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二年目

暴君の降臨 1

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 この日、稽古場に集まっているのは、年下組だけだった。

 ライブ開催に向けて、四人だけの楽曲が新たに発売される。覚えるべきダンスがとにかく多い。

「星乃! テンポが遅れてんぞ! 全然成長しねえなおまえは!」

「すみません!」

 いつもどおりダメ出しを受けながら練習をして、休憩に入る。メンバーたちが水筒に口を付けているあいだ、純は講師とマンツーマンでダンスを教わっていた。

「ここは……こうな。で、ジャンプ」

「はい」

 純のダンスを見て、講師は首をひねる。

「できてんじゃねえか。なんでみんなと一緒だとポンコツになるんだ、おめえは。わざとか?」

「すみません……」

「とりあえず水飲んで、もう一回やってみせろ。おまえ一つのこと覚えたら前のこと忘れてっから」

「はい……」

 そのとき、稽古場のドアが開いた。

「おはよ~、元気? ダンスの練習がんばってる?」

 人懐っこい間延びした声だったが、空気は引き締まる。

 みなの視線の先にいたのは、背が高く、ガタイのいい中年男性だ。オレンジ色のシャツが印象的な軽装で、にっこりと笑いながら手を振っていた。

 男性に対し、スタッフは次々と頭を下げる。千晶や歩夢、爽太も同じだ。

「おはようございます! 会長」

 稽古場全体に緊張が走っていた。純もみんなに合わせて頭を下げる。

 会長は社長の夫だ。経営や指導からは退いているものの、その影響力はいまだに残っている。下手すれば、社長の決定を気まぐれで取り消せるほどだ。

「あ! 純、いた。久しぶりだね」

 会長はにこやかに近づいてくる。周囲からの視線が、純に切り替わった。

「パパと一緒にあいさつしてくれたとき以来? あれはもう……純がデビューする前だから二年前、かな?」

 痛い視線を全身で感じ取りながらも、同じようににこやかな顔を向ける。

「そうですね」

「ずっと会いたかったんだけどさ~。僕も意外と忙しくって。現場からは退いてるっていうのに、やらなきゃいけないことがたくさんあってさ」

「お忙しいところ顔を出していただき、ありがとうございます」

「あはは、そんなかしこまらなくていいよ~」

 純が知る会長は、冷酷な人だ。感情を隠すのがうまく、タレントや社員を駒のようにしか思っていない。笑みを一切崩すことなく、タレントや社員の一進一退を簡単に決められる。

 純は、会長をまっすぐに見すえながら、内心困惑していた。

 会長の目に浮かんでいるのは、友好だ。会長がそのような目を向けるのは、才能があると認めたタレントだけのはずだった。

「ていうか、まだアイドルやってんの? 純」

「はい」

「あっはっは! 最高だね!」

 会長は手をたたきながら、大口を開けて笑う。低くゆったりとした笑い声は特徴的で、稽古場によく響いた。

「とっくに辞めてると思ってたよ。スカウトされたからって気にせず、いつでもやめて良いんだからね?」

 稽古場内の雰囲気は徐々に軽やかになっていく。スタッフたちは会長の言葉に乗っかるよう嘲笑し、見下した視線を純に向けはじめた。

「ダンスもできないし歌もできないんだって? とっとと辞めて他のことに集中したほうがいいって」

 その言葉に反し、会長から嫌な感情を受け取ることはない。真意をくみ取り、笑みを浮かべる。

「会長にそう言われれば辞めざるを得ませんが。……なにぶん、辞めないよう、社長にお願いされておりますので」

「ああ、そうだったね。義理堅いんだ? きみは」

 スタッフの小さい笑い声が、純の耳に届く。

「会長がスカウトしたなんてほんとはウソなんじゃん?」

「むしろ見限られてるし」

 気にしないよう努める純だったが、会長がスタッフに顔を向けた。

「あのさ。ちょっと黙っててくれるかな? 僕は今、純との会話に集中したいんだよね」

 会長の顔から笑みが消えており、権威のある圧が全身から放たれる。純が知る、社員を駒として扱う会長の姿だ。

 空気を張り詰めさせたところで、純に向かってにかっと笑ってみせる。

「純はほんとうに、不思議な子だからねぇ。集団行動も難しいんじゃない?」

 会長はメンバーを見渡し、鼻を鳴らした。

「みんなとも仲良くやれてないでしょ? 純はイノギフには合わないと思うし」

 メンバーは困惑した表情で顔を見合わせる。歩夢と爽太が口を開くものの、会長がさえぎった。

「まあ、だから僕がようすを見に来たんだけどね。ここにいても純はくすぶるだけだよ。辞めさせてもらったら?」

 会長はやれやれ、と肩をすくめる。当の純は、笑みを浮かべたままだ。

「あの、会長」

「なあに? 純」

「会長は、イノセンスギフトの現状についてどう思いますか?」

 稽古場の空気がさあっと凍り付いていく。この事務所でかなりの影響力を持つ会長に、何を気軽に聞いているのかとハラハラした空気だ。

「そんなの、きみはとっくにわかっているだろう?」

 スタッフたちの空気に反し、会長は口角を上げる。

 無論だ。純はこのあとに続く会長の言葉も知れている。会長の声に、自分の声を重ねた。

「別になんとも。純がいるから気になるくらいかな」

「別になんとも。俺がいるから気になりましたか」

 会長は目を見開いた。しかしすぐに笑みを浮かべる。

「あっはっは! きみもなかなか意地が悪いねぇ。純はどう思う? イノセンスギフトは、楽しいかい?」

笑みを浮かべつつも真面目な声色で尋ねる。純も同じように真面目な声で返した。

「まだ、なんとも……」
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