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24、修道院長の助言
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「馬車の中で前に座っているのはそなたの師匠か?」
いきなりラミロ2世に話しかけられた。姿は見えない。
「ニコラス先生は修道院の生活に絶望した僕に勉強を教えてくれ、生きる希望を与えてくれた。医者の家に引き取られることが決まったのも先生のおかげだ。師匠というだけでなく、家族よりも大切な命の恩人でもある」
「私も子供の頃、後に命の恩人となった師匠に出会っている」
ラミロ2世は話を始め、僕はウトウトしながら聞いていた。
私が師匠に出会ったのは6歳の時だった。私は父上の家臣の1人に連れられてある修道院に行った。王宮から歩いていけるほどの距離である。1人の若い修道士が出迎えてくれた。
「約束通りラミロ王子を連れてきた」
「お待ちしてました」
「サンチョ・ラミレス王の御子だ。くれぐれも失礼のないように接して欲しい」
「私は貴族の出身で以前は宮廷で王に仕えていました。だからこそ王から王子の教育係を任命されました」
「王から任命されているなら心強い。よろしく頼む」
私は修道院の門の前で若い修道士と2人になった。
「私の名前はバルトロメオ、修道士となってまだ5年目だが、以前宮廷に仕えていて、王やペドロ王子、アルフォンソ王子のことはよく知っている」
「父上や兄上のこと知っているのですか?」
不安でずっと固い表情をしていた私は兄の名前を聞いてやっと微笑んだ。
「さあ、ラミロ、中に入ろう。今日から私が君の世話をして勉強を教えるよう王から命じられた」
「父上がですか?」
「君は王家の子だ。おそらく数年で修道院を出て王家に戻ることになると思う。その時に困らないよう幅広い教養を身に付けるため、私のような俗世間を知っている者が教育係に選ばれた」
「はい、えっとバルト・・・」
「私の名前は呼びにくい、師匠と呼んでくれればいい」
「はい、師匠!」
私は元気よく答えた。
最初の数年間、私は修道院の生活で特に不安になることはなかった。王家や貴族の子が勉強のために修道院に入れられるのはよくあることだと聞いていた。聖職者になるためというよりも修道院が1番よい教育を受けられる場所だったからである。修道院の生活は勉強が中心で、大人の修道士のように長い瞑想や労働が義務付けられることもなかった。何よりも私はすぐに師匠が大好きになり、彼との生活になじんでいた。
修道院の生活になじみながらも、私は心のどこかで迎えが来て王家に戻ることを望んでいた。父上が亡くなり、ペドロ兄上が王となった。そして私は王家に戻ることはなく正式に修道士となることが決まった。15歳の時である。修道士となる儀式も受けた。
「今日から君は1人前の修道士になった。そして私はトメラスにある修道院に行くことが決まった」
「そんな遠くに行ってしまうのですか?」
「もう私が教えられることは何もない。君はアラゴン王国の聖職者の中で頂点に立つことを義務づけられている」
「まだまだ私は未熟です。私はもっともっと師匠に教えて欲しかった」
「ラミロ、修道士は人前で涙を見せてはいけない。私にとっても君と過ごした9年間は人生で1番輝いていた。だがこれからはお互い真に神に仕える者として修業をしていかなければいけない」
師匠の目にも涙が光っていた。
47歳の時、私はアラゴン王国の王になった。ペドロ兄上の子は兄上よりも早く亡くなり、王位を継いだアルフォンソ兄上にも子はいなかった。アルフォンソ兄上は王国の土地と財産をすべてテンプル騎士団に寄進するという遺言状を作っていたが、この遺言は貴族たちの反対で実現することはなく、私が王位を継ぐことになった。だが貴族たちは修道院育ちで馬に乗れず、剣を持つこともできない私を馬鹿にして各地で反乱が起きた。私は昔の師匠、今はトメラスの修道院長となっているバルトロメオに助言をもらうため、使者を送った。戻って来た使者は私に次のようなことを言った。
「王の言葉を伝えると、修道院長は私を菜園に連れて行きました。そしてナイフを使って突き出たり大きくなり過ぎたキャベツを次々に切っていきました。そしてこう言われました『よく見て、この光景を王に伝えなさい』」
私はすぐに師匠の助言を理解した。ウエスカにアラゴンの国中に音が伝わるような大きな鐘を作るので寄付を募りたいと呼び集め、集まった貴族たちを1人ずつ部屋に入れ、反乱に加わった者はその場で刑を言い渡して斬首した。後から部屋に入った者は惨状を見て逃げ出そうとしたが家臣に取り押さえられ、同じように斬首された。そして切り落とされた首は鐘のように高く積み上げられた。もちろん私が直接手を下したわけではないが、私はその光景を直接見て断末魔の叫びを聞いていた。
「それならば、『ウエスカの鐘』の事件はその修道院長の助言があって行われたのですね」
「父上は先見の明のある人だった。あらゆる可能性を考え、私の師匠を選んでくれていた」
いきなりラミロ2世に話しかけられた。姿は見えない。
「ニコラス先生は修道院の生活に絶望した僕に勉強を教えてくれ、生きる希望を与えてくれた。医者の家に引き取られることが決まったのも先生のおかげだ。師匠というだけでなく、家族よりも大切な命の恩人でもある」
「私も子供の頃、後に命の恩人となった師匠に出会っている」
ラミロ2世は話を始め、僕はウトウトしながら聞いていた。
私が師匠に出会ったのは6歳の時だった。私は父上の家臣の1人に連れられてある修道院に行った。王宮から歩いていけるほどの距離である。1人の若い修道士が出迎えてくれた。
「約束通りラミロ王子を連れてきた」
「お待ちしてました」
「サンチョ・ラミレス王の御子だ。くれぐれも失礼のないように接して欲しい」
「私は貴族の出身で以前は宮廷で王に仕えていました。だからこそ王から王子の教育係を任命されました」
「王から任命されているなら心強い。よろしく頼む」
私は修道院の門の前で若い修道士と2人になった。
「私の名前はバルトロメオ、修道士となってまだ5年目だが、以前宮廷に仕えていて、王やペドロ王子、アルフォンソ王子のことはよく知っている」
「父上や兄上のこと知っているのですか?」
不安でずっと固い表情をしていた私は兄の名前を聞いてやっと微笑んだ。
「さあ、ラミロ、中に入ろう。今日から私が君の世話をして勉強を教えるよう王から命じられた」
「父上がですか?」
「君は王家の子だ。おそらく数年で修道院を出て王家に戻ることになると思う。その時に困らないよう幅広い教養を身に付けるため、私のような俗世間を知っている者が教育係に選ばれた」
「はい、えっとバルト・・・」
「私の名前は呼びにくい、師匠と呼んでくれればいい」
「はい、師匠!」
私は元気よく答えた。
最初の数年間、私は修道院の生活で特に不安になることはなかった。王家や貴族の子が勉強のために修道院に入れられるのはよくあることだと聞いていた。聖職者になるためというよりも修道院が1番よい教育を受けられる場所だったからである。修道院の生活は勉強が中心で、大人の修道士のように長い瞑想や労働が義務付けられることもなかった。何よりも私はすぐに師匠が大好きになり、彼との生活になじんでいた。
修道院の生活になじみながらも、私は心のどこかで迎えが来て王家に戻ることを望んでいた。父上が亡くなり、ペドロ兄上が王となった。そして私は王家に戻ることはなく正式に修道士となることが決まった。15歳の時である。修道士となる儀式も受けた。
「今日から君は1人前の修道士になった。そして私はトメラスにある修道院に行くことが決まった」
「そんな遠くに行ってしまうのですか?」
「もう私が教えられることは何もない。君はアラゴン王国の聖職者の中で頂点に立つことを義務づけられている」
「まだまだ私は未熟です。私はもっともっと師匠に教えて欲しかった」
「ラミロ、修道士は人前で涙を見せてはいけない。私にとっても君と過ごした9年間は人生で1番輝いていた。だがこれからはお互い真に神に仕える者として修業をしていかなければいけない」
師匠の目にも涙が光っていた。
47歳の時、私はアラゴン王国の王になった。ペドロ兄上の子は兄上よりも早く亡くなり、王位を継いだアルフォンソ兄上にも子はいなかった。アルフォンソ兄上は王国の土地と財産をすべてテンプル騎士団に寄進するという遺言状を作っていたが、この遺言は貴族たちの反対で実現することはなく、私が王位を継ぐことになった。だが貴族たちは修道院育ちで馬に乗れず、剣を持つこともできない私を馬鹿にして各地で反乱が起きた。私は昔の師匠、今はトメラスの修道院長となっているバルトロメオに助言をもらうため、使者を送った。戻って来た使者は私に次のようなことを言った。
「王の言葉を伝えると、修道院長は私を菜園に連れて行きました。そしてナイフを使って突き出たり大きくなり過ぎたキャベツを次々に切っていきました。そしてこう言われました『よく見て、この光景を王に伝えなさい』」
私はすぐに師匠の助言を理解した。ウエスカにアラゴンの国中に音が伝わるような大きな鐘を作るので寄付を募りたいと呼び集め、集まった貴族たちを1人ずつ部屋に入れ、反乱に加わった者はその場で刑を言い渡して斬首した。後から部屋に入った者は惨状を見て逃げ出そうとしたが家臣に取り押さえられ、同じように斬首された。そして切り落とされた首は鐘のように高く積み上げられた。もちろん私が直接手を下したわけではないが、私はその光景を直接見て断末魔の叫びを聞いていた。
「それならば、『ウエスカの鐘』の事件はその修道院長の助言があって行われたのですね」
「父上は先見の明のある人だった。あらゆる可能性を考え、私の師匠を選んでくれていた」
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