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第1章 修道院での子供時代

27、シチリアの神の恵み(2)

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図書館の上にある秘密の部屋で、ニコラス先生は私とフェリペ、アルバロの3人を前にして、青い表紙の分厚い本、「シチリアの神の恵み」を声を出して読み始めた。



私の父は十字軍の戦士だった。だが私は子供の時にそのことを特別意識してない。父は広い領土をもらっていたので、立派な屋敷に住み、何人もの使用人に囲まれていた。家族がそろって集まることは滅多にない。子供はそれぞれ乳母に育てられ、少し大きくなると家庭教師をつけられた。兄弟が何人いたかもよくわからない。私は跡継ぎではなかったので、おそらく別の所に住む兄がいたのであろう。弟や妹もたくさんいたが、全員同じ母の子ではなさそうだ。誰が血のつながった兄弟で誰が使用人の子なのかもよくわからない大勢の子供がいた。その中で私は父のお気に入りであった。何人もの家庭教師と剣術の稽古のための教師が私のためにつけられていた。私は父と同じように騎士となり自分の力で未来を切り開いていくと信じていた。




「修道士ニコラの人生はカルロス院長の子供の頃とよく似ているのですね」
「そうかもしれない。貴族の家に生まれても跡継ぎでなければ武芸の道に進むか聖職者になるしかない。それは今も同じである。続きを読もう」




20歳を過ぎた頃から私は戦場に出るようになった。私につけられた家庭教師の1人は医学を学んだ者だったので、私は剣術だけでなく戦場で怪我人の手当ての仕方や食事の調理法、病気にならないための工夫なども教えられていた。私はすぐに指揮官となった。順調に出世して、父のように自分の領土を与えられるのも夢ではないと思っていた。




「貴族の身分で戦場でも大活躍、うらやましいな」
「でも何かあったから、修道士ニコラは修道士になったのですよね」
「その通りだ」

フェリペとアルバロはところどころ口を挟んでいたが、私は何も言えずに黙って聞いていた。ふと実際には見たことのない戦場の光景が頭に浮かんだ。秘密の部屋に置いてある本の挿絵や有名でない画家の描いた戦場の絵が記憶に残っていたのだろうか。馬の走る音、剣と盾がぶつかる音、矢が刺さって馬から落ちる人の鎧の音、たくさんの音が聞こえ、血の臭いを感じた。目の前に馬から落ちて倒れている人がいた。思わず手に持った剣で首を勢いよく刺し貫いた。




その日も私は戦場にいた。馬の走る音、鎧のぶつかる音、いつもと同じである。目の前で敵の兵士が落馬した。私は手に持った剣を振り上げた。

「助けてくれ、お願いだ」

倒れた兵士の小さなうめき声が聞こえた。

「私には家族がいる。捕虜にしてくれ」

決まった者以外は捕虜にするなと命じられている。私は剣でその男の首を貫いた。怖ろしい叫び声が聞こえ、血が噴き出した。私は首に激しい痛みを感じ叫び声を上げて意識を失った。

戦場で意識を失った私は仲間の手で安全な場所に運ばれていた。だが、その時から私は剣を持つことができなくなった。手を怪我したと嘘をついて退役し、修道院に逃げ込んだ。

「神よ、お願いです。どうか私を助けてください」

神からの答えはなかった。私はそのまま修道士となった。




「ミゲル、どうした?顔が真っ青だぞ」

私は体が震えて歯がガチガチ音を立てていた。

「今の話は刺激が強過ぎたか?」
「いいえ、大丈夫です。続きを聞かせてください」
「それならば続きを読むことにしよう」




私は修道院でたくさんの本を貪り読んだ。この時期に私が夢中になって読んだのは神学の本ではなく歴史書である。十字軍について書かれてある本は何種類もあった。そして私は東ローマ帝国を襲った第4回十字軍に注目した。東ローマ帝国を滅ぼしてロマニア帝国を建国した第4回十字軍の戦士の1人が私の父である。

第4回十字軍に関する書物を読めばキリスト教徒からの批判もかなりあったことがわかる。この十字軍は資金不足に悩み、同じキリスト教徒の都市ザラを襲撃して教皇から破門されている。東ローマ帝国の政変があり、亡命した皇太子が助けを求めてきて情勢は大きく変わる。叔父によって父の帝位が奪われたと訴える皇太子は、十字軍が介入すれば資金の援助もすると約束した。そして十字軍は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルへと向かった。その時は無事皇太子とその父を皇帝にすることに成功したが、十字軍に必要な資金はなかなか集まらない、そうこうするうちに父と共同統治をしていた皇太子は殺され、それを理由に十字軍によるコンスタンティノープルでの略奪と住民の虐殺が始まった。十字軍はロマニア帝国を建国し、領土を騎士たちに分け与えた。教皇は十字軍が本来の目的地へ行くことを促したが、彼らは領土に居座り、教会の東西分裂問題が解決されたということで、教皇は破門を解いた。

第4回十字軍の騎士である私の父は怖ろしい虐殺を行っている。だがその罪は誰が背負うのか。父も私の兄弟も十字軍で行ったことが罪とは思っていない。他のキリスト教徒はこの第4回十字軍はキリスト教徒を虐殺していると批判している。どれほど批判されても私達家族は平気であった。広大な領土を持ち屋敷と使用人に守られて何不自由なく暮らしていた。罪に気づくのは死後の審判を受ける時だけである。

私の体には十字軍戦士でたくさんのキリスト教徒を殺した父の血が濃く流れている。そして私自身、キリスト教徒や異教徒に関係なく戦場でたくさんの命を奪っている。神は私の犯した罪に対してどのような審判を下すのであろうか。




「君たちはどう思う?この先は読まずにここまで読んだ時点では、修道士ニコラの罪は神に裁かれるのか、それとも許されるのか」
「俺は許されると思う。だって第4回十字軍の戦士は最初から盗賊のように住民を虐殺して略奪しようとは考えていなかった。他の十字軍戦士と同じように信仰心から集まり、聖地を取り戻して悪のイスラム教徒と闘おうとしていた。いろいろ悪運が重なって結果としてキリスト教徒を殺すことになっても、その志は尊いのだから」
「僕は許されないと思います。第4回十字軍は同じキリスト教徒をたくさん虐殺しています。理由がなんであってもキリスト教徒を殺した罪は消えることはない、それは子や孫の代になっても同じです」
「ミゲル、第1回十字軍の時は聖地エルサレムを奪還し無事目的を果たした。その時にはエルサレムにいたイスラム教徒、ユダヤ教徒が多数虐殺されたが、そのことについてはどう思うか?」
「第1回十字軍は教皇の呼びかけで始まり、聖地を奪還するという素晴らしい成果を収めました。その時に犠牲があったとしてもそれはすべて神の御心のうち、しかたのないことです。同じキリスト教徒を殺したのではなく、聖地を奪った異教徒を殺したのです。彼らの魂は栄光に包まれて天国に迎えられるでしょう」

私は興奮して話していた。その時の私は自分の両親がキリスト教徒、それも高貴な血が流れる貴族の子と信じていた。傲慢な私はフェリペとニコラス先生がユダヤ人の血を引いているということをすっかり忘れていた。そして聖地奪還のような崇高な目的があれば異教徒の死など大したことではないとすら考えていた。

「修道士ニコラはとても苦しんだと思います。自分が戦場で実際に奪った命、十字軍の戦士だった父親が奪った命、殺した人数を考えれば怖ろしい罪を犯したことになり、神の裁きを怖れなければなりません。そして修道士ニコラはさらに称賛されている第1回十字軍でも怖ろしい大虐殺があったことに気づいてしまいます」





最初の十字軍、すなわち第1回十字軍は教皇の呼びかけで始まり、実際に聖地を奪還してキリスト教国ができたことで称賛されている。だがその時実際に何があったか、歴史書はこうも伝えている。エルサレムに到着する前の都市の攻防戦で戦士は飢えに苦しんでついには人肉を口にした。殺した人間の肉を火で焼き、ゆでて口にしたという。エルサレムでは多数のユダヤ人が建物内に閉じ込められて焼き殺され、イスラム教徒も虐殺された。それはさながら地獄のような光景だったに違いない。キリスト教徒はその時世界を地獄に変えてしまった。これは本当に神が望んだ世界だったのだろうか。十字軍の行為を見てキリストは涙を流したに違いない。

「神よ、私をもう1度地上に行かせてください。人間は怖ろしいことをしています」
「それはできぬ。彼らはみなそなたの教えを忠実に守る者ばかりだ」
「それならばせめて私の生まれた場所を変えてください。エルサレムから遠く離れたエジプトで生まれたことにすれば、聖地をめぐっての争いもこれほど激しくはならないでしょう」
「エルサレムは聖地だから奪い合いが激しくなったのではない。奪う価値がある場所と人間が定めたから争いが激しくなったのだ。聖地と信じ、奪い合い殺し合えば天国へ行けると信じて互いに殺し合う、人間が定めた規則だ。我々に手出しはできぬ・・・」
「もしも私があの時地上に降り立たなければ人間はこのようにはならなかったのですか?」
「それはわからぬ・・・」




「修道士ニコラはキリスト教徒でありながらキリスト教徒の罪について真剣に考えた。そして彼は他の修道士と一緒にシチリアへ行くことになる」
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