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本編
夢が叶った日 1
しおりを挟む「え、もうそんな時間なのね。残念だけど、部屋に戻るわ」
女官に促されて、第六王女カタリーナ殿下は残念そうに告げた。
女官と二人で部屋まで送り届けるも、カタリーナは名残惜しそうに眉を寄せて押し黙る。淡い色の金の髪が心なしかくすんで見える。
王家主宰のパーティーに限って参加を許されている王女にとって、夜会の煌めきは眩く映るのだろう。アマーリエは微笑ましく思い、年若い王女の気持ちを和らげたくて片方の膝をついて騎士の最敬礼をとった。
「殿下、本日はお側に仕えることができて光栄でございました」
恭しく口を開くとカタリーナは、小さく微笑んでアマーリエを見つめる。水晶のような瞳が愛らしく輝く。
「ご苦労様でした、アマーリエ。また、護衛に来てちょうだい。次はアンナが付くから、その次だわ。……本当はアンナと二人でついて欲しいのよねぇ。そうしたら、とっても楽しいわ」
はしゃいだ声をあげるカタリーナが愛らしくてにっこり笑いそうになるのを堪える。「笑うなら慎ましく」が護衛の心得なのだから。
アマーリエに代わって筆頭女官である伯爵令嬢が上品に微笑んだ。
「まあ、殿下。イザベラ殿下がお怒りになりますわ」
「ふふ、そうね。だから、アマーリエとアンナには交互についてもらうということで、お姉さまとは話がついているのよ」
カタリーナは気を取り直したように笑って「またね」と部屋の奥へと入って行った。
(良かった。お気持ちが解れて)
アマーリエは安堵しつつホールに戻り、フリードリッヒの姿をさがす。騎士礼装に、限られた者のみ付ける飾緒や勲章が凛々しい長身は、すぐに見つかった。アマーリエは近づいて団員として報告する。
「団長、カタリーナ殿下を無事お部屋までお送りしました」
「護衛、ご苦労だった」
低い声が初仕事に緊張している体に甘く染み入ってきて、恥じらうような誇らしいような心地で一礼をした。
「我が儘王女の相手は疲れただろう?」
労るような柔らかな口調に恐縮する。
「そんな。殿下はとてもお可愛らしい方で、我が儘などおっしゃいませんでした」
「そう言ってくれると助かる」
口元をほころばせて安堵する言葉にアマーリエは視線を俯かせた。
(どうしよう、団長恰好良すぎる)
普段の姿ですら麗しいというのに、今は普段目にしない騎士礼装姿だ。絵物語にでも出てきそうな、理想的な凛々しい騎士そのものの姿をなかなか直視できないでいた。心臓が早鐘を打ってしまう。
「うつむいているが、やはり疲れたのではないか?」
初仕事ということでフリードリッヒは気を使ってくれているようだ。本当ならアマーリエは昨年デビューしていたはずで、今日のフリードリッヒの負担は一人分は減っていたはずだ。
(ごめんなさい、フリードリッヒさま)
自分の力不足のために迷惑をかけて申し訳なくて心の中で囁いた。心の中で密かに名を呼ぶことがある。心の中とはいえ密かに名前を呼んだことに、おそれ多い気持ちで心苦しくなりつつも秘めやかな喜びを感じる。
アマーリエにとって単なる所属部隊の団長ではない。敬愛と親愛と何より大きな恋情を抱く相手で、義姉の言葉を借りれば「理想の王子さま」なのだから、対すると気持ちが高揚するとともに引き締まる。フリードリッヒの役に立てるような騎士でありたいと自然とそうなるようになっていた。
「いえ、平気です。殿下はまだパーティーをお楽しみになりたかったようですが、女官の促しにご不満を漏らすことなくお戻りになりました。また、私のことも労ってくださいました。殿下にお仕えできて光栄でした」
カタリーナは小さい頃は自己主張が強かったそうだが、今は王女らしさと年頃の少女らしさが半々くらいではないだろうか。
「それなら良かった。これで任務としては終了だ。ご苦労だった」
「いえ……あの……団長」
上目にフリードリッヒを見上げる。光の加減で青にも紫にも見える、不思議な色合いの眼と視線が交わる。
「どうした?」
フリードリッヒと目が合った途端に、パーティーの賑やかさもどこかに飛んでしまって、フリードリッヒの声だけが良く聞こえた。
(い、言わなきゃ……ダンス、踊ってくださいって)
心臓が高鳴り「あ、あの……その……」と意味のない言葉しかでてこない。
言葉につまってちらちらと視線をさ迷わせていたが、目の端に止まった光景にはっとなる。
『いいこと、恋は戦いなのよ! 常に前を向きなさい』
(そうだわ。ヴェッケンベルグの娘が戦いから逃げてはいけない)
心に思い起こした薫陶に、アマーリエは顔をあげる。
「ア、アンナと一緒に帰る約束をしたのですが、今はアレックスと踊っているようですので、アンナを待つ間、わ私とダンスを踊っていただけませんか?」
「ダンスか……」
フリードリッヒは呟いて黙り込んでしまう。時間潰しと思って軽い気持ちで踊ってくれればいいのだが、暇潰しのような扱いに矜持を傷つけてしまっただろうか。
ああ今ほど沈黙を恐れたことがあっただろうか、とアマーリエは自問した。世界からすべての音が消えたような錯覚に陥った。だからだろう、心臓の鼓動がやたらと耳に響く。
「かまわない。アマーリエはダンスが好きだったな。では二~三曲くらい付き合ってもらおう」
「よろしいのですか? 何曲も踊っては、お仕事に支障がでるのではないのでしょうか」
「女性騎士をエスコートしたり踊るのは、緊急時以外は制限しないと、師団長から達しがきている」
「そうなのですね」
(ああ、ありがとうございます。師団長閣下)
女性優位主義者の師団長を思い描いて、心の中で礼を言う。
「証拠にあの二人は基本的に三曲踊っては休憩し、また三曲踊ってから帰っている。一度終会まで踊ったりしたこともあったが、特に咎め立てもなかった」
三曲続けて踊るのは、かなり深い仲の場合のみだ。それを許すとは、アンナが意識していないというより、アレックスがよほどうまく誘っているのだろう。
(アレックスは頑張っているのね)
アンナたちが沢山踊るというなら、二人が踊り終わるまでアマーリエはフリードリッヒと踊っていられる。
思うより先に口元をほころばせてしまう。じわじわと嬉しさがこみ上げてきて、噛み締めるように微笑んだ。
(嬉しい! ああ、エリーゼお姉さまの教えのお陰だわ)
エリーゼはアマーリエの入団前に結婚引退した元騎士の先輩だ。師団長の娘で、昔はよく遊んでもらったので、幼いころから馴染みのあるお姉さまだった。
エリーゼは十六年にも及ぶ片想いを実らせた行動派だ。だからエリーゼの恋愛哲学には一家言ある。
「私と踊ることで多少迷惑をかけるかもしれないが、必ず守るので安心して欲しい」
「迷惑ですか? 光栄に思いこそすれ、ご迷惑になることがあるはずもありません」
「私の母と祖母がな……」
「あ……団長の侯爵夫人と王大后陛下はとてもご熱心でいらっしゃると、聞き及んでいます」
二人はフリードリッヒが妻を迎えることを、一日千秋の思いで手ぐすね引いて待ち望んでいる、という話をアンナから聞いた。多分今日もこの会場のどこかで目を光らせているのだろう。
(それが何で迷惑になるのかわからないけど……私、また団長とダンスができるんだ)
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