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第1章 修道院での子供時代

23、公現祭の劇(1)

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翌日、私はフアンの手を引いて指定された時間に広場に行った。孤児院の子供たちはもうみんな来ていた。アルバロがフアンを抱き上げた。

「おお、フアン元気だったか?」
「僕はいつも元気だよ」

私は元気ではない。フアンの話が気になって少しも眠れなかった。フェリペが小声で話しかけてきた。

「やっぱりフアンは何か話してきた?」
「うん、かなり長い話をした。でも言っていることがメチャクチャでなんであんな話をするのかよくわからない」
「どんな話をしたの?」
「例えば最初に神の国でイエス様と神様が話をしたと言っていた。そんなことありえないだろう。だって神様とキリストは呼び名は違っても同じ存在だから2人が別の人格を持って会話するなどありえない。お祈りの最後には必ず父と子と聖霊の名においてアーメン、と唱えている。フアンだって毎日聞いているはずだよ」
「そうだね・・・」

フェリペは曖昧に返事をした。そこへニコラス先生が薄い本をたくさん抱えてやってきた。

「やあ、君たちはもう集まっていたのだな。今から公現祭で行う劇の台本を手渡す。役のない子は説明文を読むのとコーラスをやってもらう」

ニコラス先生は薄い本、つまり台本を私達1人1人に配った。孤児院の子10人と私とフアンで全部で12人である。

「配役を発表する。まずはヘロデ王とヨセフの1人2役をアルバロにやってもらう」
「え、俺いきなり悪役のヘロデ王ですか?」
「そうだ。君なら1番迫力がある。思いっきり暴れてくれ」
「剣とか振り回していいですか?」
「ああ、戦いの場面も考えている。実際に馬を使うわけにはいかないが、剣術の稽古の成果を見せてくれ」
「わかりました」

アルバロは地面に落ちていた棒を手に取って振り回した。すごい迫力である。

「もういい。君の実力はよくわかっている。続いて大天使ガブリエルと3人の博士の1人、メルキオールをやってもらうのはミゲルだ。メルキオールは青年の姿で黄金を持って現れた」
「え、僕が天使と博士の役をやるのですか?」

私はとまどった。どちらも難しそうな役である。

「大丈夫だよ。ミゲルならきっとうまくできる」
「そうだよ。ミゲルは俺たちと違って上品だから天使の衣装も似合うさ」

フェリペとアルバロが応援してくれた。

「他の博士で乳香を持ったバルタザールはカルロス院長にやっていただく。カルロス院長はお忙しくて練習に参加できないが、あの方ならばいきなり本番に出ても大丈夫であろう。そして没薬を持つカスパールは私が演じる。死を象徴する老人の役でもある」
「えー、カルロス院長も出演するのですか?」
「院長が来るなら下手な演技はできないね」
「ナレーション間違えたらどうしよう」

カルロス先生の名前を聞いて、修道院の子が口々にしゃべり出した。以前ほどではないにしても、みんなカルロス先生のことは怖れている。

「練習をきちんと行えば大丈夫だ。そしてキリストの役はフアンにやってもらう。生まれたばかりの子としては少し大きすぎるが、セリフもなくてただ抱かれているだけの役だから心配ないだろう。そして聖母マリア様の役は・・」
「え、マリア様の役も俺たちが演じるのですか?」
「もちろんそうだ。女性の役だが声変わり前の子なら大丈夫であろう。マリア様の役はフェリペに演じてもらう予定である」
「え、僕がマリア様ですか・・・」

名前を呼ばれたフェリペが微妙な顔をした。

「どうしたフェリペ?君ならまだ声変わりはしていないし体も細いからマリア様に最適だと考えたのだが、女性の役をやるのは抵抗があるのか?」
「いいえ、違います。マリア様はキリストの母というとても神聖な役です。僕はマリア様を演じることはできません。なぜなら僕の両親はユダヤ人であり、僕はまだ洗礼を受けていない、つまり僕はキリスト教徒ではないからです。僕にはマリア様を演じる資格はありません」

フェリペはきっぱりと言った。




しばらくの間、誰も何も言わなかった。あのおしゃべりなフアンでさえ黙っていた。フェリペがユダヤ人でキリスト教徒でないという衝撃がみんなを包んでいた。私は歴史や地理について勉強していたから、ユダヤ人という民族が独自の教えを守りながら世界各地に住んでいるということを知っていた。レコンキスタが終わった後はスペインに住むユダヤ人は改宗か追放かを迫られ、中にはそのどちらも拒んで処刑された者もいると聞いている。生きたまま火あぶりにされるという怖ろしい処刑、それでもユダヤ人は改宗を拒んだという。そのユダヤ人という民族と目の前にいるフェリペがどうしても結びつかなかった。こんな重大な秘密をみんなの前で言ってしまってフェリペは大丈夫なのだろうか。私の体は震えが止まらなくなった。



「フェリペ、君がユダヤ人ということはここにいる者ならよいが、カルロス院長や他の修道士の前では言わない方がいい。前にも君に話したが、私もまたユダヤ人の血を引いている。私の母はユダヤ人だったが、私が幼い頃に病死した。私は母の弟、つまり叔父に引き取られた。叔父は医者でまたユダヤ人の教えを厳格に守る人だった。私がパリに留学している間に叔父は殺されていた。スペインに戻った私はその話を聞いてすぐにキリスト教徒となり、叔父の家を処分して住んでいた街を離れた。そして偶然カルロス院長と出会い、ここの病院で働かせてもらうことにした。私は今はキリスト教徒になっているが、改宗したユダヤ人であることは変わりない。だから私は重要なミサには参加しないようにしている」

フェリペだけでなくニコラス先生もまたユダヤ人の血を引いているとは・・・私はもう頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなっていた。

「僕がユダヤ人であることはニコラス先生しか知りません。カルロス院長や孤児院のみんなにはずっと秘密にするつもりでした。でも、聖母マリア様の役をやることは、どうしても僕にはできません・・・」
「フェリペよ、私の配慮が足りなかったのかもしれない。だが私は君がユダヤ人であるからこそ、聖母マリアという役を演じて欲しいとも考えた。改宗していても、今の時代にこの国でユダヤ人として生きることは大きな困難が伴う。私の叔父もそうであったが、誠実に生きていても突然殺されることもある。だからこそ私は君にユダヤ人としての教えとキリスト教の理解、両方の知識をきちんと学んで欲しい。きちんとした知識を持つことが、君を将来の危険から守ることになる」
「知識が僕を危険から守る・・・」
「マリア様はキリストだけではない、すべての人間の母であり母の愛の象徴でもある。君は実の母親のことを覚えているか?」
「はい、母が亡くなった時に僕は5歳でしたが、顔も声もはっきりと覚えています」
「それならば母親のことを思い浮かべながら演じるとよい」
「わかりました」



広場で劇の練習が始まった。孤児院のみんなはフェリペやニコラス先生がユダヤ人であるということについて、私ほど強い衝撃は受けていないようだ。みんなは週に1度だけ主にスペイン語の読み書きを習うだけだから、歴史や地理などの詳しい勉強はしていない。でも私はその時8歳であったが、ラテン語だけでなくスペインの地理や歴史についてもかなり詳しく知っていた。そして知識があるからこそユダヤ人という言葉に得体のしれない怖ろしさを感じ、体の震えが止まらなかった。

「最初のナレーションとコーラスの後、受胎告知の場面になる。ミゲルとフェリペは前に出なさい」

突然名前を呼ばれてドキリとした。

「フェリペのマリア様はこの場所に座って本を読んでいる。そこに大天使ガブリエルが現れるという場面だ。ミゲル、天使になった気持ちでちょっと歩いてくれないか」

天使になった気持ちと言われても、天使になどなったことはない。それに私はフェリペやニコラス先生がユダヤ人だったという衝撃で、体が震えてこわばりうまく歩けない。ぎこちなく歩いてフェリペに近付いた。

「ちょっと違うな。ミゲル、君は天使の役だ。鳥のように空から軽やかに下りてくるんだよ」

鳥のようにと言われて私は手をばたつかせて歩いた。

「わー、まるで飛べない鳥がもがいているみたい」
「ミゲルって下手だね」
「ニワトリが空を飛ぼうとしている」

周りで見ている子供たちが笑い出した。

「いや、ミゲル、そうではない。困ったな、誰か天使の見本をできる者はいるか?」
「僕がやってみます」

フェリペが私の立っている場所まで来て静かに歩き出した。普通に歩いているだけなのに人間の歩き方ではない。天使のように軽やかで優雅である。

「ニコラス先生、こんな感じでいいですか?」
「いいだろう。この場面だけに時間をかけるわけにはいかないから、フェリペ、後でミゲルに天使の歩き方を教えてやってくれ。次はヘロデ王の場面にする。アルバロと兵士役の子は前に出て」

私は天使の役が下手過ぎてとばされたようである。それでもみんなの前で手をばたつかせたのがよかったのか、体の震えやこわばりは治まっていた。
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