律と欲望の夜

冷泉 伽夜

文字の大きさ
上 下
11 / 72
第一夜 Executive Player「律」

不備はない

しおりを挟む


 律はマンションのエントランスを通り、エレベーターに向かう。開きっぱなしのドアの中には、すでにスーツ姿の青年と、かわいらしい女性がのっていた。律を前に、二人とも笑顔になる。

「お疲れ様です、社長」

 ボタンの前に立つ男性は、Platinumプラチナム系列のドライバー、ミズキだ。ドアを開けたまま、待ってくれている。前髪の金色メッシュが印象強く、光が反射するたびにキラキラと光っていた。

「はい、おつかれ~」

 エレベーターに乗り込むと、扉は閉まる。

 上に向かい始めると、律の後ろにいた女性が声を放った。

「聞いたよ、社長。レミちゃんにお金貸すんだって?」

 女性は、Platiinumプラチナム  Sugarシュガ―に所属しているヒナノだ。フリルのついた水玉のワンピースが幼さを引き立たせている。

 律はホストクラブで女性と話すときのように、穏やかで聞き取りやすい声を出した。

「え~? なんで知ってんの?」

「だって本人が言ってたんだもん。オーラスで毎日出勤するって条件で貸してくれるって。待機所でもみんな信じられないって話してるよ」

「そっか~。レミちゃんが自分で言ったんだぁ」

 律のあきれきったため息が反響する。ミズキが不安げに口をはさんだ。

「大丈夫なんですか? あのレミさんですよ?」

「んー、でも貸すって言っちゃったしね」

「部長とメイコさん、反対しませんでした?」

「してたよ。めちゃくちゃしてた」

 平然と答える律を、二人は微妙な表情で見つめる。意を決したヒナノが、真剣な声で忠告した

「ねえ、社長。やめといたほうがいいよ、あの子、いい話全然きかないもん。他の女の子にもお金借りてたの、知ってる?」

「まあ、なんとなくは聞いてるよ」

 部長とメイコが前借を渋っていたのは、単に金額が大きかったからだけではない。レミの金銭トラブルについては、以前から問題視されていることだった。

「じゃあなんで貸したの? 優しい子にも付け込んでたくさん借りてるような子なんだよ?」

 エレベーターの扉が開き、律が先におりる。次に出てきたヒナノに顔を向け、苦笑した。

「もしかしてヒナノちゃんも貸したの?」

 ヒナノはきょきょろとあたりを見渡し、誰もいないことを確認する。フロアに響かないよう、声をひそめた。

「少しね。でも返ってこないよ。催促したら逆切れ。まあ一万円だし、もういいけどさ」

「それは大変だったね、ヒナノちゃん」

「いや私はいいんだよ。他の子はもっと借り逃げされてるし」

 かわいらしく頬をむくれさせるヒナノを横目に、律は最後におりたミズキに声をかけた。

「確か、ドライバーにも借りようとしたらしいね」

 ミズキも周囲を気にしながら、声を潜めて「そうです」とうなずく。

「しかもやりかたがえぐいんすよ。男性ドライバーにやらしいことを条件にして金をもらおうとしてたみたいで」

「ああ、抱かせてやるから金くれ、みたいな?」

「ですです」

 ヒナノは顔をゆがませる。

「うわー、あの子そんなことしてたの? ドン引きなんだけど」

 対して律は、いたずらっぽく笑っていた。

「……で、ミズキはやったの?」

「なわけないじゃないですか。してたら大問題でしょ。レミさんの件は事務所も問題にしてるし、絶対に貸さないってことに決まってたんですから。……社長が貸すまでは」

「それはよかった。ウチのスタッフたちは優秀だな~」

 あっけらかんと言い放つ律に、ミズキはあきれ、ヒナノは息をつく。律とミズキに背を向けたヒナノは、フロア奥の待機室に向かい始めた。

「あ、待ってヒナノちゃん」

「なあに?」

 振り返って律を見るヒナノは、くりくりした目をかわいらしくまばたきさせる。

「返ってこないぶん、俺がたてかえとこうか?」

「え!」

 声が、フロア中に響いた。口元に手を当て、声を潜める。

「いや、いいよ。一万円くらいすぐに稼げるし」

「一万円だからって甘く見ちゃだめだよ。他に借りた子のことも教えて。俺がたてかえるから」

 キラキラした笑みを見せる律に、ヒナノは全力で手を振る。

「いいっていいって。社長からなんてもらえないよ! みんなそう言うと思うし」

「じゃあ、女の子たちにヒナノちゃんから言っといて、今後はなにを言われても絶対に貸すなって」

「うん、みんなそのつもりだよ」

 ヒナノは背を向け、フロアの奥に進んでいく。

 待機所に入るまで見送った律のとなりで、ミズキがつぶやいた。

「五十万貸す社長が何言ってんすか」

 反響しやすいマンションでは、つぶやき声も平気で律の耳に入る。律の表情は不愛想なものに変わり、気だるげな声で返した。

「それとこれとは話が別だろ」

「別じゃないっすよ。社長は女の子に優しいですけど、それが必ずしも女の子のためになるわけじゃないんすよ?」

「ふぅん?」

 律はじろりとミズキを見すえる。

「まるで俺より女の子のこと知ってるみたいな口ぶりじゃん」

 社長として漂わせている圧に、ミズキは身構える。

「いや、そんなんじゃないんすけど」

「……いいんだよ。俺は俺で、考えがあるんだから」

 言い切った律の瞳は、突き放すような冷ややかさとともに、力強さをひしひしと感じさせた。



          †



 Sweetスウィート Plutinumプラチナムの営業が終わり、女性たちはスタッフの送迎で家に帰っていく。

 一仕事終えたレミは部屋のカギを持ち、フロアの廊下を進んでいた。

「もう荷物は全部運んだの?」

 背後からの声にびくりと震えた。

 振り返ると、そこにいたのは律だ。冷徹な顔でレミを見すえている。

 レミは安堵あんどした息をつき、うなずいた。

「なにか足りないものがあったらスタッフに言って。買ってきてくれると思うから」

 口調は優しいが、表情と声は相変わらず冷たい。

「はい、ありがとうございます」

 レミは頭を少し下げた。律が数歩近づき、縦長の白い封筒を差し出す。

「はい、これ。五十万」

「あ! ありがとうございます!」

 なんのためらいもなく受け取り、中身をチラリと確認して、自身のバッグの中に入れる。律はクリップボードとペンも差し出し、一段と真剣な声を出した。

「受け取ったからには、ここに名前書いて。印鑑は持ってきた? ないなら拇印ぼいんでもいいよ?」

「え、ああ……」

 レミが受け取ったそれは、借用書だ。返済期日や返済方法、遅延時による対応などが箇条書きで記載されている。書面の最後に署名欄と住所記入欄が用意されていた。

「いい? 五十万って大金だから、返ってくる保証が欲しいんだ。注意書きをよく読んでサインしてね」

 と言っている間に、レミはペンを受け取って、さらさらと本名を記入していく。

「……あくまでも借用書だから、法的措置に乏しい部分も出てくるんだけどね。仮に、返済せずに仕事を辞めた場合はそれ相応のペナルティがあって」

「大丈夫です。逃げたりしないので」

 レミは使ったペンをボードのクリップにはさみ、カバンから印鑑を取り出した。律が差し出す朱肉に、ぎゅっぎゅと押し付けている。

「レミちゃんを信じてるけど、一応ね。もしそうなった場合はこの業界のブラックリストに」

「わかってますってば」

 印鑑を押し、ほら、とクリップボードとペンを返す。使った印鑑をカバンの中に放った。

 律は借用書に目をとおす。読める字で住所と氏名が書かれ、印鑑もはっきりと押されていた。

 不備はない。

「……うん。これで大丈夫」

 ひとまずは安心だ。

 レミを見ると、まるですべてが終わったかのように、すっきりとした笑みを浮かべている。借金を背負った立場だというのに。

「じゃあ、これからもがんばって。おやすみ」

「はーい、おやすみなさーい」

 レミはドアのカギ穴にカギを差し込み、上機嫌で中に入っていく。中からカギを回す音を確認した律は背を向け、静かにその場をあとにした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

怪異・おもらししないと出られない部屋

紫藤百零
大衆娯楽
「怪異・おもらししないと出られない部屋」に閉じ込められた3人の少女。 ギャルのマリン、部活少女湊、知的眼鏡の凪沙。 こんな条件飲めるわけがない! だけど、これ以外に脱出方法は見つからなくて……。 強固なルールに支配された領域で、我慢比べが始まる。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

処理中です...