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第五章
うるさい! うるさい! うるさい!(1)
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学校が終わると、脇目も振らずにまっすぐ家に帰る。お母さんの写真にただいまをして、次にノートパソコンを起動。もちろん朱里にメールするためだ。
Re.ハローワールド
『ただいま! 朱里、今学校から帰ったよ!』
十分もしないうちに朱里から返信メールが届く。
『おかえり、茜! 学校はどうだった?』
こんなふうにやり取りするのが日課になっていた。
朱里には、だいたい正直に話している。学校では、あんまり友だちがいないこと、お母さんが病気で死んでしまったこと、なんでもだ。でもひとつだけ、吃音のことは話していない。そのせいであたしがからかわれていることも。
朱里になら、きっと打ち明けても大丈夫だろうし、バカにもされないと思う。でも、あたしはうまくしゃべれない自分のことがはずかしかったし、話さなくてすむならそうしたかった。
朱里があたしについて知らないことは、後にも先にもきっとこれだけ。
「茜ぇ? そろそろ起きて来なさーい」
下からあたしを呼ぶ声がする。今日はベーコンのいい匂い。お父さんはよくべーコンを焦がすけど、今日は失敗しなかったみたいだ。
Re.ハローワールド
『おはよう! 朱里。
今日も朝から、お父さんとセミの鳴き声がうるさいよ。
学校いってきます! また後でね。』
メールを送り、パソコンを閉じるとリビングへおりた。
「おはよう!」
「おぉ? もう起きてたんだね、今日はとてもいい発声だし、とても元気そうだ。朱里ちゃんにメールしてたのかい?」
「うん!」
お父さんはにっこり笑うと、「じゃあ、ちゃちゃっと顔を洗って朝ご飯を食べること!」とあたしを洗面所へうながした。
いつものように、お父さんと一緒に家を出る。
「朱里ちゃんからは、ハローワールドのことはなにか聞けた?」
気になるみたいで、いろいろと聞いてくる。あたしは軽く首を振り、まだなにもわかっていないそぶりを示すと、お父さんは間髪入れずに注意した。
「ほら、茜! 練習、練習! 朝の発声はとても滑らかだったよ」
「まま…まだ、なにも、えーと、わっ…えーと、わからない、まま…ハローワールドのここ…こと聞くと、えーと、い、いいつも…お、同じ答えなの」
「そっか、もしわかったら、お父さんにも教えてくれな」
そういって頭をガシガシ撫でる。なによ、本当はお父さんもハローワールドのこと知ってるくせに。あたしは笑いながら必死に抵抗した。
「ほら、じゃあ今日も元気にいってらっしゃい!」
「うん! お、お父さんも!」
「はい、いってきます」
区役所に続く道でお父さんと別れる。
校門をくぐると、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえてくる。
「椎名! おはよう!」大和だ。
「なあ、なあ、算数の穴埋め問題の宿題やってきたか? おれ、宿題のプリント、机の中に忘れちゃってさ!」
ずぼらな大和は、なんでもかんでも机の中に突っ込んだままにする。本当はこんなやつ相手になんてしたくない。だけど不運なことに席も隣だし、おばさんはお父さんの知り合いだし、おばさんからも大和のこと頼まれてるしで、こいつの要求にはいつも逆らえないでいた。だから、だから? 大和は必ずといっていいほど宿題をやってこない。ほんとに困ったやつだ。
あたしがプリントを手渡すと、大和は満面の笑顔を浮かべ、「サンキューな!」といって駆けていった。
教室に入ると友子が近づいてくる。
「茜ちゃん、おはよう、また大和くんに宿題せびられたの?」
あたしは苦笑いしながら席に着き、教科書を机の中へ入れた。
「だってよお、うっかりしちゃったんだよ」いい訳するけど確信犯だってわかっている。大和はあたしを当てにしてるだけで、最初からやってくる気なんてないんだ。
「いやあ~、熱い、熱いねえ。大和、おまえモテモテじゃねーか?」
いかにも意地の悪そうな声が近づいてくる。声の主は根本と倉畑だった。
「そんなんじゃないよ! 宿題忘れただけだよ」
根本にとって理由はなんだっていい。こいつは自分よりも下に見てる相手をからかえればそれだけで満足なんだ。
「おまえら、付き合ってんだろ?」
人をばかにして笑うこいつを、あたしは何度無視してきただろう?
「根本くん、やめなよ……」
ほっておけばいいのに、友子が余計なことをいう。
「うるせーよ、おまえには話してねーよ! ブス!」
ほらこういうやつなんだ。あたしはこいつが大嫌いだ。根本と同じクラスになった日のことは忘れもしない。今思い出してもムカムカする。
西築地小学校では、二年に一度クラス替えがある。三年生になると、はじめてのクラス替えがあり、あたしはすごく緊張していた。見慣れた顔が減って、がらりと様変わりした新しい教室でなるべく吃音のことを気づかれないように必死で気をつけた。だけどそんなあたしの意気込みなんて、翌日にはあっさりチリとなって風に吹き飛ばされてしまった。
考えてみれば当たり前だ。クラスが変わったくらいであたしの吃音が忘れ去られるほど、この学校は大きくない。だいいち、どこのクラスにも噂話が好きなやつは大勢いて、あっという間に知れ渡ってしまった。
このとき隣の席になったのが根本。誰かから吃りのことを聞きつけると、授業中だろうが休み時間だろうがお構いなしに話し続け、なんとかあたしをしゃべらせようとしてからかった。
Re.ハローワールド
『ただいま! 朱里、今学校から帰ったよ!』
十分もしないうちに朱里から返信メールが届く。
『おかえり、茜! 学校はどうだった?』
こんなふうにやり取りするのが日課になっていた。
朱里には、だいたい正直に話している。学校では、あんまり友だちがいないこと、お母さんが病気で死んでしまったこと、なんでもだ。でもひとつだけ、吃音のことは話していない。そのせいであたしがからかわれていることも。
朱里になら、きっと打ち明けても大丈夫だろうし、バカにもされないと思う。でも、あたしはうまくしゃべれない自分のことがはずかしかったし、話さなくてすむならそうしたかった。
朱里があたしについて知らないことは、後にも先にもきっとこれだけ。
「茜ぇ? そろそろ起きて来なさーい」
下からあたしを呼ぶ声がする。今日はベーコンのいい匂い。お父さんはよくべーコンを焦がすけど、今日は失敗しなかったみたいだ。
Re.ハローワールド
『おはよう! 朱里。
今日も朝から、お父さんとセミの鳴き声がうるさいよ。
学校いってきます! また後でね。』
メールを送り、パソコンを閉じるとリビングへおりた。
「おはよう!」
「おぉ? もう起きてたんだね、今日はとてもいい発声だし、とても元気そうだ。朱里ちゃんにメールしてたのかい?」
「うん!」
お父さんはにっこり笑うと、「じゃあ、ちゃちゃっと顔を洗って朝ご飯を食べること!」とあたしを洗面所へうながした。
いつものように、お父さんと一緒に家を出る。
「朱里ちゃんからは、ハローワールドのことはなにか聞けた?」
気になるみたいで、いろいろと聞いてくる。あたしは軽く首を振り、まだなにもわかっていないそぶりを示すと、お父さんは間髪入れずに注意した。
「ほら、茜! 練習、練習! 朝の発声はとても滑らかだったよ」
「まま…まだ、なにも、えーと、わっ…えーと、わからない、まま…ハローワールドのここ…こと聞くと、えーと、い、いいつも…お、同じ答えなの」
「そっか、もしわかったら、お父さんにも教えてくれな」
そういって頭をガシガシ撫でる。なによ、本当はお父さんもハローワールドのこと知ってるくせに。あたしは笑いながら必死に抵抗した。
「ほら、じゃあ今日も元気にいってらっしゃい!」
「うん! お、お父さんも!」
「はい、いってきます」
区役所に続く道でお父さんと別れる。
校門をくぐると、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえてくる。
「椎名! おはよう!」大和だ。
「なあ、なあ、算数の穴埋め問題の宿題やってきたか? おれ、宿題のプリント、机の中に忘れちゃってさ!」
ずぼらな大和は、なんでもかんでも机の中に突っ込んだままにする。本当はこんなやつ相手になんてしたくない。だけど不運なことに席も隣だし、おばさんはお父さんの知り合いだし、おばさんからも大和のこと頼まれてるしで、こいつの要求にはいつも逆らえないでいた。だから、だから? 大和は必ずといっていいほど宿題をやってこない。ほんとに困ったやつだ。
あたしがプリントを手渡すと、大和は満面の笑顔を浮かべ、「サンキューな!」といって駆けていった。
教室に入ると友子が近づいてくる。
「茜ちゃん、おはよう、また大和くんに宿題せびられたの?」
あたしは苦笑いしながら席に着き、教科書を机の中へ入れた。
「だってよお、うっかりしちゃったんだよ」いい訳するけど確信犯だってわかっている。大和はあたしを当てにしてるだけで、最初からやってくる気なんてないんだ。
「いやあ~、熱い、熱いねえ。大和、おまえモテモテじゃねーか?」
いかにも意地の悪そうな声が近づいてくる。声の主は根本と倉畑だった。
「そんなんじゃないよ! 宿題忘れただけだよ」
根本にとって理由はなんだっていい。こいつは自分よりも下に見てる相手をからかえればそれだけで満足なんだ。
「おまえら、付き合ってんだろ?」
人をばかにして笑うこいつを、あたしは何度無視してきただろう?
「根本くん、やめなよ……」
ほっておけばいいのに、友子が余計なことをいう。
「うるせーよ、おまえには話してねーよ! ブス!」
ほらこういうやつなんだ。あたしはこいつが大嫌いだ。根本と同じクラスになった日のことは忘れもしない。今思い出してもムカムカする。
西築地小学校では、二年に一度クラス替えがある。三年生になると、はじめてのクラス替えがあり、あたしはすごく緊張していた。見慣れた顔が減って、がらりと様変わりした新しい教室でなるべく吃音のことを気づかれないように必死で気をつけた。だけどそんなあたしの意気込みなんて、翌日にはあっさりチリとなって風に吹き飛ばされてしまった。
考えてみれば当たり前だ。クラスが変わったくらいであたしの吃音が忘れ去られるほど、この学校は大きくない。だいいち、どこのクラスにも噂話が好きなやつは大勢いて、あっという間に知れ渡ってしまった。
このとき隣の席になったのが根本。誰かから吃りのことを聞きつけると、授業中だろうが休み時間だろうがお構いなしに話し続け、なんとかあたしをしゃべらせようとしてからかった。
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