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1.プロローグ
しおりを挟む夜明け前の淡い白色が一面に広がっているマーガレット畑を見つめます。
太陽が昇りはじめると淡い白色はピンク色に移り変わり、太陽が昇ると金色に染まる風景はため息がこぼれるほど美しい。
私ーーマーガレット・シャムロックはゆっくり彩りを変えていくマーガレット畑を眺めていると弟のエリックの声が聞こえました。
「マーガレットお姉様、お父様が呼んでいましたよ」
「エリック、おはよう! こんな場所までありがとう。マーガレットのお花をいくつか摘んだらお父様のところに行くわね」
マーガレットをまとめて花束に仕立てます。
美しいマーガレット畑のあるシャムロック子爵領は、クルール王国の端にある自然の恵みが豊かな田舎領です。
心地よい青空の下に広大な薬草畑が広がり、爽やかな匂いと笑い声がシャムロック領をいつも包んでいます。朗らかで争いを好まないシャムロック一族は、出世とは無縁ですがシャムロック子爵領で育てる薬草は評判がよく私たち家族は慎ましくも幸せに暮らしていました。
「エリック、お父様の用事ってなにかしら」
「また薬草の品種改良か新しい調薬を思いついたのかもしれないですね」
「あら、もしかして私に王家から縁談が届いたのかもしれないわよ?」
「それなら結納金で借金が返せますね!」
シャムロック子爵邸に向かいながらたわいもない冗談を話しながら、にっこり笑うエリックにつられて私も笑ってしまいます。
恋愛や結婚に憧れていた私に転機が訪れたのは三年前――シャムロック領が大雨の被害に遭ってしまい大切に育てた全ての薬草が朽ちてしまいました。
それだけならば翌年には立て直せるはずだったのですが、海の向こうから来たと名乗る商人から倉庫に残っている薬草を正規の金額より遥かに高い金額で全て買い取りたいという申し出があり、領民を救いたいと願うお父様とお母様が一も二もなくうなずいたところ翌日には倉庫にあった全ての薬草を持ち出されてしまい支払いも一切されません。
詐欺だとわかったところで薬草は戻ることはなく、このことが原因でシャムロック子爵家は多額の借金を背負ってしまいました。
学園に通ってもいない私は結婚は諦めて薬草を作りながらシャムロック子爵領でこれからも暮らしていくつもりです。
お父様の書斎をノックして入ります。
「マーガレットに結婚の申し込みがきているんだ」
「えっ、私に結婚の申し込みですか……?」
借金を抱えている落ち目のシャムロック子爵家に縁談があるなんて想像もしていませんでしたので、私は金色の瞳を瞬かせてしまいます。
「ああ、そうなんだ。その方はシャムロック家の借金事情もすべて知っていて借金の支払いをしてくださる上に、エリックの王立学園の入学金、それに学園に関わる費用も払ってくださると仰っているんだよ」
「……あの、お父様、それは結婚詐欺ではありませんか?」
シャムロック家にとって好条件が並びすぎるので結婚詐欺を疑ってしまうとお父様は私の言葉に苦笑いをしながらうなずきます。
「流石にお父様も何度も騙されたりはしないよ。たぶん。ただ、その、マーガレットに結婚を申し込んできたお相手というのが……」
お父様は言葉を切って私を見つめました。その瞳に迷いの色が窺えることから私にとって良縁ではないのでしょう。
「私、その方に嫁ぎます」
お父様からお相手の名前を聞く前にあっさり口をひらけば、お父様が目を見開いて驚いています。
「えっ、いや、マーガレット、断ることもできるんだよ」
「いいえ、お父様。私に話をしたくらいですからシャムロック家のためになるという意味では良縁なのでしょう? それでしたら私は喜んでお受けしますわーー恐怖の魔王や非道な黒伯爵に嫁ぐわけではないのですもの」
にこりと笑みを浮かべてうなずいてみせた途端に、お父様がさっと表情を強張らせました。
それを見た私は血の気がさあ、と引くのを感じます。
「えっ、……ま、まさか、お相手というのは……」
「マーガレット、そのまさかの黒伯爵のセイブル伯爵様なんだよ」
黒伯爵と呼ばれるセイブル伯爵には黒い噂があります。
なんでも奴隷商人のお得意様で幼い子供の奴隷を買っては屋敷の地下で手足を切り刻んでいるというのです。
「やっぱりマーガレットを生贄のように嫁がせるなんてできない――この縁談は断ろう……」
驚きと恐れで固まっている私にお父様がそう言いましたので慌てて首を横に振ります。
黒い噂があるといっても相手は格上の伯爵家ですので借金で首のまわらない子爵家に断ることなどできません。それにもし今回の縁談をお断りしたとしても私には他の縁談はないでしょうから、シャムロック家の為になるというなら黒伯爵でも魔王にでも嫁ぐべきでしょう。
「いいえ、お父様。シャムロック家のためにも私は黒伯爵様に嫁ぎます」
今度はお父様の金色の瞳をまっすぐに見つめて子爵令嬢らしく優雅な微笑みを作ります。
こうして私はセイブル伯爵様に一度も会うことのないまま翌年の春に嫁ぐことになりました。
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