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しおりを挟むエミルの呟きに、寂しい笑みを浮かべたパーシーの視線がかすかに落ちる。トンミの状態は、コルネーリォでも修復できないほど脳が混乱をきたしていた。記憶の操作がうまくいかなかったのだ。トンミは、人間の娼館に引き渡される。
役目を終えた複数の魔術師が消え、見張る獣人に連れられる。不安げな少年たちが、ついに第一歩を踏み出した。悪夢のような後宮の外へ、一歩ずつ。
青空の下、広い豪勢な花の庭園を抜ける。向かった先は大きな馬車だ。来日したときに、乗ってきた馬車に似ていた。
促され、戸惑う少年たちが馬車に乗りこむ。ひとりずつ、奥へ奥へ姿が消える光景を、ルトの目線が追った。揺れる紫水の瞳は、ひとりの獣人で静止する。グレンだ。グレンは馬車の傍で、一頭の馬を携えじっとこちらを見守っていた。
少年たちがヌプンタ王宮に着いたら、輿入れする人間の王族を、グレンたちが馬車に乗せて帰ってくる。そして王族を皇帝に引き渡す――ルトとともに。
甘い瞳と、ルトの瞳が交わって、互いに視線が逸らせない。けれど、最後尾のルトの前で、エミルがかたんと音を立てた。ルトがはっと前を向く。エミルが馬車に乗りこんだのだ。
いつの間にか、ルト以外の少年は全員馬車に乗り終えている。豪華な馬車の扉を、武装した精鋭兵が閉めようとした。右が隊長、左がラシャドだ。漆黒の瞳が数秒だけルトに流れる。かち合った二人の瞳はすぐに逸らされ、黒い瞳が馬車の扉へ向いた。
ぎぃっと古めかしい音を立てて、扉がゆっくり閉められていく。
「ルト……」
ルトを残して閉まる気配に、馬車のなかからエミルたちが一斉に振り返った。寂し気な声に、ルトが一歩踏み出す。エミルたちに身を進めたルトを見て、ラシャドと隊長が、閉じたはずの両の扉を少しだけ開けてくれた。
開いた馬車の淵に手をついて、ルトは優しい笑みを作った。
「もしできたら、手紙を書くよ。みんなも、俺の村に行く機会があったら、伝えてほしい。俺は元気にしているって」
別れの言葉に、馬車から覗くみんなの顔がくしゃりと歪む。パーシーに至ってはまた泣きだしそうになっていた。ラザを押しのけ身を乗り出して、うんうんと何度も頷く。
「約束する。シャド村でしょ? ちゃんと、場所を調べて、顔を出すよ。出来立ての、最高の生地も持って行く!」
泣き笑いになったパーシーに、ルトも苦笑して礼を言う。渋るみんなを促し、ラシャドと隊長に目配せした。漆黒の瞳がルトを見つめ、微かに細まる。扉がついに閉じられた。瞬間だ。閉じた扉が強引に開かれた。内側から、大きな音を立てて。
「エミル!?」
分厚い扉に体当たりをしたのだろう。ラザたちの叫び声がする。派手な音と同時に、小さな身体が転がり落ちた。咄嗟に伸びたルトの手が慌てて受け止める。エミルはルトの腕のなかで、振り絞るような小さい声を発した。
「ルト、ここに残るんでしょう? じゃあ僕も、一緒に残る」
「エミル!? 駄目だよ。ここにいたら……俺はエミルに」
「やだ! だって、ルト約束したでしょう。僕の手を離さないって。ずっと、傍にいてくれるって!」
「えぇ?」
そんな約束しただろうか。ルトが記憶を掘り起こす前に、毅然と顔を上げ、縋りつくエミルが真実を告げた。ずっとひとりで抱えていたエミルの秘密を。エミルの細い腕が、ルトの手を必死に握り返す。
「僕ね、知ってたんだ。初めて牛族の子を産んだとき、ルト、僕に力を注いでくれてたでしょう? ルトの力を借りて、ほんとは少しずつ目が覚めてた。気持ちよくて、寝たふりしてたら魔術師が来て……起きられなくなったんだ」
ルトの手が震えた。忘れもしない朱華殿の記憶だ。エミルが生き延びた真相を、若草色の……コルネーリォに、告げられたとき。
ならエミルはずっと、ひとりで重い事実を抱えてきたのか。なぜひとりだけが完成形で生き残ってしまったか。自分の命が、本当は助からなかったことも、何もかも。
「ごめん、エミル。ごめん……」
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