57 / 72
第二夜 酒も女も金も男も
たとえ悪者になってでも 2
しおりを挟む「ちょっと酒足りなくなってな。で、次の卓だけど」
律は入り口に顔を向けたまま、小声で伝える。
「店長、そのまえに千隼さんを休憩に出して」
「あ?」
「千隼さんの知り合いが来てる。千隼さんがホストやってるって知らないから」
「げえ、まじかよ、こんな忙しいときに……」
「俺がここで対応するから、そのうちに千隼さんを厨房に入れて」
店長は険しい顔でうなずく。インカムでスタッフたちに指示を出しながら離れていった。
スタッフに声をかけられた千隼が、卓席を出ようとしている。その姿を確認し、律は出入口の手前に立った。レジカウンターと律のせいで、二人からは店の中が見えないようになっている。
「いらっしゃい、トウコさん」
トウコはびくりと震え、顔を向ける。穏やかにほほ笑む律を見て、トウコも笑顔で近づいた。
「どうしたの、律。出迎えなんて珍しいんじゃない?」
「来てるところが見えたからつい」
「他のお客さんもいるのに?」
トウコの後ろにいる花音は、写真を見つめたままわなわなと震えていた。ゆっくりと律に顔を向け、憤怒に満ちた目でにらみつける。
当然のことだ。今までエリート会社員だと思っていた男が、実は大嫌いなホストだったのだから。
「どーいうことなの!」
大声を張り上げて詰め寄る花音に、トウコは困惑した顔を向ける。
「ちょっとやめてよ、そんな声出さないで!」
「あんたは黙ってて!」
律は臆することなく、笑みを浮かべたままだ。
「私のことだましてたってわけ? 二人で一緒になって!」
「ちょっとなに? どういうこと?」
「ほんと最低! どこにいるのよ! 今も知らない女のとなりでへらへらしてるんでしょ!」
感情的になる花音を前に、律は短く息をつく。
「まあ、そういう仕事だからね」
いまだに困惑しているトウコをそのままに、律は笑みを消した。
「だから秘密にしておきたかったんでしょ。そういう反応するってわかってるから」
「大手の外資勤めっていうのも! いい大学卒業したエリートってのも! 残業が毎日厳しいってのも全部ウソだったわけ?」
これ見よがしなため息で返す。
「ほんと。きみって自分のことばっかりで、彼氏のことはなにも知らないんだね。もっと彼氏のことを見ようとしてたら、そんな言葉出てこないと思うよ」
花音は拳を握りしめ、声を張り上げた。
「あんたに私たちのなにを知ってるのよ! こっちはね、結婚も本気で考えてたの! ずっとだまされてたのよ!」
花音の声は店の中にまで聞こえていた。スタッフや客が、出入口のほうに顔を向けるほどだ。
律は鼻を鳴らす。
「結婚を本気で考えてたのに、こんなところに来れちゃうんだ?」
「客としてくるぶんにはいいでしょ! ホストと結婚するわけじゃないんだし! でもあいつがホストなら話は別よ!」
律の顔が険しくなる。めんどくさげに頭を掻きつつ、冷ややかな声を出した。
「あのさあ、きみ、そもそも店に一回も来たことないよね?」
花音は、律の発言の意図が分からず、首をかしげる。
「はあ? あるわけないでしょこんな店。こんなところ、ホストと同じような底辺の女が通う場所でしょうが」
その言葉が、ブーメランになっていることも花音は気づかない。
花音を見る律の目は、あいかわらず冷たかった。静かに、淡々と、威圧のある声で続ける。
「ってことはつまり、きみは彼に対してお金を使ってないってことだよね?」
「……は?」
怒りと混乱のあまり、花音は言葉が出てこない。律の言葉をかみ砕いて理解する余裕もない。
「お店にも通ってない、彼のためにお金も使ってない。おれたちにとっては、それでだまされたなんて言われてもとんだお笑いなんだけど?」
歯ぎしりとともに、花音の全身が震えだす。
「うるさい! うるさい! 私を客扱いするな! 私が何年一緒にいたと思ってんだよ!」
花音は叫びながら手を振り上げた。乾いた音が響き渡る。
「あー! もう! なんなのよ!」
痛む手を握る花音は、目の前の状況に固まった。花音がひっぱたいたのは律ではなく、律をかばった千隼だ。
後ろにいる律は顔をしかめ、店長を探す。レジ横にいた店長と目が合うと、あきらめたように首を振っていた。
千隼の声が、律の耳に届く。
「ごめん、律くん。迷惑かけちゃって」
千隼は律を見て、悲し気にほほ笑んでいた。頬がうっすらと腫れかけている。
花音の歯ぎしりが、また響いた。
「なんでよ。なんでそんなやつかばうのよ。なんで私よりそんなやつのこと……」
千隼は、花音と目を合わせようとしなかった。顔を向けようともしない。千隼を見上げる花音は、唸るように続ける。
「最低。何年もわたしのこともてあそんでたんでしょ。私のことなんて大事じゃなかったんだね」
その目は軽蔑に満ち、人間を見る目をしていなかった。
「しょせんあんたなんか社会のゴミよ。二度と私に近づかないで! このウソつき野郎!」
身をひるがえし、いら立ちを伴う足音を響かせながら階段をのぼっていく。
花音の姿が見えなくなったころ、律は千隼に顔を向けた。たたかれた頬に手を当てたまま、顔を伏せている。
「追いかけないんですか?」
「え?」
律は不愛想な顔と、いつもの調子で続ける。
「こういうとき、男って追いかけるもんですよ」
「あー……いや、でも」
追いかけたところでなんともならない。それは律もわかっている。
「最後くらいはちゃんと言い返しておきたいって、思わないんですか?」
自身の、心の整理のためにも。
「少し離れるくらいなら、大丈夫ですから」
千隼の背中をポンとたたく。
「え? あ、えっと……」
律の顔は、確かにいつもどおりだった。それでも、千隼を見すえるその瞳は、何もかもを見透かす力強さを秘めている。
千隼は戸惑いつつも、薄い笑みを浮かべた。
「うん。……ありがとう。すぐに戻ってくる」
律に言われたとおり、小走りで階段をのぼっていく。
一連の出来事に居合わせ、ぼうぜんとしていたトウコは我に返った。
「えっと……? つまり、あの子の彼氏が、その、千隼くんだったってこと?」
わたわたと混乱しているトウコに、律は困ったように眉尻を下げた。
「さあ? それはわかんないけど」
店にいるこの状況で、律が肯定することはできない。
「トウコさんも言ったほうがいいんじゃない? 友達、なんでしょ?」
とたんにトウコの顔がゆがむ。
「いや全然そんなんじゃないから。ただの同期! ……でも、いろいろ心配だからようす見てくるわ。ごめんね、律。わたしが彼女を連れてきたばかりに」
律はほほ笑んで首を振る。
「トウコさんのせいじゃないから大丈夫だよ」
「ほんとうにごめんね。律は仕事に戻ってて」
階段をのぼっていくトウコの後ろ姿を、律は営業スマイルで見送った。姿が見えなくなったころ、笑みを消し、店長に体を向ける。
「店長、ちょっと暇そうなやつ厨房に集めといて。……心配しなくても大丈夫だよ。千隼さん、ちゃんと戻ってくるから」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる