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一話

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 自我、自意識というものが芽生えたのはいつだったか。
 人気の無い場所にひっそりと建てられた建物の中にあった人間の死体を喰らってからだから、それほど昔ではないと思う。
 この思考や知識も死んでいたその人間の者に引っ張られているとは思うがとても便利である。
 しかしそんな知識があるからといって十全に活用出来るかといえば否だ。
 正に今その知識が役に立たないと実感している最中だから。
 目の前には腕を縛られ口には布を噛まされて今にも泣き出しそうな女性が一人と、何やら早口で色々と語る禿げた体格のよい壮年の男性が一人。

「森の主よ! お前がこの森を護っているのは分かっている! どうか我らアイレノールの民が森で生きることを許してはくれまいか! 代価としてこの娘を捧げる!」

 正直意味が分からないが、男性は口上を垂れると女性の口の布を外し彼女を置いて去っていった。
 こちらが呆気に取られて反応に困っている事を肯定と捉えたのかもしれない。
 そもそもこの森の主だなんて考えたことも名乗ったこともないのだが。
 残された女性は涙を流し絶望の表情で振るえている。
 それもそうだろう。人間の知識に合わせて考えれば私の姿は恐怖の対象でしかない。
 全身真っ黒で二メートル近いがっしりとした体躯はぬめりのある粘液のようなもので覆われ、頭部からは無数の触手が伸び、手には食べるために殺害したアルトボアという動物の死体。
 彼女からしたら正に未知の危険生物との出会いだ。怖がらないというのが無理からぬことだろ。

「わ、わわ、私を食べるなら一息にお願いします! 痛いのも怖いのも嫌なんです!」

 必死の懇願、そして彼女なりの精一杯の抵抗でもあるのだろうか。別に食べるつもりもないので普通に逃げてくれて構わないのだが。

「あ、あーあー。 私の言葉が分かるだろうか?」

「ひ、ひいっ! し、喋った!?」

 ……あんまり怖がられると一々の反応が面倒くさいな。こっちの言葉を理解できても聞いてくれないなら意味がない。
 
「説明も面倒だ。 人間を喰うつもりは無い。 早々に去れ」

 ここにいても邪魔なだけだ。
 人間はそれほど美味しくもないから食べようという気にもならない。
 それよりはきちんと調味した野生の獣の方が旨い。
 ……のだが、なぜ彼女は泣いたまま去らないのだろうか?腰が抜けたか?

「ご、ごべんなざい! ぞれもむりなんでず! 私は売られたので、ここでじぬしかないんでずー!」

 泣いているせいで若干聞き取りにくいが、売られたのか。
 人間にそういう考えがあることは分かるが理解は出来ない。
 たかが一食二食分の栄養を渡されたからといって、なぜ安全が担保されると思ったのだろうか?
 代価としてこの娘はそれほどの価値があったのだろうか?

「売られた? ちなみに幾らだ?」

「う、うぅぅぅぅ……十万エルクです」

 分からん。私が喰らった人間の知識では十万エルクといえば一ヶ月分の給与程度のものだ。
 そんな安い値段で売られ、その程度の価値で私を買収しようとしたのだろうか?
 私にも、そしてこの娘にも失礼ではないかと考えてしまう。

「そうか。 このまま帰れば貴様はどうなる?」

「た、多分逃げたと思われてごろされぢゃいまず……また別の誰かがおくられでくるだけでず」

 なるほど。実に愚かしく感じてしまうがこの娘の生きていた場所は迷信を信じる古くさい民かもしれない。
 私に生け贄なんて持ってくるくらいだし。

「君もずいぶん面倒な村に生まれたものだ。 ……君の所有権は私にある、と考えていいのか?」

「う、うぅぅ……そ、そうです。 で、出来れば痛いのも怖いのも止めて欲しいです……」

「そんなことをするつもりはない。 ただ、そうだな……君は料理は出来るか?」

「えっ? あ、はい……大したものは出来ませんけど」

「構わない。 私よりはマシなものを作れるだろう。 君の名前は?」

 喰らうつもりはないが、返しても問題が発生するならこのままでいい。
 かといってただ養うつもりもないし、出来ることがあるなら任せよう。
 今は色々あって考えもまとまらないのだろうし、落ち着いたら別の町へ行くという事だって出来るだろう。それまでは取り敢えずここで様子を見よう。

「れ、レーティアです」

「レーティアか。 良い名前だ。 私はゾアだ。 ゾア・へレシア。 ゾアと呼んでくれ」

「ぞ、ゾア様! も、もし私を食べたりしたくなった時は一瞬で苦しまないようにお願いします!」

 必死なレーティアの言葉に溜め息が出そうになるが、まあ私のような化物の元に送られたのだし、人間の感性で言えば仕方無いのか。
 あんまり怯えるようなら姿を変えることも考えておくか。



 


 アイレノールの民とやらが寄越した女性、レーティア。
 薄い青色の髪を伸ばし顔を半分隠しているが、自分が知る人間の常識に当てはめれば顔の造形は悪くない。半分隠れている部分は火傷か何かで爛れたような傷はあるが、痛みは無さそうで古い傷だろうから邪魔にはならない筈だ。
 露出している眼は両目とも髪の色に似て鮮やかな青い色を放っている。
 身体はやや肉が足りないような気もするが、それも人間の感性からすれば乳や尻にもある程度ついているから、スタイルは良い方なのだろう。
 料理を頼んだら狩ってきた獣を苦もなく捌き調理してくれるので、無能という訳でもないようだ。
 レーティアを連れてきた男との違いと言えばレーティアの方が肌が少し浅黒い……褐色というくらいだ。

 ……だからこそ分からない。
 結論として彼女は役に立つ女性だ。人間の社会において彼女のような存在は子供を為して子々孫々まで繁栄すべきなのに、なぜ私のようなモノの元へ送られたのか?
 死んでもいいとして送り出されるには惜しい人物だと思うが。

「あ、あの……ゾア様? わ、私何かしましたか?」

「うん? なぜだ?」

「いえ、その……ジッと私を見ているので何かご不快な事をしてしまったのかと」

「ああ、いや。 私は人間に疎いから分からないのだが、なぜ君のような働き者が私への贄として選ばれたのか気になってな」

「私は、えっと、えへへへ。 た、大した事無いですから」

 何か誤魔化すような笑いを見せるレーティア。
 話したくないのであれば無理に聞き出す必要はないか。話さないのであればそれほど重要な事では無いのだろう。
 しかし能力的に高そうな彼女を送り出すということは彼女が最低ラインなのかもしれないし、そう考えると森に来たアイレノールの民は優秀なのかもしれないな。

「そうか。 因みにここに来て三日は経つが、ずいぶん疲れているように見える。 人間は眠れば疲れがある程度とれると思っていたのだが、違うのか?」

「そ、それはまあ眠れば、はい」

 歯切れが悪いな。つまり眠れていない……あ、いやこれは私が失念していた。
 私は化物なのだし、隣で人を襲いそうなものがいて眠れる筈はないか。
 ……よく考えたら私はいつも洞窟で寝ているし、彼女もそこに自然と来ていたが、人間はベッドなどを使って眠るんだったか?
 休む環境を提供出来ていなかった私の落ち度だな。
 死体を喰らった場所にあった使えそうな調理台だけは頂戴してきたが、ベッドも残っているだろうか?
 ……いや時間もそこそこ経っているし、手入れをしていたわけでも無いから経年による劣化は避けられないだろう。
 新しく作るかアイレノールの民とやらから貰ってくるか?

「……よし、レーティア。 君は休め」

「え、え? い、いえ私はまだ大丈夫です!」

「酷い顔色……は来た時からだが休めていないのはあきらかだ。 とはいえ私がいては休めないだろうから」

「え? な、に……を……」

 触手の一本を額に押し当て、強制的に意識を刈り取る。念波で人の意識を奪うなんて初めてやったが意外と出来るもんだな。
 ……下手したら脳を破壊してたかもしれんな。今後は別の生き物なんかで試してから使おう。
 倒れるレーティアの身体を支え、洞窟の奥のなるべく平たい部分にその身体を横たえる。
 考えてみれば衣服だってそのままだ。
 ベッドのついでに彼女の私物があるなら全て回収してきたほうがいいかもしれないな。






※久し振りの人は超お久し振り(*´∀`*)
初めましての人は初めまして(*´∀`*)
色々あって心折れてたけどまた頑張ります(*´ω`*)
よろしくねー(*´ω`*)
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