ポーツマスナイト

ミムラ

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後編

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「大学の講師!!!???」

私は思わず声を張り上げる。私の前で柔らかく笑っているのは私の大学の後輩で日本生まれのイタリア人であるガブリエーレ。彼は私と違って新進気鋭のチェロ奏者として名をはせていて、ヨーロッパを中心に活動をしているけど、年の半分は日本に戻って生活をしていた。

「そうっ、前に恵が言ってたでしょ?良い就職先ないかって?ちょうど知ってる先生の教え子が教育大学で教授をしてるんだけど、音楽史の講義と実践を両方できる子を探してるんだって。」

何と素晴らしい!!私は内心で叫んだ!!大学に限らず学校は音大の卒業生の有力な就職先である。その分なかなか、競争率も高く、おいしい話は回ってこない。

「まあ、お給料は安いし、勤務も来年の秋からみたいだけど、期限は無いみたいだし、選考も融通が利くみたいだから…」

「受けるっ!!ありがとうガブリエーレ、本当に感謝している!!」

私はガブリエーレの言葉を最後まで聞かず、彼の愛称を叫びお礼を伝える。そして応募を決めるのであった。

「大学の講師っ!?」

夕食時のダイニングに母の声が響く。

「どこの大学よ?誰がそんな話を持ってきたのっ!?」

母の興奮は冷めやらない。

「ガブリエーレよ?ガブリエーレの先生の関係者の方らしいわよ?」

「ふーん。」

母は何だが訝しげだ。

「何よ?どーしたの?いつもはちゃんと就職先探しなさいってうるさいくせに?」

私が思わず問い返す。

「べーつにー、いーおはなしなんじゃないかしらー。」

何だか母の返事はとっても棒読みだ。

「でもあなた、今のお教室はどうするのよ?これ勤務予定地長野じゃない?」

やっと母がまともな質問を投げかける。

「みんなには本当っに申し訳ないけど、他のお教室紹介させてもらおうかなって…。」

残念だけど、一生の問題。ここは心を鬼にしなければと、決意を込めて母にこたえる。

「玲はどうするのよ?」

心なしか母の声にはとげがある。

「んーっ、玲君にも申し訳ないけど、レッスンは3月までにさせてもらおうかなって…。」

私は内心の動揺が声に出ないよう、気を付けて答える。

「でも、あんた。この募集のお給料じゃ、今の方が良いんじゃないの?」

何でだが母が食い下がる。

「だけど、玲君のレッスンも何時迄続くか分からないし、今度のところは任期付きじゃないし…」

私がすっとぼけて答える。

「ふーーん」

何だか母はご立腹のようだ。

「まー、良いけどっ。皆さんにはきちんとお断りしなさいよ!!」

母は不機嫌にそう言い放って席を立つのであった。













「レッスンを辞めたい??」

先ずは、最大のお客様に誠意をもってお話しせねばと、早速次の週、佳乃さんにお時間を取って頂いた。佳乃さんはお食事の準備なんかもして下さるけど、それはおまけで本業は玲君のマネージメントであることは言うまでもない。

「ええ、実は良い就職先を御紹介頂けることになりまして…。」

幾分語気が強いような佳乃さんに、私はちょっぴりびっくりしながら丁寧に返す。

「随分急なお話ですね…。」

佳乃さんが続ける。

「ええっ、大学時代の友人が骨を折ってくれまして…」

私がさらに返す。

「…あんのばか…」

「えっ?」

いつもきれいな言葉を使われる佳乃さんから、何やら不穏な言葉が聞こえた気がして、思わず疑問が口に出る。

「いえいえっ、何でもありません。」

良かったいつもの佳乃さんだ。

「でもっ…。」

何時も明朗な佳乃さんが珍しく言いよどむ。

「坊ちゃんにお伝え頂くのは少し待って頂けませんか?今、本当に重要な音楽祭の準備が進んでいます。お伝えを頂くタイミングを私に任せて頂きたいのです。」

佳乃さんが言葉を強める

「でも…。」

私は即答を避ける、実際に大学にお世話になるならあまり時間がない。勝手かも知れないけど玲君とはきれいに別れたい。

「恵先生には、絶っ対っにご迷惑をおかけしませんからっ!!」

それでも結局、私は佳乃さんの勢いに負けて、戸惑いながら頷くのであった。



「イギリス?」

事後のベッドの中で、優しく玲君に抱き寄せられながら、私が尋ねる。

「そうっ…。」

玲君が私の髪を触りながら返事をくれる。

「来年、参加が出来るかも知れない音楽祭がちょうどあって…。イメージを膨らませるためにも見に行かないかって話があって…。」

「フーン」

今はもう秋も深まる季節。来年年明けには正式に応募の書類を提出する必要のある私は、それでも恥を上塗りするように玲君と関係を続けていた。

「それで恵先生にも一緒に来てもらえないかなって…。」

「ええっ!!なんで?」

想定外の依頼に私は質問を返す。いままで玲君のお仕事に同行したことはない。

「実はちょっといわくつきでさ…。」

私の質問に答えて玲君が説明してくれたところによると、来年、玲君が参加を狙っている音楽祭は権威もあり、世界的に業界の注目度も高い音楽祭らしい。でも、元はといえばとある紛争の地元の犠牲者を追悼するために、当地にゆかりの貴族様が、こぢんまりと私的に創設された音楽祭だったとのことだ。

なのに、その貴族様が音楽への造詣が深く、後に大物となる音楽家を何人か排出したこと、地元の行政当局ものっかったことから、今のように大掛かりなもとになったそうだ。

「ふーん、それで玲君は何か気になってるの??」

私がさらに尋ねる。

「んーっ…。実は今年の音楽祭が終わってから、来年の参加者の選考があって…。」

彼が、続ける。

「どんな曲を演奏したいかとかも、主催者に話をしなきゃいけない。でも、正直全然ピンと来て無くて…。大事なオーディションだし、いっそ一回現地を見てみればって佳乃さんも言ってくれたしさ…。」

彼の説明にならない説明を聞きながら、私は考える。この音楽祭が佳乃さんも大事と言っていた音楽祭だろう。彼なりに色々試行錯誤はしているなかで、何らかの違和感を感じ取っているみたいだ。でもそれが言語化できるには至っていないというところか…。

彼はまだ、少し感覚に頼る所が強い。でも、その分、現地の空気に触れれば何かのきっかけをつかめるかも知れない。

「でも、本当にピンと来てなくて、だから恵先生にもアイデアを貰えたらなって…。」

それに彼には言ってないけれど、彼とのお別れも近い。自惚れかも知れないけれど、私と別れた後の彼も心配だ。その分最後まで彼の背中を押してあげたい。

「いいわよ、私が行って本当に力になれるかは分からないけど…。」

私が答える。

「本当に!?、やったあ、恵先生大好き!!」

子供の様にはしゃぐ玲君を見ながら、私は苦笑を浮かべるのであった。





「どう思った?」

ホテルのロビーでコーヒーを頂きながら玲君が私に尋ねる。玲君のスケジュールの問題でポーツマス行はかなり強行軍となった。昨日の夜、深夜便で東京を出発して、今朝ロンドンに着いたかと思うと、その足でポーツマスに向かい、音楽祭を鑑賞、そして今に至る。

正直日程的にはかなり無理があったけど、佳乃さんのお勧めに甘え、生まれて初めてビジネスクラスでの移動となったため、過度な疲労はない。

「素晴らしい音楽祭だと思ったわよ、演奏者も一流だったし…。」

「ふーん」

玲君の返事はそっけない。私の言葉を待つように、意地悪気に沈黙する。

「でも…。ただの素晴らしい音楽祭なだけではいけない気がするの…。」

彼に促される形で、私が続ける。

「じゃ、イギリスとかポーツマスに関係のある楽曲をチョイスする?」

彼が心にもない提案をする。今日も、そういった意図が見える選曲があったけど正直反応は微妙だったと思う。

「それもどうかと思う、結局私たちは外国人で当事者じゃないもの…。」

彼も分かっていることをあえて丁寧に返す。

「私の意見としては…」

私は慎重に言葉を選ぶ。

「その時代を生きた人にそっと寄り添うような曲が良いと思う、みんながそれぞれの思い出に浸れるような、酷いこともあったね、悲しいこともあったね、でもそればっかりじゃなかったよねって、昔を思い出し、話合うきっかけになるような…」

「ふーん…」

玲君が頷き、携帯で何やら調べ始める。こうなると玲君に周りは見えない。

それから席を立つ。このホテルのラウンジと一体になったロビーの片隅には、ピアノが置いてあった。正直宿泊客が演奏して良いものかどうかと思ったが、恐らくよくはないのだろうけど、玲君は気にせず椅子に座り、演奏の準備に入る。

彼が引き始めたのは、ちょうど悲しい対立が起こったころに世界的に流行したポピュラーミュージック。それを即興でピアノ協奏曲風に仕上げてる。

私とレッスンをするようになってから、作曲者の意図を理解するために、玲君は作曲の勉強するようになっていて、アレンジ程度であれば問題なくこなすことができる。
でも簡単な事では決してない。彼のあふれんばかりの才能が、ホテルのロビーの片隅で輝き、発露していた。

ラウンジにいる人たちも、ロビーにいた人たちも、いつの間にか玲君の演奏に聞き入っている。

短い演奏が終わる。するとラウンジにいたご老人の集団から一人の婦人が玲君に歩み寄る。何かのトラブルかと私が立ち上がりかける。ロビーにいた佳乃さんが早歩きで向かってくる。

玲君と老婦人が二言、三言、言葉を交わす。玲君が演奏を再開する。老婦人が私の方に歩いてきて、玲君がさっきまで座っていて席に腰掛ける。

「お邪魔するわよ、お嬢さん?」

婦人はゆっくりと聞き取りやすい英語で私に話しかけてくれる。

「あの坊やの演奏、なかなか良いわね?」

私は30歳を超えてお嬢様呼ばわりされたことに、思わず苦笑いを返す。

「彼と何をお話されたんです?」

私が失礼にならないよう、注意して返す。

「別に何も?演奏を続けるようにお願いしたのよ。彼が演奏を止めようとしてたから。一杯奢るからってね?」

婦人がざっくばらんに、でも上品に返す。

それ以上、夫人は話を続けず、私と夫人は静かに玲君の演奏に聞き入る。玲君は2曲目の演奏を終える。玲君が演奏を終えると、ガブリエーレが玲君と何か話をしてる。玲君の曲は、オーソドックスなワルツに代わる。

お酒を召したお客様が多いせいか、それともここがイギリスでも歴史のある街だからか、数組のカップルがワルツに合わせて踊り始める。

玲君のワルツは一曲で終わり、ガブリエーレが演奏を交代する。ガブリエーレはチェロ奏者だがその辺の音大生と同じくらいにはピアノも弾ける。

玲君がこちらに歩いてくる。怒ってるのかとも思ったがどうやら緊張をしているようだ。私の前まで歩いてくる。婦人の方を見ず、にこりともせずに言う。

「踊ろう?」

私が思わず戸惑うのに構わず、彼が私の手を引き、立ち上がらせる。老婦人はおもしろそうに手を振って、私たちを送り出してくれる。

ガブリエーレの奏でるワルツは日本でも良く知られている曲で、私も何となく体をゆする程度はできる。ビジネスクラスでの移動のあと、音楽祭をみて、ワルツを踊る。数年前の私には夢のような世界だ。そして数年後の私にも夢の世界になるだろう。玲君は何も言わず、優しく私をリードしてくれる。

「玲君、ありがとう…。」

何も言わない玲君に代わって、私がお礼を言う。お礼の言葉につられて涙がこみあげてくる。

「どうしたの?恵先生。何で泣いてるの?」

玲君が私に尋ねる、それから私をぐっと抱き寄せる。

「ううん、何でもないよ、びっくりさせてごめんね?」

嘘だ、私は何でもない事なんてない。私の心は少しずつ、でも確実に近づいてくる別れの時に向かい、悲しみで千々に乱れている。そう、私は玲君を愛してる。でも玲君は何でも持ってる。いや努力に努力を重ねて手に入れたのに、私はこの年になっても何も持っていない。彼の重荷になりたくない、なってはいけない。

「恵先生、本当に今までありがとう。」

今度は私に代わって玲君が言葉を紡ぐ。私は玲君を見れない。

「感謝してもしきれない、でも、僕馬鹿だから、本当に馬鹿だから…。」

私を抱きしめる、彼の腕に力がこもる。

「一番大切なことを伝えていなかった。」

今度は彼が私を少し離し、ジャケットのポケットから小箱を取り出す。

「恵さん、僕の本当に大切な人、僕を支えてくれた人。愛してます。僕と結婚をしてくれませんか?」

彼が私に差し出してくれたのは指輪だったのだろう、息をのむような小さな歓声が聞こえる。私にはもう涙で何も見えない。私の本心がイエスと言おうとするのを理性が押しとどめる。私は彼にふさわしくない。私はただ混乱し、涙を流し、首を振る。

「イエスって言いなさい。」

大きいわけではないのに良く通る声で、先ほどの老婦人がいう。その場にいた全員が老婦人の方を見る。玲君と私は日本語で話してたけれど、男性が指輪を取り出して女性にささげるのは、万国共通プロポーズでしかありえない。私が、躊躇していることも明らかだったろう。

「後悔したくないでしょう?この町にはね、何時か一緒になる、次にあった時には、そう思っててそうなれなかった若者がたくさんいたのよ?」

老婦人が続ける。

「この後、別れてそれきり合わない。それでも何にも気にならない。そんな相手じゃないでしょう?」

その言葉が私の理性を吹き飛ばず。ごめん玲君、私はあなたを愛してる。でも私は何も持ってない。ごめんね、ごめんね?それでも私が、あなたを愛しても良いですか?私が一緒にいても良いですが?

「勿論ですよ?」

一体どこから声に出てたのだろう、玲くんは天使のように微笑むと、私を強く強くだきしめたのだった。




そこからの私の記憶はあいまいだ。偶然居合わせたホテルのお客さんも、東洋人のプロポーズの成功を理解したのだろう。変わる変わる祝福してれた。ガブリエーレは調子にのって、ピアノを弾き続け、老婦人は私たちにシャンパンを奢ってくれた。佳乃さんは見たことないほど大層お酒を召し上がり、見事に潰れられた。

日本に戻ってきてからは、応募予定だった大学へのお詫びも含めて、バタバタと準備が進み、なんと来年には私と玲君は夫婦になる。

何も持っていない私は、未来の旦那様のとなりに立つことが恥ずかしくないように、精一杯頑張ろう、そう静かに誓うのであった。
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