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三章:雪の姫はワルツを踊る
第3話 いざ尋常に勝負(2)
しおりを挟む午後。
あたしの足が氷の上を滑る。
(おお…!)
つるーっと滑る。
(おおおおお!)
すぐに手を伸ばす。
「ん!」
「はい」
キッドに手を握られる。つるーっと滑る。
「離すよー」
手が離れても、あたしの足がつるーっと滑る。
(おおおおおおお!!)
生まれたての小鹿は卒業よ。
あたしは、生まれて翌日の小鹿に成長したのよ!
(だって3秒だけなら手を離しても滑れるようになったもの!)
あたし、超すごい!!!!
震える手と足を踏ん張り、震える体を支え、余裕に笑ってみせた。
「見たか! この、あたしの実力を!!」
「あはははは。頑張ったねえ。テリー」
笑いながらキッドがまたあたしの手を取る。
リトルルビィとメニーは、楽しそうに滑っている。リトルルビィに関しては、初めてだと言うのに、するーっと滑れてる。
(……この差は一体何だろう)
二人を見ていると、キッドが顔を覗き込んできた。
「さっきと比べて、だいぶ足が動くようになっただろ?」
「要領がわかってきた。でも誰かに手を繋いでもらってないと、しばらくは駄目ね。氷とお友達になるのはもうしばらくかかりそう」
「ふふっ。大丈夫だよ。俺がいつまでも手を取ってあげるから」
「あんたはごめんよ」
「相変わらず手厳しいなあ」
キッドが肩をすくめた。
「どう? 楽しい?」
「…ま、この間と比べたら、悪くないかも」
「それは良かった」
キッドが微笑む。あたしは顔をしかめる。
「変な奴ね」
「何が?」
遊びに来たというのに、キッドはずっと滑れないあたしに付き合っている。
「ねえ、キッド」
それでいいの?
「ん?」
あたしを見つめる青い目に、首を傾げる。
「あんた、楽しくないんじゃない?」
「え?」
キッドがきょとんと瞬きをする。
「楽しいよ?」
「嘘つき」
「嘘じゃないさ」
「だって、あたし全然滑れないし、つまんないでしょ」
「なんで? 教えるのって楽しいよ」
「…そう?」
「俺、教えられるのも、教えるのも好きなんだ。だから、楽しいよ」
「滑れる人と滑った方が、楽しくない?」
「そりゃあね。長くマイペースに滑れた方が楽しいさ」
「………」
じゃあ、やっぱり、
(楽しくなかったんじゃない?)
「楽しいよ」
キッドが、あたしの目を見て、見透かしたように、にっこりと、笑った。
「ねえ、テリー、俺、お前のこと気に入ってるんだよ? お前が思っている以上に」
くくっ。
「意外とね」
「何がいいの?」
変な奴ね。
「あたしよりもメニーの方が、素直で純粋で、可愛くていいじゃない」
「え? 何々? 聞きたいの?」
ずいっと、いたずらな笑みを浮かべるキッドが、顔を近づける。むっとして眉をひそめると、にししっ、とキッドが笑った。
「そうだなあ。素直なところ」
「え」
「素直じゃないところ」
「…どっちよ」
「ひねくれてるところ」
「…失礼な」
「気が強いところ」
「…貴族だからね」
「髪の毛の色」
「…この色のこと?」
「そう。ちょっと濁ってる赤。いいじゃない。なんか、綺麗な赤じゃない分、人間っぽくて嫌いじゃない」
「褒めてるのかけなしてるのかわかんないわよ。それ」
「褒めてるんだよ」
「そうは聞こえない」
「続き。…変わり者」
「キッドの方が変わり者よ」
「そうかなあ? 普通だよ」
「あたしの方がマナーがいいわ」
「ふふっ、テリー、眠いの?」
「覚醒してるわよ。はっきりとね」
「お前のその目も好き」
「はい、嘘」
「嘘じゃないよ」
「こんな吊り目を気に入ってるって言うの? 嘘つき」
「あはは! しょうがないだろ? その目の形も気に入ってるんだから!」
「おもちゃにされてる気分」
「お前のその反応も面白い」
「あたしは面白くない」
「年齢に合わない性格」
「………」
「助言のお婆様のせいかな?」
「……うるさいわね」
「意外と泣き虫なところ」
「は? あたしがいつ泣いたっての?」
「ぴーぴー泣いてたじゃん。お前」
「ぴーぴーなんて泣いてないわ!」
「ふふっ」
「何よ。気持ち悪いわね」
「ねえ、今度はお前の番」
「何が?」
「俺の事、どう?」
「何が?」
「俺の何が嫌いなの?」
「嫌いなところを言うの?」
「そうだよ」
「おかしくない?」
「聞きたいんだよ」
おっと。
転びそうになったのを、キッドが支えて、また、滑りだす。
「テリー、今驚いたんだろ」
「…あんたが、変な事言うからよ」
「ふふっ。変なことかあ。…変かな?」
「変よ」
「何が変なの?」
「………」
「ねえ、何が気に入らないの? 何が好きじゃないの? 俺のこと」
はー、と、白い息を吐いて、口を開ける。
「そういう余裕のあるところ」
「ふふっ。余裕ねえ」
「笑顔」
「ええー? 笑ってるだけだよ?」
「気さくな紳士のふりしてるところ」
「…気さくねえ」
「欲張りなところ」
「ふふっ、確かに」
「女たらしなところ」
「ふーん?」
「すぐに口説くところ」
「相手が喜んでくれるからさ」
「何考えてるかわからないところ」
「色々考えてるよ。お前の事もね?」
「そうやってからかうところ」
「ふふっ、そこで言ってくるか」
「嘘つきなところ」
「人間は皆嘘つきだよ」
「なのに、守ってくれるところ」
キッドが一瞬黙り、ほんのりと、肩の力を抜いて、優しく微笑む。
「約束だからね」
「……もう少し悪い奴なら、嫌いになれるかも」
「ねえ、テリーさ、俺の事やっぱり、大好きだろ」
「何言ってるの? 自意識過剰もいい加減にしてくれない? 嫌いじゃないだけよ」
「でもさ、じゃあさ、嫌いじゃないとして、好きでもないとして、そんな奴の気に入らないところを十個も言えてるって、それってすごくない?」
ん?
「俺数えてたんだよ。いくつかなって」
ほら、
「余裕のあるところ、笑顔 、気さくな紳士、欲張りなところ、女たらしなところ、口説くところ、 何考えてるかわからないところ、からかうところ、嘘つきなところ、守ってくれるところ」
「ほらね」
「すごい」
「俺、こんなに気に入らないところ、言われたことないよ」
「いつも、こういうところが好きって言われるんだ」
「ふふっ」
「ねえ、テリー」
「俺がお前を気に入る理由、わかった?」
ぐいっと、体を引き寄せられて、顔が、それこそ、とても近くに、引き寄せられる。
青い目に、あたしが映る。青い目の奥にいるあたしが、キッドを見つめる。
キッドは微笑む。微笑み続ける。
「俺の嫌なところを、認めてくれてるから」
「安心するんだよ」
「ねえ、テリー」
「そろそろ俺と、本気で恋をしてみない?」
あたしは鼻で笑って、キッドから離れて、でも手を繋いで、足を滑らせる。
「お断りよ」
「えー? 断るの? 楽しいと思うよ?」
「あんたに振り回されるのは、今のままで十分だわ」
「振り回してなんかないよ」
「振り回してる」
「…こりゃあ、手強いなあ」
「ふふっ、そうよ。あたしは手強いの」
思わず笑みがこぼれると、キッドがあたしに指を指す。
「はい。お前の負け」
「…あ?」
「ハートを射止めたよ」
「射止められてないわ」
「射止めたよ。だって、お前、今笑っただろ?」
え?
「笑ったからって、それは射止めてるの?」
「惚れさせるなんて、俺は言ってないよ。どこかで心が動けば、それはハートを射止めたことになる」
「何よ、その屁理屈」
「俺の勝ちだ。テリー」
「それを言うなら、あんただって負けよ」
「俺が?」
「あたしはキッドが好きじゃないから、あんたのものにはならない」
「……へえ!」
キッドが笑った。
「面白い!」
くるりと回って、足を滑らせた。
「確かに。そう言われたら俺は見事にフラれたな」
「自分を完璧だと思い込み過ぎなのよ。あのね、思い込みほど怖いものってないわよ」
「何言ってるの。思い込みって大事だよ? 俺がイケメンの王子様だと思えば、本当に王子様になれもするんだから」
「あんたが王子様なら天と地がひっくり返るわね」
「ほーう? それはどういう意味だ? テリー?」
キッドがわざと手の力を緩ませ、ぎょっとしたあたしは慌ててその手を強く握りしめる。
「ちょっ、ちょっと!」
「あはは! 冗談だよ!」
キッドが再びあたしの手をしっかり握る。そして、
「でも、お前、王子様が好きなんだろ?」
訊いてきた。
「…何それ」
「前に言ってたじゃないか。憧れの王子様がいつ頃迎えに来てくれるのかって」
「……言ったかしら。そんなこと」
「言ったよ。俺覚えがいいんだ」
「……」
「ねえ、王子様なら、誰でもいいの?」
キッドが興味本位に訊いてくる。
「………あたし、そんなこと、一言も言ってないけど」
「訊いてるだけだよ。悪い意味じゃなくて、今後のことを考えてさ。貴族令嬢として、王子様ならその人の事、好きになる?」
あたしは一度考える。
(確かに)
「そうね」
頷く。
「王子様でしょう?」
うん。
「好きになるかも」
頷く。
「だって、結婚したらプリンセスになれる」
相手が優しくて、ちょっとでも気が合えば最高。
「媚を売りまくって猫を被りまくってぶりっこ付いて、それで可愛い女の子を演じて、うまくいけば結婚まで持っていける。ああ、最高。そしたらプリンセスよ」
でも、
「…あたしには関係のない話ね」
国民に愛されるプリンセスになるのはメニーだ。
あたしは、こうやって、キッドと氷の上を滑っている方が、性に合っているかもしれない。
「ふふっ」
ハートを射止められたキッドに、笑ってみせた。
「馬鹿みたい。プリンセスだって」
「いいじゃない」
キッドが笑う。
「テリーにだって王冠は似合うさ」
「だったら被せてよ」
「被せる? いいよ」
キッドが無邪気に笑って、あたしにフードを被せた。
「ちょっ!」
「くくっ! さ、どうですか? プリンセス」
「最悪。前が見えない」
「大丈夫。前には俺がいるからお前を導くよ」
「結構よ。馬鹿」
フードを外す。キッドが笑ってる。あたしも笑う。
「ね、キッド、知らないでしょ」
「何が?」
「ふふっ」
「くくっ。ご機嫌だね。テリー」
「あたし、夢が出来た」
「夢?」
「あたし、ベックス家を継ぐのよ」
「あれ? お前が継ぐの?」
「大丈夫。紹介所を忘れてないわ。あそこはあたしの帝国よ。将来、あたしは社長としてあそこで働くの」
「ベックス家を継いで、紹介所の社長。やることが多いね」
「そうよ。だからあたしは忙しいの」
「うんざりしそう。そうだ。良い提案がある。テリーがプリンセスになって、それら全てを他の人に委ねてしまえばいい。そしたら、お前は他の事に囚われず、国のことだけを考える生活が出来る」
「あたしがプリンセス? 冗談よしてよ。プリンセスなんて、なりたい人だけなればいいの」
「テリーは?」
「あたしはいい」
「欲しくないの?」
「そんなのいらない」
「どうして」
「そこにあたしの幸せは無いから」
「あるかもよ」
「無いわ」
「じゃあ、お前の幸せはどこになら存在する?」
「さあね。どこかしら」
でも、分かる。少なくとも、お城じゃない。
「あんな贅沢なお城なんて、あたしには合わない」
「欲張ったら全部消えてしまうものよ」
「願った分、全部消えてしまうの」
「消えるなら」
「だったら何もいらない」
「消えてしまうなら最初から祈らない」
「あたし、幸せだけが欲しい」
「あたしを本気で愛してくれる人が隣にいてくれたら、それでいい」
「そうでしょう?」
「あんたも、わかるでしょう? この気持ち」
ただ一つの欲求。
「底の知れない卑しい欲が」
あたしには欲がある。
執着している生。
執着する願い。幸福。
あたしは欲深い女だ。
あたしはそういう女だ。
王妃は、プリンセスは、人から愛されるのは、メニーだ。
あたしじゃない。
どんなに、願ったって、欲張ったって、
そんな汚い願いは、叶わない。
憧れの王子様なんて、罪を重ねたあたしの目の前には、現れない。
ふと、
足が、止まった。
キッドが止めた。
キッドは微笑む。
あたしも微笑む。
手は握られている。
その笑みに、
その手のぬくもりに、
心はない。
「テリー」
「何?」
「俺、すごく話したいことがあるんだ」
「何?」
「お前は喜ぶと思うよ」
「何?」
「だってとても運がいいから」
「何?」
「俺、お前の事気に入ってるよ」
「何?」
「妹みたいで、幼馴染みたいで、友達みたいで、親戚みたいで、従妹みたいで、双子みたいで、兄弟みたいで、知り合いみたいで、親友みたいで、理解者みたいで」
「何?」
「だから、いいよ。お前は特別」
「何?」
「俺の隣にいさせてあげる」
「何?」
「お前は幸せ者なんだよ」
「何?」
「だって」
俺は、
「キッド!!!!」
リトルルビィが叫んだ。
直後、
―――スケート場が大きく揺れた。立てないくらい、大きく。
「……っ!?」
キッドと手が離れる。体が揺れる。尻もちをついて、冷たい氷がお尻にぴったりとくっつく。
でも、この揺れは大きすぎて、ひんやりと冷たい感覚も、お尻を打った衝撃も、恐怖と驚きで消え失せる。
(…メニー!?)
ぱっと振り向けば、リトルルビィが、メニーと手を繋いで、その場に座ってじっとしている。
キッドが顔を上げ、左と、右と、上を見上げて、じっと、動かない。
「キッド」
「黙って」
キッドがあたしを止める。
あたしもじっとする。黙る。呼吸をする。揺れがゆっくりになってくる。収まる。
静かになる。
「…………………」
「……すごい地震だったね」
キッドはあたしに言った。
「気になることが出来ちゃった」
キッドが立ち上がる。
あたしに手を伸ばして、ぐいと引っ張る。
「今日はここまでだ。テリー」
じっと上を睨み、キッドが伝える。あたしは、また、その顔を見て、呆れて、首を振り、ため息をついた。
「あんた、なんでモテるのか、本当にわかんない…」
「ん?」
きょとんとして、あたしに振り向く。
「だって、今の地震でさえ、楽しんでるのなんて、あんただけよ」
「楽しんでないさ」
「楽しんでるじゃない」
「笑ってるわよ。顔」
キッドが、
にんまりと、
口角をあげていて、
微笑んでいて、
これ以上となく、
楽しそうに、
愉快そうに、
微笑んでいて、
―――また別の笑みで、あたしに微笑んだ。
「ごめんね、テリー。送ってあげられないや」
「行って」
「愛してるよ、テリー。最高の時間をありがとう」
「…こちらこそ」
「じゃあね。離れがたい俺のプリンセス」
――――ちゅ。
あたしの結んだ髪の毛の一束を握り、キスをする。
「近いうちに、埋め合わせをするよ」
あたしの手を引っ張り、滑り、キッドが呼んだ。
「リトルルビィ」
リトルルビィも、メニーの手を引いて、頷いた。
「…じゃあね、メニー。テリー。行かないと」
「うん。またね」
メニーが手を離す。
あたし達をスケートリンクに残したまま、リトルルビィが滑っていく。キッドがスケートリンクから出た。靴を脱いで、歩き出す。リトルルビィも靴を脱いで、キッドの服の裾をつまんでついて行く。周りを、どこにいたのか、大人たちが囲んだ。
「じいやを呼んで。今すぐに」
「はい」
「テリーとメニーを屋敷まで送ってあげて」
「はい」
「ねえ、今のさ」
「ええ、実は」
その光景を見て、メニーがあたしに振り向く。
「……お姉ちゃん」
「無駄な詮索は無しよ。メニー」
あたしは目を閉じた。
「帰るわよ」
「………でも」
「楽しかったわね、まあ、悪くなかったわ。スケートも」
壁に手をつけながら滑り、あたし達もスケートリンクから出る。靴を脱ぐ。メニーも複雑そうな顔で、靴を脱いだ。
「……さ、帰りましょう」
「…うん」
「あの人達、送ってくれるって」
キッドのお手伝いさんがあたし達に笑顔で手を振った。
「…お姉ちゃん、キッドさんって」
誰なんだろう?
「何言ってるの?」
あたしは肩をすくめた。
「あいつはキッドよ」
「……」
「紹介したでしょう?」
余計なことは言うな。
純粋なお前の口は、穢れたあたしにとって、耳障りでしかないのよ。
「あたしの婚約者よ」
謎が多すぎる、嫌いではない。でも好きにもなれない。
それが、あたしの婚約者。
キッド。
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