加藤と、大野。

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青空と、あいつ。

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 高校二年生、春。5月ももうすぐ終わる。俺は一人、人気のない中庭にいた。今日は大野に呼び出されていない。二年になって大野とここで過ごすようになってから、久しぶりに一人で来たな。一年の時からずっと、悩んでいるといつのまにかここに足を運んでいる。

「・・・・・なんでだよ。」

 俺は、静かに吐き捨てた。俺の嫌な呟きが、無駄に綺麗な空に吸い込まれていく。なんでこんないい天気なんだよ。まじで意味わからん。ベンチに寝転ぶと、太陽がやけに眩しくて、それがどうしようもなく鬱陶しかった。

 矢が射れない。急に集中できなくなった。いつもなら、息を吸って静かに弓を弾く時だけは、矢を射る時だけは、俺の中に静寂が訪れる。その瞬間が大好きなはずなのに。心が無駄にざわついて、周囲の雑音がやけに耳に入るようになった。

 矢を射る茅野の姿を思い出す。あいつは、矢を射るまでの動きが、上手く言えないけど、すっげぇ綺麗だ。息を潜めて見惚れてしまうぐらい。自分との違いを痛感してしまって、胸が苦しい。

「あーもう、なんだよ、俺。」

 馬鹿みたいに落ち込んでこんなとこにやってくる自分が、どうしようもなく嫌いだと思った。やば。心にどんどん黒いもやが広がっていく。

 休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。え、まじで?早くね?普通に遅刻じゃん。だる。俺は重たい腰を上げて、急いで教室に戻った。


 *


 昼休み、いつものように柿本と河南と飯食おうと思って顔を上げると、弓道部の先輩がいた。

「加藤。ごめん、間違えて持ってっちゃってて。」
「へ!?いや、全然大丈夫っすよ!あざっす!」

 俺にプリントを渡してすぐに去っていった先輩は、めっちゃ美人で、いつもならテンション上がりまくる。けど今日は、会いたくなかった。部活のこと、思い出すから。

 先輩が帰った瞬間、周りの奴らが一斉に騒ぎ出した。

「ちょ!加藤、やばくね!?今の!先輩?」
「そ!!弓道部の!!」
「やばいやばい黒髪美人やばすぎる。」
「お前語彙力なさすぎだろっ!」
「うっせぇ、加藤には言われたくねぇよ。」
「あはははっ!!!」

 あー、面倒くせ。群がってくんなよ鬱陶しいな。早くどっか行ってくんねぇかな。え?やばくね?俺。今日性格悪すぎ。落ち着けよ。

「大和撫子っていう感じよな。」
「お前絶対意味わかんねぇで言ってるだろ!!」
「あははっ、てかさ、ああいうのが弓道部って感じよな。なんつーか、綺麗でさ。」
「は?」
「え、いや、お前うるせぇからさ!!あははっ!」

 わかってる。わかってんだよ。お前が悪意なんてこれっぽっちも込めてないことぐらい。でもお願いだって。今そんなこと言うなよ。そうだよな。俺みたいなうるせぇ奴には向いてねぇんだよ。あ、やば。泣きそう。

 ふと、顔に手が覆い被さった。へ?河南?柿本?誰かが耳元に近づく。あ、この匂い、俺、好き。

「だーれだ。」

 やけに甘い声がして、耳がぞわりとする。いやもう、こんな声出してくんの、お前しかいねぇじゃん。耳にふっと息を吹きかけられる。

「んっ!何してんだよ大野!!!」
「いやまじで何してんの大野っ!」
「やばい!あはははっ!!!」
「ちょ、加藤声おもろすぎだろ!!」
「あははっ、やっぱ面白いね、加藤。」
「うっせぇ!!!」

 周りの奴らが笑いだす。何お前?タイミング良すぎだろ。何なんだよ。今ちょっと、やばい。泣きそうになってるから、離すな。思わず大野の手を掴んだ。大野が耳元でくすりと笑った。

「ふふっ、ちょっと加藤拉致っていい?」
「はっ!お前何言っ「あははっ!どうぞどうぞ!」
「何でお前が許可してんだよ!」
「ちょっと用事があって!連れてく!」
「ほーい!」「いってら!」

 は?え?何で?びっくりしすぎて涙引っ込んだわ!!大野は俺の目を解放して、そのまま歩き出した。

「あの人って彼氏いんの?」
「いや知らねぇけどたぶんいるだろ。」
「あ、加藤、先輩のLINE教えて?」
「無理に決まってんだろ!!」
「先輩の連絡先教えてくれぇぇぇぇ!!」
「だから教えねぇよ自分で聞け!ってか離せ!」
「うっわ大野!いてぇ「あははっ、ごめん!」
「あ!じゃ、家の住所!」
「ストーカーかよ!てか知らねぇし!!」
「パンツの「黙れお前沈めんぞ!小学生か!あと知らねぇから!!!」
「じゃ、代わりにお前のパ「いや何でだよ!!」
「う"っ!?い"てぇ「あっごめんな、間違えた。」
「お"まえって、たまに、天然、だよ、な"ぁ、」
「スリーサイズ「知ってるわけねぇだろ!!!」

 俺はただ、うるさい奴らに喝を入れながら、大野の後ろをついていくことしかできなかった。


 *


 連れてこられたのは、いつもの人気のない中庭だった。大野は何も言わずに腰掛けて、自分の隣をポンッと叩いた。座れってことだろう。

 静かに腰を下ろす。大野は何も喋らない。へ?何で?お前なんか用事あったんじゃねぇの?

「用事って何だよ。」
「加藤と一緒にいたかっただけだよ。」
「っ!」

 何それ。何言ってんのお前。意味わからん。泣きそう。なんか今日俺、情緒不安定ってやつだわ。

「俺、好きだよ。」
「っ!」

 大野が静かに言葉を紡ぐ。穏やかで落ち着いた声で。お前、いっつもそれ甘い声で囁くだろ?で、俺の反応見て楽しそうに笑うのに。なんで今日はそんな優しい声してんだよ。何だよそれ。

「加藤の全部が、好き。」
「全然わかんねぇよ、俺のことなんか、好きになってんじゃねぇよ、馬鹿。」

 勝手に言葉が出てくる。あーもう、何言ってんだよ俺は。完全に八つ当たり。ださ。

「あははっ、俺は一途だからな。」
「・・・うっせぇんだよ。」
「俺は、どんな加藤のことも好きだよ?」
「・・・もう、お前、喋んな。」
「ふふっ、、」
「っ!」

 大野が優しく俺の頭を撫でる。唇を噛み締めて目を伏せると、ふと、大野が手を重ねてきた。そっと重ねられた手のぬくもりがやけに心地よくて、離さないでほしいと思った。

 俺らはいつも、ただ並んで座っているだけなのに。たまにいたずらに耳を触られるだけなのに。手から伝わる熱が伝染して、だんだん胸が熱くなる。一筋だけ、涙がこぼれた。うわ、何これ。俺

「ださくないよ?」
「っ!?」

 何なんだよお前、心読むなよ。

「加藤はかっこいい。」
「っ!」

 何それ。お前、今までそんなこと、一言も、

「あと、綺麗。すっごい綺麗。」
「っ!?」

 心臓が飛び跳ねる。何こいつ。何なんだよ、お前。腹立つ。何でそんなこと言うんだよ。ふと大野が笑う気配がした。手が離れそうになる。待って、

「離すなよ。」

 え、何言ってんだよ俺。
 
「離さないよ。」

 大野が優しく俺の手を握った。隣を向くと、大野が驚くほど優しく微笑む。心臓がどきりとして、慌てて前を向いた。その笑顔、なんか狡くね?

「空、綺麗だね?」
「へ?あ、おう。」

 ベンチに背を預けて、空を見上げる。太陽の日差しが眩しくて目を細めた。ほんとだ。いい天気。何となく空に手をかざした。すると、隣に大野の手が並ぶ。

「あははっ、ふふっ、なんか、青春っぽい。」
「あほははっ、何だよそれ。」

 何こいつ。何でそんな嬉しそうにしてんだよ。馬鹿だろ。思わず笑ってしまった。すると大野が俺の顔を見て、嬉しそうに微笑む。

 何その顔。やめろよ。また堪らない気持ちになって、大野の頭を片手でぐしゃぐしゃと掻き回す。

「ふふっ、あははっ、もう、やめろって!」
「うっせぇ、馬鹿。」

 大野の楽しそうな笑い声が、青い綺麗な空に吸い込まれていく。いつの間にか心のわだかまりは消えていて、降り注ぐ明るい太陽の光が、優しくて心地いいと感じた。


 *


「ほい。」
「へ?」
「昨日のお礼。お前も好きだろ?これ。」

 大野の机にレモンの炭酸をトンッと置いて、そのまま去ろうとすると、手首を掴まれた。昨日重ねられた手の熱を思い出して、勝手に心臓が高鳴る。

 促されて、何故か大人しく大野の机と壁の間にしゃがみ込む。すぐ横に、机に伏せてこちらを向く大野の顔がある。え?何これ!?近いって!手を離されても体が動かなくて、心臓が早鐘を打って、隣を向けない。

「ありがとう。」
「はぁ、ちょ、馬鹿。」

 吐息混じりの甘い声に小さく息が漏れる。ここ教室なんですけど!何考えてんのお前!!顔が熱くなる。

「俺がこれ、好きな理由わかる?」
「っ!美味いから、だろ?」

 大野が甘く囁く。体を支えるために机の上に置いた手に、大野の指の先がほんの少しだけ触れて、体温が一気に上昇する。手が動かせない。なぁ、大野、それわざと?それともたまたま?どっち?

「加藤と間接キス、できたから。」
「な、何言ってんのお前!?!?」
「加藤って、律儀だよね。」
「もうお前耳元で喋んなって。」
「俺、お返しはもっと、違うものが良かったな。」
「ん、ふぅ、」

 こいつ耳噛んだんですけど!吐息漏れちゃったし!ここ教室!!人!いる!いっぱい!もうパニック状態だ。え?違うものって、

「何、想像したの?」
「っ!」

 だって、お前いっつもお返しっつって変なことばっかしてきてただろ!だから!!俺がやばい奴みたいな感じにしてくんのやめろよ!大野が楽しそうに笑う声が耳に心地いい。

「耳、真っ赤。」
「・・・まじでお前うざい!!」

 甘く囁かれて心臓がどきりとした。なんか無駄にエロいんだってお前!耳をくすぐられて気持ちいい。じゃねぇよ!!絆されてんじゃねぇよ俺!しっかりしろ!

「何してんのお前ら。」

 後ろから声をかけられる。やばいやばい今俺そっち向けない。大野がくすっと笑う気配がして、体がピクリと震えた。

「あ、瀬川。見て、餃子。」
「なっ!?」
「へ?あははっ、何してんだよ大野。」

 大野が俺の耳を折り曲げて餃子を作った。いや、まじで何してんだよお前は。冷静すぎだろ。

「はぁ、馬鹿だろ。」

 思わずため息が漏れた。大野の手を軽く離して立ち上がり、壁にもたれて瀬川の方を向く。触れていた指先の熱が離れて少し名残惜しく感じた。
 ・・・今のなし!んなこと思ってねぇ!!

「あはははっ、なんか、無性にしたくなって。」
「あははっ、大野ってたまに天然だよな!」
「そうかな?」
「ふふっ、あはははっ、そんで、加藤が耳貸し出し許可出したん?さすがだな。」
「うん。」
「いや俺は許可してねぇよ!!!あとさすがってなんだよ!?!?」
「うはははっ、加藤うるさっ!!だってお前馬鹿だもーん♡」
『あははっ、瀬川かわいー!』
「どこがだよ!!!!」
『加藤うるさーい!』 
「あははははっ、んふふっ、あははは!」
「笑ってんじゃねぇよ大野!てか瀬川、どうした?なんか用事?」
「あ、いや、おもろい組み合わせだから声かけただけ!じゃ!」
「おう!・・・あはははっ、大野笑いすぎだろ、、」

 瀬川お前自由すぎだろ!でも確かに俺がお前なら気になって声かけるわ。俺もお前のこと言えねぇな。何が可笑しいのか肩を震わせている大野を見て、思わず笑みがこぼれる。やっぱ、こうやって楽しそうに笑ってる大野がいいよな。ずっとこうしてりゃいいのに。

「はぁ、あ、加藤もこれ飲みなよ?」
「え?いいの!てかお前まだ飲んでなくない?」
「あははっ、気にしないで。」
「やった!俺これめっちゃ好き!」

 さっきあげたレモンの炭酸を渡されて、喜んで喉に流し込む。うわー、爽やか!美味すぎ!

「加藤ってさ、馬鹿だよね?」
「へ?」

 大野が呆れたような声を出して、しゃがむように促す。蓋を閉めて大人しくしゃがみ込むと、また隣に顔がある。うわもう近いってお前。

「間接キス。」
「な"っ!?へ、いや、普通気にしないだろ!そんなん!」

 耳元で蕩けそうに甘い声がした。いや、別に普通だろ。ペットボトルの飲みまわしなんて普通にするし。そう!別に普通だから!落ち着けよ俺。

「それ、貰っていい?」
「・・・・・・・。」
「・・・・俺のこと、意識してんの?」
「あーもう、早く飲めよ!」

 もう耳元で喋んな!!!ボトルを渡して立ち上がり壁に体を預けて目を閉じると、小さく笑い声がした。

 蓋を開ける音に反応して、何故か目を開く。小さく息を呑み、目の前の光景に釘付けになる。大野が甘ったるく目を細めて、艶々した形のいい唇が、飲み口に、優しく、触れる。


 ・・・すっげぇ、柔らかかった、よな。


「これ、加藤が飲みなよ。」
「へ?」

 火照った頬に、ひんやりとしたボトルを当てられて、頭が急速に冷える。大野、これくれんのか。優しいな。って待て待て待て待て待て!!俺さっき、何考えてた!?何を、思い出してた!?やばいやばいやばい!!!あ、どうしよ。これ、飲める気がしねぇ。は?いや何でだよ!?別に飲めるだろ!!馬鹿だろ!俺は!!顔がどんどん熱くなって、心臓の鼓動が早くなる。小首をかしげて優しく微笑み、軽やかに駆けていく大野の姿を、いつかも見たような気がした。

 
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