63 / 72
第二夜 酒も女も金も男も
心からの謝罪とお節介 1
しおりを挟む事務所の洋室で、女性の泣き声が響いている。カナがソファに座り、顔を覆いながら嗚咽を漏らしていた。
いつかと同じような光景だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
その正面には部長が座っている。タオルを巻いた保冷剤をメイコから受け取った。殴られた場所に押し当て、痛みに声を漏らす。
「ほんとうに、ごめんなさい……」
「いや、カナさんのせいじゃない。こっちの不手際だ」
気を遣わせないよう、部長は笑う。
「まさか旦那が入会してるだなんて思わなかったから。カナさんに嫌な思いさせちまったな。もっと気を付ければよかったよ」
「ごめんなさい……」
泣き止む気配のないカナに、部長は穏やかに続ける。
「さっきは、よくがんばったじゃないか」
先ほどカナの夫に向けたものとは違う、温かい声だ。
「温厚なカナさんのことだから、言われぱなしなんじゃないかって心配してたんだ。言うときゃ言えるんだな。ちゃんと言い返せて、かっこよかったよ」
「でも……でも……」
カナはあふれでる涙を手の甲でぬぐう。
「俺のことは気にすんな。こう見えて体は丈夫なんだ。俺よりカナさんのほうが大変だろ。大丈夫なのか? 帰ったらあの旦那がいるんだろ?」
返事をせず、一向に泣き止まないカナの姿に、部長はどうしたものかと頭を掻いた。
「お疲れさまー」
必死になだめている最中、事務所内に律の声が響く。泣き声に導かれるように、洋室をのぞいてきた。
律は女性向けの輝かしい笑みを浮かべ、穏やかに尋ねる。
「あれ? どうしたんですか、カナさん」
カナは答えない。とても話せる状況ではない。だが頬を抑える部長の姿を見れば、トラブルがあったことは明白だ。
「あの、社長」
洋室を出たメイコが、おそるおそる頭を下げた。
「申し訳ありません」
「……なに? なにが?」
洋室の中を一瞥し、メイコの体に触れ、洋室から一緒に離れるよう促す。ダイニングキッチンに入ると、メイコがバツの悪い表情を浮かべ、口を開いた。
「実は……」
カナには聞こえないよう声を押さえて、先ほどの状況を説明する。
律は眉間にしわを寄せて聞いていた。腕を組み、真剣な口調で返す。
「でも、入会時に客の面接はしたんだよね? そのときに旦那さんだって気づかなかった?」
「それが……お会いした場所は高級ホテルでしたし、身なりもきちんとしておられたので」
「カナさんの本名と名字一緒だったんじゃないの?」
「それが、面接で聞いた話の内容が、すべてでたらめで……」
「はあ?」
声色が明らかに変わった律に、メイコは再び頭を下げた。
「申し訳ありません。確認作業をもっと念入りにするべきでした」
「……いや。いくら会員制でも身分証を強制的に提出してもらうことはできないからね。こういうことは起こりうることだよ」
頭を上げたメイコの顔は青く、律の叱責を覚悟している。
「今回はかなりタイミングが悪かったね。はちあわせるっていう最悪なパターンだ。もっと対策を練らないと」
メイコは自身の手首をぎゅっと握りながら返す。
「とりあえず、全店出禁の対応を取りました。ブラックリスト入りです」
「まあ、それが店としてできる限界だよね」
律はため息をつき、洋室に向かう。
中をのぞき、頬をおさえる部長を見て、ほほ笑んだ。
「部長、身を挺してカナさんを守ったんだって? すごいじゃん」
中に入り、部長のとなりに座る。カナを見すえ、息をついた。
「さて」
落ち着いた表情で、冷静に続ける。
「メイコさんから事情は聴きました。今回は、カナさんに配慮が足りず、申し訳ありませんでした。全従業員を代表してお詫びいたします」
深々と頭を下げる律に、カナは首を振る。声を出そうにも、漏れるのは嗚咽だけで、うまく言葉が出てこない。
律は両ひざに手を置き、深々と頭を下げたまま続ける。
「身内とはち合わせてしまうのは、あってはならない事態です。この件を踏まえて女性のプライバシーの保護に、よりいっそう、力を入れていくつもりです」
「ちが……違います……。店のせいじゃ、ないんです」
ぽろぽろと涙を流しながら、カナはゆっくりと言葉を出していく。
「夫が、悪くて……私の知らないうちに新しいスマホを買ってて、自分のことも経営者だって見得はって……。本当は借金まみれなのに……。旦那が、店をだましてたんです。ほんとうに、ごめんなさい……」
顔を上げた律は、首を振る。
「カナさんが謝ることじゃないですよ。こちらの責任ですから」
社長らしく落ち着いている律のとなりで、部長は眉尻を下げた。
「なあ、カナさん。社長もこう言ってるんだし、あんたが泣く必要はないんだよ。むしろ怒っていいんだ。俺たちにも、旦那にも。さっきみたいに」
涙にぬれた顔で部長を見るカナは、必死に首を振った。涙をぬぐいながら、声を出す。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【完結】いつの間にか貰っていたモノ 〜口煩い母からの贈り物は、体温のある『常識』だった〜
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ライト文芸
「いつだって口煩く言う母が、私はずっと嫌いだった。だけどまぁもしかすると、感謝……してもいいのかもしれない」
***
例えば人生の節目節目で、例えばひょんな日常の中で、私は少しずつ気が付いていく。
あんなに嫌だったら母からの教えが自らの中にしっかりと根付いている事に。
これは30歳独身の私が、ずっと口煩いくて嫌いだった母の言葉に「実はどれもが大切な事だったのかもしれない」と気が付くまでの物語。
◇ ◇ ◇
『読後には心がちょっとほんわか温かい』を目指した作品です。
後半部分には一部コメディー要素もあります。
母との確執、地元と都会、田舎、祖父母、農業、母の日。
これらに関連するお話です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
凪の始まり
Shigeru_Kimoto
ライト文芸
佐藤健太郎28歳。場末の風俗店の店長をしている。そんな俺の前に16年前の小学校6年生の時の担任だった満島先生が訪ねてやってきた。
俺はその前の5年生の暮れから学校に行っていなかった。不登校っていう括りだ。
先生は、今年で定年になる。
教師人生、唯一の心残りだという俺の不登校の1年を今の俺が登校することで、後悔が無くなるらしい。そして、もう一度、やり直そうと誘ってくれた。
当時の俺は、毎日、家に宿題を届けてくれていた先生の気持ちなど、考えてもいなかったのだと思う。
でも、あれから16年、俺は手を差し伸べてくれる人がいることが、どれほど、ありがたいかを知っている。
16年たった大人の俺は、そうしてやり直しの小学校6年生をすることになった。
こうして動き出した俺の人生は、新しい世界に飛び込んだことで、別の分かれ道を自ら作り出し、歩き出したのだと思う。
今にして思えば……
さあ、良かったら、俺の動き出した人生の話に付き合ってもらえないだろうか?
長編、1年間連載。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる