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第二夜 酒も女も金も男も
去るもの追わず 1
しおりを挟む「すごいね、これ。車が今どこにいるのかもわかるんだ?」
業務管理ソフトの使い方に慣れてきたメイコが、パソコンの画面を見つめ、感嘆の声を出す。
「タブレットでやりとりできるから、女の子がいちいち電話する必要もないし。慣れるとずいぶん楽ね」
「すっごいスムーズになりましたよね」
キッチンで紅茶を蒸らしていた優希が明るく返す。
「コースとかオプションの聞き間違いも防げるし。合計金額もこっちで計算しなくて済むし」
カップに紅茶を注ぐ音が響いた。メイコはパソコンに顔を向けたまま、キッチンまで届くよう声を張る。
「ほんと、教えてくれてありがとうね、優希くん。またわからないことがあったらきいてもいい?」
「もちろん」
優希は、紅茶の入ったカップを三人分、トレーにのせて運ぶ。メイコのそばに一つ置いたあと、洋室に向かった。
洋室では、ソファに座る律がホストクラブの情報誌を読んでいる。背をもたれ、足を組んでいた。
「社長、どうぞ」
律の前にカップを置く。が、律は雑誌から目を離さない。読みながら返事をする。
「ん。ありがと」
「……珍しいですね。社長がそういうの読むなんて」
「そうだな。でも一応は同業だから、たまにはね」
「ふうん、そうですか」
優希は自身のカップを持ち、律の正面に座る。トレーを机に置き、紅茶をすすった。
「そういえば、もうききました? Candyのヤエコさんが辞めるって話」
そこでようやく、律が雑誌から視線を上げた。
「恋人ができたから?」
「お、さすがっすね~。すぐに当てちゃうなんて」
にこにこと笑う優希に対し、律は平然と返す。
「前にそういう話をメイコさんとしてただろ」
「ですね。彼氏に秘密にできる自信もないし、これ以上裏切っていたくないんですって」
「ふうん?」
興味なさげに視線を落とし、雑誌をぺらりとめくる。
「残念ですね。ヤエコさん、リピ多くて人気者なのに」
「つっても、プライベートぶち壊してまで続ける必要もないからな」
「それはそうですけど~。今月いっぱいらしいですよ。寂しくなりますね」
律はテーブルの紅茶を手に取った。まだ湯気がのぼっており、口をつけようとしない。カップ片手に紅茶の匂いをかぎ取りながら、雑誌を読みすすめていく。
「お疲れ~」
部長の声が玄関から響き渡った。女性たちを送り終えた部長は、真っ先に洋室へ入ってくる。
「あ~、ほんっと疲れた」
優希のとなりに、巨体をどかりと沈ませた。その勢いで優希が持つ紅茶が大きく揺れる。
「あわわっ」
「杉村、茶ついで」
横柄な言葉に、優希は顔をゆがませる。
「なんですか、戻ってくるなり。それってパワハラですよ」
「どうせおまえ暇だろうが。さっさと行ってこいよ」
不満げな表情の優希は、飲みかけのカップをテーブルに置く。立ち上がり、しぶしぶ洋室を出てキッチンに向かった。それを見送った部長は、正面にいる律に神妙な顔を向けた。
「カナさん今日で辞めるって」
律の視線が上がる。情報誌を閉じ、となりに置いた。
「ああ、そう」
不愛想にうなずき、カップに口を近づけた。まだ湯気がのぼる表面に、息を吹きかける。
「いきなり辞めてすみません、だってさ」
部長はテーブルの端に置いてあった灰皿を引き寄せる。スーツのポケットからたばこを取りだすものの、律の視線が自身に向いていることに気づき、元に戻した。
「すまねえ、つい癖で」
事務所内は禁煙だ。ため息をつく部長に、律は鼻を鳴らす。
「ヤエコもそうだけど、わざわざ辞める申告するなんて律義だな。飛ぶのが当たり前の世界だってのに」
「ヤエコ? ヤエコも辞めんのか?」
「そう。彼氏のために」
「あー……なんかそういう話してたなあいつ」
律がおそるおそるカップに口をつけたころ、優希が戻ってきた。部長の前にカップを置く。音の強さに不満があらわれていた。
部長は気にするそぶりも見せず、カップを持ち上げる。
「それと、カナさん、別れるってさ。俺も、それでいいと思う」
「へえ、そうなんだ。よかったね」
律の返事は素っ気ない。その反応をされるとわかっていた部長は、入れたばかりの紅茶に口をつけた。
優希が部長のとなりに座り、自分の紅茶を持ち上げる。部長に顔を向け、尋ねた。
「カナさんも辞めるんですか?」
「ああ」
部屋を出ていたとはいえ、洋室での会話を優希はちゃんと聞きとっていた。
「じゃあ、この場合、賭けってどうなるんですか?」
部長が苦虫をかみつぶす表情を浮かべる。同時に、律の厳しい声が飛んだ。
「賭け?」
「部長と賭けてたんすよ。カナさんがすぐに辞めるか辞めないか」
「はあ?」
律は心底あきれた顔で部長を見る。律を見ようとしない部長は、優希に早口で告げた。
「結局カナさん一カ月以上続いたんだっけ? 短いほうだな」
「えー? なに言ってんすか、一カ月は十分長いでしょ。辞める子は一週間とかザラですよ。一日で飛ぶような子もいるし」
「いや、これはすぐだね。うちじゃ二年以上続いてる子も当たり前にいるし」
「すぐじゃないですってば。むしろ平均でしょ! ちょっとお小遣い稼ぎするくらいの平均の期間です!」
律は再びため息をつき、紅茶に口をつける。だいぶ飲みやすくなってきた。
「次に賭けるときは契約書でも作っとけば? 数字できっちり期間を定めとけよ。……ってことで、今回の賭けは無効だな」
部長が鼻で笑い、優希は不満げにむくれる。
「社長が言うんじゃしょうがないですけど~。でもやっぱり一般的には長く務めたほうだと思いません?」
「俺が白紙に戻したのにまだ言う? ってかここでそんな賭けすんなよ」
わちゃわちゃと騒がしくなる洋室を、メイコがデスクから眺めて苦笑していた。
玄関ドアが開いた音に気づき、顔を向ける。
「おつかれさまで~す」
ドライバー、ミズキのハツラツとした声が届いた。
「すみませ~ん。なんか夏妃さんが用あるらしくて、つれてきたんですけど」
リビングにまで来たミズキのとなりには、タイトな服を品よく着こなす夏妃の姿があった。
「ごめんなさいね、みなさん。そろそろ仕事が終わるってときに」
夏妃は申し訳なさげに笑う。メイコが立ち上がり、そばへ寄った。
「どうかしました?」
「あ、これ。百貨店のお菓子」
夏妃は下げていた紙袋を差し出す。
「クッキーなの。保存がきくからみんなで食べて。……って旦那が」
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