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第1章 修道院での子供時代
28、シチリアの神の恵み(3)
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人間は自身が生きている時代や国について正しく知ることはできない。時代の真実や出来事は数十年後に書物に書かれたり人の口で伝えられるようになって初めてその出来事について知ることができるのである。同じように1人の人間の置かれた状況や人生の目的もよくわからないまま生涯が終わることも多い。衝撃的なことが起き、人生を振り返らない限り、わからないまま流れていく。
私がこの手記を書き始めたのは30歳を過ぎてスペインのこの修道院に戻って来てからである。私の人生には多くのことがあり過ぎて、絶望を抱え死に場所を求めていた。最後にカルロス先生とニコラス先生、そしてフアンに会いたいと思ってここに戻って来た。だが、その時には私の知っている者は1人も修道院に残ってはいなかった。たった1人で私はこの部屋に何日も籠って修道士ニコラが書いたという幻の本「シチリアの神の恵み」を読みふけり、そして私の人生を振り返ってこの手記を書き始めた。私の人生にはあまりにも多くの出来事があった。そしてニコラス先生に本を読んでもらっていた時、私は自分の置かれた状況、そして自分は何者なのか、何もわからないでいた。ニコラス先生は大きな声で本の続きを読んでくれた。
人間は自身が生きている時代や国について正しく知ることはできない。時代の真実や出来事は数十年後に書物に書かれたり人の口で伝えられるようになって、初めてその出来事について知ることができるのである。同じように1人の人間の置かれた状況や人生の目的もよくわからないまま生涯が終わることも多い。衝撃的なことが起き、人生を振り返らない限り、わからないまま流れていく。
その時私は85歳位であった。ふと思いつき、降誕祭や公現祭の催し物について考えた。そして劇の脚本まで用意してアントニオにこの部屋で話をすることにした。その時はまだ話がそこまで長くなるとは考えていなかった。
「アントニオ、次の降誕祭、そして公現祭について考えていることがある」
「なんですか、ニコラさん」
「シチリアと違ってスペインのこの地域は冬の寒さが厳しく食べ物も限られたものしか手に入らない」
「そうですね。修道院には寄付で得た食料の貯えがありますが、村人にとっては冬は厳しい季節となるでしょう」
「だからこそ、冬の間に村人に楽しみを与えたい。降誕祭、公現祭の時に村人やその子供たちを招いて修道院の食堂を開放し、ご馳走を振る舞うというのはどうだ?」
「え、ご馳走を振る舞うのですか?」
「村人は普段は慎ましい暮らしをしている。冬の間にそういう楽しみがあってもいいだろう。それに冬は体力も衰えやすい。温かく栄養のあるものを食べることで、厳しい冬を乗り切るための体力をつけて欲しい」
「いい考えですね。そのようなことでしたら私も精一杯お手伝いします」
「そして降誕祭の時には吟遊詩人を呼んで歌ってもらおう。それから公現祭の時には孤児院の子や村の子供に劇を演じてもらおうと考えている。子供向きに書かれた聖書の物語はたくさんあるが、実際に劇で役を演じることで理解も深まる。どう思う?」
「いいですね」
アントニオの顔が少年のように輝いた。彼は年を取っても感情がすぐ顔に出る。私は用意した脚本を彼に手渡した。彼は喜んで読み始めたが、途中から顔が険しくなってきた。
「ニコラさん、ニコラさんは今おいくつですか?」
「お前より15歳年上だ」
「私が70歳なので85歳ですね。そうか、ニコラさんも80歳を越えたのですね。いつまでもお元気なので私も気づかなかったのですが、80歳を越えているならば体や頭に衰えが出るのも無理はありません。ニコラさん自身が優れた医者でもありますが、1度他の医者に診てもらった方がいいかと思います」
「なんだ、急に人を年寄り扱いしやがって」
「ニコラさん、85歳というのはかなりのご老人です。私がもう少し早く気付くべきでした」
「私は体は多少衰えたが、頭は少しも衰えていない。若い時よりもむしろ冴えているぐらいだ」
「いいえ、自分では気づいていらっしゃいませんが、ニコラさんの頭も衰えています。でなければこんな脚本書くわけがない」
「私が書いた脚本に何か不満でもあるのか?」
「不満なんてものではありません。この脚本は順番が完全に間違っています。ニコラさん、しっかりしてください。この脚本ではキリストはエジプトで生まれたことになってしまいます。キリストが生まれたのはベツレヘム、そんなこと3歳の子供だって知っています」
「ハハハハ、アントニオよ。お前はそこを気にしているのか?」
「笑い事じゃありません!年を取ると記憶が曖昧になったり、おかしなことを言うそうです」
「気にしなくてよい。私の頭は少しも衰えていない」
「それならばどうしてこんな脚本を書いたのですか?」
「仕方ない、私の考えを詳しく説明することにしよう」
アントニオは私が年を取って頭が衰えたと勘違いしているようだった。私は誤解を解くために、長い話をすることになる。
「アントニオ、私の父が第4回十字軍の戦士だったこと、そして私も子供の頃は騎士に憧れて武芸に励んでいたが、戦場でのある出来事がきっかけで人を殺すのが怖くなって剣を捨て、修道士になったことは前にも話しているよな」
「はい、その話なら何度も聞いています」
「第4回十字軍の戦士がどれだけ残虐非道で同じキリスト教徒の国を攻撃したかも知っているな」
「もちろんです。十字軍の歴史の中でも第4回十字軍は特別でした」
「私の父は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルで住民の虐殺を行った。その後領土を与えられ教皇からの破門も解かれたが、キリスト教徒を多数虐殺したという罪は消えることはない」
「そうですが、その時の十字軍戦士で罪を自覚している者は果たしてどれくらいいるのでしょうか?ニコラさんのお父さんが特別残虐だったわけではありません。その場にいた者はみな同じことをしたでしょう。ニコラさんはお父さんと同じ道は歩まずに修道士となり、何十年も神に仕える生き方をしてきました」
「お前の言う通りだ。だが私の体にはキリスト教徒の虐殺を行った父の血が濃く流れている。そして私自身がこの手で何人もの敵の命を奪っている。その時は自分のしていることがどういうことなのか何もわかっていなかった。自身の犯した罪を知ったのは戦場を離れ、修道士になってからだった」
「ニコラさんは悔い改め、修道士として正しい生き方をしてきたのです。そのことは神もわかってくださります」
「私は納得できなかった。そして十字軍について徹底的に調べた」
私は少しの間口を閉じていた。頭の中で読んだ本の内容を整理しようとした。私は読んだ本についてほとんどアントニオに話していた。神学に関する本だけではない。ギリシャ、ローマの古典からアヴィセンナの医学書まで、私の得た知識はすべてアントニオに話し、その後他の修道士にも伝えた。だが、十字軍に関わる話だけは彼には話さなかった。そうした本を読むときは別の古典も用意して、彼がここに姿を現した時はすぐに十字軍関係の本は隠した。
「シチリアにいた時に私はアラビア語やヘブライ語を習っていた」
「はい、私も一緒にアラブ人やユダヤ人のところに行ってそれらの言葉を習いました。結局私はニコラさんほど熱心に学ぶことはなく、それらの言葉は簡単な挨拶を覚えただけで、本など読むことはできませんでしたが」
「私はアヴィセンナの原書が読みたくてアラビア語を習い始めた。そしてシチリアにいた時にアラビア語やヘブライ語の本もたくさん購入した。それらの本をシチリアにいる時に全部読むことはできなかった。だが、ここに来て、アラビア語で書かれた本を読む中で、十字軍について真実を知った」
「十字軍についての真実ですか?そうした話はニコラさんは今まで一度も私に話しませんでしたよね」
「できれば話したくなかった。それを知って私の信仰心は大きく揺らいだからだ。地獄へ行くのは私だけでよい、お前まで巻き添えにしたくはない。そう思った私はイスラム教徒の書いた十字軍についての本はお前から隠した」
私は大きなため息をついた。この先の話をアントニオに伝えていいかどうか迷った。
「教えてください。ニコラさんはアラビア語の本を読んで何を知ったのですか?」
「今から話すことは誰にも言ってはならない。私は十字軍について知ったことをまとめ、ラテン語の本を書くつもりだ。だがその本を今の時代の人間に公表するつもりはない。十字軍は終わってしまった出来事だ。だが、キリスト教徒が同じ考えでいる限り、数百年後にはもっと残酷な虐殺が起こるに違いない。それを止めるために、私は未来の人間が真実を知ることができるよう本を書くつもりだ」
「十字軍で何があったのですか?」
「キリスト教徒は聖地を取り戻すという理由で大虐殺を行った。それは決して神に許されることではない」
「・・・・」
「シチリアには古代ギリシャよりもさらに古い時代からたくさんの人が住み、優れた文明が生まれた。支配者が変わってもシチリアには多くの人がそのまま住み続けた。ユダヤ人、アラブ人、そしてキリスト教徒、それぞれ宗教は違っても、お互いに共存して生きていた。シチリアの神はキリスト教徒だけに恵みを与えたのではない。そこに住むすべての者に平等に光を分け与え恵みをもたらした。神の恵みとは本来そのようなものでないだろうか。宗教の違いで殺し合いをするのは人間の過ちで、それは決して神の御心ではない」
「でも、第1回十字軍が始まる前に、教皇は演説を行いました。聖地を取り戻すのは神の御心であり、そこへ行く者はたとえ目的を果たせなくても必ず天国へいけると」
「そう、その考えが間違っていたのだ。キリスト教徒は地上を地獄に変えてしまった」
「ニコラさん、その考えは・・・・」
アントニオの顔は真っ青で体は震えていた。私は彼を抱きしめた。
「心配しなくていい。私はこの考えを誰にも言わない。お前と未来の人間にだけ伝える」
「でも、劇の脚本は・・・」
「もし、キリストが生まれたのがベツレヘムではなくエジプトだったとしたら、十字軍の虐殺はなかったかもしれない、そんなことを考えた」
「でもその考えは・・・」
「子供が演じる劇だ。多少内容が違っても観客は大して気にしないだろう。もし気にする者がいたら、お前がこう説明すればよい。ニコラ修道院長は年を取った。内容に聖書の記述と違っている部分があっても見逃してくださいと」
「私がその説明をするのですか?」
「そう、お前は私よりはるかに口がうまいからな。劇を演じる子供も観客も、劇の内容などすぐに忘れてしまうだろう。だがその中に1人でも気づいてくれる者がいればよい。アレ?この劇は少し変だ。キリストが生まれたのはエジプトではなくベツレヘムのはずなのに・・・」
「・・・・」
「常識を疑う人間が多くなれば、虐殺を防げるかもしれない」
ニコラス先生の声を聞きながら、私もまた顔が真っ青になり体が震えた。なぜニコラス先生が修道士ニコラの本の中でも1番問題になりそうな十字軍の部分を選んで読んだのか、2年後に私はその理由を知ることになる。
私がこの手記を書き始めたのは30歳を過ぎてスペインのこの修道院に戻って来てからである。私の人生には多くのことがあり過ぎて、絶望を抱え死に場所を求めていた。最後にカルロス先生とニコラス先生、そしてフアンに会いたいと思ってここに戻って来た。だが、その時には私の知っている者は1人も修道院に残ってはいなかった。たった1人で私はこの部屋に何日も籠って修道士ニコラが書いたという幻の本「シチリアの神の恵み」を読みふけり、そして私の人生を振り返ってこの手記を書き始めた。私の人生にはあまりにも多くの出来事があった。そしてニコラス先生に本を読んでもらっていた時、私は自分の置かれた状況、そして自分は何者なのか、何もわからないでいた。ニコラス先生は大きな声で本の続きを読んでくれた。
人間は自身が生きている時代や国について正しく知ることはできない。時代の真実や出来事は数十年後に書物に書かれたり人の口で伝えられるようになって、初めてその出来事について知ることができるのである。同じように1人の人間の置かれた状況や人生の目的もよくわからないまま生涯が終わることも多い。衝撃的なことが起き、人生を振り返らない限り、わからないまま流れていく。
その時私は85歳位であった。ふと思いつき、降誕祭や公現祭の催し物について考えた。そして劇の脚本まで用意してアントニオにこの部屋で話をすることにした。その時はまだ話がそこまで長くなるとは考えていなかった。
「アントニオ、次の降誕祭、そして公現祭について考えていることがある」
「なんですか、ニコラさん」
「シチリアと違ってスペインのこの地域は冬の寒さが厳しく食べ物も限られたものしか手に入らない」
「そうですね。修道院には寄付で得た食料の貯えがありますが、村人にとっては冬は厳しい季節となるでしょう」
「だからこそ、冬の間に村人に楽しみを与えたい。降誕祭、公現祭の時に村人やその子供たちを招いて修道院の食堂を開放し、ご馳走を振る舞うというのはどうだ?」
「え、ご馳走を振る舞うのですか?」
「村人は普段は慎ましい暮らしをしている。冬の間にそういう楽しみがあってもいいだろう。それに冬は体力も衰えやすい。温かく栄養のあるものを食べることで、厳しい冬を乗り切るための体力をつけて欲しい」
「いい考えですね。そのようなことでしたら私も精一杯お手伝いします」
「そして降誕祭の時には吟遊詩人を呼んで歌ってもらおう。それから公現祭の時には孤児院の子や村の子供に劇を演じてもらおうと考えている。子供向きに書かれた聖書の物語はたくさんあるが、実際に劇で役を演じることで理解も深まる。どう思う?」
「いいですね」
アントニオの顔が少年のように輝いた。彼は年を取っても感情がすぐ顔に出る。私は用意した脚本を彼に手渡した。彼は喜んで読み始めたが、途中から顔が険しくなってきた。
「ニコラさん、ニコラさんは今おいくつですか?」
「お前より15歳年上だ」
「私が70歳なので85歳ですね。そうか、ニコラさんも80歳を越えたのですね。いつまでもお元気なので私も気づかなかったのですが、80歳を越えているならば体や頭に衰えが出るのも無理はありません。ニコラさん自身が優れた医者でもありますが、1度他の医者に診てもらった方がいいかと思います」
「なんだ、急に人を年寄り扱いしやがって」
「ニコラさん、85歳というのはかなりのご老人です。私がもう少し早く気付くべきでした」
「私は体は多少衰えたが、頭は少しも衰えていない。若い時よりもむしろ冴えているぐらいだ」
「いいえ、自分では気づいていらっしゃいませんが、ニコラさんの頭も衰えています。でなければこんな脚本書くわけがない」
「私が書いた脚本に何か不満でもあるのか?」
「不満なんてものではありません。この脚本は順番が完全に間違っています。ニコラさん、しっかりしてください。この脚本ではキリストはエジプトで生まれたことになってしまいます。キリストが生まれたのはベツレヘム、そんなこと3歳の子供だって知っています」
「ハハハハ、アントニオよ。お前はそこを気にしているのか?」
「笑い事じゃありません!年を取ると記憶が曖昧になったり、おかしなことを言うそうです」
「気にしなくてよい。私の頭は少しも衰えていない」
「それならばどうしてこんな脚本を書いたのですか?」
「仕方ない、私の考えを詳しく説明することにしよう」
アントニオは私が年を取って頭が衰えたと勘違いしているようだった。私は誤解を解くために、長い話をすることになる。
「アントニオ、私の父が第4回十字軍の戦士だったこと、そして私も子供の頃は騎士に憧れて武芸に励んでいたが、戦場でのある出来事がきっかけで人を殺すのが怖くなって剣を捨て、修道士になったことは前にも話しているよな」
「はい、その話なら何度も聞いています」
「第4回十字軍の戦士がどれだけ残虐非道で同じキリスト教徒の国を攻撃したかも知っているな」
「もちろんです。十字軍の歴史の中でも第4回十字軍は特別でした」
「私の父は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルで住民の虐殺を行った。その後領土を与えられ教皇からの破門も解かれたが、キリスト教徒を多数虐殺したという罪は消えることはない」
「そうですが、その時の十字軍戦士で罪を自覚している者は果たしてどれくらいいるのでしょうか?ニコラさんのお父さんが特別残虐だったわけではありません。その場にいた者はみな同じことをしたでしょう。ニコラさんはお父さんと同じ道は歩まずに修道士となり、何十年も神に仕える生き方をしてきました」
「お前の言う通りだ。だが私の体にはキリスト教徒の虐殺を行った父の血が濃く流れている。そして私自身がこの手で何人もの敵の命を奪っている。その時は自分のしていることがどういうことなのか何もわかっていなかった。自身の犯した罪を知ったのは戦場を離れ、修道士になってからだった」
「ニコラさんは悔い改め、修道士として正しい生き方をしてきたのです。そのことは神もわかってくださります」
「私は納得できなかった。そして十字軍について徹底的に調べた」
私は少しの間口を閉じていた。頭の中で読んだ本の内容を整理しようとした。私は読んだ本についてほとんどアントニオに話していた。神学に関する本だけではない。ギリシャ、ローマの古典からアヴィセンナの医学書まで、私の得た知識はすべてアントニオに話し、その後他の修道士にも伝えた。だが、十字軍に関わる話だけは彼には話さなかった。そうした本を読むときは別の古典も用意して、彼がここに姿を現した時はすぐに十字軍関係の本は隠した。
「シチリアにいた時に私はアラビア語やヘブライ語を習っていた」
「はい、私も一緒にアラブ人やユダヤ人のところに行ってそれらの言葉を習いました。結局私はニコラさんほど熱心に学ぶことはなく、それらの言葉は簡単な挨拶を覚えただけで、本など読むことはできませんでしたが」
「私はアヴィセンナの原書が読みたくてアラビア語を習い始めた。そしてシチリアにいた時にアラビア語やヘブライ語の本もたくさん購入した。それらの本をシチリアにいる時に全部読むことはできなかった。だが、ここに来て、アラビア語で書かれた本を読む中で、十字軍について真実を知った」
「十字軍についての真実ですか?そうした話はニコラさんは今まで一度も私に話しませんでしたよね」
「できれば話したくなかった。それを知って私の信仰心は大きく揺らいだからだ。地獄へ行くのは私だけでよい、お前まで巻き添えにしたくはない。そう思った私はイスラム教徒の書いた十字軍についての本はお前から隠した」
私は大きなため息をついた。この先の話をアントニオに伝えていいかどうか迷った。
「教えてください。ニコラさんはアラビア語の本を読んで何を知ったのですか?」
「今から話すことは誰にも言ってはならない。私は十字軍について知ったことをまとめ、ラテン語の本を書くつもりだ。だがその本を今の時代の人間に公表するつもりはない。十字軍は終わってしまった出来事だ。だが、キリスト教徒が同じ考えでいる限り、数百年後にはもっと残酷な虐殺が起こるに違いない。それを止めるために、私は未来の人間が真実を知ることができるよう本を書くつもりだ」
「十字軍で何があったのですか?」
「キリスト教徒は聖地を取り戻すという理由で大虐殺を行った。それは決して神に許されることではない」
「・・・・」
「シチリアには古代ギリシャよりもさらに古い時代からたくさんの人が住み、優れた文明が生まれた。支配者が変わってもシチリアには多くの人がそのまま住み続けた。ユダヤ人、アラブ人、そしてキリスト教徒、それぞれ宗教は違っても、お互いに共存して生きていた。シチリアの神はキリスト教徒だけに恵みを与えたのではない。そこに住むすべての者に平等に光を分け与え恵みをもたらした。神の恵みとは本来そのようなものでないだろうか。宗教の違いで殺し合いをするのは人間の過ちで、それは決して神の御心ではない」
「でも、第1回十字軍が始まる前に、教皇は演説を行いました。聖地を取り戻すのは神の御心であり、そこへ行く者はたとえ目的を果たせなくても必ず天国へいけると」
「そう、その考えが間違っていたのだ。キリスト教徒は地上を地獄に変えてしまった」
「ニコラさん、その考えは・・・・」
アントニオの顔は真っ青で体は震えていた。私は彼を抱きしめた。
「心配しなくていい。私はこの考えを誰にも言わない。お前と未来の人間にだけ伝える」
「でも、劇の脚本は・・・」
「もし、キリストが生まれたのがベツレヘムではなくエジプトだったとしたら、十字軍の虐殺はなかったかもしれない、そんなことを考えた」
「でもその考えは・・・」
「子供が演じる劇だ。多少内容が違っても観客は大して気にしないだろう。もし気にする者がいたら、お前がこう説明すればよい。ニコラ修道院長は年を取った。内容に聖書の記述と違っている部分があっても見逃してくださいと」
「私がその説明をするのですか?」
「そう、お前は私よりはるかに口がうまいからな。劇を演じる子供も観客も、劇の内容などすぐに忘れてしまうだろう。だがその中に1人でも気づいてくれる者がいればよい。アレ?この劇は少し変だ。キリストが生まれたのはエジプトではなくベツレヘムのはずなのに・・・」
「・・・・」
「常識を疑う人間が多くなれば、虐殺を防げるかもしれない」
ニコラス先生の声を聞きながら、私もまた顔が真っ青になり体が震えた。なぜニコラス先生が修道士ニコラの本の中でも1番問題になりそうな十字軍の部分を選んで読んだのか、2年後に私はその理由を知ることになる。
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