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刺繍のハンカチ 1
しおりを挟む刺繍に夢中になった私たちはすぐに習うことを決めたの。
「お母様、リリーとエリーと刺繍を習いたいの」
「あらあら、アリーのおてんばさんが治るといいわね」
私がお母様に伝えるとくすくす笑いながら賛成してくれたわ。あとで聞いたら、お母様同士で私たち三人にそろそろ刺繍を習わせようと決めていたそうなの。
リリアンのお母様――マリアンヌ様が刺繍のレッスンをしてくださる刺繍レッスンのはじめての日に、とってもすてきな物を贈ってくださったの。
「はい、これが刺繍のお道具箱よ」
「まあ、すてき――!」
思わず声をあげてしまうくらいすてきなお道具箱だったの――私の瞳と同じ淡いピンク色の柔らかな布張りのふたに、彩りよく愛らしい草花の模様を刺繍してくださっていたの。リリアンとエリーナのお道具箱も瞳と同じ優しい黄色とうす紫色だったわ。
私たちは、ふたつめのお揃いになる刺繍のお道具箱がとても嬉しくて三人で顔を見合わせていると、マリアンヌ様はリリアンそっくりの優しくて柔らかな微笑みをむけてくださったの。
「気に入ってもらえてよかったわ。刺繍はね、細かい物が多いから、きちんとしまうことのできるお道具箱があると便利なのよ。それじゃあ、あけてみましょうね」
「はい……っ!」
私たちはお揃いのお道具箱をそっとあけると、マリアンヌ様がひとつずつ説明をしてくださったの――ふたの裏には、布をぴんと張って刺繍をしやすくする木の丸い刺繍枠とはさみが入っている。お道具箱の中はあさくて細かい仕切りがついていて、刺繍用の針とまち針、それにかわいい小花柄の針刺しが入っていた。とてもすてきだったのは、刺繍用の糸がとてもきれいにグラデーションを描きながら並んでいたこと――私はうっとりと刺繍糸のグラデーションを人差し指でつうっとなでてしまったわ。
ああ、本当に刺繍のお道具箱は――宝箱だったのね!
「マリアンヌ様、ありがとうございます」
「うふふ――刺繍のレッスンのときは、マリアンヌ先生と呼んでちょうだいね」
「はいっ! マリアンヌ先生」
こうして、私たちの刺繍のレッスンがはじまったの。
マリアンヌ先生はとても刺繍がお上手で私たちに教えてくださることになったの。どうしてそんなにお上手なのかしらと聞いたら――マリアンヌ先生とリリアンのヘイゼル家は代々王宮魔道士として仕えているのだけど、代々ヘイゼル家は守るべき存在がいて一人前という考えかたがあるそうなの。そのため、ヘイゼル家の魔道士のマントの裏側には、愛する守りたい者ができたら魔道士自身の魔力を込めた糸で魔法陣の刺繍をしてもらう習わしがあり、婚約するときに魔法陣の図案が贈られ、結婚するときに魔法陣の刺繍をしたマントを贈るそうなの――。
「まあ、とってもロマンチックなのねーー」
「本当ね、すてきだわ」
私とエリーナがほんのり頬を赤く染めてうっとりとしていると、マリアンヌ先生が困った顔をしたの。
「わたしもはじめ聞いたときは、あなたたちと同じように頬を染めたのよ。だけど、婚約のときに魔法陣の図案を見てみたらとてもとても複雑で――婚約解消をしてしまおうかと思ったわ」
そんなに複雑な刺繍を愛の力でやりとげるなんて、やっぱりロマンチックだわとエリーナとうなずいていると、マリアンヌ先生がにっこり笑ってぱんっと軽く両手を合わせたの。
「それじゃあ、はじめましょうね――まず刺繍糸の準備をするわよ。刺繍糸は、六本の糸が束になっているから糸を留めている色番号ラベルをはずして、六本の内の二本を持って糸を回すようにほどくのよ。糸を引くとからまるから気をつけてちょうだいね」
そう言うと、マリアンヌ先生は刺繍糸を持ってくるくるとほどくようすを見せてくれて、私たちもそれに続いたわ。
「ええ、三人共とっても上手にできたわね。こうやって刺繍糸をすべてほどいたら四つ折りにして、折り山と反対の輪を切るの。これをもう一度繰り返したら色番号が分かるように色番号ラベルを刺繍糸に通しておくといいわ――これで糸の準備は完成よ」
このあともマリアンヌ先生から糸の通し方や布をぴんと張る刺繍枠の使い方を習ったの。
「今日のレッスンの最後は、基本になるランニング・ステッチをやってみましょうね」
丸い形を点線でなぞって描く刺繍をマリアンヌ先生がお手本を見せてくださったけれど、これなら私もすぐにできそうだわ。
私たちも刺繍枠と針をもってランニング・ステッチはじめたの。
ちくちく、ちくちく、ちくちく――
簡単そうって思ったのは誰だったかしら?
リリーとエリーの刺繍はステッチの幅も同じできれいな丸を描いているのに、私の刺繍だけがいびつ形をしていたわ。
「とっても難しいわ……」
「アリー、今日はじめたばかりなのよ。焦ることないわ」
丸のような四角のような刺繍を見つめながらため息をこぼすとマリアンヌ先生が優しく慰めてくれたわ。
「わたしも昔は刺繍がとっても苦手だったのよ」
「えっ、うそ――?」
「うふふ、本当なのよ。アリーは刺繍入りの白いハンカチを知っているかしら?」
はじめて聞いた言葉に、私が首をふるふると横に振るとマリアンヌ先生は微笑んで教えてくれたの。
「白いハンカチに刺繍をいれて贈るのは、『あなたはわたしの初恋です』という意味があるの――女の子は恋をすると変わるものよ」
マリアンヌ先生の白いハンカチの話に私たちは顔を赤らめてしまったの。だって、それって、初恋の人に告白をするみたいなんだもの。
でも――いつかそんなすてきな人ができたらいいなと憧れてしまったわ。
「今日のレッスンはこれでおしまいよ――アリーはお家でもたくさん練習するといいわよ」
マリアンヌ先生は優しく笑みを浮かべるとランニング・ステッチの練習用の布を何枚もくださったの――。
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