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一年目

きみの優しさは嬉しくて痛い 2

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「あのなぁ。イノギフは今、坂口を注目させたいんだよ。顔がいいからどこのメディアにも引っ張りだこだ。他のやつらが目立つのは今じゃなくていいんだよ」

「……にしたって星乃純に厳しすぎねぇ? マネのくせにえらいしごいてるみたいだけど」

「当然だろ。常識もわかってないし世間知らずもいいとこなんだから。どうせみんなも才能ない二世だって思ってるだろうが」

「いやいや下手したらパワハラだぞ。社長と星乃恵にどやされてもいいのか? 会長に知られたら、クビかもしれないぞ」

「だとしたらとっくにクビになってるよ。あいつも俺の言うこと受け入れてるってことだろ。ほんとに会長と社長のスカウトなのかも疑わしいね」

「いや、でも、言うほど星乃純って問題あるか?」

「大ありだよ。俺やあいつらにとっちゃもう用済みなんだから。デビューするために必要だったってだけだ。あとはもう、早めに辞めてくれたほうが軌道修正できるんだけどな」

「やめたらやめたで問題だぞ。指導責任はおまえにあるんだから」

 熊沢のため息が、盛大に響く。

「おまえは大人しくて問題のない俳優ばかり担当してるから、俺の気持ちがわかんねえんだよ」

「おまえの、いやおまえたちのやってることが上に上がるのも時間の問題だぞ。会長がスカウトして社長が入れたからには、ちゃんとした理由があるんだろうし」

「そんなもん二世以外にはねえだろ。そもそもイノセンスギフトはレッスン生のなかでも優秀だったやつが集まってたんだぞ。そのなかにいきなり劣等生が入り込んでめちゃくちゃになってんだ」

 吐き捨てる声といさめる声は、だんだん遠のいていく。

「グループの評価が俺の評価につながるんだぞ? あいつほんと消えてほしいわ」

 個室の中で、純の体は震えていた。心臓が、締め付けられるように痛い。下唇をぐっと噛む。

 体が落ち着くまでここから動かないことに決めた。なにも、考えないようにした。なにかを考えるだけで、自制がきかなくなりそうだったから。

   どれくらい時間がたったのか、ようやく体を動かし始める。抱えていたカバンを背負った。

 トイレを出て、ひと気のない廊下を進み、階段をおりていく。

 純とすれ違う社員の多くは、あいかわらず黒い感情を乗せた視線を向けてくる。呼吸に集中し、唇を噛んで、自身の感情を見せないよう必死に耐えた。震える指先を胸元でぎゅっと握りながら、外へ出る。

   ポーチの階段をふらふらとおりはじめた。

「あ、純くん」

 ちょうど、月子がのぼってくるところだった。制服姿でコンビニの袋を下げた月子は、今日も猫のような大きい瞳で純を見上げる。以前会ったときよりも背が伸びているようだ。

「よかった。今日、会えたらいいなって思ってたの。明日からお休みに入るって聞いたから」

 できることなら、今は月子にも会いたくなかった。それでも、気を遣わせないよう笑みを浮かべる。

 いつもの笑みに比べ、ぎこちない。

「うん。俺も、会えて良かったよ」

 月子はいつもどおりのすました表情で、ためらいがちに目をそらす。口元に手を当て、言葉を選ぶように声を出した。

「千秋楽、きてくれたんでしょ? ……どうだった?」

 あの日の感動を、うまく伝えたい。月子がさらに自信をもって、今後の仕事に取り組めるように。

 しかし気を緩めると、純の感情をせき止めるダムが決壊してしまう。

「うん、すごかったね、月子ちゃんの、舞台」

 もっと語りたいことがあったのに、言葉が出てこない。話そうとすればするほど、感情が込み上げてくる。

「ほんとうに、すごかった。最初から、最後まで、月子ちゃんは完璧で……」

 純の声はどんどん小さくなっていく。

 月子は純の顔を見て、目を伏せた。

「明日から、寂しくなるね。純くんと、話せなくなるから」

 言葉を返せず、ぎこちなくうなずいた。

「がんばってね、勉強。次、会うときは来年、になるのかな」

 性格にクセがあり、周囲から敬遠されている月子だったが、純の存在を認めて受け入れてくれる。月子はいつだって、純を救ってくれる。

「合格したって報告、楽しみに待ってるから」

「……うん」

「絶対よ? また会おうね。じゃあ」

 月子は純の肩を優しくたたく。純を通り過ぎて階段をのぼり、事務所に入っていった。

 純はうつむき、立ち尽くす。月子を見送ることもできなかった。

 堪えきれずに涙があふれてれたその顔を、だれにも見られまいと必死だったから。

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