえか」


 ウンディーネは、あの嵐の夜から様子がおかしかった。

「おめえ、どうしたんだ。あの夜から、大好きなプランクトンもまともに食べてないって言うじゃねえか」
「ああ、ジャック、実はね、私、胸が苦しいの」
「胸が苦しいだって? おいおい、どうしちまったんだ。何か、病気でもしたのかえ?」
「もう。お馬鹿ね。でも、……そうね。言うなれば、恋煩いという病気かしら」
「恋煩い?」
「私ね、忘れられないの。嵐の夜に助けた、人間様を」
「人間? 人間だって? ウンディーネ、悪いことは言わねえ。人間はやめておけ」
「みんなそう言うわ。人間は嘘つきで、ずるくて、魚を騙すって。でも、ジャック、あの人は違うと思うの。あの人、目が綺麗だったわ。あなたの目と同じくらい綺麗だった」
「ウンディーネ、おめえは感情に流されてるんだ。一回冷静になった方がいい」
「冷静に。ええ。……そうよね。冷静さって、大事よね。ごめんね。ジャック。ありがとう」
「ハープを弾いて、頭を真っ白にさせてみろ。ウンディーネ、おめえは賢い魚だ。人間なんかに騙されちゃいけねえ。あいつら、ろくな奴らじゃねえ」
「……そんな風に言わないで」

 ウンディーネが弦を弾いた。

「人間だって、良い人間と悪い人間がいるのよ。私達と同じように」

 ハープが音色を奏でる。

「ねえ、ジャック」
「なんだ」
「私が、どんな私になっても、ジャックは私のお友達でいてくれる?」
「何言ってやがる。ウンディーネはずっと大切な友達だ」
「……ありがとう。ジャック」

 ハープの音が響く。

「そんなあなたが大好き」

 恋煩いという病気は知っている。

「大好きよ。ジャック」

 オラはとっくの昔にその病気になっている。だけど、完治はしなくていいと思ってるんだ。誰にも言わない。黙ってる。オラが何も言わなければ何も変わらない。

 ハープは奏でる。
 音色を奏でる。
 愛を奏でる。
 演奏者は彼女。
 美しい彼女。
 彼女に恋した巨大な男。
 彼女が愛した貴族の男。
 自分の醜さなどわかっている。
 彼女が自分に振り向かないことなどわかっている。
 ならば、
 せめて、
 彼女のものを、自分の側に。
 魔法のハープよ。奏でておくれ。さすればオラは意地悪にならない。
 魔法のハープよ。奏でておくれ。さすればオラはお前を愛そう。
 魔法のハープよ。癒やしておくれ。さすればオラは大人しくしよう。
 意地悪なオラを癒やす、唯一の魔法のハープ。でかい鼻を近づければ、彼女の匂いがする魔法のハープ。

 ウンディーネ。
 オラの愛しい人。


 恐ろしいほど麗しい朝日が昇った。それと同時に、ハープは持ち主を失った。魚たちが絶望した。悲しみに暮れた。


「だから言ったんだ」
「人間なんて、滅ぼしてくれる」
「よくも」
「よくもウンディーネを」
「ウンディーネを」

「 よ く も 」



 悲鳴が木霊する。

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