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一年目
日常に戻るだけ
しおりを挟む受験が、終わった。学校の授業が終われば事務所でダンスの自主練習、という生活に戻る。純が、イノセンスギフトを辞めることはなかった。
「戻ってくるんだ……。自分がどう思われてるのかわかってんのかな」
「度胸あるね~」
陰口やからかいは想定内だ。黒い感情を全身に浴びながら、更衣室へ向かう。練習着に着替えて、稽古場に直行した。
当然だが、そこに月子の姿はない。がらんとしている。完全に、一人だ。
純は、鏡の前に立つ。大きく深呼吸をして、デビュー曲のダンスを一から踊り始めた。講師に撮ってもらった振り付け動画をすでに何度も確認し、頭にたたき込んでいる。
ドアが開く音に気づき、純は動きを止めた。顔を向けると、空が純を見て立ちつくしている。
「あ……」
空の表情が、ぱあっと明るくなった。純のほうから、薄い笑みを浮かべてあいさつをする。
「おはようございます」
「おはよう!」
空が入ると、立て続けに他のメンバーも入ってきた。
およそ五カ月ぶりの対面だ。メンバーからぎこちさない空気が伝わってくる。妙にそわそわとして、以前よりも落ち着きがない。やけにチラチラと視線を向けてくる。
「純!」
いつのまにか空が駆け寄り、純を見上げていた。
「受験は終わったのか? 合格してそうか?」
「たぶん」
元気いっぱいに笑う空。
純には、空の周りに漂う、オレンジ色のオーラが見えた。まるで太陽のようだ。
「今度からは俺が、純にダンス教えてやるよ」
自慢げに胸を張って続ける。
「同じグループだし、渡辺月子よりも上手だし、俺」
「えっと……」
他のメンバーから、純のようすをうかがうような視線が突き刺さってくる。
純が休暇を取っているあいだ、何か話し合ったのであろうことはすぐに気づいた。
「あ、うん。ありがとう……」
嫌な視線だ。純の一挙手一投足から人となりを勝手に判断しようとしている。
しかしそれは自分がいつもしていることだと気づき、思わず乾いた笑みを浮かべた。
「それが後輩の態度か、星乃」
熊沢がスタッフたちと稽古場に入ってきた。嫌みったらしい低い声が、純にまっすぐ向かってくる。
「『お休みありがとうございました、ご迷惑おかけしました』の一言もないのかよ。ほんと礼儀知らずだな」
「すみません」
五カ月ぶりの熊沢に、動悸が激しくなる。一気に冷や汗が出て、手が震えた。
「残してくれたメンバーに感謝しろよ。それがなきゃクビにされてたんだぞ、おまえ」
やはりそういうことだったのだと、純は悟る。
話し合いの中でいかに同情されたのか、手に取るようにわかった。純はグループの中で、気を遣われるほどみじめな存在なのだ。
「てっきり俺はグループに気を遣って、自分から辞めるって言いだすんじゃないかと思ってたんだけどなぁ」
冗談交じりに言う熊沢に続き、スタッフたちが鼻を鳴らす。
居場所のない閉塞感に、悪意と同情、不信感しかない空気。純は事務所に戻ってきたのだと、強く実感した。
†
久しぶりのダンスレッスンが始まった。講師は相変わらず厳しく、壁際でひかえるスタッフは見下した目を向けてくる。
この環境のなか、新曲のダンスを一から覚えていかなければならない。当然、ダンスのセンスがないと評される純が、すぐに覚えられるはずもなかった。
「違うだろ! ちゃんと見てたのか! 真面目にできないなら帰れ!」
男性講師の怒声が響き、スタッフのため息と嫌みが純の耳をつく。
「ほんと、戻ってくる意味ある? 」
「あーあ、七人のほうが楽だったのに」
ダンスのレベルは下げられているものの、やはりうまく踊れない。集中、できない。
ミスするたびに、自分のことが嫌になっていく。ここから、逃げ出したくなる。
「バカが! なんでそんなこともできないんだ!」
怒鳴り声に体を震わせ、委縮する。
「できてないのはおまえだけだぞ! 恥ずかしいと思わねえのか、自分が足引っ張ってるってことによ!」
「すみません」
「謝ったって踊れなきゃ意味ねえんだよ! このカス! おら、もう一回だ! やるぞ!」
音楽が響く。手拍子が突き刺さる。視界が回り、メンバーの姿が横切っていく。
ダンスに集中すると誰かとぶつかりそうになり、ぶつからないよう気を付けると振りのテンポが遅れる。
「時間がねえんだ時間が! とっとと完璧に踊れるようになれよ!」
稽古の時間はどんどん減っていく。結局、この日、純が完璧に踊れることは一度もなかった。
「あ~あ、もういいわ。好きにやってろ」
軽蔑と、失望。
純はうつむき、腹部の前で手を組む。
「おまえの姿見てると自信なくすんだよな。俺の指導が間違えてんのかってよ」
当然そんなことは思っていない。純に対するこれ見よがしな嫌みだ。
「……ほんと。イノギフはおまえがいなきゃ完璧なのにな」
「すみません」
純の謝罪に、講師は鼻を鳴らすだけだ。
純は頭の中を、月子の言葉で必死に満たす。
――大丈夫。たくさん練習すれば、ちゃんと踊れるようになる。自分のダンスを楽しんでくれる人は絶対にいる。だから、大丈夫。
失敗続きのダンスレッスンは終わり、スタッフや講師陣は稽古場をあとにする。
その際、あの男性講師は純と目を合わせようともしなかった。新曲の振り付け動画を撮らせてほしいとお願いする隙さえ、与えてくれなかった。
「なんにも変わってないね」
去っていくスタッフの陰口が聞こえる。
「さじ投げられてんじゃん」
「踊れないなら来なきゃいいのにね」
立ち尽くす純のもとに、いの一番に駆け付けてきたのは空だった。空は無邪気な子どものように笑っている。
「気にするな! あの人俺たちにも厳しいんだから。ちょっとずつうまくなっていけばいいんだ」
ウソ偽りのない言葉と笑みに、純は思わずほほ笑む。
が、すぐにその笑みは消えた。周囲から向けられる視線が、純の肌を刺してくる。まだ残っているメンバーたちの視線だ。
空に対してどう反応するか、どんな人間か、受け入れられる人間か、はたまた、自分たちに声はかけてこないのか。さまざまな憶測と感情が入り乱れている。
純は視線に気づかないふりをしながら、空の対応に集中する。
「ありがとう。ダンス、わからなかったところ、教えてもらってもいい?」
純の笑みは、いつもよりぎこちなかった。
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