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第1章 修道院での子供時代

18、修道士ニコラの伝説(2)

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数日後、私達3人はまたニコラス先生に連れられて図書館の上にある秘密の部屋に行き、同じ部屋で先生と向かい合わせに座って話を聞いた。

「修道士ニコラは30歳から60歳までの30年間をシチリアの修道院で過ごした後、スペインにあるこの修道院に仲間の修道士と一緒にやってきた。もともとあった貴族の古い館を改修して少しずつ修道院らしくしていった」
「それならばこの図書館も・・・」
「前の持ち主の貴族が趣味で作らせたものだろう。最初から修道院付属の図書館にするつもりなら、上にある迷路のようなたくさんの部屋は全く必要ないからね」

ニコラス先生は静かに微笑んだ。

「だが、この場所にたくさんの本を持ち込んだのは間違いなく初代の修道院長となった修道士ニコラだ。彼はシチリアの修道院にいた時に集めた豪華な写本だけでなくアヴィセンナやコーランも含むアラビア語の本やヘブライ語で書かれた書物、シチリアの貴族が書いた料理本や画家のスケッチ、その時持っていたすべての書物を船で運ばせた」
「下の部屋で修道士が写本しているのはその時運んだ本ですか?」
「その時の本もあるし、後の時代に購入したものもある。いずれにせよ価値ある豪華な本はすべて整理されて下の部屋の本棚に並べられ、それ以外の本が上に運ばれた」
「つまり上にある本はあんまり価値がないガラクタというわけだ」

アルバロが大きな声で言った。

「そう、ここにある本はほとんど価値がないと思われ、200年以上の間読む者もほとんどいないままだった。ところが最近、と言っても10年ほど前になるが、ドイツで宗教改革が始まったために教皇庁で禁書目録が作られ、スペインにあるすべての修道院に異端審問所の係員が来て蔵書を調べることになった」
「え、こんな場所にまで異端審問官が来たのですか?」
「そうだ。その噂を聞いたカルロス院長は私を連れて街へ行き、市場でつまらない書物や骨董品を大量に買うように命じた」
「つまらない書物ってどういう本ですか?」
「貴族が毎日の食事を記録していたり、子供の背の高さを記録したようなものだ。それから画家が旅した時にかかった宿代や食費を記録したものとか、無名の画家の下手なスケッチ、それから下手な画家の下手な絵とか派手な置物、なんでもいいから集めて購入するように言われた」
「カルロス院長は何考えている。そんな下手な絵を修道院に飾ったら修道院の品位が下がるだろう?」

またアルバロが大きな声で叫んだ。ニコラス先生はその時の様子を思い出したのか笑いをこらえている。

「もちろんそうした絵を修道院に飾ったわけではない。その時購入した絵や置物、そして大量の書物はすべてここの入り口を入ってすぐの部屋とその次の部屋にごちゃごちゃに置かれた」
「なんのために?」
「そこへ異端審問官がやってきた。彼らは図書館にある豪華な写本を長い時間をかけて丁寧に調べた後、上の部屋にも案内された。彼らはここにある趣味の悪い絵や置物を見てうんざりし、カルロス院長に問いかけた。なぜこのように芸術とはいいがたい絵や置物を大量に集めているのかと。院長は澄ました顔で答えた。これらの作品や書物は今の時代は誰も理解できないから安く売られていた。だが、100年、200年の後、本当の価値が理解され、100倍、200倍の価格で売られるだろうと。カルロス院長は異端審問官に画家の書いた宿代や食費を記した書物を見せ、これもまた数百年後には今の時代の物の値段を示す貴重な資料になるからと説明していたが、彼らはもううんざりしていた。そして異端審問官はそれ以上奥の部屋に入ることもなくそのまま帰っていった」
「つまり、カルロス院長は奥にある本が没収されないよう守るために入り口近くにわざと下手な絵を置いたのですね。素晴らしい」
「そのとおりだ。フェリペ。こうして修道士ニコラが集めた貴重な本は守られた」

ニコラス先生は大きく息を吐き、遠くを見つめた。



「先生、修道士ニコラは自分で何か本を書いてはいないのですか?」

フェリペが質問した。

「それが問題だ。修道士ニコラは修道院長として日々の出来事を書いた日誌や手記は残している。だが彼自身の考えをまとめた本は今のところ見つかっていない。これほど多くの書物を集め、深い思索の日々を送った人だ。きっと何か残しているに違いないが、彼は用心深くそれをどこかに隠したのだろう」
「ではこのたくさんの部屋のどこかに、修道士ニコラの書いた本があるかもしれないのですね」

フェリペが目を輝かせた。

「では、ここの修道院に来てからの修道士ニコラについて語ろう。と言ってもここに60歳で来て90歳で亡くなるまでの間、特別な事件があったわけではない。祈りと瞑想、そして読書と労働の日々であった。修道士ニコラは年を取ってもその情熱が衰えることはなかった。死の直前まで熱心に後進の指導にあたっていた。彼の深く広い知識は評判で、その知恵を求めて遠くから学者が訪ねてくることもあった。その中にはイスラム教徒、ユダヤ教徒の学者もいた」
「キリスト教の修道院にイスラム教やユダヤ教の学者が訪ねてきたのですか」
「当時のスペインにはまだまだたくさんのアラブ人、ユダヤ人が住んでいた。もっともシチリアに比べればその数はぐっと少ないが、それでもシチリアで30年暮らした修道士ニコラは、異教徒の学者の話にも熱心に耳を傾け、彼らと会うのを楽しみにしていた。特にキリストが生まれた降誕祭の前夜にはたくさんのごちそうが用意され、多くの者が訪れた。修道士ニコラは降誕祭の前夜、家畜小屋近くの広場で説教を行い、そこには生きている人間だけでなく、死者も集まったと言われている。修道士ニコラは広場に来たすべての者を1人ずつ抱きしめ、言葉をかけ、1人1人に神の光を渡していた。彼はそこに来る全ての者を愛した。身分や職業には関係なく、異教徒や死者ですら彼は分け隔てなく愛した」
「・・・・・」

私達は何も言えなかった。異教徒や死者ですら愛したということがよくわからない。

「修道士ニコラは90歳という高齢まで生きたが、それでも寿命が尽きる日が来た。その日、彼は朝の祈りを捧げた後、体の変化を感じて自分の部屋のベッドに横になった。その時いた30人ほどの修道士すべてが呼び集められ、1人ずつ別れの言葉を交わした。最後に修道士アントニオが別れを告げた。部屋に入りきれない修道士は廊下に並び、偉大な修道院長のために祈り続けた。修道士ニコラは静かに目を閉じた。だがその時思いがけないことが起きた。静かな祈りの中で突然修道士アントニオが泣き崩れた。彼は師の体に顔を埋め、子供のように号泣した。他の修道士は驚いたが、彼らは目で合図をして部屋を出て行き、静かにドアを閉めた。修道士ニコラは目を開けて、修道士アントニオに対して何かささやいた。そしてまた目を閉じた。部屋の中からは修道士アントニオの泣き声だけが長い間聞こえた」
「・・・・・」

また長い間沈黙が続いた。

「俺、こんなこと聞いたら失礼だとわかっているけど、その時修道士アントニオは何歳ぐらいだったのかな」
「彼は15歳年下だったから、75歳くらいだろう」
「75歳のじーさんが90歳のじーさんが亡くなったからといってそんなに泣くのかな」
「アルバロ、じーさんなんて言い方は失礼だぞ」

フェリペが慌ててアルバロをたしなめたが、ニコラス先生は微笑んでいる。

「確かに修道士ニコラは90歳という高齢で亡くなっている。普通に考えれば大往生だろう。だが2人の心はその時初めて出会った時に戻っていた。25歳の修道士と修道院に預けられた10歳の子供、10歳の子供なら親代わりと思った師が亡くなって号泣するのも無理はないだろう」
「・・・・・」

「それから修道士アントニオは修道士ニコラの後を継いで2代目の修道院長となった。修道院長になって初めて迎える降誕祭の前、彼は祈りを捧げた。修道士ニコラよ、私はあなたのような説教はできません。どうか私を助けてください」
「・・・・・」
「降誕祭の前夜、去年と同じように広場にはたくさんの生きた人間と死者が集まっていた。そこに修道士ニコラが現れ、説教を行った後、同じように1人1人を抱きしめて光を渡していった。最後の死者が光を受け取った時、修道士ニコラは空を指さして静かに消えていった」
「つ、つまり、90歳のじーさんが幽霊になって出て来たというわけか」
「アルバロ、じーさんとか幽霊という言い方は失礼だよ」
「確かに失礼だが幽霊という言い方は間違ってはいない」

ニコラス先生は静かに微笑んでいる。

「その後10年間、2代目の修道院長のアントニオが亡くなるまで、修道士ニコラは毎年降誕祭の前夜には広場に姿を現して説教をし、死者に光を与えて導いたと言われている」
「弟子が心配で幽霊になって出てきて代わりに説教をしたというわけか。随分と面倒見のいいじーさんだな」
「アルバロ、さっきから何度も言っているけど、君のその言い方は本当に失礼だよ」
「まあよい。アルバロの理解で間違ってはいない。いろいろ話過ぎて予定よりだいぶ時間が過ぎてしまった。もう昼食の時間だ。すぐにもどって用意をしなさい」
「はーい」

私達は迷路のような通路を通って入り口のすぐそばにある部屋まで戻った。そこはよく見ると確かに他の部屋よりもさらに本が無造作に積まれていて、下手な絵が飾られ、趣味の悪い置物が置かれていた。
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