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四章:仮面で奏でし恋の唄(後編)
第3話 隠れ家へようこそ(2)
しおりを挟む―――――メニーの手が肌に当たる。
「んっ…!」
「駄目だよ。お姉ちゃん、大人しくして」
「だ、だって、こんなの…」
メニーの手が動いた。
「あっ」
「ふふっ。ここがいいんだ…?」
「だ、だめ、そんなに、さわっちゃ…」
「見て。お姉ちゃん。パストリル様が見てる…」
「い、言わないで…」
「恥ずかしいの? お姉ちゃん、可愛い…」
「ば、…ばか…、…あっ…」
「もっとパストリル様に見てもらおう?」
「ひゃっ……」
「お姉ちゃん…」
メニーがあたしに猫耳をつけた。
「完成!」
メニーが万歳をして、ソフィアが拍手をする。きらきらと目を輝かせたメニーがソフィアに振り向いた。
「どうですか。パストリル様!」
「素晴らしい。メニー、君のセンスは底が知れない」
「お姉ちゃん! すっごく可愛いよ!」
「……………」
猫の衣装を着たあたしはただ黙って俯いた。
「お姉ちゃん! にゃあって言ってみて!」
「…………」
「テリー」
ソフィアが銃口をあたしに向けた。あたしの重たい口が開く。
「……にゃあ」
ソフィアが目を見開いた。
「……これはすごい」
ソフィアがまじまじとあたしを眺めた。
「なんて不愛想なんだ」
「可愛いですね。パストリル様!」
「メニー、あっちの衣装も」
「はい!」
「…………」
「テリー、脱いで」
「……………」
あたしは黙って衣装を脱ぎ、ぽいと捨てた。
「お姉ちゃん、次はこれ!」
メニーがメイド服を持ってきた。
「はい! 足通すよ」
「…………」
「チャック締めるよ!」
「…………」
「はい。カチューシャ」
猫耳からフリルのカチューシャに変わった。
「完成!」
メニーがソフィアに目を輝かせて振り向いた。
「どうですか! パストリル様!」
「テリー、君は才能があるようだ」
素晴らしい。
「すごく不愛想だ」
「可愛いですね!」
「まるで不愛想メイド」
「お姉ちゃん、とっても可愛いよ!」
「テリー、お帰りなさいませ、ご主人様。って言ってみて」
「……………」
「テリー」
銃口を向けられる。
「お帰りなさいませ。ご主人様。はい。私に向かって」
「………お帰りなさいませ……。……………ご主人様」
「素晴らしい」
ソフィアが拍手した。
「帰りたくなくなる」
「お姉ちゃん似合ってるよ!」
あたしはぎりっと歯ぎしりの音を立てた。
「メニー、次だ」
「はい!」
メニーがぶりぶりに可愛いドレスを持ってきた。
「………………」
「足通すよー」
「……………………」
「チャック締めるよー」
「……………………………」
「はい。お帽子!」
フリルのついた可愛い帽子を被らされる。
「完成!」
「テリー、そこの椅子に座ってみて」
「………………」
ソフィアが指を差した椅子に、のっそりと座った。椅子がぶらんと揺れれば、あたしの足もぶらんと揺れる。ソフィアがはっと息を呑んだ。
「これぞお人形さんだ」
「お姉ちゃん可愛い!」
「生きてる人形みたいだよ。テリー」
「分かった。もういい。よく分かった」
あたしは立ち上がる。
「ソフィアさんは暇で仕方ないのね。いいわ。いくらでも話し相手になってあげる。だからもう着せ替えはお止め」
「メニー、次は何を着せようか?」
「お姉ちゃん、兎がよく似合います」
「兎か。いいね。持っておいで」
「はい!」
「無視するなーーーーーーーーー!!!」
あたしは地団太を踏む。
「お前! 食事をすると言っていたじゃない!」
「おっと。いけない。楽しくてすっかり忘れていたよ」
「忘れるな! メニーがシチューが作ったんでしょ! 早くしないと冷めるわよ!」
「そう焦らない。食事はゆっくりするものだ」
「お前、ただで済むと思わないことね! 殺されると思って大人しくしていたけどね! いいこと!? キッドが来たら、このこと報告するからね! よくもあたしを着せ替え人形にして遊びやがって!」
「テリー、脱いで」
「お前、話聞いてるの!? あたしは貴族なのよ! お嬢様なのよ! 貴族はね、身分が高いのよ! 身分が!!」
「そうそう。とっても悪者だ」
ソフィアがあたしから帽子を外した。
「ほら、大人しくして」
「人質だからってね、していいことと悪いことがあるのよ! 人質にはね、縄を括り付けて銃を向けて、動けないようにしなきゃいけないの! あたし今思ったけど、そっちの方が何倍もマシよ! 分かってる!?」
「ああ、そうだね。マシかもね」
ソフィアがあたしのドレスのチャックを下ろした。
「はい。次の衣装ね。メニー」
「はい!」
「ありがとう。メニーはお利口さんだね」
「えへへ…」
メニーが頬を赤く染めた。
「パストリル様のためなら……」
「はい。テリー。万歳」
「チッ」
あたしは両手を上げてメニーを睨んだ。
「あんたもあんたよ。メニー。催眠から目覚めたらクロシェ先生に課題増やしてもらうからね」
「お姉ちゃん、怖い顔しないで? お願い」
ぶちっ。
「うるせえ!」
上から服を着せられる。
「そもそもあんたが悪いのよ! 催眠なんかにかかるから! 知らない人と目を合わせちゃいけないって、何度も言ったでしょ!」
「姉妹喧嘩しないの。お姉ちゃんでしょ」
「うるせえ! てめえは黙ってろ! 正義の味方気取りのすかした顔しやがって! よくもあたしのスーパートルネードレディハートのきゅんきゅんときめきどっきんこな乙女心を騙してくれたわね! 何が善よ! この嘘つき女! あたしの心を盗んだ泥棒猫が! 善と悪はどっちだと思う!? どう見たって嘘をついたあんたでしょうが!!」
「これでこうか」
ベルトをかちゃかちゃ。
「メニー、帽子」
「はい。パストリル様」
「ん」
ソフィアがクラゲの足のように垂れてる変な兎の帽子をあたしに被せた。
「あぶっ!」
「見てて。メニー」
垂れた部分をソフィアが押した。兎の耳がぴょこんと立った。
「わあ! 可愛い!」
「テリー。ここ押してみて」
「…………」
あたしは右を押した。右耳が立った。離した。耳が垂れた。メニーが拍手をした。
「すごい!」
「くすす。不愛想だね。テリー」
「…………」
「ほら、続けて」
「………………」
あたしは左を押した。左耳が立った。離した。耳が垂れた。
「すごーい!」
メニーが目をきらきらさせてあたしの帽子を見つめる。
「兎さんだー!」
「……………」
「ほら、テリー。続けて」
あたしは右を押す。右耳が立つ。右を離して左を押す。右耳が垂れて左耳が立つ。
「可愛い!」
「ふざけんな!!」
あたしは帽子を地面にたたきつけ、ふみふみと踏んづけた。
「こんなものこうしてくれるわ!!」
「あう…兎さん…ぐすん…」
「くすす。仕方ないよ、メニー。あの子は貴族だもの。酷いことを酷いことと思わないんだ」
ソフィアが涙目のメニーを抱きしめ、優しく頭を撫でた。
「さあ、気を取り直して君のシチューを食べさせてあげよう」
「はい…。パストリル様…」
(ぶりっ子づきやがってぇぇええええええ!!)
あたしは兎の帽子をぎゅうぎゅうと踏みにじる。
(てめえ、目が覚めたら覚えてなさいよ。課題地獄にしてやるからね。あたし、一切手伝わないからね! 分かってるんでしょうね!!)
「メニー、着替えを持ってきてあげて」
「はい」
メニーが奥のクローゼットに走り出す。ソフィアがあたしの肩を掴んだ。
「ほら、テリー。じっとして」
「うるっさいわね! 脱げばいいんでしょ! 脱げば!」
「私がやってあげるから、じっとして」
「自分で出来る!」
「へえ」
ソフィアの目がきらりと光った。
「自分で出来るんだ?」
「っ」
くらりと目眩がして、ソフィアに倒れこむ。
「…………っ」
「大人しくしててね」
地面に膝を立て、ソフィアの細くて綺麗な手が、あたしの穿いてるパンツに巻き付けられたベルトを緩ませ、パンツのホックを外した。カチッと音が鳴って、チャックを下ろしていく。
「ねえ、テリー。キッド殿下とはどこまでしたの?」
ソフィアの伸びた爪があたしの肌に触れた。
「テリーは13歳だっけ? 貴族って、それくらいの年齢でもすることはするんでしょう?」
ソフィアの指があたしの足に触れる。
「ねえ、どこまで触られた?」
ソフィアの指が動く。
「ここは?」
「っ」
あたしの体に力が入る。
「ここはどう?」
「なっ」
あたしの腰が、ひくりと跳ねた。
「ちょ」
「殿方って、女の体が好きでしょう?」
ソフィアの手が撫でてくる。
「あっ」
「私はテリーくらいの頃から胸が大きい方でね、まいったよ。大人からも子供からもいやらしい目で見られて」
ソフィアの指がなぞってくる。
「っ」
「初体験は16歳。血がたっぷり出てえらいことになった。くすす。痛かったなあ」
ソフィアの指が、くっと押してきた。
「んっ」
「ここに精子が入って、子供が作られる。だから子供もここから出てくる。君もいずれ妊娠して出産する」
ソフィアの指が優しく撫でてきた。
「……っ、やめ……」
「キッド殿下は優しかった?」
「ソフィ…」
「どんな風にテリーの体を触ったの?」
あ、ちなみに、これはただのガールズトークね。
「……何が、ガールズトークよ…。ふざけやがって…」
ぷちんとブラジャーを外される。
「うわっ! ちょ、何するのよ!」
「私はさっきバストサイズを教えたから、今度は君の番」
ブラジャーの隙間から、ソフィアの手がぬるりと進入してきた。
「わーーーーー! やめろーーーー!!」
「…なるほど」
「やめろーーーーー!! 哀れみの目で見るなーーーー!!」
「テリーの年齢ってここ気持ちいいの?」
ソフィアの指が動いて、あたしの肩が揺れた。
「ひゃっ」
「へえ。感じるんだ」
「やめろ! 触るな!」
「じゃあこれは?」
「ちょ、ほんと、いい加減に…!」
指が動く。
「…………っ」
「キッド殿下はあまり触ってくれてないみたいだね」
「…………触るわけないでしょ………」
「どうして? 婚約者なら触りたいと思うはずでしょ?」
「言ってるでしょ」
その話は、
「もう終わっ……」
「パストリル様」
メニーがのろりと歩いてきた。
「遅くなりました」
「ああ、ありがとう。メニー」
ソフィアがあたしの肌から手を離し、服を脱がした。
「さあ、素敵なドレスに着替えよう」
ブラジャーをつけ直した。
「足を通して」
あたしは足を通す。
「腕を通して」
あたしは腕を通す。
「ちょっと苦しくなるよ」
うなじの部分をホックで止められる。
「さあ、これを被って」
ベールを被せられた。
「素敵」
さっきまでとは真逆の白いドレス。白いベール。
「なんだか花嫁みたい」
純粋無垢な花嫁そのもの。
「じゃあ、行こうか。テリー」
ソフィアがあたしの手を優しく握り、引いていく。あたしは着せ替え人形からようやく解放された。
(………確かにお腹空いた……)
宿の魚料理が恋しいわ。
「……」
あたしはちらっと、ソフィアを見上げた。
「ねえ。メニーはシチューなんて作れたの?」
「教えてあげたんだ」
「ああ、そう」
「メニーは覚えるのが早くて助かるよ」
「味は?」
「なかなか上出来だよ」
メニーが次の扉を開けた。
「どうぞ」
長テーブルが置かれ、種類の違う椅子が並べられている。あたしは扉から近くの椅子に手を伸ばすと、ソフィアに止められた。
「そこは駄目」
「……なんで?」
「テリーはお客様だから、一番奥」
扉から一番遠く。
「変に逃げられても面倒だし」
「………逃げても追いかけてくるんでしょ」
「殺しちゃうかもしれない」
「はあ…」
ため息をつきながら一番奥の椅子に座る。
「はい。お姉ちゃん」
メニーがスプーンとフォークを並べ、暖かいシチューを置いた。
「沢山あるからね」
「…………」
「はい。パストリル様」
「ありがとう。メニー」
(……女神様、貴女の祈りに感謝していただきます)
スプーンでシチューをすくい、口に含んだ。途端に、眉間に皺が出来上がる。
「…………………」
「うん。とても美味しい」
ソフィアが微笑んで頷いた。
「美味しいよ。メニー。上出来だ」
「やった!」
メニーも口に含んだ。笑顔になる。
「えへへ。どんどん料理、上手になっちゃう…」
「………………」
嘘でしょ?
あたしは二人を見る。二人とも、笑顔でぱくぱく食べている。
「……………」
味がしない。
(どんなに下手でも、野菜の味とか、出汁とか、ミルクの味とかすると思うのだけど)
何これ。
(ただのお湯…)
あたしは見つめる。
(幻覚?)
あたしに魔法は効かない。催眠も効かない。
(いいや。見た目はシチューだ)
味だけが無い。
(どう作ったの? 酷すぎる)
そして、どうしてこれを美味しいと言えるの?
(…………)
リトルルビィは血を飲んだ。
ニクスの父親は氷を食べた。
ソフィアは味のないものを食べている。
(味覚がなくなる?)
そうとしか考えられない。催眠にかかったメニーも同様。味覚の感覚が失われているのだとしたら、
(……これ、飲まないと駄目?)
女神様に感謝していただきますって言っちゃったし。
(残すのは好きじゃないけど)
ただのお湯を飲めって?
「………………」
あたしはそっと皿を押しのけた。
「いらない」
「お姉ちゃん、お残しは駄目だよ」
「食欲無い」
あたしは首を振った。
「いらない」
「お姉ちゃん、具合悪いの?」
「そうね。具合悪い」
「ホットミルクにする?」
「…………うん。それでいい」
「待っててね」
メニーがキッチンに走っていく。ソフィアが首を傾げた。
「おやおや、口に合わなかった?」
「ねえ、それ本当に美味しい?」
「美味しいよ」
「味がしないんだけど」
「君が普段、高級で美味しい物を食べてるからじゃない?」
「なめないで」
ソフィアが微笑んでシチューを口に含む。
「シチューはシチューの味がするわ」
ホームレスの時だって、それは変わらない。
「これはただのお湯よ」
煮込んだ野菜がお湯に入ってるだけ。
「ねえ、味覚がおかしくなってる。毒の副作用よ」
「またその話?」
「ソフィア、あたしは親切心で言ってあげてるの。キッドに自首しなさい」
「自首するくらいなら、キッド殿下の前で君を殺してみよう」
「ふざけないで!」
テーブルを叩く。
「まだ間に合うかもしれないから言ってるの!」
「私は手遅れでも構わない」
「本当に死ぬわよ!」
「あの方がそう言うのであれば、私は喜んで受け入れよう」
あの方こそ、私の全て。
「試してみようか?」
にこりと笑ったソフィアが、銃のスライドを引いた。
「なっ」
あたしは慌てて立ち上がった。
「ばっ…!」
地面を蹴って走り出す。ドレスの裾を踏んだ。ソフィアがハンマーを起こす。
「おまっ!!」
ソフィアがこめかみに銃を突きつけた。
「っっっ!!」
あたしの両手がソフィアの手首を掴み、勢いのまま上に上げた。その瞬間、ソフィアの指が引き金を引いた。銃弾が天井に撃たれる。音だけが、空しく響き渡った。
「………………」
「ほらね」
ソフィアがくすすと笑い、腕を下ろした。
「天はまだ私の味方みたい」
「……お前」
平然としているソフィアに、唖然とする。
「どうかしてるわ」
「そうだよ。頭のねじがどこかに飛んでしまったんだ」
私を壊したのは、
「貴族」
ソフィアが天使のように微笑み、あたしに指を差した。
「今頃遅いよ」
ソフィアが腕を下ろした。
「自分の身が危なくなって、ようやく命乞いをする。うん。貴族がやりそうなこと」
ソフィアはにやける。目は笑っていない。
「実に無様だ」
ソフィアがふう、と息を吐き、すっと吸い込んで、―――唄った。
私は善
君は悪
悪は勝てない
善は強い
私は誰にも負けない
毒にも悪にも
誰にも負けない
「お前は負けるわ」
ソフィアが微笑む。
「二度と外には出られない」
ソフィアがあたしを見つめた。
「怪盗パストリルは100件の事件を起こして姿を消す。窃盗事件は無くなる。もう二度と貧乏人を救済することはなかった」
黄金の目と、あたしの目が合う。
「怪盗パストリルは整形して、貴族のふりをして、末永く幸せに暮らしたと、人々は信じるようになった」
でもそうじゃない。
「あんたは毒に侵される」
誰にも見つからない。
「このわけの分からない隠れ家で、たった一人で朽ち果てたんだわ」
誰も助けに来ない。
「あんたの大好きな魔法使いは呪いを振りまく」
お前を助けたわけじゃない。
「呪いたかっただけよ」
お前の心が壊れていたから。
「お前は負ける。悪に負けるのよ」
「面白い」
ソフィアが笑った。
「運を試してみようか」
ソフィアがすくっと立ち上がり、あたしの腕を掴んだ。
「っ」
大股で部屋から出て行く。
「いたっ」
足が引きずられる。
「痛い」
腕を引っ張られる。
「痛いってば!」
ソフィアは足を止めない。
「離してよ!」
ソフィアは引っ張る。
「痛いってば!!」
ソフィアが扉を開けた。
「っ」
あたしを部屋の中に放り投げた。
「あだっ!!」
地面に転がり、慌てて起き上がる。
「ちょっと! あたしに何するのよ!」
「君の運を試してみようと思ってね」
ソフィアが銃を持った。
「まずは一発」
ソフィアが銃を構えた。
「え」
あたしの足を狙って撃った。
「ひっ!」
足を引っ込めると、銃弾が足を伸ばしていた場所に撃たれた。
「二発目」
「ちょ」
ソフィアが構わず構えた。撃ってきた。
「ひゃあ!」
悲鳴をあげ、慌てて立ち上がって一歩下がる。座っていた場所に銃弾が撃たれた。
「やめっ」
「三発目」
「ひい!」
あたしはしゃがんだ。頭のあった場所に銃弾が撃たれた。
「四発目」
「ひ、ひい…!」
あたしは腰が抜けた。
「わっ」
情けなく転ぶと、立ってた場所に銃弾が撃たれた。
「五発目」
立てないあたしに向けられる。
(こ、殺される…!)
体を引きずらせる。
(ち、力が入らない…!)
左手に浮かび上がるハートを見下ろす。
(ひらけゴマひらけゴマひらけゴマ!!)
最強の魔法は発動しない。
(助けて! ドロシーーーーーーー!!)
ソフィアの指が引き金を引く。
(あたし死んじゃうぅうううう!!)
頭を抱えてうずくまると、かちり、と情けない音が響いた。
「………あ」
ソフィアが気が付いた。
「弾切れだ」
ソフィアがとことこ歩いて、机に置いてあったケースを開け、弾を補充した。
「悪運は君を救ったようだ」
ソフィアがベルトに銃をしまった。
「残念。君はまだ生きていられるよ」
「……………」
あたしはじりじりと体を引きずらせ、大きなベッドにしがみつき、鋭い目を向けてソフィアに振り向いた。
「……お前、本当にどうかしてるわ……」
「人質をどうしようが、私の自由でしょ?」
ソフィアが微笑む。
「あの方が君を殺せと言うのなら、私は喜んで君を殺すよ」
でも運は君を味方した。
「死にぞこなったね。可哀想に」
ソフィアがベッドに座り、あたしの頭を優しく撫でた。
「そうだ。テリー。唄遊びでもして遊ぼうか」
「………」
「私が憎い?」
憎いだろうね。
「でも私は貴族がもっと憎い」
私を壊した貴族なんて許さない。
「利用させてもらうよ。テリー」
傷つけて傷つけて傷つけて、
「私と同じように壊してやる」
憎い。
貴族が憎い。
「悪は懲らしめないと」
「私が」
「私こそ善だから」
ソフィアが天使のように微笑む。
「恨まないでね」
あたしはソフィアを睨んだ。
「くすす」
ソフィアが笑った。
「なぁに? その目」
黄金の瞳がきらりと光った。目眩が襲ってくる。
「ん…」
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黄金の瞳があたしの頭を弄ってくる。
「…ぐっ…」
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「私は選ばれた」
「私は選ばれた」
「私は選ばれた」
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「私は」
ソフィアの腕を掴んだ。
「私こそが善だ」
ソフィアの腕を引っ張った。
「っ」
ソフィアが倒れこんでくる。あたしに覆いかぶさる。不意を突かれたソフィアの瞳から光が無くなる。あたしの両手がソフィアの顔を押さえた。
「ソフィア」
ソフィアの顔が向かってくる。
「だ」
あたしは頭をのけ反る。
「ま」
あたしは顔を前に向けた。
「れ!!!」
ごつん!! と額同士がぶつかった。ソフィアが息を呑んだ。あたしが息を呑んだ。
「っ」
ソフィアが目を見開いた。あたしは顔を押さえたまま、ソフィアの目を睨み続ける。
「痛いでしょう!」
ソフィアがあたしを見る。
「あたしだって痛いのよ!!」
ソフィアが瞬きした。
「善とか悪とかわけのわからないことを言いやがって! 自分は良い子ちゃん気取り!?」
ふざけるな!!
「だったらあたしだって良い子ちゃんよ! あんたよりも何倍も善だわ!! 人を撃ったり物を盗んだりしないもの!!」
ソフィアはあたしを見つめる。
「しょんべん臭いお嬢ちゃん! よくお聞き! 悪い人ってのはね、悪いことをしたら悪者なの! あたしがあんたに直接何を悪いことしたってのよ! あんたに何をしたっての!? ええ!? 言ってごらん!!」
ソフィアが黙る。
「何もしてないでしょ! だったら、考えてごらんなさい! どっちが悪者よ!」
どう見たって、悪いことをしたあんたでしょ!
「謝れ!!」
あたしに謝れ!!
「悪いことをしたら謝るの! ママに習ったでしょう!!」
ソフィアがぽかんとあたしを見つめる。
「悪い人に立ち向かうにはね、仲間を増やすのよ! 自分が戦うんじゃなくて! あのね、一人で戦ったって悪者は余計に力をつけてヒートアップしてくるのよ! そりゃそうよね! 善人ぶって一人で戦ったら、それはヒーローだって悪に負けるわ!」
だって一人なんだもの!
「一人で孤独に正義の味方ごっこがしたいなら、一人でおやり!! 無関係のあたしを巻き込むんじゃないの!!」
元々キッドとあんたが始めたことでしょう!
「終わらないなら、じゃんけんで勝ち負け決めなさいよ!!」
勝ったら勝ち。負けたら負け。
「ソフィア!!」
怒鳴った。
「いい加減にしなさい!!」
「………………」
ソフィアがぽかんと、瞬きして、黙った。
「……………」
ソフィアが眉をひそめて、口角を下げた。
「あの方が言った」
悪を懲らしめ、善を助けよ。
「私は、従っただけ」
「責任転嫁? ソフィアちゃん、いい加減にしなさいよ。いい? やったのはあんたなの。人の物を盗むって、身分関係なく、誰が誰でも、やっちゃいけないことなの」
「私は」
「言い訳は結構!!」
ええ、そうね。あんたもリトルルビィと同じね。ニクスと同じね。よっぽど辛かったんでしょうね。あんたにとっては、根っこが腐ってしまうほど、心が壊れてしまうほど、辛くて痛くてどうしようもなかったことだったんでしょうね。
「催眠の力を手に入れた?」
誰よりも催眠にかかってるのは、お前じゃない。
「そんな飴、捨てなさい」
貴族が憎くて仕方ないなら、
「あたしがあんたを拾ってあげる」
ソフィアがさらに顔をしかめた。
「今からあんたはあたしのものよ。いいこと。捨て猫脳なし泥棒猫。これからはベックス家で働きなさい。その代わり盗みはもう無しよ。そしたら牢屋に入れさせはしない。キッドになんか渡すもんか」
あんたもキッドが憎いのね。あたしもね、あいつが殺したいほど憎いのよ。
「あたし達、良いパートナーになれるわ」
手を握って振りまくる。
「屋敷には頭のいいサリアがいるの。彼女に面倒を見てもらったら、あんたみたいな感情だけで動くカカシ女も、ちゃんとした方向に進むわ」
ソフィアが黙ってあたしを見つめる。
「選びなさい」
どっちがいい?
「このまま無様に朽ち果てるか」
「このまま罪を償うか」
選択しなさい。
「お前が善だと言うのなら、答えは一つしかないはずよ」
覚えておきなさい。お嬢ちゃん。
「善人なんていない」
「存在しない」
「人間はね、誰だって心の中に、悪魔と天使が住んでるの」
今のお前はどっち?
「さあ、選びなさい」
善になるか、悪になるか。
「今、選びなさい」
ソフィアが黙る。
「ソフィア」
ソフィアがあたしを見つめる。
「幻は一夜で十分よ」
選べ。
「あたしのものになるか、このまま死ぬか」
ソフィアがにこりと笑った。
「君のものになったら、どうなるの?」
「悪い思いはさせないわ」
「貧乏人への募金活動をしてくれる?」
「いいわ。約束する」
ソフィアが笑う。
「なるほど。それも悪くないかも」
君の下で働くのか。
「……少し楽しそう」
でも、
「ごめんね」
ソフィアが笑う。
「あの方が、私に最後の言葉を残したみたい」
「え?」
「君を殺せだって」
ソフィアの瞳が濁っていく。
「君は嘘つきだって」
ソフィアの黄金の瞳が、紫に変わっていく。
「嘘つきは嫌い」
ソフィアがあたしの首を両手で掴んだ。
「大嫌い」
あたしの首を絞めた。
「っ」
あたしはソフィアの両手を掴む。
「ソフィ」
「嘘つきは殺さないと」
ソフィアの紫の目が混乱している。
「悪に騙されるな。悪に騙されるな。悪に騙されるな」
ソフィアの手が力んでいく。
「お前は悪い奴」
ソフィアが見つめる。
「お前は悪い奴」
催眠に侵される。
「お前は悪魔」
「悪魔は、お前じゃない…!」
足をばたつかせる。
「あっ」
息が出来ない。
「やめっ…」
ソフィアはやめない。
(死ぬ)
あたし、本当に死ぬ。
(ドロシーの嘘つき)
魔法、発動しないじゃない。
(死ぬ)
死んでしまう。
(死ぬ)
本当に死ぬ。
(だ、誰か……)
あたしは弱々しく手を伸ばす。
(誰か、)
誰でもいい。
(誰か…………)
誰か、あたしを助けて。
「選択肢を提示しよう。手を離すか。今すぐ死ぬか」
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私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
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