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悪役令嬢のとある日常
幸せな日常
しおりを挟む親同士が決めた相手だった。
相手は戦場で海を管理していた男。
功績が認められ、平民から貴族に成り上がった男。
「アーメンガード」
ダレンは微笑んだ。
「私と結婚してくれないか?」
「嫌よ」
ダレンはうなだれた。
「アーメンガード」
「結婚したら、子供を産まなきゃいけないのでしょう?」
アーメンガードは鼻を鳴らした。
「私、この美貌を失うのは嫌よ。そうだわ。子供はメイドに産ませればいい」
「アーメンガード」
「何よ」
「私達もそろそろ頃合いだ。アンナ様も、私達の結婚を楽しみにしていらっしゃる」
「嫌よ」
「アーメンガード」
「見てなさい」
アーメンガードが立ち上がり、鏡の前に立った。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰」
アーメンガードが耳を傾けた。
「鏡が言ってるわ。この世で一番美しいのは、私だと!」
「ああ。私もそう思ってるよ。レディ」
「つまり、私の元には、もっといい男がくる! あなたのような細身の男ではなく、もっと素晴らしい人が来るのよ!」
「アーメンガード、紳士は恋人のいるレディを奪おうとはしないさ」
「私は奪われたいの! ロマンスを求めているの! あなたは、口説き文句の一つも言えないの!? これだから、軍人は!!」
「今は議員だ」
「お黙り! 知ってるわよ! あなた、同僚に告白されたんですってね!」
「ああ。断ったけどね」
「気持ち悪い! 私に近づかないで!」
「彼とはいい友人さ。断ったのは申し訳なかったけど、彼は人間として、とても素晴らしい人だ。アーメンガード、今度、彼を紹介したい」
「誰がゲイなんかと知り合いになるもんですか! 私は、ノーマルよ!」
「君がノーマルであることは私がわかってるよ。君に女の恋人がいたら、鈍感男の私はとても敵わない」
「そうよ! だから結婚はしないわ!」
「アーメンガード」
「ああ! イライラしてきた! もう出ていって! あなたの顔なんか見たくない!」
――ダレンが優しくアーメンガードを抱きしめた。
「……君、生理かい?」
「……だったら何よ」
「このまま私を追い出したら、5秒後に君が後悔して暴れまわりそうだからね。少し話をしよう」
「言ってるでしょう」
「「結婚はしない」」
「はいはい。わかったよ。今回は諦める」
「……くたばれ……」
「アーメンガード」
ダレンがアーメンガードの頬に唇を寄せた。
「愛してるよ。ハニー」
「……チッ」
アーメンガードもかかとを上げて、ダレンの頬にキスをした。
その二人は、やがて夫婦となった。花の降る空。ハンカチを目頭に当てるアーメンガードの母親。アンナ。その隣には、初出勤であるメイドが座っていた。
「アンナ様、あの花嫁様はだれですか」
「ぐすん、あれはね、私の娘よ」
「娘様」
「そうよ。アーメンガードというの。その隣にいるのが、ああ、素敵な方。ダレン男爵よ」
「男爵」
「ベックス家は男爵を婿に迎えるの。本当に優しくて、愛情深くて、素敵な人よ。あの人にそっくり」
アンナのシワシワの手には、先に旅立ってしまった愛しい人の写真があった。
「あなた、アーメンガードが結婚したわ。まあ、なんて素敵な姿なのかしら」
祝いの鐘が鳴る。祝いの花が降る。永遠を誓う。汝、この女を妻とし、生涯、愛し続けることを誓いますか。
「誓います」
汝、この男を夫とし、生涯、愛し続けると
ことを誓いますか。
「誓います」
二人が夫婦となることをここに認める。
神父の言葉に従い、二人は夫婦となる。共に暮らし、共に生き、アーメンガードが妊娠した。ダレンの手を強く握りしめ、ラマーズ法を繰り返した。
「ひー! ひー! ふー!」
「いだだだだだ! お前! ちょっと痛い! いだだだだ! ちょっと待て! 手が痛い! お前! 痛いんだよ!」
「あなたが痛がってどうするの! 私の方が痛いのよーーーー!!」
「いだだだだだだだ!!」
手をぎゅーーー! それでも愛してるよ! アーメンガード! いだだだだだ!!
そうこうしているうちに、元気な女の子が産まれた。まあ、生意気そうなかわいい顔だこと。ダレンが瞳を輝かせて、アンナが拳を握りしめて、可愛い娘の顔を眺めた。
「ほら、お前! 見てごらん! 可愛い女の子だ! よく頑張った!」
「ああ! 私の娘! よく頑張ったわ! アーメンガード!」
「ええ、ええ、そうですね……。ああ……私は少し休みたいわ……。ママ、後は頼みました……。あなた、その子をお願い……。私は……もう、くたくたよ……」
「ああ、なんて可愛い子だろう!」
ダレンは、それはそれは大切に、赤ん坊を抱きしめた。
「サリア……」
「はい」
アンナのメイドがアーメンガードの汗を拭った。
「ところで、アーメンガード、この子の名前なんだが……どうだろう。花の名前というのは。ほら、私と君は神話が好きだろう? そこに出てくるテ」
「アメリアヌよ」
「……テ」
「アメリアヌよ」
神話の女神様の名前。
「アメリアヌ、ママよ」
「テ」
「アメリアヌ」
アメリアヌを見つめる瞳は、一人の女であり、母親である。かわいいアメリアヌはすくすく育っていった。翌年、またアーメンガードは妊娠し、その日は出産しそうな気配がしていた。しかし、残念なことにダレンは仕事だった。休もうとしたダレンを睨んだアーメンガードの要望のもと、ダレンは仕事にでかけたが、何かあったらすぐに連絡するように伝えていた。アーメンガードが破水をし、アンナのメイドは、大慌てで受話器に駆け込んだ。
「バドルフ様! バドルフ様! ダレン様にお代わりください! 産まれそうなのです!!」
「なにーーーー!!??」
バドルフがダレンとテネクに振り返った。
「ダレン!!」
ダレンとテネクが顔を上げた。
「生まれそうじゃ!!」
「「なにーーー!?」」
「馬車を借りよう! 私が馬車を引いてやる!」
「ダレン! おい! やったな! 二児の父親だぞ!」
「ああ! ああ! どうしよう! アーメンガード! ああ! だから、休むと言ったのに!!」
「早く来い!!」
そうして大急ぎでベックス邸にやってきた彼らに待っていたのは、ぐったりしたアーメンガードと、彼女の腕の中ですやすや眠る女の子の姿だった。なんと、予定日の三日前だった。この日に産まれたいの! とでも言いたかったのか、産まれてきてしまった。
ベックス邸にやってきた男達は、大興奮でベッドを囲んだ。
「ああ! 産まれてる!」
「やったじゃないか! ダレン! 女の子だ!」
「なんて可愛い子だ!」
「赤毛だぞ!」
「ダレン、お前も罪な奴だな!」
「お前、抱かせてくれ! 可愛い! 可愛い! かわいいいいいいい!!」
「お黙り!!」
アーメンガードが三人に怒鳴り、アンナの膝の上ではアメリアヌ様が遊んでいた。テネクに背中を押され、ダレンがはにかみながら眠る娘を優しく抱き上げた。
「ああ、なんて愛しい子だ」
優しく赤毛を撫でながら。
「二番目には、男でも女でも、この名前をつけるつもりだったんだ」
神話の花の名前。
「テリー」
ダレンは微笑む。
「ああ、可愛いな。愛してるよ。テリー」
ダレンは家族を愛した。何よりも大切にした。しかし、運命とは残酷だ。ダレンは不治の病にかかってしまった。まだ間に合うかもしれない。治療ができるかもしれない。でもダレンは嫌がった。死ぬなら、この屋敷で死にたかった。アーメンガードが怒鳴った。さっさと病院に行きなさい。でも、この屋敷から出たら、二度と戻って来れなくなる気がした。それでも、アーメンガードが言った。入院しなければ、離婚します! その言葉で、ダレンはようやく入院手配を行った。屋敷から離れた、遠くの病院へ向かわなければいけない。朝早く、誰も起きてない時間に出ようと、ダレンは玄関の扉を開けようと手を伸ばした――瞬間だった。
「パパ、どこにいくの?」
ダレンが振り向くと、テディベアを抱えたテリーが、丸い目で自分を見ているではないか。テリーは寂しがるかもな。だって、この子は、パパっ子だったから。
「おはよう。テリー。今日は早起きなんだな」
「うん。おきちゃった」
「そうか。ふふっ。なんていい日だろう。朝からお前に会えるなんて」
「パパ、どこかにいくの?」
「ちょっと出かけてくるよ」
「そうなんだ。ばんごはんまでには、かえってきてね」
「間に合うかな」
「じゃないと、アメリがないちゃう」
「大丈夫さ。ママがいるんだから」
「でも、らいげつには、りょこうにいくんでしょう? そのじゅんびのおかいものにも、いかないと」
「ああ、そっか。約束だったね」
「うん。アメリもあたしも、たのしみにしてるんだよ」
「そうだったね」
「おるごーる、つくるところいくんでしょう? こんどは、ぱぱのおるごーるとおなじうたのやつ、あるかな?」
ああ、そうだった。この子は自分のオルゴールが大好きなんだ。大丈夫さ。またきっと、一緒に聴けるから。
自分を見上げてくるテリーの頭を、ダレンが優しくなでた。
「テリー、元気でな」
「うん。あたし、きょうはすごくきぶんがいいの。すがすがしいの」
「そうだね。パパもとても清々しいよ」
「あ、そうだ。パパ。でかけるなら、おみやげかってきて」
「お土産?」
「なんでもいいから。おみやげちょうだい」
「ふふ。わかったよ。テリーはお土産が大好きだからね」
「うん!」
「わかった。帰る頃には、何か買ってこよう。沢山買ってこよう。ママと、アメリと、お前にも」
必ず帰ってこよう。必ずだ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
ここには、アメリアヌがいて、テリーがいて、アーメンガードがいる。帰ってこなくては。愛しい家族の元へ。元気な姿で。
しかし、運命とは残酷だ。
神は、実に残酷な現実を人間に押し付ける。
ダレンの病気は治らなかった。懸命な治療を施したが、病状は悪化。
最後は、声すら出なくなってしまった。
だから、かすれる声で囁いた。
「愛してるよ」
アーメンガードの震える手に握りしめられながら。
「ずっと愛してる」
命の灯火は、呆気なく消えた。
アンナも亡くなった。
ダレンも亡くなった。
この世界に、アーメンガードが残された。
ベックス家は会社を持つ家。
支えがいなくなった家を、アーメンガードが支えなくてはならなくなった。
女手一つでは、とても無理だと思った。
だったら。
「あの人とは離婚しました」
それから、沢山、社交界に参加するようになった。そこで、船会社を経営する男と出会った。
「こんばんは。アーメンガード様」
彼は、とても気さくで、優しい男であった。なかなかのいい男であったが、彼も妻を亡くしたばかりであった。おいしい匂いを感じて、アーメンガードは彼に関わることにした。猫を被って、悲劇の未亡人を演じる。二人の娘を残して、彼が出ていったの。それは、お可哀想に。わたしも、娘の母親になる人を探しているのです。まあ、私には二人の娘がいますわ。きっと、あなたの娘の、良き姉となってくれるでしょう。ああ、きっとこれは運命だ。アーメンガード、私と結婚してくれますか。
なんとバカな男だろう。財産目当てとも知らずに。けれど、悪気はない。演技の中には愛がある。顔もいいし、性格もいい。なかなかのいい男。この人なら、ダレンの代わりになるだろう。アーメンガードが生涯愛すると決めたのは一人だけ。だから、偽りの愛を彼に渡す。それでも男は単純だ。恋は盲目。とても素敵な人に巡り会えたと思った。そして、結婚式の日に、娘を連れてきた。
「メニー、これから、お前のお母さんになる人だよ」
アーメンガードはにこにこ笑っていた。その後ろでは、鼻をいじるアメリアヌと、テディベアを抱っこするテリーが立っていた。メニーが父親の背中に隠れた。しかし、もう時期結婚式だ。
「さ、お前のお姉さん達だよ。アメリアヌとテリーだ。仲良くするんだよ」
メニーがちらっとアメリアヌを見た。アメリアヌが手を下ろし、鼻を鳴らした。メニーがちらっとテリーを見た。気がついたテリーがきょとんとして――にこりと笑って、テディベアの手で手を振ってみせた。メニーが目を逸らし、やっぱり父親の背中に隠れた。
「座っていい子にしてなさい」
アメリアヌと、テリーと、メニーが座る。教会で第二の結婚式が行われた。悪気はない。罪ではない。これで一族が守られる。遺産のある男。素敵。お金よりも大切なものはない。これで守られる。ダレンの残した娘達が守られる。メニーは適当にあしらえばいい。なにより、娘達よりも美人な娘に、多少の苛立ちを感じていた。
だが、結婚相手の男の娘。いいわ。母親になってあげる。でも、少し大きくなったら、寮付きの学校に入れてやる。アメリアヌとテリーは残して、マナーや作法を学ばせ、立派な貴族として育て上げる。これで全てがうまくいく。
アーメンガードは、第二の愛を誓った。一族を守るため、遺産目的の結婚を果たした。しかし、まあ、まあ、不幸は、別の者へと移った。
出張中だった男が、不慮の事故で亡くなったらしい。
「まあ! なんてこと!」
電話では泣きじゃくった。だがしかし、電話が切れたら我に戻る。
そうなの。死んでしまったのね。ああ、そう。でも、遺産は貰い受けるし、男はいなくなったし、うーん、まあ、仕方ないわね。
(あの子が残ってしまった)
メニー。
(あの人が生きていれば、あなたの母親になってあげてもよかったのだけど)
でもね、ここは、貴族の家。
(自分の身は自分で守らなければいけない所なの)
娘達よりも美人な娘。自分よりも綺麗な娘。
(邪魔者は、今のうちに消しておくべきだわ)
ごめんなさいね。メニー。恨まないでね。これも、一族を守るためなのよ。あなたの父親はとても良い人だったわ。ああ、残念。残念。
(さて、朝食の時間だわ)
誰が思ったことだろうか。
朝食をしている中で、父親が死んだ報告を受けるなんて。
誰が思ったことだろうか。
ぼうっとしていた次女の目が突然覚醒して、すさまじい発狂を始めるだなんて。
誰が思ったことだろうか。
メニーがこの家の娘になるだなんて。
時は過ぎていく。
気がつけば、ベックス家の三姉妹は、当たり前のように定着してしまった。
(……頭が痛い)
庭に出ていたアーメンガードが、こめかみを押さえた。
(部屋に居すぎたわ。ああ、もう嫌だ。死んでしまう)
「お母様」
ちらっと見れば、向こうからメニーが走ってきていた。
「メニー、庭を走るんじゃありません」
「クロシェ先生がお話があるって言って、お母様を探してたの」
「……あら、そう」
一体何の用かしら。ああ、頭が痛い。偏頭痛だわ。ああ、もうだめ。もう嫌だ。だるくて仕方ない。
「お母様、頭痛いの?」
「持病の偏頭痛よ」
「お部屋まで送ってく」
「お前は上二人と違っていい娘ね。どうもありがとう」
メニーがアーメンガードの隣を歩く。風が吹く。テリーの育てた植物達が揺れる。メニーの髪の毛も揺れる。アーメンガードがふと、足を止めた。メニーが振り返った。
「お母様?」
「……まるで景色が変わったわ」
テリーったら、本当におかしくなった。急にハーブを育て始めるなんて。庭が花だらけ。ハーブだらけ。あら、いい匂い。
「お母様、テリーお姉ちゃんのハーブを使った紅茶、とても美味しいの。よかったら、淹れてあげる」
「……そうね。お願いしようかしら」
「うん」
「……」
風景は、まるで変わった。あの人と歩いた道は、植物で囲まれている。
「メニー」
「はい」
「私は、あなたの母親ですか」
メニーがきょとんとした。
アーメンガードは返事を待った。
メニーがアーメンガードを見上げ、頷いた。
「はい」
メニーが美しく微笑む。
「お母様は、私の自慢のお母様です」
「……よろしい」
アーメンガードが手を差し出した。
「行くわよ」
「はい」
メニーがその手を握り、一緒に歩いていく。花に囲まれ、ハーブに囲まれ、風が吹き、髪がなびく。世界は残酷だ。責任だけを残していく。男は最低だ。子供だけを残していく。アーメンガードは背筋を伸ばしながら、娘に言い聞かせた。
「メニー、いいこと。強い女になりなさい」
「はい」
「変な男に騙されてはいけません。男は、女をたぶらかす生き物です。あなたは、この先たくさんの紳士に会っていきます。いいこと。人形劇や本ばかり見てないで、ちゃんと目を鍛えなさい」
「お母様、何かあったの?」
「返事」
「はい」
「よろしい」
「……何かあったの?」
「詮索は結構。お母様の言うことだけ聞いてなさい」
「何かあったんだ」
「メニー、返事」
「はーい」
「よろしい」
手を繋ぐ親子が屋敷へ戻っていく。ベックス邸に咲き乱れる花は今日も揺れている。テリーが自室の窓辺で箱の蓋を開ければ、静かなオルゴールの音が、外へと響いていった。
幸せな日常 END
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