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二章:狼は赤頭巾を被る

第2話 半年ぶりの再会(2)

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 事件が終わったあの日から、二人の未来について考えていたんだ。
 どこへデートに行こうかとか、どんな会話をしようとか。
 ほら、俺たちはお互いの事をよく知らないだろう? だから、もっと深く愛し合うために、お互いの事を知るために、我が愛しの君が行きたいところや、俺の行きたいところを一緒に旅行でもしようと思っていたんだけど、ふふっ。君からの連絡は一切無し。まあ、連絡がないってことは、照れているんだと思ってた。突然、この俺とそんな関係になって、君の胸はときめきにときめかせていることだから、落ち着いた頃に、君から来てくれることを信じて俺は待っていたよ。でも、君は現れなかった。一日経っても三日経っても現れることはなかった。あれ、おかしいな、なんて思ってたけど、まだ落ち着いていないんだろうと思って待ってたら、なんと半年も経ってて、あれ? そろそろ本当におかしいな? なんて思って、捜索願を警察に届けようとしたところで、じいやに止められてね。そんなことに税金を使っちゃ駄目だって。じゃあ、どうしようかななんて思ってたら四日くらい前に、愛しの君が家族で仲良くお店を見て歩いているところを発見したお手伝いさんがいたんだ。心から安心したよ。別に病気で入院しているわけでもなく、君は健康体そのもので、家族と仲良くショッピング。俺へのプレゼントでも買ってくれてたのかな? くくっ。でさ、今後は君が街へ来る際には君の事を皆で観察しようかってことになったんだよ。だって、愛しい人が街へ何をしにきてるのか気になるでしょ? そしたら、なぁに? 一体、何があったって言うの? 俺のお手伝いさんが声をかけてなかったから、君は巷で有名なロリコンじじいにえっちなことを強要されていたんだよ? 何をされるかわからない状況になることくらい、ああ、君くらいの年齢だったらわからないんだろうな。それも君は怖い事は何も知らない守られて生きてきた気高いプライドだらけの貴族だから余計にそうだ。でもね、普通の子供はそれくらいわかるんだよ。そういう教育を受けているから。知らない人にはついていっちゃいけない。ね、愛しいハニー。よく覚えておいて。まあ、話はさておき、愛しい人、一体何があったのかな? そのわざとらしいボロ服は、愛しい君には似合わない。そんなに使用人として働きたいなら、

「雇って、俺専属のメイドにしてあげる」
「誰がなるか」

 紅茶を目の前に、向かいにいる相手を睨む。

「よくもまあそんな無駄な文句がべらべら出てくるわね」

 何が愛しい君よ。何がハニーよ。

「胡散臭い奴め」

 紅茶を飲んだ――自称、あたしの婚約者であるキッドは、半年前と変わらない嘘くさい笑みを浮かべる。

「無駄な文句じゃないよ。口説き文句。俺はテリーを口説いてるのさ」
「あんた、こんな子供を口説いて悲しくならないの?」
「レディを口説いて悲しくなる奴がどこにいるっていうの? 俺は目の前の愛しい人を口説けて、大満足」

(…いかれてやがる…)

 紅茶に手を伸ばすと、その手にキッドの手が重ねられる。

「テリー、愛しい我が君」

 闇に近い青い目が、あたしを真っ直ぐに見つめる。

「会いたかった。俺は、もうこの手を離さない」
「ほざけ」

 すぐに手を離して紅茶を飲む。

(あら、…悪くない)

 すっきりした甘めの紅茶。

(…紅茶に罪はない)

 罪があるのは、目の前にいるこいつだ。

(キッド)

 全く正体不明の少年。顔見知りが多い街の子タイプ。もうとにかく悪い印象しかない。こいつと関わったらろくなことが無い。ストレスしか溜まらない。なのにしてしまった契約。

 あたしのボディガードになる代わりに、

 ―――俺の将来のお嫁さんになる約束をしてくれないか?

(けっ)

 あたしは紅茶をソーサーの上に戻す。

「で、何? あたしに何の用?」
「嫌だなあ。テリーってば」

 キッドはにこにこ笑ってあたしを眺める。

「お前に会う用事と言ったら一つしかないだろ」

 キッドの青い目が、あたしだけを見つめる。

「一緒に、愛という名の心を育てたいだけ」
「帰る」
「ふふっ。まだ子供のテリーには早かったかな?」
「そうよ。早すぎるのよ。あたしはまだまだ小さなテリーちゃんなの。恋とか愛とか知らないわよ。もう帰る」
「もー、またそうやって不機嫌になるんだからぁー」

 キッドが猫なで声で呟き、はあ、とため息を漏らし、目を伏せる。

「ああ、一体何がいけないのかな…? 俺がこんなに愛情持って尽くしてあげてるのに」
「どこが愛情よ。あんたの愛情なんて浮ついた言葉だけ。一つ一つが雲の上なのよ。海の上なのよ。上を見上げてごらんなさいよ。天井に言葉が浮いちゃってるわよ」
「上じゃなくて横を見てごらん。俺がお前に言葉を投げた分、奪われた方は泣いているよ」

 キッドが窓を手で差す。あたしは窓を見る。窓から数人、レディ達が覗き込んで、寒空の下、憎々しげにあたしを睨み、ハンカチを噛んでいた。あたしの眉間に皺が出来る。レディ達が声を揃える。

「キッド!」
「ああ! 私のキッドが、また変な女の子に色目を使われてるわ!」
「小さいくせに何よ! あの女の子! 生意気!」
「あ、見て! こっち睨んで来たわ!」
「最低!」

(うるせえ! 誰が睨むか! 元々こういう目の形なのよ!)

 キッドが笑顔で窓に手を振る。レディ達がにやけてキッドに手を振り返す。
 あたしは立ち上がり、窓まで歩く。窓を開ける。レディ達があたしを睨む。あたしは哀れみの目をレディ達に向けた。

「…お姉さん達、そんなところにいて寒くないの…?」
「ちょっと」

 一人のレディが仁王立ちであたしを見上げる。

「あなた、お名前は?」

(なんであたしが知らないレディ達に名乗らないといけないの?)

 黙っていると、レディ達に睨まれる。

「何よ。自分の名前も言えないの?」
「キッド、こんな子放って、私達と遊びましょうよぉ」

 キッドが愉快気にくすりと笑う。その反応に、イラっと目元を痙攣させた。

(笑いごとじゃねえだろ! てめえが片付けろ!)

 あたしは笑顔でキッドを手で差す。

「ああ、もう、遊ばれるならどうぞどうぞ。連れて行ってください。あたしもう帰るの。お姉ちゃん達、あのお兄ちゃんをお求めならどうぞ連れて行ってください。むしろ連れて行って。あたしの前から消してください。あたしあんな奴どうでもいいのでどうぞお渡ししますわ」
「ちょっと! あんな奴ってキッドの事!?」

 レディ達が逆上する。

「親しげに何よ! あんた、キッドの何なのよ!」
「キッド! 早くお外で遊びましょうよ!」
「そうよ。キッド! こんな小さな子相手にしなくたって、私達がいるじゃない!」
「キッドぉ…!」
「ごめんね、皆」

 キッドが立ち上がり、窓に歩いてくる。そして、あたしの肩を掴み、自分に引き寄せる。

「俺は、出会ってしまったんだよ。この子以外いないんだ」

 キッドの目が潤んだ。

「この子が俺の運命の人さ」

 レディ達が切なげなキッドの視線に、うっとりした。

「皆、応援してくれる…?」
「「「「「もちろん!!!!」」」」」

 さっきまで鬼の目をしていたレディ達が、キッドを前にした途端、乙女の顔になった。

「キッドが決めた子なら、間違いないわよ!」
「キッド、頑張って!」
「ああ、キッド…! かっこいい…!」
「キッド! その子に何かされたら、私が相談相手になるわ!」
「いいえ! 私がなるわ!」
「違うわよ、私よ!」
「うるさいわね! キッドの相談相手は私しかいないのよ!」
「何よ! あんた!」
「あんたこそ何よ!」
「ありがとう。皆」

 キッドが微笑む。喧嘩を始めたレディ達が再びキッドに見惚れる。

「俺、幸せだな。君達みたいな優しい友達を持てて」

 キッドが美しく笑う。

「皆の事、大好きだよ」
「「「「「私達も大好きよ!キッド!!」」」」」

 乙女達が目をハートにさせる。キッドは変わらずニコニコ笑っている。

「じゃあ、俺、この後、この子と色んな話をしなくちゃいけないから」
「キッド! 終わったら連絡して!」
「キッド! 私に連絡して! 待ってるわ!」
「キッド! 私も待ってる!」
「なんだったら、キッド、私、戻ってくるわ!」
「キッド、この後時間は?」
「残念ながら、今日はもう時間がないんだ」

 でも、君たちのことは大切に想ってるよ。

「今日は、もう帰ってくれる? 君たちが風邪でも引いちゃったら、俺、辛くて泣いちゃうよ」
「「「「「はぁああああい!!」」」」」

 元気よく返事をして、レディ達があっさり帰っていく。レディ達が手を振る。キッドが手を振り返す。その姿に見惚れて、全員、木にぶつかって転んだ。キッドがあたしの横から窓辺に手を置いて、もう一つの手で窓の扉を閉める。

「ああ、寒い寒い」

 カーテンを閉める。

「ほらね、皆、俺にメロメロ。君はいつになったら俺にメロメロになってくれる?」
「もう帰る」

(あたしには時間がないのよ)

 振り返ると、キッドの胸が視界に映る。

(おっと)

 ぶつかりそうになって、足が止まる。

(あれ?)

 右も左もキッドの手が窓辺に置かれている。キッドと窓の間にはあたし。まるで間に閉じ込められているみたい。

(………)

 腕の間をくぐろうとすると、キッドの腕が下りてきた。

(………ん?)

 腕の間をくぐろうとかがむと、キッドの腕が下りてきた。

(………………)

 腕の間をくぐろうとしゃがむと、キッドの腕が下りてきた。

(……………)

 腕の間を立って跨ごうとすると、キッドの腕が上がってきた。

(……………)

 キッドを見上げる。キッドはにこにこ笑ってあたしを見下ろしている。

「ふええええええええええええん!!」

 あたしは振り返ってカーテンを開けて窓を全開にして全力で泣き叫んだ。

「このお兄ちゃん! ロリコンです! 誰か助けてぇぇえええええ!!!」
「こーら。叫んだら近所迷惑だろ? 悪い子だな」

 キッドがにこにこして窓を閉めるために腕を伸ばした。

(今よ!)

 その合間をくぐろうと走り出す。

「どこ行くの?」

 手首を掴まれる。

(ひっ!)

 ぐいと引っ張られる。

「ひゃ!」
「いけない子」

 あたしを自分の胸に引き寄せ、再びカーテンを閉める。

「言っただろ。もうこの手を離さないって」
「離せ! 変態! 変質者! 不審者! おーまわりさーーーん!!」
「誰も来ないよ」

 家の中には誰もいない。

「二人きりの時間を楽しもうよ」
「てめえとの時間は願い下げよ!」

 ぐーーっと体を押す。キッドは離れない。ニコニコ笑いながら、あたしの腰を抱く。

「願い下げって言っておきながら、俺と婚約したのは誰だい?」
「そうよ! あたしよ! でもね! 一つ言っておくわ! したんじゃない! させられたのよ!」
「させられた、なんて人聞きの悪い。合意の元で婚約者になったんだろ?」

 あたしの美しい頬を、キッドが手で押さえてきた。

「ふぁ!?」

 もち、と頬をつままれる。キッドはにこにこしている。

「ね?  合意だったよね?」

 もちもち、と頬をつまんでくる。キッドはにこにこしている。

「合意だったよね?」

 もちもちもちもちもちと、頬をつまんでくる。あたしは叫んだ。

「ひゃめふぉーーー!」

 むちゅいーーーーと、頬を伸ばされる。キッドはにこにこしている。

「俺とテリーは一目で互いを好きになって、俺がフラワーリースをプレゼントしたことをきっかけに、将来の結婚を誓い合った。そうだったよね?」
「ひはう! ほはへ! ほへひほうふはへはは、ふるははいはらは!!」

 違う! お前! これ以上ふざけたら、許さないからな!!

 しかし、キッドがにっこりーーーんと笑い出す。

「ああ、分かった。なんでテリーがそんなに怒っているのか。テリーはヤキモチを妬いてるんだ。俺に可愛くて美人な女の子の友達が多いから。ああ、なんてことだ。愛しの君にヤキモチを妬かせてしまうだなんて。分かったよ、テリー。そんなの感じさせないくらい、たくさん構ってあげる」
「ふぁ!」

 キッドがあたしの頬から手を離し、あたしのお尻に腕を通した。

「どっこいしょー」
「ひえ!」

 上に持ち上げられる。

「…………」

 下りれない。

「びええええええええん!!」

 あたしは泣き声をあげた。

「下りれないよぉー! うえええええん!!」
「さあ、テリー、見てごらん。君を見つめている俺がいるよ。ほら、目を合わせて」
「うるせえ! 戯言ばかり吐きやがって! さっさと下ろせ! このクソガキ!!」

 ギッ! と見下ろすと、あたしをじーーーーーっと見つめているキッドの顔が視界に映る。

(うっ)

 その瞳に見つめられたら、誰だってこんな風にドキッとするだろう。

 形のいい輪郭。深く純粋な目。闇に近い、深いところまで吸い込まれてしまいそうな青い瞳。女の子のような白い肌に、凛々しい眉毛、高く、すっとした鼻。見ているだけでキスしたくなりそうな艶やかな唇。一本一本が細く繊細な薄い青色の髪の毛がまた色っぽく見える。

 容姿だけを見れば完璧。これ以上の逸材はいない。

(完璧に好みの顔。超タイプのイケメン)

 だけど、

(気持ち悪いのよ)

 この笑みも、この瞳も、こいつも。

(子供のくせに、考えが全く読めない)
(気持ち悪いのよ)

 キッドが見つめてくる。
 あたしがキッドを見下ろして眺める。
 キッドの瞳があたしを見つめる。
 あたしの瞳がキッドを見つめる。
 キッドの瞳が切なそうに薄くなる。
 その瞳に魅入られそうになって、はっとする。

(しまった)

 あたしは我に返る。

(駄目だ)
(これは、キッドの思うつぼ)

 ふっと、目を逸らすと、キッドの両手が下がり、あたしとキッドの距離がより近くなる。

「駄目。俺の事見て」

 そんな風に囁かれたら、あたしの胸がまたどきっと跳ね飛ぶ。

(テリー!)

 あたしは脳内で叫ぶ。

(このクソガキ、分かってやってるわ! 絶対そうよ!)
(あのレディ達を思い出しなさいよ! 可哀想に! あの子達はキッドの被害者よ!)
(あたしは負けない!)

 あたしは絶対にキッドを見ない。目を逸らし続ける。

「美人は三日で飽きるってことわざ知らないの? あたしはね、三分以上あんたの顔を見たから、とうとう飽きてしまったのよ」
「へえ。飽きちゃったんだ。それは寂しいな」

 でも、それでも、だとしても、

「駄目。別のところは見ないで。久しぶりに会えたんだよ? 俺、愛しのお前と見つめ合っていたいんだ」
「そんな風に囁けば誰でも落ちると思ってるんでしょ。残念だけど、あたしはまだ子供なの。見つめ合ったところで、何とも思わないのよ」
「だったらいいだろ? 俺に付き合って。俺と見つめ合おう。俺はテリーを見ているだけで、心も体も癒されるんだ」

 その声に、心はない。
 まるで、教科書を淡々と読んでいるような言葉。
 じろりと、もう一度、視線をキッドに向ける。上から睨みつける。

「……嘘つき」

 キッドはいやらしく微笑み、目を細め、あたしの目を見つめ続ける。

「いいね。その目。テリーのその汚いものを見るような目。俺、嫌いじゃないよ」
「分かってるじゃない。そうよ。お前は汚いのよ。言葉も目も濁り切ってるのよ。さっさとこの手を離しなさい。そして純粋で清らかで美しいあたしを超優しく地面に下ろしなさい」
「汚い、ね? さて、本当に汚いのはどっちかな?」

 キッドが下からあたしの顔を覗き込み、にたぁ、とにやけだす。

「ねえ、そのおんぼろドレスはどこで拾ってきたの? 純粋で清らかで美しいお前には似合わないよ。それとも、その年でそういうことに興味があるの?」
「そういうことって?」
「貴族は絶対にやりたがることだ。貧困者の真似事」
「何言ってるの」

 あたしは呆れた目をキッドにぶつける。

「言ってるでしょ。あたしにはやらなきゃいけないことがあるの。あんたに構ってる時間がもったいないから下ろせって言ってるのよ。馬鹿」
「…うん?」

 口角を下げ、キッドが眉をひそめる。

「やらなきゃいけないこと? 何それ」
「関係ないでしょ」

 もう会話はおしまい。だって、キッドには関係ないでしょ?

(早く下ろしてくれないかしら)

 ぷい、とそっぽを向くと、キッドの顔が追いかけてくる。

「ねえ、何をやらなきゃいけないの?」
「知らない」

 ぷいっと反対を向く。キッドが追いかけてくる。

「ねえ、教えて。どうしたの?」
「知らない」

 ぷいっと反対を向く。キッドが追いかけてくる。

「ねえテリー。教えてくれたらデートしてあげるよ」
「知らない」

 ぷいっと反対を向く。キッドが追いかけてくる。

「分かった。じゃあお菓子をあげる」
「いらない」

 ぷいっと反対を向く。キッドが追いかけてくる。

(ああ、うんざりする! しつこい奴ね!!)

 ぎろりと睨めば、キッドが口角を上げ、ぽつりと言った。

「ああ、うんざりする。しつこい奴ね」
「…………」

(ん?)

 キッドがにこにこしている。
 あたしはきょとんとして、目を逸らす。

(何こいつ、気持ち悪い)
「何こいつ、気持ち悪い」
(あたしの心が読めるの!?)
「あたしの心が読めるの?」
(ひい!)
「ひい」
(やめろ! 読むな!)
「やめろ。読むな」
(お前なんて信用できないのよ!)
「お前なんて信用できないのよ」
(いいいいいいいいい!!)

 怖い! こいつ怖い!!

(何なの、こいつ…!?)

「あははははは!」

 キッドがケラケラ笑い、あたしの顔を見て、またにやける。

「心を読めるわけじゃなくて、お前が分かりやすいんだよ。だって、全部顔に書いてあるんだもん」

 あたしは顔に触れる。誰か鏡持ってきて。

「お前のご期待に沿えず申し訳ないけど、テリーが俺を裏切らない限り、俺がお前を裏切ることはまず無いよ。そういう約束だろ?」

 あたしは婚約者。キッドはボディーガード。

「残念でした。この契約をしている限り、お前は俺を信用しなくてはいけないのです」

 信用し合う関係にならないといけないのです。

(誰がお前なんか)

「誰がお前なんか信用するか」

(…………)

 あたしは目を逸らす。

「……誰もそんなこと言ってないけど」
「言ってるよ。目が言ってる。俺、目を見るの好きなんだ。眼球って綺麗だろ?」
「………」
「テリー、そろそろ白状しちゃいな。いつまでもそんなボロ服でいたら、本当に専属メイドにしてしまうよ?」

 あたしはむすっとして、唇を尖らせる。

「…あんたに言ったところで、状況は変わらないわ」
「気持ちは変わるかも。言ってごらん」
「………ふん」

 結局、言葉を詰まらせながら事情を話していく。一から百まで。うまく簡潔に言えてない気もするけど、とりあえず、我が家の低給料の件。ママとの喧嘩。労働基準調査のことをぼそぼそと話していく。
 キッドは黙る。あたしを抱っこしたまま、黙って話を聞いていく。時々相槌を打って、ふふっと笑って、ふーんと言って、また黙って、あたしの話を聞いていく。

 話を終えると、キッドはふむ、と返事をして、頷いた。

「………なるほど。事情は分かった。ただ、だからと言って、そのぼろのドレスは必要じゃないんじゃない?」
「分かってないじゃない。いい? あたしは本気なのよ。ママには目にもの見せないと。使用人達は奴隷じゃないのよ。屋敷のことをしてくれてるのよ。ママと同じ労働者なのよ。ママは自分で働いて稼いでお金があるのよ。その上で人を雇ってる。だったら働いた分、払うのが筋ってものでしょ」
「ああ、そうだね」
「少しでも似た環境で、もっと労働環境のいいところがあれば、ママにそれを教えてやるのよ。このままの環境でいたらどうなると思う? 都合のいい条件の職場を見つけた不満だらけの使用人たちがそっちに一気に流れ込んで、一生あたし達を最悪の主人だったと記憶するのよ」

 そして裁判にてあたし達を責め立てるのよ!! ああ! 恐怖による寒気が起きて震えがぶるぶるぶる!

 あたしは拳をぎゅっと握る。

「あたしはね、辞める人たちにはきちんと心からお世話になりましたって言ってもらいたいの。最悪な主人の娘なんて嫌よ。嫌すぎるわよ! 仕返しされる! 嫌われる! ああ! 嫌よ! 嫌なのよ!!」
「嫌でも何でも、やり方が横暴すぎるだろ」
「わぎゃっ!?」

 突然、キッドがくるんと回ったかと思えば、とことこ後ろ向きで歩いて、椅子に座りった。そのまま抱いていたあたしを人形のように自らの膝の上に乗せ、背後からあたしを抱きしめる。ラストはあたしの肩に顎を乗せる。ここまで、僅か一瞬の出来事。

(何も、抵抗出来なかった…だと…!?)

「うーん」

 キッドがあたしのお腹に回した両方の手を握り、あたしの肩に顎を乗せたまま唸った。

「そうだなぁ。使用人で、働きやすくて、給料が高い所…って言ったら、お城しか思いつかないなあ」
「…ああ、あんた知らないのね。あそこにいる人間は、そこら辺と格が違うのよ」

 あたしだって貴族なのに、あそこで働く人間にはあまり会えたことない。一般人のキッドなら、なおさら知らないだろう。知れない事に無知なのは、仕方のない事だ。

「いいわ。あたしは優しいから今のは聞かなかったことにしてあげる。お城で働く人たちと城下町で働く人を比較するなんて、本当に馬鹿よ。あんた」
「…そんなに変わらないと思うけどな…」
「宮殿は選ばれる人たちが行くところなのよ。それと違って、うちみたいな一般貴族は最低限のマナーさえ心得ていれば、どんな人でも受け入れる。確かにそこはいいところよ。でも、支払えるところを支払えてもらえないなんて、そんなところないわよ。ただのブラック企業じゃない」

 わお、とキッドが大袈裟に驚く声を上げた。

「テリー、その年でブラック企業なんて言葉知ってるの? すごいね。まるでどこかで働いたことがあるかのような言葉だ」
「……馬鹿じゃないの? あたし貴族のお嬢様なのよ。働いてるように見える?」

 一度目の世界で、死ぬほど働いてたなんて、口が裂けてもお前には言わないわよ。

「違うよ。利口だって言いたかったの」

 くすりと笑うキッドの声が耳から聞こえる。

「その年で労働者達のことを考えてるなんて、お前が大人になったら、そういう人達を助ける会社を建てるかもね。ちゃんとホワイトを目指すんだよ」

 ふふっと笑って、あたしを抱き締めながら体を揺らして、―――キッドの体がぴたりと止まった。

「それだ」
「え?」
「それだよ。テリー」

 あ、これは、この顔は見たことがある。キッドが、何かをひらめいた顔だ。あたしに婚約者の話を持ち掛けた時のような、いやらしーい表情。

 キッドはニッ、と笑って、あたしに言った。

「だからさ、テリーが作ればいいんだよ」
「…何を?」
「会社」

 は?

「社長はテリー。でも、社長の代わりに会社をまとめる人間を、俺の方で用意する。で、その会社で、真面目で誠実な人は、誰でも雇える会社を作るんだ。子供でも働ける。前科があっても働ける。どんな事情があっても、条件さえ満たしていれば働けるんだ。もちろん、高給料、働けば、誰でも生活が安定する会社」
「…確かにそんなところがあれば、誰でも働きたくなるだろうけど、どこからお金は発生するわけ?」
「そこだ。ね、何の会社にする? 医療、福祉、飲食、美容、ファッション、金融、建築。やりやすいのは飲食じゃないかな? 皆手軽に面接に来てくれるよ」
「うーん」

(会社か…)

 あたしが会社を作るとしたら、そうね。
 あたしは想像力と妄想力と理想力でイメージを膨らませる。

「可愛いのがいい」
「うんうん」
「美しいのがいい」
「うんうん」
「ゴージャスで上品なのがいい」
「うんうん」
「大きな建物で、皆が笑顔で働くのよ」
「うんうん」
「誰でも働けるわ。子供でも犯罪者でも、真面目で誠実であれば」
「うんうん」
「採用されたら、生活で困ることはまず無いわ」
「うんうん」

 何がいいかしら。ファッション? ジュエリーショップ? 甘いアイスクリームショップ? レストラン? レトロな喫茶店? 絶対に助かる病院? 美容室? エステ? 銀行? 建築会社?

(それと、あれと、これと、えーと)

 考えてみたら、意外と会社の種類って多いのね。確かに城下町だし、色んな会社があるし、いろんな店もある。なのに、仕事のない貧困者は多い。ホームレスも多い。都会なのに。

(なんで?)

 その答えは、サリアが言っていた。


 ―――割にいいお仕事を見つけるのってすごく大変なんです。
 ―――もちろんお役所に行けば紹介窓口もありますが、大抵割には合いませんし、とても時間がかかるんです。半年待たされることもしばしばだとか。
 ―――だから、人の伝手だとか、街の掲示板に貼られたお仕事の募集広告を見たりとか、そういうのを辿って探すしかないんですよ。
 ―――それがとにかく大変なので、皆、解雇にされないように、頑張って働いてるんです。


「……………」

 こんなにお店があるのに、掲示板でしか仕事の募集広告がない。街の役所に行って紹介してもらっても、時間がかかるのに、割に合わない。

(あれ)

 こんなのも、どうだろう。

「テリー、他にやりたいことは?」
「情報」
「うん?」
「キッド」

 あたしは自分の頭にある考えを、言葉に出してみる。

「この町って、たくさんお店も会社もあるのに、仕事にありつけない人も存在しているわけでしょう? だから、その、…情報を提供すれば、もっと自分の条件に合った仕事につける人が出てくると、…思わない?」

 キッドが首を傾げた。

「なぁに、それ? 情報屋でもやりたいの?」
「えっと……。……なんていうか…、…その…、………働き口を、紹介する会社…的な?」

 キッドの眉間に、皺が寄った。

「……役所がやってる仕事の紹介窓口を、会社としてするってこと?」
「そう」

 例えば、パン屋が人手不足だとする。仕事がない人を無料でパン屋に紹介する。それでパン屋の方が気に入れば雇用契約を結んでもらって、仕事ができる。しかし、事情があって契約が結べなかった場合、また違う職場を紹介する。

「時間はかからない。その日に決まる」
「働いてみて、無理そうなら会社の人に連絡して、また違うところを迅速に紹介してもらう」
「社員希望なのか、アルバイト希望なのかも選べる」
「半年希望なのか、短期間希望なのかも選べる」
「とにかく、その会社では仕事を紹介して、お客さんに仕事を選んでもらうの」

 だから、たくさんの分類で仕事も分かれてる。

「自分に一番得意なことを聞いて、仕事を紹介するの。得意な事の方が、仕事もやりやすいでしょ」
「金額は?」
「役所では?」
「無料」
「じゃあ、こっちも無料よ」
「無料で迅速に仕事を紹介する会社」

 テリー、大事なことが一つ。

「どこでお金を取るつもり?  役所では税金だったけど」
「…ぐっ……」

 痛い所を突かれて、苦虫を踏んだような声が漏れる。しかし、キッドの表情はどこか明るい。

「でも、なんだか面白くなりそうだ。そんな会社聞いたことないよ」

 キッドがあたしの頭を撫でた。

「テリー、本気で真剣に冷静に考えてみよう。大丈夫。俺がついてたら、全部上手くいくから」

 にやりと笑うキッドと、そのまま体勢を崩すことなく話を進め出す。
 話は思った以上に進み、まるでオペラを見た後に、舞台の感想を友達同士で話しているかのよう。でもそれ以上に、大事な話。あたしはメモをしたかったから、紙とペンを頂戴と言ったら、キッドが首を振った。

「そんなことしなくても大丈夫。俺が全部覚えておくから」

 そう言って、あたしを抱きしめたまま、離してくれない。話は再び続行。

(…お尻痛い…)

 解放されたのは、二時間後であった。

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