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四章:仮面で奏でし恋の唄(後編)

第1話 カーニバル、三日目

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 カチ、とスイッチを押した。

「こちら、テリー・ベックス、サリアどうぞ」

 スイッチから指を離す。すると無線機から声が発せられた。

「こちらサリア、どうぞ」

 あたしは再びスイッチを押した。

「サリア、魚は釣れた? どうぞ」
「まだのようですね。どうぞ」
「あたしも全然釣れないの。どうぞ」
「テリー、辛抱ですよ。餌はついてますか?」

 サリアが無線機を手放し、横から手を伸ばしてきた。あたしの竿を引っ張り、その先を見る。

「あら、餌が食べられてます」
「本当だ」
「ずる賢い魚が持って行ってしまったのでしょうね。つけ直しましょう」

 サリアが餌をつけ直して、再び海に投げ入れる。竿を立てて、待つ。白い雲がゆったりと動いていく。

「素敵なお天気ですね」
「本当。雨が降らなくて良かった」
「意外と天気が悪い時の方が魚はやってくるんですよ」
「そうなの?」
「ええ」
「そう。だからこんなに釣れないのかしら」
「釣りは忍耐力を求められます。待つのが得意になりますよ」
「サリアもやってたの?」
「昔の話ですがね」

 波の音を聞きながらサリアと釣り場で魚を待つ。あたしは暇つぶしに無線機を持ち、再びスイッチを押した。

「サリア、最低野郎もこの機械を持ってたわ。どうぞ」

 サリアも無線機を持って、スイッチを押した。

「あら、そうでしたか。どうぞ」
「あたし、それが無線機だったのをこの機能を見て気づいたの。あの最低野郎は何かあるたびに城下町全体にいる兵士達と話してたんだって。どうぞ」
「持ち歩いていらっしゃるんですね。どうぞ」
「城下町全体を見張ってるみたいね。気持ち悪い。どうぞ」
「国の中心都市ですからね。どうぞ」
「サリア、喉が渇いたわ。どうぞ」
「少々お待ちを」

 サリアが無線機を置き、鞄からティーセットを取り出した。水筒に入れていた紅茶を注ぎ、あたしに渡してくる。

「どうぞ」
「ありがとう」

 優雅にティーカップで紅茶を飲み、海の音を聞き、餌に引っかかる魚を待つ。

「サリア」
「はい」
「怪盗も、こんな風に待ってるのかしら」

 それとも、

「最低野郎の方が、こんな風に待ってるのかしら」
「どちらにしろ、私達には関係ございません」

 私達の目的は一つ。

「メニーお嬢様のお迎えです」
「会場は調べた?」
「何度か、アンナ様の付き添いで中に入ったことがあります。もしかしたら変わってる場所もあるかもしれませんが、何となく覚えてます」
「優秀すぎて怖いわ。サリア。非常に心強くて頼もしい」
「お褒めに預かり光栄です」

 サリアが鞄からベルトを取り出し、あたしに見せた。

「これを貴女の足に巻き付けます。そして、この部分に無線機をはめる」
「なるほど。ドレスで隠れるから誰にも気づかれない。人目さえ気にしていれば、いつでも取り出し可能になるってわけね」
「テリーがダンスホールにいる間、私は会場の裏に回ります。そこに、メニーお嬢様が隠れていないか、時間のある限り捜そうかと」
「つまり、あたしはホール内を捜せってことね」
「さようです」
「素晴らしいわ。サリア」
「十分おきに私の方から近況報告をします。何もなければ、異常なしと無線機で伝えます」
「あたしからは?」
「もしもメニーお嬢様を見つけた場合の時と、何か異変を感じた時にご連絡を下さい」
「分かった」
「この先は何があるか分かりません。少しでも異変を感じたら真っ先にお逃げください。そして、お手すきの際にご連絡いただければ幸いです」
「了解」
「それと、仮面舞踏会には沢山のイケメンの紳士が集まります。はしゃぎすぎて周りを見失わないように」
「そこは任せて。もう学んだ」
「ふふふ。頼もしいですね」

 ぬるい風が吹き、あたしとサリアの髪がなびいた。帽子が揺れ、サリアがあたしの帽子を優しく押さえた。

「風がテリーの帽子を盗もうとしてます」
「泥棒風ね」

 サリアがちらっと横を見る。野良猫がじいっと海を見ている。

「見て。テリー。あそこに泥棒猫が」
「海の魚を盗もうとしているのね」
「泥棒が沢山いる港ですね。ふふっ」

 遠くで船が通り過ぎる。漁師が帽子を取って腕を振ってきて、サリアが手を振り返した。

「監視が多い港にしてはとてもフレンドリーな人が多い。とても不思議な町ですね」
「サリア、メイドを引退したらタナトスに戻るの?」
「どうでしょうね? 引退して戻るという選択は考えたことがありません」
「どうして?」
「今は貴女がいるから」

 野良猫が欠伸をした。

「サリア、前に、ママから退職の話が持ち出されたでしょう?」
「ええ」
「やっていける分、貯金もたまってたことだろうし」
「ええ。まあ」
「あたしがいなかったら、出て行った?」
「……そうですね」

 サリアは首を傾げる。

「自由気ままに、旅でもしていたかもしれませんね」

 で、誰も知らない遠くの田舎の方にでも行って、静かに暮らしていたかもしれません。貯金の額で言えば、贅沢しなければ生きていける額ですから。

「でも、今はとてもそんな余裕はありません」

 サリアがあたしの背中を撫でた。

「テリーが結婚したら子供が生まれる。その子供は誰が面倒を見るのです? どこの馬の骨とも分からないメイドですか?」
「サリアが見てくれるの?」
「奥様の跡継ぎをされるのでしたら、次のベックス家の当主はテリーになる。そしたら、結局そういうことになります」
「サリアはすっかりお局ね」
「お局だなんて。ギルエド様やエレンナには勝てません」
「じゃあ、サリアの子供はあたしが面倒を見るわ」
「まあ、本当ですか? でもテリー。分かってます? 子供って唾をつけるのが大好きなんですよ。テリーが私の子の唾だらけにされてしまいますよ」
「おしゃぶりつけてれば平気よ」
「そんな簡単じゃないんですよ。おしゃぶり代わりに私の指を咥えていたことを覚えてないのですか?」
「……………あたしそんなことしたの?」
「してました」
「赤ちゃんって大変ね」
「自由すぎて大変です」
「あたしも自由だった?」
「テリーは赤ちゃんの時からアメリアヌに虐められてましたね。大好きな奥様が貴女のことばかり構うものだから」
「子供の嫉妬って面倒よね」
「だからテリーは元旦那様か、アンナ様が見てました。お二人が忙しい時は、他のメイドだったり、私だったり」
「サリアはあたし担当?」
「主にそうでしたね。アメリアヌの面倒も見てましたが、テリーがアメリアヌにお人形を取られたりして泣いてしまったら、私があやしてました」

 ―――アメリアヌお嬢様ー、ほらほら、それは妹様のお人形ではないですかぁー。
 ―――べー、だ!
 ―――ほらほらー! アメリアヌお嬢様ー!
 ―――テリーお嬢様。
 ―――びえええええええええん!!!!
 ―――よしよし。
 ―――びゃあああああああああ!!!
 ―――クマさんですよ。
 ―――ぎゅっ。びゃあああああああああ!!
 ―――よしよし。

「いつからか、貴女のお友達はテディベアになりましたね」
「だって、アメリに取られるんだもん」

 可愛いお人形は皆アメリのもの。

「ママからは妹なんだから我慢しなさいって言われるし」

 次女って嫌よ。

「メニーが来てからだってそうよ。アメリはお姉ちゃんだからテリーが我慢しなさい。メニーは末っ子だからテリーが我慢しなさい。ママなりに平等に分けようとしてるんだろうけど、ちょっとはあたしにも良い思いをさせてくれていいと思わない? お小遣いをくれたらそれでいいわけ? はあ。だから間って嫌なのよ。反抗だってするのよ」

 おまけに、

「物語では悪役が多い」
「まぬけな役も多いですね。二番目って」
「サリア、このループから抜け出したいわ」
「テリー、作家にでもなりますか?」
「そうね。あたしが革命を起こすわ。タイトルはテリー戦記」

 あたしははっとした。

「なんて素晴らしいタイトルなのかしら。サリア、屋敷に帰ったら書き始めるわ。紙を手配しておいて」
「かしこまりました」
「その間に、あたしはプロットを考えておくわ。作家はね、プロットってのを考えるのよ。ああ、あたしすごい。きっと売れっ子の作家になっちゃうんだわ。先生なんて呼ばれて、取材に来られたらどうしよう! あっという間に書籍化も決まっちゃうわ! サリア、ベレー帽を買っておきましょう! 作家はね、ベレー帽を被ってるのよ」
「後で見ておきましょうか。タナトスのベレー帽もなかなか可愛いですよ」

 あたしは紅茶を飲み干し、サリアにティーカップを返した。

「おわかりは?」
「結構」
「かしこまりました」

 サリアがティーカップをふきんで拭き、鞄にしまう。野良猫が近づいてきた。サリアが野良猫に微笑む。

「ごめんなさい。ミルクは無いの」
「みゃあ」
「人懐っこい猫だこと」

 サリアがじっと見る。猫を見て、首を傾げて、さん、に、いち。

「分かったわ。クッキーをあげる。それで皆と分けてくださいな」

 サリアが鞄からクッキーを三枚地面に置く。

「取られないように見ているので、一枚ずつ持っていきなさい」
「みゃあ」

 野良猫が一枚口に咥えてゆっくり歩いて行った。その先に、子猫が数匹、野良猫を待って陰に隠れている。野良猫が子猫達の前にクッキーを置き、再び優雅に歩いてきた。あたしはきょとんとその光景を眺める。

「サリア、よく分かったわね」
「大きい猫でしたし、さっきからご飯を欲しがっていたので」

 子猫達にあげたいのだろうなと。

「よく分かるわね」
「癖ですから」
「どうしたら分かるようになる?」
「さあ…? 私も気がついたら身についていたので」
「それってもしかして」

 あたしは訊いてみる。

「トランプでも有効なの?」
「トランプ?」

 あたしは鞄から買ったトランプを取り出した。シャッフルして、サリアにハートのキングを渡す。そして二枚、あたしは手札を持つ。

「この中に、ジョーカーとダイヤのキングが入ってる」

 サリアには見せない。

「サリア、どれがキングか分かる?」
「そうですね…」

 サリアが手を伸ばした。ジョーカー。

「これですか?」

 あたしは無表情。サリアの手が移動する。キング。

「これですか?」

 あたしは無表情。さん、に、いち。サリアが微笑んだ。

「これですね」

 サリアがキングを取った。

「はい。揃った」
「なんで分かったの?」
「テリーの唇が力んだから」

 あたしは顔をしかめた。

「そんなの有り?」
「見ていれば意外と分かるものですよ。体の揺れでしたり、唇だったり」
「目は?」
「……目はそんなに見てません。表情は目だけではありませんから」
「でも分かったの?」
「ええ。何となくですが、こっちかなと」
「あたしがやる。サリアが隠して」
「いいですよ」

 サリアが二枚トランプを持った。あたしはクローバーの8が一枚。サリアがトランプを差し出した。

「どうぞ。お好きなところを」

 あたしはじっとサリアを見る。手を伸ばす。サリアは微笑むだけ。あたしは手を動かす。サリアは微笑むだけ。あたしは手を動かす。サリアは微動だにしない。優しく微笑むだけ。あたしはトランプを見た。少しだけ、トランプが上に出ていた。

(分かった。これがジョーカーね)

 あたしはその逆のトランプを引っ張った。

「えい」
「残念でした」

 あたしが持ったのはジョーカー。再び顔をしかめる。

「……」
「テリー。むくれない」
「…………」

 あたしは背中に隠してトランプを入れ替える。もう一度サリアに手札二枚を差し出す。

「どっち?」
「んー…」

 サリアが手を伸ばす。あたしの顔を見る。あたしはむすっとして動かない。サリアが手を動かす。あたしはむすっとして動かない。さん、に、いち。

「これですね」

 クローバーの8を持っていかれる。あたしにはジョーカーが残された。

「なんで分かったの?」
「唇が力んだので」

 あたしはぶすっと頬を膨らませた。

「やっぱり分かんない」
「そうですね。これも慣れですので」

 くすくすとサリアが笑いながらトランプを整えていく。

「では、もう一つやってみませんか?」
「何?」
「テリー、今日の私が、一番気合を入れている部分はどこでしょうか?」

 サリアがトランプを拾いながら質問した。

「いくらでも眺めていいですよ。でも答えは一度だけ」

 トランプを重ねて整えるサリアをよくよく眺める。

 髪型。

(違う)

 メイク。

(違う)

 服。

(違う)

 スカート。

(朝から思ってた。可愛いスカートよね)

 チェック柄の、ふくろはぎまで丈のある長いスカート。あたしは躊躇せず答えた。

「スカート」
「外れ」

 サリアがにやりと笑った。

「下着です」
「ふぁっ」

 思いがけない答えに間抜けな声が漏れると、サリアが眉尻を下げた。

「女として、気を使うべきは下着ですよ。テリー」
「………そんなの知らない」
「目に見えないところも見る必要があるんです。感覚を研ぎ澄まして眺めたら、何となく分かりますよ」
「あたしには分からない」

 むすっとする。

「分からないもん!」
「よく観察すれば分かりますよ」
「分からないもん!」
「私は分かりますよ。テリーが今日、どこに一番気合を入れているか」
「…………」

 チラッとドレスを見下ろす。

(……別にこだわりとか無いんだけど…)

 サリアを見上げる。

「どうぞ」
「中身」

 サリアが答えた。

「復讐心」

 その答えに、思わず拍手をしてしまう。

「素晴らしいわ。サリア」
「恐れ入ります」
「サリアがいれば、何も心配ない」
「私でもどうにも出来ないことはありますよ。怪盗と王子様の決闘は、流石に止められません」
「サリア、今夜は何があるか分からないわ。何かあったら逃げるのよ」
「テリー、それは貴方もですよ」
「分かってる。あたしは速攻で逃げるわ」
「約束しておきましょう」
「約束?」
「ええ」

 サリアが小指をあたしに差し出す。

「私が、どうしてもテリーを守れそうにない場合、主に、テリーが一人でいる時ですね。危険だと思ったらすぐに逃げると約束してください。テリーに何かあったら、私は奥様に殺されてしまいますので」

 ほら、前に、私のスカートを破いてくださったでしょう? 私を守るために。

「私を奥様から守るために、そして、自分の身を守るために、何があっても必ず逃げることを最優先に動くと、今、ここで約束してください」
「大袈裟ね」

(そんなことしなくたって逃げるわよ。あたしか弱い乙女だもの)

 どんなにあの腹黒王子への復讐を誓っていたって、あたしの目的は一つ。あいつの手柄の一部を横取りすること。メニーを悪の怪盗パストリル様の元から救出し、ドロシーから預かった魔法で目を覚まさせること。

(素晴らしい。武器は整ってる)

 ちらっと、左手の甲に浮かぶハートのほくろを見下ろす。

(最強の魔法なんだっけ)

 使い方はあたしが見つけ出すしかない。

(今のうちに発声練習をしておこう。あの猫ちゃんのことよ、どうせ、開けゴマとか、そこら辺の呪文でしょ。分からなくなったらサリアにでも訊いて、一緒に考えてもらおう)

 サリアの小指と、あたしの小指が絡まる。

「指切りげんまん」

 サリアが歌い、小指を離す。

「これで一先ず、安心しました」

 サリアが微笑む。

「これでようやく心置きなく、夜を迎えることが出来そうです」
「メニーが会場にいない場合もあるわ。その場合はどうする?」
「これを」

 サリアがあたしに小さな機械を渡す。

「これは?」
「発信機でございます」
「素晴らしいわ。サリア、こんなものまで買い揃えるなんて」
「ギルエド様に何を買ったか聞かれたら、言い訳をお願いします」
「そこは任せて」
「発信機を怪盗のどこかにつければ、もしくは、キッド殿下のどこかにつければ、もしくは、キッド殿下と共に行動している兵士につければ、行先は大体予想出来るかと」
「失敗は許されないわ」
「何かがあれば」
「逃げる」
「その通り。復讐も大事ですが、テリーの命が一番大事。紅茶が飲めなくなってしまいますから」
「そうね。その時は発信機を誰かにつけて様子を見ることにするわ」

 つんつん。

「あら、テリー、竿が揺れてますよ」
「あ、本当だ」
「一緒に引きましょうか」
「えい」

 サリアとあたしが竿を引くと、小さな小魚が釣れたのだった。

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